「電気コードの悪意」

 電話のベルが鳴る。受話器を取る。「もしもし…。」

 聞こえてくるのは確かに人間の声なのだが、それは人の口から電気のコード信号となって細く長い電線の中を旅してくる。
 その信号の中には「あ」という意味のものもあれば「ん」という意味のものもある。それが連なり「明日は何時に待ち合わせようか」とか、「お暑うございますね」とか「早く帰ってこないと夕飯食べちゃうわよ」とかになる。優しい言葉のコードもあれば、涙声のコードもある。
 そしてまた、悪意を含んだコードも存在するのである。電話の向こうの、顔も知らない誰かの悪意が。

 その人の赤く熱く暗い体内のどこかに息づく、形のない悪意が電気信号となって現れる。

 電話器に悪意はない。送話器にダイヤルにボタンにベルに受話器に悪意はない。
 だが、形のない悪意を、形あるものにしてしまうことには、悪意はないのだろうか。


















1987.9.
(ダイヤルってとこが時代バレでしょ・笑)

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