「おしゃべりなカクテル」

 
 
 「あんた、いつまであたしの保護者、してるつもりよ。」
 なかば呆れながら、リナが口にしたなんの気なしの言葉。
 返ってきた答えを聞いて、彼女が赤くなったことは言うまでもない。
 「そうだな。・・・一生か?」
 
 
 
 
 その店は、木目が美しいどっしりとしたカウンターを持った、物静かなパブだった。
 照明は全て間接照明になっており、柔らかい光が木目の美しさを際立たせている。
 店が客を選ぶのか、客が店を作ってきたのか。
 店内ではさながら美徳のような静謐さが漂っていた。
 当然、客の年齢層も高い。
 ただ一人、たった今ここで、平均年令を一人で下げまくっている客を除けば。
 
 「・・・ってど〜ゆ〜ことなのよねえ・・・?」
 豊かな髪をかきあげながら、リナは呟く。
 片手には華奢なグラス。前方にはおつまみの入ったクリスタルの小皿。
 カウンターの向い側では、バーテンがカクテルを作っているところだった。
 鮮やかに、それでいてショウ向けに派手な動作を付け加えることもなく、シェイカーを振っているのは女性。
 長いストレートの髪は、誰かを思わせた。だがその色は、実際、リナの髪の色とよく似ていた。片側の髪をそのまま耳の前に垂らし、残りの髪はまとめて後で一つに束ねている。同じ栗色の髪でも、これほど印象が違うものなのだろうか。
 リナからすれば十分、大人の女性に見えるそのバーテンダーは、この酒場にリナを引っ張ってきた当人でもあった。宿を出てうろうろしていたリナを、子供が一人で出歩いていると思って声をかけてきたのだ。
 すっかり補導された気分を味わったリナはむくれたが、お詫びに奢ると説得されてついてきた。どのみち、眠れなくて夜の散歩に出たことは間違いなかったからである。
 
 「よっぽど気になってるのね。その人の一言が。」
 バーテンはシェイカーの蓋をあけると、中身を無色透明の細長いグラスに静かに注ぎ込む。しゃらん、と砕かれた氷が音をたて、濁りのないカクテルが揺れた。
 「べ、別にっ。」
 リナは自分のグラスを呷る。ほとんど、入っていなかったのだが。
 「気になってるっていうか。・・・どういうつもりで言ってんのか、わかんないだけよ。」
 「・・・・。」
 差し出される、作られたばかりのカクテル。
 くし型に切った果物が添えられている。
 「その保護者さんとやらは・・・・いくつくらいなの?」
 「・・・・。」
 今度はリナが黙り、グラスに手を伸ばす。
 「知らない。」
 「知らないって・・・・。大体の見当くらいつくでしょ?」
 「そりゃあね。最初に会った時も、はたちそこそこって感じだったから。20代前半〜半ば、ってとこじゃないのかな。・・・・でも、知らないのよ。正確な年令は。」
 「聞いたことはないの?」
 その質問に、リナは肩をすくめた。「思い付かなかったわ。今の今まで。だって、別にんなこと知らなくても変わんないし、とりたてて知りたいとも思わなかったし。」
 「・・・・なるほどね。」
 
 バーテンは僅かに微笑んだようだった。リナが空けたグラスを取り上げ、カウンターの裏にしつらえられた、シンクの脇にことりと置く。
「・・・なにが、なるほど、なのよ?」
 カクテルに口をつけようとしたリナは、いぶかしげに女性の顔を見据えた。
 バーテンはリナにくるりと背中を向け、壁沿いに据え付けられた天井まで届く陳列棚から、何本かのボトルを引き出す。そのラベルをひとつひとつ確認しながら、彼女は背中越しに言った。
 「年令のことは、別に聞こうとも思わなかった。つまり、気にもならなかったってこと。・・・でも、彼のその一言は今こうして気になってる。あなたにとって、彼の年令を知ることよりその一言の方が気になってる、ってことじゃない?」
 
 ごほっ。
 リナがむせた。
 
 「・・・・・・・やっぱり美味しくない?」
 バーテンは眉をひそめ、声をひそめる。むせながらリナはあることに気づく。
 「やっぱりって・・・・どゆことよ?」
 「新しいカクテルを作ろうと思って。毎日、試作品を作っていたの。・・・でも、飲んでくれる人がいなくて。」
 悪怯れた様子もなく、にっこりと彼女は笑う。リナは思わず席を立とうかと思った。
 「だからあたしに奢るって言ったわけ!?あたしを実験体にするつもりだったのねっ!?」
 「実験なんて人聞きの悪い。試飲って言ってほしいわ。」
 線の細い感じのする大人の女性だと思っていたイメージが、リナの中でがらがらと崩れた。
 「あたし、帰る・・・・。」
 「まあまあ。試作品は今のだけよ♪お詫びにお口直しを作るから♪」
 「・・・・今度は、ちゃんとしたのでしょうね・・・・。」
 「大丈夫♪お子様にも安心、ノンアルコールカクテルよ♪」
 「・・・・・どーせあたしはお子様ですよ〜〜〜〜だ。」
 ぶうたれながらも、リナは席を立たなかった。
 ここを出ても、他に行くところはなかった。ただ宿に帰るしかないのだ。
 彼のいる、宿に。
 
 「連れの人にも、普段から子供扱いされてるってわけね。」
 新しくシェイカーを振りながら、バーテンは鋭いことを言った。
 「・・・・そゆこと。だってあたしの保護者だって言うんだもん。あたしをお子様だと思ってるショーコでしょ。」
 「何故一緒に旅をしてるのか、そう聞いたあなたに、彼は言ったのね。」
 「まあね。一人にしておくと危ないとか、世のためにならないとかなんとか。一人って、あたしはそれまで一人だったし。まあ、ちょっと前までは道連れってゆ〜か、くされ縁ってゆ〜か、くされきった縁ってゆ〜人がいたけど、それからはちゃんと一人であたしは立派に生活してたのよ。・・・今さら、一人にしておいたら危ないなんて言われて、嬉しかないわ。」
 「それで、あなたはもう一度聞いたのね。いつまで保護者してるのかって。」
 「だってそーでしょ。あたしだってあと何年かしたらはたちになるんだし。故郷じゃ立派な成人よ。・・・なのにあいつは、はたちになっても、はたちを越しても、ずっと保護者でいるつもりなんだわ。」
 「・・・・。それはどうかしらね・・・・・。」
 「え?」
 
 リナの前に差し出された新しいカクテルは、誰かの目を思いださせる色をしていた。
 どこまでも透き通っていて、薄すぎず、濃すぎない青。時に暖かく、時に厳しく見えた青。
 「彼の方でどう思ってるか、なんて。彼に聞いてみないとわからないんじゃないの?」
 グラスの向こうで、長い髪が揺れた。
 「それとも、恐い?確かめることが。ずっと一生って、どういう意味?って。」
 「・・・・・。」
 リナはグラスに手をつけない。
 「こうやって液体を眺めていたって、答えは出ないわよ。」
 バーテンはまた背を向けた。カウンターに座る客に、何度となく口にした言葉なのだろう。実感のこもった声だった。
 「・・・・それに。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うじゃない?このままずっと彼と一緒にいて、おばあちゃんになってから尋ねるつもり?なんであなたは、今までわたしとずっと一緒にいたの?って。」
 「・・・・・・。」
 グラスについた水滴が、つっと落ちた。
 
 いきなりリナは手を伸ばした。
 グラスを乱暴に取り上げると、一気に中身を飲み干す。空のグラスが、威勢良くカウンターの腹を叩いた。
 「わかんないことは、聞いちゃう方が簡単よっ!たとえ相手がクラゲでもねっ。・・・・・・恐いなんて、あるわけないでしょ?このリナ=インバースがっ!!」
 かたんっ!
 椅子から飛び下り、栗色の髪をなびかせて、客は店を飛び出した。
 
 残されたバーテンは、その客と同じ色の髪をかきあげると、黙ってグラスを片付けた。
 その口許には、いつのまにか、柔らかな微笑みが乗っていた。
 
 
 
 
 ばたばたばたばたっ。
 「な、なんだ?」
 ガウリイは窓枠に手をかけて驚いた。眼下の夜の街を、ものすごい勢いで誰かが駆けてきたからである。
 
 ばたばたばたばたっ。
 どかどかどかどかっ。
 ばたばたばたばたばたっ!
 
 足音は近付いてきたかと思うと、ドアをノックする音に変わった。
 「ガウリイ、いるっ?」
 ガウリイは急いで部屋のドアを開ける。
 「リナ?お前、今までどこに行ってたんだよ?ちょうど探しに行こうとおも・・・・・」
 だがリナはその先を聞く前に、ガウリイを押し退けるように部屋に入った。後ろでに、ドアをばたんと閉める。
 「・・・・?どうかしたのか・・・?」
 おそるおそるガウリイが尋ねる。走ってきたせいか、リナは真っ赤な顔をして、肩が激しく上下に揺れていた。
 ぜいぜい。目を閉じて、息を整えるリナ。
 
 「ガウリイ=ガブリエフっ!」
 「・・・・は、はいっ!?」
 突然フルネームで呼ばれ、思わずガウリイは背筋を伸ばす。
 リナは赤い顔のまましばらく下を向いていたが、きっと視線を上げた。まともにガウリイの正面から見据える。
 「あたしは、はっきりしないことはイヤなのっ。だからはっきりさせたいの。」
 「・・・・はあ?」
 「今からきくことに、しょーじきに答えてちょーだいっ!」
 「・・・・ま、まあ、なんだかわからんが、ちょっと落ち着けよ・・・。」
 事情のわからないガウリイは、リナの肩に手を置こうとする。
 ひとつ大きく深呼吸をして、リナは言った。
 「・・・あんた。一生あたしの保護者するって、ど〜ゆ〜つもりで言ったのっ?」
 「・・・・・・・・・・・・・・・へっ!?」
 ガウリイの手が途中で止まった。
 
 
 

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