「他の男の前で」


まるで子供をあやすように。
あしらわれてしまう時。
腹が立つのは、子供扱いされたことにだろうか?
それとも、他に理由が?





満天の星が見下ろす夜の街。
ほとんどの家は、明かりを消して、子供は無理にでも眠らされる頃。
時折、辺りをはばからない大声で、肩を組んだいかつい男達が千鳥足で通り過ぎる、表通り。
ここにも一人。
夜の街を歩く男。
「ったく、いくら口当たりがいいからって、飲み過ぎだぞ、リナ。」
「ふに〜〜〜〜。」
男の背中には、一人の酔っぱらい。
頬をピンクに染めて、定まらない目は半開き。
背負っている男は、足取りも表情もしっかりはしているが。
こちらは酔っても顔に出ない典型。
素面かどうかはわからない。

「もーすぐ宿だからな。寝るなよ。」
「ふにふに〜〜〜〜。」
酔いのせいか、おぶわれて苦しいのか。
背負われた方は口を開けて、はあっとため息をつく。
繰り返し。
ずるりと身体が背中から滑り落ちそうになり、男はよいしょとおぶい直す。
「もうすぐだぞ、もうすぐ。」
言ううちに、目の前に宿屋の看板が見えてきた。






どさり。

「着いたぞ、ほら、リナ。」
「うに・・・?」
リナはうっすらと目を開く。
宿屋の主人に預けてあった鍵で、ガウリイは彼女の部屋に入り、ベッドの上に背中の荷物を降ろしたのだった。
見覚えのある光景なのだが、いまいち視点がぼんやりとして、要領を得ない。
「う〜〜〜。」
小さな動物のように軽く唸り、目をこするリナ。
あおむけに落されたまま、起き上がることもできない。

背中が軽くなったガウリイは立ち上がり、ベッドの上の彼女を見下ろす。
すでに目を閉じ、くうくうと眠り始めている。
「おい、せめて防具くらい外してから眠れ。」
呆れた声に、ようやくリナのまぶたがぴくりと動く。
「・・・うに?」
「だから。せめて、その防具とかマントくらい取ったらどうだ?
そのまま寝たら、明日は背中が痛くて立てないぜ?」
「・・・・うにゅ・・・・・。」
開かない目をこするが、やはり開かないものは開かなかった。
睡魔に負け、ぶつぶつと呟きだけを返すリナ。
「うにぃ・・・・・。ダメ・・・ねびゅい。・・取って・・・。」
「・・・・・・・ι。」


ガウリイは頭をかき、盛大にため息をついた。
寝転がるリナの隣に、腰を降ろし。
今一度ため息をついて、また眠りの淵を漂いだした相棒を見つめる。
「・・・あのなあ。」
「・・・・う〜〜〜・・・。」
返ってきたのは、返事とも取れない、かすかな声。
ガウリイは仕方なしに、防具のジョイントに手を伸ばす。

ぱちん。

留め金を外してやりながら、ガウリイが呟いた。
「あのな、リナ。一応、言っておくけどな。」
「・・・・ふに・・・・・・?」
少なくとも5秒は遅れて返ってくるあやふやな反応。
「他の男の前ではすんなよ、こういうことは。」
「・・・・・・・ふぇ・・・・・?」

ぱちん。

リナの目がぱちっと開いた。
驚いたことに、ガウリイの顔は遠くではなく。
物凄く近いところにあった。
目を開けたまま。
固まるリナ。

「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
ぼんやりした答えしか返ってこないのに、突然ぱっちりと開いた目に。
ガウリイも驚いているようだった。
しばし、二人の間に沈黙が横たわる。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」

ガウリイの手が、リナの顔に向かって伸びてきた。
屈む彼の顔が、さらに近く。
長い前髪が、頬に触れそうだ。
「・・・・・・・。」
動けないリナ。

ガウリイの大きな手は、リナの頬にではなく。
耳の脇をかすめ、頭の後に回った。
そのまま、軽く持ち上げる。

ドキンっ。
ドキっ。
ドキ・・・・。




この瞬間を、何と言い表わせばいいのか。
リナはただ、目を見開いて、事の次第を見つめているだけだった。
暴れればいいのか。
暴れてもいいのか。
それとも。
何も浮かばない。
ただ、見つめているだけだった。
すぐ傍で伏せた、長いまつげを。


だが、ガウリイの手は、リナを抱き寄せた訳でも。
他の目的があって顔を近付けた訳でもなかった。
ただ、背中のジョイントでつながった両肩のショルダーを外して、マントを身体の下から引き抜こうとしただけだった。
ただ呆然と。
ガウリイにされるがままになっていたリナは、自分の中に生まれた不可解な感情に気づくことになった。

まるで子供のようにあしらわれて。
腹が立つのは。
子供扱いされたことなのか、それとも。
自分を子供扱いしたのが、ガウリイだったからなのか。
すぐに答えは、出そうになかった。


防具とマントを外し、リナの頭をそっと降ろして。
ガウリイは『ん?』という顔をする。
自分をじっと見つめていた、大きな瞳に向かって。
それから、頭をくしゃりと撫でて。
笑う。
それから。

彼が立ち上がって、次にすることはこの部屋から出て行くことだと。
わかっていたから、リナは声をかけた。
自分の頭の上に、大きな手を乗せている男に。

「どうして、他の男の前じゃダメなわけ?」
「・・・・・へっ?」
わしわしと撫でていた手が、ふと止まる。
リナは繰り返す。
「だから。どうして、他の男の前じゃダメだって言ったの?」
「・・・・・・・・。」
止まった手は、しばらくの間、そのままだった。
やがて彼が口を開くまで。
「そりゃ、そうだろ。
一応、お前さんも女の子なんだし。
他の男の前で、平気でするなよなって言っておきたかっただけだ。」
「・・・・・・。」
まだ呼吸が苦しい。
はあ、と息をついてから、リナは先を続ける。
「そんなに、いけないこと?」
「・・・・・。」
見なくても、ガウリイが呆れた顔をしたのがわかった。
ちょっと怒ったような声で、ほんの少し乱暴に言い放つのが聞こえた。
「当たり前だろ。
こういうのを、据え膳って言われちまうんだ。
このまま襲われても、それはお前さんにも責任があるってこと。」
「・・・・・・・。」

ガウリイの口調に、びくりとしながら。
頭のどこかで、何かが囁いていた。
問題は。
そこじゃない、と。

「だから、何で今、わざわざ教えてくれる訳・・・。
ガウリイは、あたしに。」
「・・・・・・・。」
少し黙った後、ガウリイが続けた。
「お前さん、世間慣れしてる割にたまに抜けてるからな。
後で気づいたって遅いだろ、こういうことは。」
「・・・・・・。」
リナは目を閉じた。
自分が何を言おうとしているのか、わからないまま。
「じゃあ、他の男の前じゃなくて。
あんたの前ならいいのね。こーいう事しても。」
「・・・・・。」
「他の男の前じゃ危ないけど、オレの前なら平気だって。
ガウリイは言ってる訳でしょ。」
「・・・・・・!」


続くガウリイの沈黙が長くて、リナは目を開いた。
ガウリイは驚いたように目を見開いていて、こちらをじっと見つめていた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
沈黙と沈黙がぶつかり合った。

あたし達、何をしてるんだろう。
リナは自問自答した。
夜更けに。
一つの部屋で。
ベッドの上で。
こんなに近くで見つめ合って。
なのに、二人はそういう関係じゃない。
旅の連れ、相棒、保護者と被保護者。
子供っぽい自分と、子供扱いしている大人。

「そう言われると・・・・」
ガウリイがぽりっと頬をかいた。
ふいに緊張の糸が途切れて、リナは息を吐く。
だがそれは、新たな緊張の幕開けに過ぎなかった。
「オレも自信ないなあ。」
「・・・・・へっ・・・・。」
「・・・・あ。」
「・・・・・え。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」

そのセリフを吐くのも言うのも、場所が場所だけにまずかった。
二人が固まってしまったのは言うまでもない。
さあどうする。

「・・・ふ、ふ〜〜〜ん。」
リナが冷めた声で突然言った。
「あ、あんたもそ〜なんだ。据え膳ってヤツに出くわすと、食べちゃうんだ。・・・それが誰であっても。」
「・・・・・・へっ!?」
ガウリイがぱっと身を起こした。
「なっ・・・何でそういう事になるんだっ?」
「だって、そーゆーことでしょ。」
「えっ・・・・そうだったか?」
「そーだってばっ。」

ぷいっとリナが横を向いた。
ガウリイはぽりぽりと頭をかいて、リナの言葉の意味を考えてみようとしたが、諦めた。
「ダメだ。オレは、言葉に言葉で返すのも、理屈をこねくり回すのも苦手だから。
どっちみち、お前さんには叶わないよ。」
ベッドの傍に跪いていた彼は、立ち上がった。
「オレはただ、お前さんがあんまり無防備だから、ちょっと気になっただけだ。
オレ相手ならまだしも他の男にそれをやったら、その、何だ、・・『誘われてる』って、思わせるだけだって。注意しようとしただけなんだが。」
「・・・・・。」
リナはベッドの上。
外された装備に囲まれて、まさに無防備なまま。
「だから、どうしてガウリイになら大丈夫な訳?」
ひそやかすぎる声に、ガウリイは気づかなかった。
「だから。オレはわかるからさ。
お前さんが無防備にしてるのは、単にオレを保護者としてしか思ってなくて、別に『誘ってる』訳でも何でもないとわかってるからだろ。」
「・・・・ふ〜〜ん。」

今度はガウリイも気づいた。
その微妙な声の変化に。
出て行こうと、ドアに向かった足がぴたりと止まった。
ゆっくりと振り返る。
「・・・リナ?」
「・・・・・じゃあ。」

リナがむっくりと起きた。
挑戦的な瞳がこちらを見ていた。
「もしあたしが、あなたを『誘う』目的だったとしたら?
そのために、無防備にしてるとしたら?」
「・・・・・・。」
「他の誰でもなく。
・・あなたを、誘おうとしてるのだったら。
どうする気?」
「・・・・・・・。」


かっと、ガウリイの顔に朱が走った。

それは照れでもなく、怒りからだとリナが気づいたのは、彼がずかずかとベッドの傍まで歩いてきて、いささか乱暴にリナをベッドに押えつけた後だった。
「理屈をこね回すのは苦手だって言っただろ!?」
すぐ近くで、ガウリイの青い瞳が焼き尽くすように燃えていた。
「何が言いたいんだ、リナ!
オレをからかってるつもりか?
仮定の話なんかして、オレを試そうとしてるんだろうが」
ガウリイが怒っていた。
リナは何も言えなかった。
「オレが誘われれば誰でも抱くと、言えば満足かよ!」
「・・・・・!」
「お前さんを心配しちゃ、悪いのか?
いつまでも無防備でいるなって、注意したのが腹立ったのか?
じゃあ、オレは何のためにお前さんとずっと一緒にいると思ってるんだ。」
「・・・・・。」
「仮定の話なんかするな。
言いたいことははっきり言ってくれないと、オレにはわからん!」
「・・・・・・。」
リナが身じろぎした。


ガウリイはため息をつくと、ぱっと身体を起こした。
しばらく顔を背けていたが、そっと振り返った時には、すでに怒りはおさまっていた。
呆然としたリナの頭を撫でてやろうと、手を伸ばした。
後悔しているような顔だった。
「・・・すまん。ちょっと、言い過ぎた・・・・。」
「・・・・・・・。」
「オレも・・・ちょっと酒が回ってきたのかもしれん。」
「・・・・・。」






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