「あなたの子供に生まれて」



そして一ヶ月が過ぎた。

人の一生の中で、一ヶ月とはほんの短い期間に過ぎないが。
それでも、平均気温が上がったり。
曇りがちな空が、澄み切った青さを誇る日の方が多くなり。
まだ蕾だった花が、あっという間に見頃を迎えることもある。
時は立ち止まらない。
ただ、過ぎて行くのだ。





「そろそろ仕度をしなくちゃね〜〜〜。」
部屋の中で、買い集めた薬草を束ねながら、栗色の髪の魔道士は呟いた。
「仕事も終ったし。路銀もそこそこ集まったし。
準備万端、いざ意気揚々と外の世界へ!・・・・ってね。」
てへへ、と笑うリナ。
最近、独り言が多いなと、自分でも気がついてはいたのだが。





「おっちゃ〜〜〜ん。長々と御世話になったわねっ♪」
部屋の鍵を返しに、リナは宿屋の受付に立ち寄った。
「おや、嬢ちゃん。もう発つのかい。」
カウンターの奥から、腰の曲った主人がそろそろと出てきた。
「あ〜、い〜のい〜の。無理しないで座っててっ。鍵、ここに置くねっ♪」
「ここを出て、お前さん、次はどこへ行くんだい。」
「ん〜〜〜。わっかんない。とりあえず、道が続いてる先をどこまでもってとこね♪」
よいしょと、携帯食料と毛布と着替えとその他もろもろが入っている布袋を、担ぎ直すリナ。
「んじゃ、御世話になりました♪ご飯、美味しかったわ♪」
「そうかい。そりゃ良かった。・・・ところで、あんたさんにお客さんがおるんだが。」
「・・・・はあ?客??」

よろよろと歩く主人が、宿の入口を開けると。
そこには、少し埃まみれの、旅疲れた様子の長身の男性が立っていた。








「すまん・・・・遅くなって・・・・・・。」
主人の計らいで、二人は宿の裏庭にいた。
ちょっとした崖が、視界を見晴らしのいいものにしていた。
座るのに手ごろな岩が、どうやって運ばれてきたのかは知らないが、庭師の計算通りに並べられていた。
「まったくね。あと一日遅かったら、完全にすれ違ってたわよ。」
地面にどさりと荷物を降ろすと、リナは岩の一つに腰を降ろした。

「・・・・・。」
ガウリイが口を開こうと顔を上げた。
一ヶ月ぶりに見る相棒の顔は、ひどく疲れて、青ざめているように思えた。
「あのな、リナ・・・・・オレ・・・・・。」
「・・・・・・・。」
リナは黙って、自分の隣をぱんぱん、と叩いた。
「ま、座んなさいよ、ガウリイ。なんか疲れてるみたいだよ?あんた。」
「・・・・・・。」
「座って、落ち着いてから、ゆっくり話しなさい。
・・・あたしは、逃げないから。」

にっと笑うリナを見て、咽の塊を飲み込むガウリイ。

リナの強さは、十分すぎるほど知っているつもりだった。
魔力もさることながら、どんな状況でも、簡単に諦めたりしない。
それはしたたかで。
だが、彼女にとって生きるために必要な強さで。
そして、強さゆえに。
優しさも持ち合わせる。
だが、それでも時々、驚いてしまうのだ。
十分すぎるほど、知っているつもりの彼女の。
その行動に。
その眼差しに。

そして、だからこそ。




「・・・・・子供、可愛かったね。」
一つの岩の上に腰をかけて、両手を組んで地面を見つめているガウリイに、リナは声をかける。
上半身をのけぞらせ、腕を後につけて。
空を仰ぐ。
あの街を訪れた時の曇り空とは全然違う、澄み切った青い空を。
「・・・・・ああ。」
ガウリイが頷く。
「遊んでやったりした?」
「・・・・・ああ。」
「どんな風に?」
「・・・・・・・・・。」

相変わらず地面を見つめつづける男。
空ばかり飽きずに眺めている女。

「最初の・・・・一日二日は、元気だったんだ。」
ぼつりと、話を始めたガウリイに、リナはすでに話の結末を予感していた。





ガウリイは話を続けた。
どんな風に少年と遊んだか。
剣の稽古をせがまれて、なつかしいアレをやったこと。
リナも思わず吹き出した。
かつて、とある男を前にやって見せた、コインの曲芸だ。
子供が驚いて、そして大喜びする顔が目に浮かぶようだった。
「・・・・本を読んだり。」
「・・・あんたが?」
「追いかけっこもしたなあ。」
「そんで?」
「木登りしたり、泥んこになって沼でカエルつかまえたり。」
「それは、なんかあんたらしいわ。」
「いろいろやったよ。」
「・・・・・楽しかった?」
「・・・・・ああ。楽しかった。」

ずっと眺めていた地面から視線を外し。
思いだすように遠い瞳をして、笑みすらうっすらと浮かべるガウリイの横顔を、リナはそっと見た。
その微笑みが、くすりと笑う笑いに代わった。

「・・・・かなわないなあ、お前さんには。」
「・・・・・・・あん?」
「もっと・・・・違うことをきかれると思った・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「背はオレよりずっとちっちゃいのに。
お前の方がオレより大人だよな・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「あいつ・・・・・・。
オレの子供じゃ、なかったんだ。」
「・・・・・・・・・。」


陽射しは暑く照り付けてきた。
短く、そして濃い影が、岩の周りに、二人の足元にへばりついている。
じりじりと頭の上に熱を感じながら。
リナは次の言葉を待った。

「エレンには・・・ある街で世話になった。
傭兵がたまり場にしていた宿の、主人の娘さんでな。
その頃、オレはその宿に半年ばかりもいたっけ・・・・。」
「・・・・・・・。」
「傭兵仲間は、皆、どこかしらエレンに惚れてた。
母親みたいな。
娘みたいな。
妹みたいに。
だけどたった一人。
エレンに真剣に恋していたヤツがいてさ・・・・。」
「・・・・・・・。」
「結局、そいつにエレンをさらわれて、皆悔しがったもんさ。
でもかなわないよな。
真剣なヤツには。
・・・・・・・・だけど、ヤツは、ホントは恋なんか、傭兵なんかしちゃいけないヤツだったんだ。」
「・・・・・・・。」

黙って話を聞いているリナは、それ以上せかそうとはせず。
ぼつり、ぼつりと話すガウリイの、次の言葉を待っている。

「そいつ、自分の生まれが嫌だったみたいでさ。
逃げ出して、傭兵に入ったんだ。
そしてオレ達はあの、夏の暑い日に。
ヤツを永遠に失った。」
「・・・・・・・・・・・・。」
彼は死んだのだ。
戦いの中で。
「そりゃあ、エレンはショックだったさ。
オレ達も慰めようがなくて。
でも、もっと残酷なことは、その後で起こったんだ。」
「・・・・・・・残酷・・・・・?」
「ヤツの本名は、誰も知らなかった。
ただ、通り名を『ガート』と。
でも本当の名前はガリアードなんとかって・・・・
すんごく長ったらしい名前で・・・・・・・
最後に、オレ達を雇った国の名前がついてたんだよ・・・・・。」


自国の兵を出し惜しみし、金にあかせて傭兵を募り。
国土を荒らすことなく、遠い異国の地で、戦争を起こした国。
当地の厳しさも知らず、毎夜戦勝パーティに明け暮れる王宮に嫌気がさし。
何を思ったか、その国の王子様は。
自ら国を出奔し、傭兵の仲間に入ってしまったのだ。

「ヤツの遺体を引き取りに、一個師団がやってきた。
儀仗兵つきでな。
そして国の使いとやらが、エレンを別室に連れて行き。
長いあいだ、話をしていた。
その翌日だ。
エレンが姿を消したのは。」
「・・・・・・。」
リナには、すでに想像がついていた。
彼女と使いとの間に、どんな話が交わされたのか。
だが、何も言わず、彼の話を待った。
「後から知ったんだ。宿のおやっさんから、話を聞いて。
エレン、身籠ってたってことを。
そして、使いのヤツらは、父親の名前を絶対に出すな、ってエレンに念を押して行ったってことを。」
「・・・・・・・。」
「エレンはいなくなり。
オレ達は契約が終わり。
その街から、次の街へ移動することになった。
それっきり。
何の消息も・・・・・・・・・・。」



・・・・そんなものよ、と言うのは簡単だった。
人生なんて、不公平の連続だし。
不条理が横行し、たったひとつのわがままが世界を歪めたり。
無理や無茶や、理不尽なことも多いのだ、と。
言うのは簡単だった。
傍観者の立場で、ずっといられるなら。


「エレンは何度も、オレに謝るんだ。
オレの名前を使って悪かったって。
・・・・しょうがないよな。
本当の父親の名前は、口に出せなかったんだから。
次はどことも知れない傭兵稼業のオレの名前なら、万が一にも、出会うことはないだろうって思ったんだろう。
・・・だけど、そうも行かなかった。
それに、今さら否定してやることはできなかったんだ。
・・・・・あいつが・・・・・。
ガレンが。
残された時間が、少なかったから・・・・・・・・・。」





元気そうに見えたのは奇跡だと、医者は言ったらしい。
ガウリイに出会うほんの一日前まで、彼はベッドに臥せっていたのだ。
まるで導かれるように起き上がり、歩いて行った先で、父親を見つけるとは。
それから数日も、彼は元気のままで。
病気なんか直ったんじゃないかと思った頃。
やはり、発作を起こしたのだ。

「オレは・・・・嘘つきだよなあ。」
いつもの穏やかな声で、ガウリイが言う。
「結局、最後まで、オレは本当の父親じゃない、って言えなかった。
嘘をつくのはいけないことだって、本当のことを話すのが正しいんだって、オレは今まで、ずっと思ってた。
たとえ辛くたって、本当のことも知らせずに嘘で誤摩化すのは、優しさでも何でもないって。
・・・・オレは、ずっと思ってたんだ・・・・。」
声の調子は変わらない。
まるで、普段の会話と。
だが、リナにはちゃんと見えた。
こぼせなかった、彼の目に光るものを。



突然リナは立ち上がると、ガウリイの前に突っ立った。
ガウリイが気がつく前に、手を伸ばして、その頭をぎゅっと引き寄せた。
「・・・・・・リナ・・・・・?」
お腹の辺りで、ガウリイのくぐもった声が聞こえた。
なおも頭をぎゅっとおさえつけて、リナは言う。
「見てらんないわよ、無理しちゃって。
あのね、オレは絶対に人前で泣かないって、かっこつける男がたまにいるけど。
男も、女も。
泣きながら、生まれてくんのよ。
一生に一度も泣かない人なんて、いないんだから。」
「・・・・・・!」

ガウリイは身じろぎもせず。
リナは、いつも自分よりずっと高いところにあって、手が届かなかった、長身の男の頭を撫でる。
「こーやってれば、あたしからも誰からも見えないから。
・・・だから、溜まってるものをさっさと、流しちゃいなさい。」
「・・・・・・・・。」




静かな、夏の午後。
容赦ない陽射しが、ほんの束の間、雲に翳る。
世界そのものが青ざめ、色をくすませ。
まるで時が止まったかのような、宿屋の裏庭で。
一つの岩に腰かけた、大柄な男が。
自分より遥かに小柄な、まだ女性とも言い難い少女にすがるように。
しばしの間、言葉を失っていた。



「・・・確かに。
嘘より、痛くても真実の方がいいと、言う人もいるわ。
どっちかとゆ〜と、あたしもその方みたい。
・・・・でもね。
その人の取った行動が、本当に正しかったかどうかは、誰にも判断できない時があると思わない・・・・?」
まだガウリイの頭を撫でながら、リナは穏やかに話す。
何も言えず、嗚咽の声すらあげないガウリイの代わりに。
「少なくとも。
その結果は、あの子が判断することでしょうし。
・・・・ただ、ね、あたしは思うのよ。
あんたがあの場にいて、ホントに良かったんじゃないかって。
あの子にとってもだけど、エレンさんにとってもね。
いずれは消えてしまう命を、ずっと看取ってあげることって、ものすごく、きついことだと、思う。
だから、あんたが傍にいられて、良かったのよ。きっと。」
「・・・・・・・・・・。」
「たとえ、あんたが本物の父親じゃなくても。
・・・あんたは、立派に勤めを果たしたのよ。
だから、あたしが思うには。
・・・あんたは、自分を責めるべきじゃない。
自分を褒めてあげるべきよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「がんばったね、ガウリイ。」
「・・・・・・・・リナ・・・・・・」

午後は、やがて、夕方へと変化して行った。








リナは宿屋を出た。
もろもろの入った布袋を持って。
だが、今度は独りではなかった。

ぺしっ!!
リナはガウリイの背後に回ると、その背中を思いっきりはたいた。
「いてっ。」
思わず反応したガウリイに、リナは前に戻ると笑顔を見せる。
「何はともあれ、まずはご飯でも食べに行こうじゃない?」
「・・・・・」
背中をさすりながら、あっけにとられた顔をしているガウリイ。
「知ってる?この街の名物でね、すんごくおいし〜けど、他の街じゃ売ってないマボロシの果物があるの。
この地方に来たら、まずは食べたいものリストのトップ10に入るってぇ代物なのよっ。
これは食べなきゃソンってもんでしょっ?」
軽く、ウィンク。
「パイ包みのお菓子なんて、食べたいわよね〜〜〜〜。
いっちばん美味しい食堂も、すでにリサーチ済みよっ。」

次第に、ガウリイの顔に明るさが戻って行く。
曇り空から、青空へ晴れ上がって行くように。
「・・・ああ、そう言えばお前さん、こないだ誕生日だったよな。」
「えええっ!ガウリイが!んなこと覚えてるなんて〜〜〜っ!」
「あのなあ。
・・・奢ってやろうと思ったけど、やめた。」
「ええええええ。
神様ガウリイ様〜。ちょびっと口が滑っただけじゃな〜〜〜いっ。」



二人は顔を見合わせ。
一ヶ月ぶりに、ふっと笑い合う。

「さ〜〜〜っ、そうとなったら、前進あるのみよっ!」
くるりと前に向き直り、リナが片手をつきあげる。
ガウリイが穏やかな笑顔のままで、こんなことを言った。
「だからオレは、お前とずっと、旅がしたいよ。リナ。」

「・・・・・へ・・・?」
一歩を踏み出そうとしたリナの動きが止まった。
彼女はゆっくりと振り返る。
穏やかな顔で、ずっと見つめている彼の方へ。

「これから先も。
ずっと。
いろんな人に会っても。
何があっても。
・・・・・・・・・・オレは、たぶんずっと一生。
・・・・・お前が一番だよ。リナ。」




宿屋の前で。
真っ赤な顔をしてぎくしゃくと歩く、魔道士姿の少女と。
穏やかな笑顔のまま、その後を、ゆっくりと歩く大柄な剣士の二人連れが。
新しい一歩を、踏み出そうとしていた。






























==================================end.

この感想を掲示板に書いて下さる方はこちらから♪

メールで下さる方はこちらから♪