「この夜を抱いて。」


母さんが、ぼくと父さんのところに帰ってきてからのこと。

ぼくにどうしても見せたかった、と言ったあの小屋で。
ぼくと母さんは、長い話をしていた。
ほとんど、父さんのことだったけれど。
長い長いあいだ、母さんとはなれていた間のことを。
いろいろ、話していたんだ。
そしてどうやら、ぼくはいつのまにか眠っちゃったみたいだ。



「・・・・よく、眠ってるよ。」
「寝つきがいいのね。こないだも、話しながら眠っちゃったし。」
「・・・ああ。」
「・・・・・・・。
お茶でも・・・いれようか。」
「そうだな。」
 
 
ドアの向こうで、低い声の会話がぼんやりと聞こえていた。
ぼくはあったかい布団の中で、ふわふわとしていたので。
もしかして、夢じゃないかなあと思いながら、そんな父さんと母さんの会話を、聞いていたんだ。
 
「・・・・リナ。」
「なに?」
「思ったんだが・・・。しばらく、ここで暮らさないか。三人で。」
「・・・・ガウリイ・・・。」
「お前さんの身体も、何となく心配だしな。」
「それはもう大丈夫だって言ったでしょ。」
「わかってる。」
 
父さんの声は、普段ぼくが聞いている声と、どこかが違った。
母さんの声もそうだ。
二人が大人で、ぼくが子供だからだろうか?

それともやっぱり。
母さんが父さんにとって。
父さんが母さんにとって。
特別だから、なんだろうか。
 
二人の声が重なると、なんだか、何かの音に似ていた。
風が枝を揺らす音とか、小さな川が流れる音とか。
聞いていると何だか、安心できた。
ひびき合うって、言うのかな。
そんな感じかな・・・・?

 
「ただオレは・・・・・バカだよな・・・。」
「・・・・なによ・・・・?」
ためらうような母さんの声がした。
父さんはしばらく黙っていたけど、そっとこんなことを言った。
「オレは・・・お前を取り戻すことしか考えてなくて・・・。その後どうするかなんて、ぼんやりとしか考えてなかったよ。」
「・・・・・・・。」
「三人で、笑って暮らせたらって。ずっと、夢に見てた。それだけなんだ。」
「・・・・・・・。言いたいことは、わかるわよ。ガウリイ。」
「だから・・・。あいつが生まれたこの家で・・・。しばらく、暮らしてみるのも悪くないんじゃないかなって、思うんだ。」
「・・・うん・・・・。」
「あの日・・・・お前が出て行ったドアから。ちゃんとお前が帰ってきて、ずっと・・・今度はいるってことを・・・・確認したいのかも知れないな、オレは・・・。」
「・・・・・・ガウリイ・・・。」
「少しでいいんだ。セイルーンとか、行って知らせてやらなきゃいけないところがあるのはわかってる。だから、ほんのしばらく・・・。」
「・・・・・・。そうだ・・・・ね。うん。そうしよ?しばらくの間、ここで。三人で暮らそう。」
「リナ・・・・・。」
 
 
 
ぼくには、父さんの気持ちがわかる気がした。
母さんが帰ってきてから、父さんはすっかり元気になった。
母さんとぽんぽんしゃべったりするところは、ぼくはそれまで見たことがなくて。
少し驚いたけど。
父さんがすごく、嬉しそうな顔をしているのはわかってた。
 
でも時々、母さんが背を向けてちょっとその場から離れる時とか。
母さんとぼくを置いて、一人で町に行く時も。
その笑顔が少し曇ってしまうことも、知っていた。
たぶん、父さんは。
まだ完全には、安心してないんだと思う。
母さんが。
本当に戻ってきて、そして。
これからはずっと、傍にいるんだってことが。
 
 
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
 
父さんの低い声と、母さんの小さな声の会話は続いていた。
ぼくはもうほとんど、眠りかけていた。
 
 
「ガウリイ・・・・。ひとつ、聞いてもいい・・・・?」
「・・・・・はは。なんだか、いつものオレみたいだな、その言い方。」
「・・・マジメに聞いて。マジメな話なんだから。」
「・・・・・。」
「どうしてあの子に、ガウリイと名前をつけたの?」
「・・・・・!」
「どうして・・・。あんたと、おんなじ名前をつけたのか。教えて欲しいのよ。」
「・・・・・。リナ。」
「教えて。ガウリイ。」
「・・・・・・・・。」
 
ぼくははっと目を覚ましてしまった。
あの子。
ガウリイ。
ぼくのことだ。
 
「あの子もたぶん、知らないのね?自分の名前がどうして父親と同じなのか。」
「・・・・・・。」
「どうして、自分の名前をつけたの・・・ガウリイ・・・。」
「・・・・・・。あいつは・・・知らない・・・。」
「・・・・・。」
「言ったらきっと・・・・オレを軽蔑する。」
「・・・・・。軽蔑・・・?」
「そう。呆れて、怒るかも知れない。」
「どういうこと・・・?」
「オレがあいつに、オレの名前をつけたのは・・・。」
 
・・・軽べつなんか、するわけないのに。
父さんは、何を言ってるんだろう?
ぼくはずっと、この名前が。
すごく好きで、それに自慢だったんだ。
父さんから名前を貰えたんだから。
 
「リナが戻ってきて・・・・どこかであいつに会っても、すぐにオレとお前の子供だってわかるように・・・オレの名前をつけた・・・。」
「・・・・・・・。」
「オレと同じ名前なら・・・ガウリイ=ガブリエフって聞けば・・・すぐにわかると思って・・・・。」
「・・・・ガウリイ。それは、あの子も言ってたわ。父さんはそのために同じ名前をつけたんだって。どうしてそれで、軽蔑するの。」
「違うんだ・・・・。」
「違うって、何が。」
「それだけじゃ、ないんだ。そのためだけに、つけたんじゃないんだ。」
「ガウリイ?」
「オレは・・・・名前であいつを縛ったも同然だ。いつか、オレが倒れても。オレがいなくなっても。あいつだけになって、その時にお前が帰ってきたらと。その時でも、お前にオレの息子だとわかるようにと。オレは・・・あいつに、ガウリイと名前をつけたんだ。」
「・・・・・・・。」
「オレがいなくなっても・・・・。あいつが、オレの代わりに・・・・お前の、ガウリイになれるように・・・・・・・・。」
「・・・・・ガウリイ・・・・。」
「卑怯、だよな・・・。ズルいよな・・・・。でも、他に思い付かなかった。あいつの顔を見ても、他に浮かばなかった。浮かんだのはお前の顔だけで、オレは・・・・・。」
「・・・・・・・・。」


それから、長い間。
父さんは、ずっと黙ったままだった。
ぼくも黙ったままだった。
布団の中で、知らずに息を飲み込んで。

やがて、母さんの静かな声が聞こえた。
 
「・・・すぐに、あたしとあんたの子供だってわかるように。同じ名前をつけたって聞いた時は、あんたにしちゃ随分と頭が回ったもんだと思ってた。」
「・・・・・・・。」
「ちょっと。勝手に落ち込まないでくれる?あたしは褒めてんのよ?」
「・・・・リナ・・・?」
「確かに・・・・。子供は親の所有物じゃないし。生まれた時から一つの人格を持った人間よね。決して、あんたのコピーでも、あたしのコピーでもないわ。」
「・・・・・・。」
「だから。顔を上げて。そんな顔しないで。・・・いい?
これは連体責任よ。あの子にちゃんとした名前をあげられなかったのは、あたしにも責任があるんだから。」
「リナ・・・」
「あたしは・・・。生まれた子供の顔を見て、すぐ浮かんだ名前をつけるのがいいと思ってた。だから、前もって考えてなかったの。」
「・・・・ああ。」
「でも・・・・。名前をつける前に・・・・。どうしても、やらなきゃいけないことがあったし・・・・。」
「・・・・・・。」
「だから、名前も残さないで行くことになったわ。だから、名付けに関してはあたし達二人の連体責任があるってことよ。」
「・・・・・・。」
「でも今さら、他の名前をつけたって、あの子は慣れないだろうし、喜ばない気もするわね・・・・。」
「リナ。」
 
がたん、と椅子が動く音がした。
ごとん、とマグカップがテーブルの上でゆれる音が。
 
「オレもひとつ、お前に聞きたかった。
どうしてあの時、名前を残して行かなかったんだ・・・・?」
「!」
母さんの、はっと息を飲む気配がした。
「生まれたばかりのあいつの顔を、お前は長いあいだ、ずうっと見ていた。オレはその時思ったんだ。リナはきっと、赤ん坊の名前を考えているんだろうって。
でもまさか、それから一日と経たないうちに、行ってしまうとは思わなかったけどな・・・。」
「・・・・・・。」
「お前は決めていたんだろう?あの時。赤ん坊の顔を見ながら、名前を決めていたんじゃないのか?そしてそれを、どうして誰にも言わずに行っちまったんだ?
せめて母親がいた証に、それを置いて行くことだってできたはずなのに・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・リナ・・・・。」
「・・・・・・・。」
 
二人の会話は、さっきまでの会話と全然違った。
もう、穏やかな木ずれの音や、せせらぎの音じゃなかった。
 
がたんっ。
椅子が床に倒れたみたいな音がした。
続いて、母さんが掠れた声で細く叫ぶような声を聞いた。
 
「そうよっ・・・そうよ、そうよ!
思い付いてた、考えてたわよ!くしゃくしゃの顔をして、ぎゅっと手を握って、真っ赤な顔で泣いていたあの子の、顔を見てすぐにね!」
「なら、どうしてだ?リナ!」
「できなかったのよ!」
「できなかった・・・・?」
「できなかった!あの子を置いて出て行くのに。戻ってきて、あの子をもう一度抱ける確信が、これっぽっちもなかったのよ!」
 
・・・初めて聞いた。母さんの、悲鳴みたいな声。
出会ってからずっと、自分に自信を持ってる強い人だと思っていた。
今の今まで。
 
「・・・・育ててあげられないかも知れないのに。名前ひとつを残して行くだけで、ずっと一生あの子の母親面する資格なんて・・・・あたしには無かったからよ!」
「リナ!」
「誰かがあたしの代わりに育ててくれるなら、その人が名前をつけてあげた方がいいって思ったの!その人には資格があるもの!産んだだけの母親じゃなくて、育てる方がずっと大変で、大事なんだからって!」
「リナ、よせ!」
「10年も経って戻ってきて、あたしがお母さんよって!自分でも、よく言えたもんだと思ってるのよ!あの子はもう、赤ちゃんじゃないのに!」
「リナ!」
「呆れた?ガウリイ、あたしはこんなに情けない気持ちを持ってるの。自分でもそんなの、弱い、間違ってるって思うけど!あるのよ、あたしにも!」
「リナ!」
 
がたっ。
がたたんっ。
 
「・・・・もうよせ、リナ・・・・。もう、いいから・・・・。」
「自分のしたことを・・・後悔はしてるわけじゃないの・・・。ただ・・・・ね・・・?」
「もういい。もう、わかったから。それ以上、自分を責めるな。
・・・・オレ達は・・・・夫婦揃っての大馬鹿者だよな?あんないい息子の、親に相応しくないよな?」
「ふ・・・・っ。・・・そうだね・・・・。」
「怖かったろ・・・・。寂しかったか・・・・?」
「・・・・言わない・・・・。言わなくても、どうせあんたにはバレちゃってるだろうから・・・。」
「オレだって・・・。怖かったんだぞ・・・・?」
「・・・・・。うん・・・。」
「あの子がいなかったら、寂しくて死んじまってたぞ・・・・。」
「・・・・・。うん・・・ガウリイ。」
「泣いてるのか?」
「・・・ガウリイこそ・・・。泣いてるんでしょ・・・。」
「今晩だけ、な。」
「・・・・うん・・・・。今晩だけ、ね。」
「今晩だけ。溜めてたもんは、吐き出しちまおうな。綺麗さっぱり。」
「・・・そうね。そんで、明日からは。」
「明日からは。笑って暮らそう。この家で、三人揃って。」
「・・・・・。」
「何にしろ・・・お前は帰ってきた。・・帰ってきてくれたんだ。生きててくれた。
それ以上、何を望むと言うんだ?
あの時、何が起こったにしろ。
オレは・・・今ここに、お前が生きてるだけで・・・・。」
「・・・・・・。」
「オレ達の息子は、こんな親でもちゃんと立派に生きてるよ。
お前が帰ってきたこと。
そして、あいつが無事に大きくなっていること。
それだけで、オレはもう、十分だ・・・。」
「・・・・ガウ・・・リイ・・・・・・。」
「だから、今晩だけは。ずっと、こうしていよう・・・。」
「うん・・・・・。今晩だけね・・・・?」
「ああ。今だけだ。」
 
 
 



・・・いつか、ぼくが。
大人になったら。
この夜がずっとずっと、昔の話になったら。
 
一番傍にいたいと思う人と、ずっと一緒にいよう。
その人を、絶対はなさない。

大人になっても心の中にある、弱いところも、子供っぽいところも。
二人で助けあって行けるような。
そんな世界に一人しかいない、大事な人を。
もし探すことができたら。

父さんと母さんみたいに。
歩いて行こう。

そう、ぼくは思うよ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





------------------------end.
 
親子編の残していた謎の答えをお送りしました。リナがちびガウに名前を残して行かなかったのはそういう訳です。
親子のリナちんはすごく強いのですが、やっぱりこういう弱さも人間ですから、持っているのでわないかと思ってこうなりました。
ちびガウ視点になっているのは、これが一番書きやすいから(笑)ホントは親だけの会話で書き直したかったのですが、うまく繋がらなかったのでこのままにします(笑)
親だけの会話にする時は、最初の一文にこれを入れるつもりでした。
「これは聞かなかった話。
見なかった姿。」
って(笑)
親って、子供に見せたくない姿や話を隠していたりしますよね。それがわからず、ただ命令だけを押し付けているように見えて、反発をおぼえたりするのが子供です。
親も大きくなった子供なのだと、完全な人間ではありえないのだと、わかってくるのはもっと年令が上がってから。失望と同時に、もう少しレベルが高く見えた大人の世界が、自分のところへ一段降りてきてしまったというとまどいを感じたりします。
でも、たまには弱いところを見せて欲しかったなという気もしますね(笑)いつもいつもじゃ困りますが(笑)
初めて見せた親の泣く姿や、感情を爆発させるところは、子供にとって大きな影響を及ぼします。すこし、子供が大人になる分岐点になるような気がします。

今週は仕事が忙しくて(汗)ほとんど書く暇はなかったので、以前に書いておいたお話にしました。天の王国の続きは、また今度(笑)

では、ここまで読んで下さった方に、愛をこめて♪
もしあなたの目の前で、お母さんが泣いたら。
あなたはお母さんの肩を抱いてあげますか。それとも、軽蔑しますか?
そーらがお送りしました♪
 
 
 
 
 
 

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