「人魚の島」

けぶる海。
どよもす波。
砕ける波頭。
どっと潮が吹き上がる。
それは囁くような声。
海から上がろうともがく、海馬のいななき。
捕らえようと試みても。
泡のように消え去る。
そう、すべては泡(うたかた)のごとく。
 
 
白いスカートを風にたなびかせながら。
両手を組んだ小柄な女性。
大地に穿'(うが)たれた楔(くさび)のような。
切り立った崖に一人、佇(たたず)む。
 
跪き、祈りを捧げる女性。
その耳を、責めさいなむ波の音。
その裾を、濡らしていく潮。
 
「こんなところで、何をしてるんだ。」
女性の背後からかかる声。
「風邪を引くぞ。家に帰ろう。」
 
ほっそりとした肩を、ガウリイは抱く。
女性は振り返らない。
「・・・・家に?」
「ああ。オレ達の家へ、帰ろう。」
「あなたとあたしの・・・・家。そうよね。そう。」
夢うつつの人のように呟き、女性はふらりと立ち上がる。
 
ガウリイの腕を逃れ、女性はくるりと振り向く。
切り立った崖の上で、対峙する一組の男女。
どよもす海。
ざわめく波。
 
女性が言った。
「お願い。あたしのものになって。」
男性が驚いた。
「何を言ってる?」
女性が言った。
「あなたのすべてを、あたしに頂戴。」
男性が言った。
「何故、そんなことを?」
女性が言った。
「あなたが好きだから。あなたのすべてが欲しいから。自分のものだけにしたいから。」
男性が言った。
「まるで子供だ。」
女性が言った。
「子供と同じよ。欲しいものは手に入れる。手に入らなかったら、入るまで泣くわ。」
男性が言った。
「子供はそれだけじゃないよ。」
女性が言った。
「どこが?」
 
男性が微笑んだ。
 
「子供は、我慢だってするようになる。一番、大事なことをわかったら。」
女性が怯む。
「一番・・・・大事なこと?」
男性が言った。
「一番、自分が大事にしたいことを・・・見極めるのさ。それが見つかったら、そのために目前の御馳走を我慢することだってできる。」
女性が笑った。
「目前の御馳走を、食べない手はないわ。」
男性が笑った。
「すぐ手に入るものより、もっと困難でも本当に欲しいものを見つけたら・・・・子供だって、強くなれるんだ。」
 
ガウリイの髪が、くいっと引かれた。
ほんのひとすじだけ。
ガウリイは振り返る。
だがそこには誰もいない。
 
「あなたが欲しいの。他には何もいらない。だから、あたしのものになって。」
「オレの気持ちなら・・・・聞かなくてもわかるはずだ。」
「言葉はダメよ。泡と同じ。行動で示して。今すぐに。」
 
女性の目に、思いつめたような色がある。
それは海の底に揺らぐ海藻のよう。
どよもす海。
ざわめく波。
 
「どうすればいい。」
「あたしとこの先もずっと一緒にいてくれるなら・・・。命を頂戴。あなたの魂を。」
「そんなもの、どうする。」
「欲しいの。」
「・・・・・・・・・オレの命など・・・・・・。」
 
言わなくても。
告げなくても。
今すぐ行動で現わさなくても。
彼女は知っていた。
一度も、尋ねたことはなかったが。
彼女は、知っていたのだ。
 
「お前は誰だ。」
「・・・・。」
「ここはどこだ?」
「・・・・。」
「オレは・・・一体、どうしちまったんだ?」
「・・・・。」
 
 
突然、高波が崖を襲う。
容赦のない水の荒れ狂う力が。
2人を押し流す。
 
そしてガウリイは見た。
愛しいと思っていた、一番傍にいると思っていた、女性の本当の姿を。
 

銀の鱗が宙を舞う。
鮮やかなターンを見せつけながら。
のびきった針のような鰭を打ち閃かし。
水の壁の中を。
自在に泳ぎ回る。
髪はすでに尾ひれまで長く。
色とりどりの貝が、からみついている。
瞳は白目がなく。
ただ深い海の色。
青白い肌はまるで陶器のよう。
細い首に、鰓が幾本も筋を作る。
 
 
『ここはメルチャディス。メルチャの住む島。
そは海の底。
ただ愛しき魂達と共に住む。』
 
ガウリイの脳裏をこする、老人の声。
船より年経た老船乗りの声。
『海ではメローに気をつけよ。
若い男の魂を奪い、永遠に島で暮らす。
魂を食われた男は、眠り続け。
十日も持つまい。
メローは美しい髪と顔を持つ。
赤味がかった金髪は、ストロベリーブロンド。
決して、心を奪われるな。
メローは、また、メルチャと呼ばるる。』
 
船乗り。
船。
波。
海。
荒れ狂う、海。
 
高波のように押し寄せたのは、本来の記憶だった。
 
 
ガウリイは、水の壁に立ち泳ぐ、人魚と相まみえる。
「オレを返してくれ。」
『それはできない。お前はわたしのもの。永遠にここで暮らそう。』
 
冷たい冬の海のような、澄んだ、そして恐ろしい声が答える。
彼女は唇を動かしてはいない。
声は頭の中に響いてくる。
 
「オレはお前のものじゃない。オレの居場所は、ここじゃない。」
すると水の壁が鏡のようになり、人魚の姿がかき消え。
一人の人間が姿を現わす。
ガウリイはぴくりと眉を動かす。
それは、小柄で、栗色の髪を漂わせた、彼の片割れとも言うべき人間だった。
 
「そんなものを見せて、オレにどうしろと言うんだ。」
愛しい、愛しい、焦がれた娘は、彼に向って手を差し伸べる。
『お前はこの娘を欲している。ここで暮らすなら、この娘と暮らせる。永遠に。』
「確かに、オレはそいつに会うためにずっと旅をしている。だが、そんな虚像と暮らすためじゃない。」
『どこが違う。お前はこの娘を手に入れる。ずっと暮らす。』
「それはリナじゃない。」
『夢を見つづけるお前にとって、これはお前の愛しい娘と何ら変わるところはない。お前にとって、これは現実であり、永遠に続く現実なのだ。』
「・・・・永遠・・・・・?」
『そう。もう、お前とお前の息子を置いて、この娘が姿を消すこともない。お前の傍からいなくなることもない。永遠に、ずっと、お前の望むように、この娘は存在する。』
「・・・・」

『お前は儚(はかな)いと思わないのか。人間の一生を。それはあまりに短すぎる。そして、永遠などどこにもない。』
「・・・・」
『ずっと一緒にいると言った。ずっと一緒に旅を続けようと言った。お前の一番大事にしていたこの娘すら。お前を裏切り、約束を破り、お前から離れて行ったではないか。人間の命も、心も、永遠に続くものはないのだ。そんな暮らしを、お前は儚いと思わないのか。』
 
ガウリイは手を差し伸べる。
虚像の妻に向って。
両手を。
 
「永遠など、どこにもないと言ったな。」
リナが手を差し伸べる。
ゆっくりと近付いてくる。
ガウリイも歩み寄る。
 
だが、ガウリイの両手の中に、突然現れたものは。
青く青く輝きを放つ、刀身のない、剣。
 
「永遠などどこにもない。だが、オレはこの手で、奇跡を起こしてみせる!」
 
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃああああああああぁぁぁぁあぁあ・・・・・・・
 
 
閃光に刻まれた人魚の叫びは、押し寄せた濁流のような波に消えていく。
全てが泡に。
ガウリイは剣を抱き締めて、目を閉じた。
襲い掛る波を前にして。
 
 
 
『ガウリイってば。ホントにクラゲなんだから。』
 
誰かが、耳もとで囁いた。
小さな手が、彼の柄を握りしめた固い拳に触れた。
 
ガウリイは目を見開く。
透明な水は、ガラス窓のよう。
その向こうで、あの顔が。
しかめっつらをしていた。
「リナ・・・・・!」
ガウリイが抱き寄せようとすると、リナの手は、ガウリイの鼻をいきなりぎゅっとつまんだ。
驚くガウリイ。
『いい加減に起きないと。・・・スリッパだかんね!』
 
くすりと、リナが笑った。
と思った・・・・・・・・・・。
 
 
 
 
「とうさん!とうさん!」
手の中で、握りしめた剣が、彼を呼んでいた。
ガウリイははっと目を覚ました。

目前にいたのは。
虚像でもなく。
ましてや海の魔物でもなく。
そして、一瞬だけではあったが。
長い道程の果てに再び見ることができた、あの顔でもなく。

見たこともない宿屋らしき一室で、彼はベッドに横たわっていた。
そしてそこにいたのは。
大きな瞳に、透明な水をたくさん浮かべた、小さな男の子の姿だった。
その子の名前も、ガウリイ、と言った。

「・・・何泣いてるんだ・・・・?」
その頭をくしゃりと撫でてやる。

全てが溶解した。
海で嵐に会い、船が転覆したこと。
ガウリイを背負い、波を泳ぎ切ったところで記憶は途切れていた。
息子に怪我のないことを確かめると、ガウリイは安堵した。
では、今まで見ていたものは、何だったのだろう?
船乗りの口にした、メローの見せた夢?
今まで、メローの虜になっていたというわけか?

息子を腕に抱き寄せる。
泣かないと約束した息子は、目を真っ赤に腫らしていた。


ガウリイは、自分の手の中に突然現れた、今はあるはずもない剣の正体を知った。
彼にとって強力無比なもの。
そして、彼を全力で守ろうとするもの。
彼を必死に起こそうとしていたもの。

つまり。
彼の命を救ったのは。
己の息子の姿だったのだ。
 
 
ガウリイは、胸の中で谺する呼び声にこう答えた。


この剣と。
この手で。
永遠を、奇跡を。

オレは、起こしてみせよう。
 
 
 



















==================END.

アンケートに今までご協力下さった方々、ありがとうございます♪一件ずつ、大事に読ませて頂いています。
続編の項目で、今のところトップだった親子シリーズをお届けしました。(次点、ぷれぜんとシリーズ、変化、結婚物語・笑)
少しでも、アンケートのお返しになるといいのですが♪
次にこの親子を書くとしたら、もう、帰還しかありませんね(笑)いつになるかはわかりませんが、書いてみたいとは思っています。
このお話を読んでいて、ふと気がつかれた方もいると思います。ベースに使わせてもらったのは、Coccoの『強く儚い者たち』という曲です。この歌を聞いた時、これは人魚の歌かなと一人で思い込んでいました(笑)
同時に、ゼルの歌かな、と(笑・♪あなたのお姫様は〜誰かと〜♪というサビが・笑)あと冒頭が、マンガにもなった某SF小説でしたね(笑)
子ガウリイは、今回はホントに守り刀でした(笑)
では、読んで下さったお客様に、愛を込めて♪
そーらがお送りしました。

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