『ぼくに関わる物語』






食堂を出て、裏口に回った。
父さんのサンダルが落ちていた。

父さんは裸足で引き摺られていったのか。


 
「なっさけない顔ねえ。」

背後から、声がした。
振り返ってみると、昨日の女の子だった。
栗色の髪に、丸くて大きな目とイヤリング。
どこかちくはぐな感じがしていた。
強そうな大人には見えないのに、魔道士の格好をしていたからだ。

腰に手をあて、女の子はぼくを見ていた。
「あんた、生きてるの?死んでるの?
親が目の前で連れてかれたってのに、理由とか聞かないわけ?」



……………生きてるの?死んでるの?
そんな事は初めて言われた。
父さんと母さん以外、ぼくに話しかけてきた人は珍しかったから。

ぼくはただ目を向けて、何も答えずにいた。
何をどう答えたらいいかわからない。
答えなくても別にいいだろう。
だってぼくは透明人間なんだから。
 
「気丈なお母さんよね。
泣くでもなくて、あんたに平気なところを見せようとして、ああやってさ。」
裏口から、店の中をのぞいて女の子がそう言った。
「なのにあんたってば、声の一つもかけないのね。
どうせ、自分には関係ないって思ってるんじゃない?」
「…………………………………」

何なんだ。
この人は何なんだ?
どうしてぼくにそんな口を聞くんだろう。
大体、この人にぼくの事を言えた場合だろうか?
関係ないって、この人だって昨日言ってたじゃないか。
 
「世の中の大半はね。」
女の子が、ちょこちょこと歩き回りながら言った。
「自分には関係ない、これっぽっちも関係ない、って思えるような事ばっかりよね。
自分は自分に関係のあることだけ、してればいいって。
でもね、実は結構、いろいろ関係があったりするんだわ、これが。」

女の子はイヤリングを揺らして立ち止まり、かりかりっと頭をかいた。
「例えばどこかの山で、商人が山賊に襲われるとするわよね。
ま、あたしにとっちゃ山賊なんて、恐れる類いのものじゃないし。
何より、自分が被害に会ったわけじゃないから、関係ないと言えば関係ない事件よ。
ところが、これが連続して起こったとする。」
人さし指がぴっと立って、ぷらぷらと振られた。
「しかもそれが、特定の商品を扱う商人だったとする。例えば、小麦よ。
小麦を運ぶ荷馬車や商人隊が襲われる。
するとどうなる?
当然、小麦を待っている街は困るわよね。
小麦が不足するんだから。
不足するとどうなる?
値段が釣り上がって、食べにくくなる。
………あげくの果てには、小麦を使った料理が全く出なくなったりする。」
 
…………………………あ。
 
「そうすると、よ。
この街で美味しいと評判のお好み焼きも食べれなくなる。
お好み焼き食べたさに、山道をえっちらおっちら歩いて来て。
ここに辿り着いたあたしみたいな旅人達の、悲しみと嘆きがわかるかしら?
…………そうよ。
商人が山賊に襲われたことは、十分あたしにも関係があるわけ。」
女の子はさらに近づいてきて、ぼくの顔をじっと見た。
「最初に見たときに思ったのよ。あんた、何か知ってるんじゃない?」
「………………………………」
 

ぼくにそんな事を聞いたのは、この人が初めてだった。
ぼくの顔を見て、ぼくの顔だけを見て、話しかけて。
ぼくの話を待っている。
 
ぼくはどうしよう。
ぼくはどうしたらいい。
このまま何も言わなくても、きっと何も変わらない。
ぼくが何か言っても、きっと何も変わらない。
……………………でも。
でも…………………。


 
「山賊を見たよ。」
口が勝手に喋った。
「一昨日の昼、影向かいの木の先で、商人が襲われてた。」

どうせこんなことを言ったって、何にも解決しないのに。
ただ、女の子がぼくの目を、じっと見るから。
ぼくの言葉を、待っていたから。

「……………どうして検察隊に言わなかったの。」
静かな答えが帰ってきた。
「あいつらはいつも威張ってるから。威張ってるだけで、何もしないから。」
「どんなやつらだった?」
「鬚を伸ばした男が五人、髪を剃った男が一人、髪を結った男が三人。弓と斧と長剣を持っていた。」
「全部で九人ね。他に仲間は。」
「寝ぐらで待ってるって言ってた。四人が。」
「ということは、合計十三人か。なるほど。」
 
女の子はぼくの話を全部聞いて、ひとつひとつ頷いて。
最後に、にこりと笑った。
「何だ、ちゃんと喋れるじゃない。ちゃんと生きてるじゃない。」
「………………………」

ぼくが驚いていると、女の子は店を指さした。
「あんたのお父さんはね。
山賊と取り引きして、小麦を裏で流してもらってると思われてるの。
検察隊はそれであんたのお父さんを引っ張って行ったのよ。
………ま、目的は別のところにありそうだけど。」
次に、自分の胸を指さした。
「あたしの名前は、リナ=インバース。旅の魔道士よ。
旅を続けながら、各地で仕事を引き受けたりしてるの。
今のところ請け負ってるのは、隣の街で受けた仕事。
行方不明の小麦商人達を探すことだったのよ。」
ぼくとそれほど年も変わらなそうなのに。
きびきびと話す女の子は、まるで世界が違う人間のようだった。
「しばらく様子を見てたんだけど、どうやら大体のところはわかってきたわ。
…………そこで相談なんだけど。」
 
リナと名乗ったその魔道士は、ぼくをしっかりと見据えてこう言った。
「あんた、お父さんを助けたい?それとも、助けたくない?」
「………………………!」




 
世界が突然、ぼくの手の中に落っこちてきたようだった。
今までぼくに触れもしなかった世界が。

ぼくに選べと迫っているこの女の子の言葉で。
関係ないとやり過ごしてきた全てのものが、今、ぼくに関わっていた。
 
父さんがこのまま帰ってこなかったら?
それでもぼくには関係がないのかな?

母さんがこのままぼくを見ようとしなかったら?
それでもぼくには関係がないのかな。

誰もぼくを見ようとせず、いない者のように扱って。
その代わり、ぼくは悲しまず苦しまず嘆かず喜ばず。

ただ時間だけを過ごしていく。
そんな一生を、この先もずっと?



………………………いやだ。
ぼくは望んで透明人間になりたかったわけじゃない。

どうしたらいいかわからないけど。
辛くて嫌な事もあるだろうけど。
息をしているだけの、植物以下の生き物になるなら。
一人でもいい、ぼくを見てぼくに話しかけてくれる、ぼくが生きているという証拠が欲しい。
ぼくが生まれてきた意味も理由も知らないままで、死にたくはない。


「助けたい。ぼくに何かできる?」

「その言葉を待ってたわ。」
女の子が頷くと、その後ろから背の高い連れの男の人が現れた。
二人は目配せをして、男の人は踵を返して走って行った。

ぼくの目の前に、白い手袋に包まれた、小さな手が差し出された。
「今からあんたは、あたし達のチームの一員よ。」

その手を見たら、咽の奥が痛くなった。
何もかもがぼくから遠のいていたのに。
今ここに、形あるものがひとつ、ぼくだけに差し出されている。

ぼくは手を出し、そっと握った。
リナが強く握り返した。
「やってもらうことがいくつかあるけど。その前に。」
今度はふんわりとリナが微笑んだ。
「店に入って、お母さんに声をかけてくれば?
父さんはぼくが助けるって、言ってきなさいよ。
お母さんだって、ホントはすごく怖い思いしてるんだから。」
「…………………………」
店の中からは、狂ったように床を磨く、雑巾の音だけが谺していた。








 







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