『ゲストブック』


 

王城に用意された、客室の一つにリナは運び込まれた。
急いで魔法医が呼ばれ、アメリアの父である王位第一継承者の皇子フィリオネルまでが、慌てた様子で部屋を訪れた。
「リナ殿は大丈夫か。」
「まさか、まさかとは思いますけど、リナさん……病気なんですか?」

金の縁飾りがついた、真っ白な掛け布団の下で、リナの顔は青ざめて見えていた。
手を組んで心配げに見下ろすアメリアもまた、青ざめている。
「それが…………」
傍らに寄り添うように跪いている青年は、考え込んでいる様子だった。
本を抱えたまま倒れていた少女の元に、誰よりも早く駆け付けた青年は、まるで壊れ物を扱うように慎重に部屋に運び込んだ。
床の上にはまだ、その時の本が数冊、取り除かれたままの形で置かれている。
「ここのところ、様子がおかしいのはわかってたんだが……」
 



そこへ、王室お抱えの魔法医がようやく現れた。
衛兵にさんざん急かされ、髪はぼうぼう、眼鏡が傾いている。
ましてや、患者があのリナ=インバースと聞かされ、おそるおそる魔法医はベッドに近づいてきた。
「診てもよろしいかな。」
「おお、頼んだぞ。ではワシは遠慮させてもらう。
安静にせねばな。後で報告するんじゃぞ、アメリア。」
「はい。」
ぱたりと音がして、部屋には、リナと魔法医、ガウリイとアメリアだけが残された。
魔法医は息を整え、診察用具を鞄から出した。
 

「…………様子がおかしいって。どんな風にでしたか?」
枕元を魔法医に譲り、二人はベッドの足下へと移動した。
ガウリイは腕を組み、視線は枕に髪を広げて眠る少女へと送りながら話し出した。
「最近、本ばかり読みあさって。ろくに食事も取らなくて。
一緒に取ろうと言っても、後でって言って聞かなくてな。
部屋に閉じこもったきり、まる一日出てこない日もあったし。
かと思えば、夜中に何度もベッドを抜け出したり。」
「………例の、盗賊いぢめ、ですか?」
「いや、すぐ戻ってくるんだけどな。
どうしたんだと聞いても、機嫌が悪くて。
まともに顔を見ようともしないくらいなんだ。」
「………リナさんらしくないですね。」
「それに…………」
青年が言い淀んだ。
「それに?」
「いや…………。ここに来る時……あいつ、名前を…………。
いや、何でもない。」
「名前…………?」

そういえば、二人の名前を出したときに、青年が送った視線をアメリアは思い出した。
顔をしかめ、しばらく考え込んでいたが、はっと顔をあげる。
「待って下さい……抜け出したって…………。
名前…………お二人の…って………………。
あ…………え………?
ま、まさか………………?」
 
その言葉の後は、魔法医が引き取った。
「そのまさかですじゃ。」
「まさかって……」
「まあ初見ですがの。
正確なところは、詳しく調べなくてはわかりませんが。
我が白魔術の最高峰、この判定器によりますと。」
平べったい棒のような物を振り、魔法医は神妙な顔でこう答えた。
「この患者は、妊娠しておられる。」
「……っに……………!!」

アメリアが皇女にあるまじき白目をむいた。
「驚くべきことじゃが。
伝説の破壊神……ごほごほ、いや、失礼、伝説の魔道士であっても、人の子というべきですじゃ。」
「に……に…………」
アメリアはまだ二の句が告げないようだ。
ガウリイも当然驚いてはいたが、その驚き方はアメリアのそれよりも小さかった。
彼は絶句し、それからこくりと頷いた。
「やっぱり。」
「君は……」
枕元に近づいてきた青年を、魔法医は見上げた。
「君が父親かね?」
「はい。」
きっぱりとガウリイが答えたのを聞いて、アメリアはさらに腰を抜かしたようだった。
床に、へたりと座り込もうとする。
 
ごがらしゃっ!!
 
そこには積まれた本の山があって、バランスを崩して彼女は文字どおり倒れこんだ。
「はいって………はいって………ええええええ!!!
「これ皇女!そのように取り乱して、はしたない!」
アメリアが小さい頃から、熱を出すたびに呼ばれてきた医者は、威厳を取り戻したようだった。
「心配しなくても、ただの貧血じゃよ。
つわりが始まって、ろくに食事もとっておらんのだろう。
栄養剤を打てばよいだけじゃ。すぐに元気になるわい。」
「あ………ええと………そうか、なるほど…………。」
考えてみれば、思い当たる結果ではあった。
だが、結婚や出産となるとまだ遠い話のような気がして、アメリアはうろたえていた。
思わず、転んだ原因となった本を、よりどころ代わりに抱きしめる。
「そう……だったんですか…………」
 


 
魔法医が退出し、再びガウリイが枕元に寄り添った。
が、アメリアはまだ床に座って本を抱きしめていた。
「やっぱり……そうだったんだな。リナ。
すまん。もうちょっと早く、医者に見せればよかった。」
静かに寝息もたてずに眠るリナの頭を、そっとガウリイは撫でていた。
「結婚………してたんですか、お二人は………」
ぽつりとアメリアが言った。
「だから……リナさんが名乗った名前に、ガウリイさん、変な顔してたんですね。」
「……オレ、変な顔してたか?」
「いえ、ちょっと気がついただけですから。
そっか…………なら………不思議はないんですね…………」
何故だか放心したように、アメリアはぱたりと本を開いた。
乱雑にぱらぱらとページをめくりながら、考えをまとめようとした。
「いつかそうなるって………勝手に信じてましたけど………。
そうでしたか…………。
なんか………リナさん、いつのまにか大人になってたんですね………。
こんな事言うと変かも知れませんが………。私より、ずっと遠くに………。」
「……………………」

ガウリイは手を止め、アメリアを振り返った。
「そんな事は、ないと思うぜ。」
「え…………?」
アメリアが聞き返すと、彼は自嘲気味に少し笑った。
「そういう事になっても……オレ達の普段は、いつもと全然変わらなくてな。
ずっと、旅を続けて行くんだとリナも思ってただろうし、オレもそれでいいと思ってた。
でも………もしかしたら、リナは後悔してたんじゃないかと思ってな……。」
「こ………後悔って…………?」
「リナが、アメリアに何も言わないのを見てたら、な。
こんな事態になったことは、リナはわかってたんだと思う。
それで、不安になったんだろう。
今までのように、何も変わらないとは言えなくなるからな。」
「……………」

開いたページの向こう側に、何冊か積まれた本の背表紙にアメリアは視線を走らせた。
『魔法病理学』
『妊娠と出産』
『魔道士の限界について』
そんなタイトルが並んでいた。
「魔法が………使えなくなったり………することですか……。」
「たぶん………。前に、魔法が使えなくなったことがあっただろ、リナは。
あの時も本当は内心、不安を抱えていただろうし。
魔道士として、不安に思わないわけはないよな。」
「…………………」
 
いつも前を向いて、誰よりも先に走っていく自称天才魔道士の姿は、仲間なら誰でも容易に思い浮かべることができた。
強烈なイメージが、忘れさせてしまうのだ。
彼女もまた、成長過程の人間であることを。
 
「不安をぶつける場所がなかったんだろうな。………オレしかいなかったし。」
無理にでも、顔を合わせないようにしていたように、今では思えた。
それがどこか違和感につながっていたのだ、と今さらながらアメリアは気がついた。
「子供なんてまだ先、って言ってたのに。オレのせい…………」
微妙な話題になり、アメリアが赤くなる。
「あ、いや、その。そんな事を言うつもりじゃなくてだな。
つまりその………」
さすがにガウリイも顔を赤らめ、天井を見上げた。
照れ隠しに、ばらばらとページをめくりつづけていたアメリアは、ふとその手を止めた。
目をしばたく。
 
「ガウリイさん………?」
「え、な、何だ?」
「あの………ひとつ聞きますけど………」
「え?」

本から顔をあげ、アメリアはぱちぱちと瞬きをして、ガウリイを見ていた。
それから、ふんわりと微笑んだ。
頬を桜色に染めて。
「今………どう思ってますか?ガウリイさん自身は?
リナさんに……子供ができたってわかって………。」
「……………!そ、そりゃ…………」
困った顔を、押さえようのない笑顔が崩していくのをアメリアは見た。
「リナの気持ちを考えたら………こんな事、言えないけど………。
オレは…………」
頭をかき、言葉を失う彼に、アメリアは悪戯っぽく微笑んで、手許の本を裏返した。
文字が羅列したページを、彼に向ける。
「じゃあ、いい事を教えてあげます。」
「…………?」
「リナさんは、後悔なんかしてませんよ。
……ただ、照れくさかったのと。
赤ちゃんができるって事態の重大さに、ちょっと不安になっただけです。きっと。」
「え……………?」

書体がそれぞれ違う、手書きのサインらしきものの中から、アメリアは一行を指さして見せた。
最後の一行らしく、その先は空白だった。
「これ、何だかわかりますか?図書館のゲストブック、記帳ですよ。
訪れた方や、貸し出しをされる方にはお名前を書いていただくんですが。
ほら、ここ。………ね?」
最後に書かれていたのは、リナの名前だった。
「…………………!」

流暢な字体で、それはこう印されていた。
『リナ=ガブリエフ=インバース』
 
 
 
ガウリイが声にならない驚きを浮かべ、枕元を振り返ると。
掛け布団に潜り込んでいる、栗色の頭があった。
そっとはがしてみると、真っ赤な顔がそこにあった。
「ごめん………ガウリイ。」
少女は、いや、今や人妻となった女性は、縮こまるようにしてそれだけ言った。
「このあたしが……どうしていいかわからなくて………パニックになってた……みたい………。」
「リナ……………」
青年は、いや、世界にその名を轟かす魔道士を奥さんにした男は、掛け布団でくるむようにして抱き寄せた。。
「こ…………後悔してるわけじゃ、ないから…………」
小さい声がして、リナがさらに小さくなった。
ガウリイは目を閉じ、詫びるように声を低くした。
「………悪かった。……不安に、させたな。」
「……………これから………どうしようか、ちょっと考えちゃっただけだから………。
い………いずれこーいう日も来るって、頭じゃわかってたんだけど………。
いざそーなると………。」

目がさまよう。
本の中に答えを探していたことが、実は事実から逃げていただけの事に気づいたからだった。
自分への答えは、本のどこにも書かれていなかったのだ。
「それに……ガウリイだけが悪いわけじゃ……」
事情が複雑になり、アメリアは床に這うように平たくなった。
真っ赤に火照った頬に、本を押しつける。
ガウリイは体を起こし、おでこをこつんとリナの額に合わせた。
「……オレじゃ、頼りにならないか?」
「え………………」
「大変なのはリナだし、いろいろ変わっちまって不安にもなるよな。
男は頼りにならんかも知れんが…………。」

低い声に聞き入るうちに、ようやくリナは赤くなるのをやめ、顔をしかめた。
「何言ってんの。………あんた以外に、誰が一緒に考えるのよ?」
揶揄する声を聞いて、ガウリイはおでこを放した。
輝きの戻った瞳で、リナはしばらくぶりに相手をまともに見つめ返した。
「………責任。とってもらうからね。」
「そんな責任なら、喜んで。………いくらでも。」
破顔した男の顔を見て、リナはまた布団に潜りこみそうになった。

ガウリイは笑い、布団をかき寄せ、頭を乗せた。
そして目を閉じ、ため息をついたが。
部屋に入ってきて初めてついたため息とは、全く違うものだった。
彼はやっと、魔法医の告げた事実をゆっくり噛みしめることができた。
 

 


部屋が静けさに包まれ。
二人が言葉ではなく沈黙を交わしているのを見届けてから。
アメリアは足音を忍ばせ、そっと部屋を出た。
ドアの外にいた衛兵に、しばらく誰も部屋に入らせないように言付ける。
と、廊下をぱたぱたと走り出した。

通り過ぎた誰かが、廊下を走ってはいけないとアメリアを諭したが、聞き流して走りつづけた。

階段を昇り、昇りつづけ、塔にあがった。

窓に顔をつっこんで空を見上げると、青かった。

アメリアは拳をつきあげ。
それもまたはしたない事とされていたのだが、大声を出して、衛兵達を驚かせた。
「やっっほーーーーっっっ!!」
その顔では、笑みがこぼれるばかりに溢れていた。
二人からもらった、幸せのお裾分けだった。
 

やがて、事態を知ったフィリオネルが、リナの制止も聞かずに布令を出し。
セイルーン中の教会の鐘が鳴り。
王城で歓喜のラッパが一斉に吹かれるのも、そんなに先の事ではなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






 
 
 
 
 
---------------------------えんど♪
 
ガウリナにハマってあちこちのサイトを読み始めた頃。(ここ数年、全く回遊してないのですが・ι)原作でははっきり書かれていない二人の間柄が、いきなり結婚してたり子供できてたり、らぶらぶげっちゅー(おひ)だったりして、最初は目眩を覚えたことを覚えています。ちょ、ちょっと待って、そこに至るまでのビミョーな段階を踏んでからじゃないと、違和感がーーーーと(笑)
ハマりの第一段階といえるのでしょーか(笑)さらに病気が進行すると、らぶらぶの話ばかりを漁るよーになりますが(笑)
だからこの話を読んで、えええ?と思う方もいらっしゃるかも知れません。ごめんね(笑)
 
最近、本音ずばりのガウリナらぶらぶより、外堀を埋めるとゆーか、外側から見てこんなほのぼのの中にもガウリナが?な展開の話がHPでは多かったので(笑)久しぶりにらぶらぶーんな所が見たかったのでした(笑)で、よくある妊娠ネタではあるのですが、以前に書いた『そのままのふたり』の逆パターンを考えたのでした。久しぶりに会った二人は全然変わってなかったけど、結婚してた?の逆で、どこか二人は様子がおかしくて、ハテ?というような。
 
結婚前と、妊娠した時に、不安を覚える人は少なくないと思うのですがどうでしょう。特に子供ができたとわかった時から、それまでの生活ががらりと変わってしまったりするので。それまで仕事して、そんな自分に多少なりとも自信を持っていた女性が、全く一からやり直して、さらに自分が恐るべき役立たずだった事を思い知る時が来たりします。リナも自称天才魔道士ですから、果たして子供ができて一時期魔法が使えなくなると思うと、不安になるのではと思った次第です。おおげさに言えば、アイデンティティ崩壊の危機です(笑)まあ過ぎ去ってしまえば、何をおおげさなと思ったりもできるのですが。その時はもう余裕がないわけですよ(笑)
 
そういう不安は、男性にはわかりにくかったりするので。相手にもわかってもらえず、一人で不安を抱えてしまう女性も多いかと。男も妊娠すれば、わかるのにねえ(笑)バリバリ仕事して昇進もした男の人が、ある日突然妊娠して仕事を辞めざるを得なくなって、それまで持ってた自信やスキルが全く通用しない赤ん坊を相手に、誰とも会えずに一日を過ごしたら。自分はダメダメ人間で、世界に取り残されたよーな気になるでしょー(笑)
 
そんな時は、ほんの一時間でいいから、散歩でも他の部屋でもいいから赤ん坊を連れ出してあげると、効果覿面なんですけどね(笑)ガウリイ、頼んだぞ(笑)
 
そんなところでそろそろお開きです。ここに来て読んで下さる方は年齢層が広くて、実感全く湧かない小学生の方から、懐かしいと頷いてもらえるお姉様もいらっしゃると思います(笑)実感の湧かない人のために、実体験からちょっとずつ切り売りしちゃおうかなと思ってるので、この続きをまた書いちゃうかも知れません(笑)

では、ここまで読んで下さったお客さまに、愛を込めて♪
いずれ生まれてくるかも知れないあなたの子供の、父親になりたいと思いますか?それとも母親になりたいと思いますか?
そーらがお送りしました♪
 
 
 


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