『風と霧』

「ったく、この霧はなんなんだ?」
まとわりつくような、青い影を追い払い、ガウリイが言う。
ここは深い森の中。
「いきなり湧いたかと思ったら、あっという間に辺りが見えなくなったわね。」
「まあ、霧ってのは割とそうかも知れないが………。」
「なに?」
「いや………なんとなくだが………。普通の霧じゃあない気がするんだ……。」
「…………………。」
 
隣を歩くガウリイから目を離さないようにしながら、あたしは彼の言葉を考えてみる。こんな時のガウリイの勘は、百の知識よりも頼りになることがある。
「すぐ後ろを歩いてたゼルガディス達ともはぐれちゃったしね。」
「さっきから、声とか気配とか、全くしないんだ。あっちだってオレ達を探してるはずだろう?」
「う〜ん。そうすると、あんまり動き回るのもよくないかもね………。」
 
立ち止まったあたしの頭の上で、何かがぽんぽんと跳ねた。
「そういうこと。お前さんも、オレから離れるんじゃないぞ?」
見上げると、真っ白な背景にやけに鮮やかなガウリイの顔が見えた。
冷たい霧の中。
お互いの体温が感じられるほど、近くに。
 
「それはあたしのセリフでしょ。あんたこそひょろひょろどっかへ行っちゃわないでよね。」
「ひょろひょろって………。」
「あんたってば、ひょろひょろでかいから。」
「………なんだかなあ。ま、わからんが、わかった。」
そう言うと、またにこにこと笑ってあたしの頭をぽんぽんと叩く。
 

出会ったときから。あたしを子供扱いしてる人。
少しはあたしを見る目も変わったかと思ったけど。
永遠に身長差が縮まらないのと同じで。
この距離は変わらない。
……………このまま。ずっと?
 


「ぼんやりとだが、前の方に大きな木が見えるんだ。霧が晴れたときに目印にもなるだろうし、あの下まで行って腰を落ち着けないか。」
「あたしには見えないけど………。あんたがそーいうんならあるんだわね。わかった。行きましょ。」
「おう。」
肩を並べて、というには余りに高低の差が激しすぎるあたし達。
 
隣で歩き出したガウリイの手が見えた。
ふいにそれを、ぎゅっとつかむ。
 
「お?」
「………手。握ってれば離れないでしょ。」
いささかぶっきらぼうに言うあたし。
「なるほど。」
「それに、あたしには見えないんだから。そこまで連れてってよね。」
「おう。じゃ、手を離すなよ。」
軽く引っ張られる感覚があって、ガウリイがわずかに先を行き、あたしも歩き出す。
一歩も迷わず、進むガウリイ。
 

こんな時じゃなかったら。
手なんてつなげない。
こんな時じゃなかったら。
手の暖かさなんて意識しない。
 
いつもあたしの方が先頭を走っているのに。
いつも彼の足音の方が、あたしの後からついてくるのに。
見えるのはガウリイの肩。
子供のように連れられているのは、あたし。
 

「ほら、ここだ。もうお前さんにも見えるだろ?」
言われてふと顔をあげれば、濃い緑の影。
「ここでしばらく待とう。」
「………うん。」
 
当然離れるのは二人の手。
木陰に腰を下ろすガウリイから見えない、マントの向こう側で。
何となく自分の手を見つめてしまう。
「地面は湿ってるぞ。岩の上の方がまだマシだ。」
「………うん。」
並んで座る、平たい岩。
ことりと触れる、腕と肩。
 
「なあ、霧を晴らす呪文とかってないのか?」
「……ないわよ、そんなの。まあ、応用を使えば局地的に追い払うことはできるかも知れないけど、森全体にってのは無理ね。」
「そうなのか?」
「そーよ。魔法だって全能なわけじゃないんだってば。」
「そうかあ。そーだよな。魔法で何でもできちまったら、オレなんかすぐ食いっぱぐれるだろうなあ。」
「どーしてすぐ食べる方に話が行くわけ。」
「大事なことだろ?」
「そりゃ、大事だけど…………。」
「ま、そうだなあ。魔法で何でもできる世の中だったら、死ぬ人間もいないし、光の剣だって、ただの便利グッズになっちまってただろうなあ。」
膝に腕をかけ、前屈みになって笑うガウリイ。
 
光の剣について、時たま。
それも、ほんの少しだけ。
ガウリイがにじませる影に気づくようになったのは最近。
あっさりと彼が家宝を手放したときから。
曇りのない笑顔の向こうで、それは密かにあたしの胸を騒がせる。
 
「それにしても、ゼルガディス達はどこへ行っちまったんだろうな。」
「あっちも下手に歩かない方がいいと思って、どっかで休んでるかも知れないわよ。」
「そうだな、ゼルだったらそうしてるだろう。アメリア一人じゃちょっと危なっかしいけどなあ。」
ふっと笑うガウリイ。
 
………笑った顔。真剣な顔。驚いた顔。
のほほんとした顔。焦った顔。怒った顔。
優しい顔。
それ以外のガウリイの顔を、あたしは見たことがない。
一人過去へ思いを馳せるゼルガディスの表情や。
親を失ったシルフィールの悲しい顔。
内乱に心を痛めるアメリアの顔。
そんな表情をガウリイの顔に見たことがない。
彼がそんな顔を持っていないのか。
それとも。
あたしの知らないところで、そんな顔をしていたんだろうか。
 
そう思うとまた、心が騒ぐ。
 
「しかし、これが普通の霧じゃないとしたら、何なんだ?」
「魔法の霧じゃないとは思うのよね………。これほど広範囲に、しかも長い時間かけるのには相当な労力がいるだろうし、何の目的もなしにやることじゃないわ。」
「魔物とか……」
「その可能性はあるわね。霧で惑わして人間の体力を奪い、弱ったところでぱっくり………」
「お、おどかすなよな。」
「何びびってんのよ、子供じゃあるまいし。」
「お前…………きついぞ、それ。」
「そう?」
「子供に子供って言われてもなあ。」
 
…………あんたのほーが言ってることきついわよ、それ。
言えない一言を飲み込む。
 
いつまで子供?
…………いつまで保護者?
 
「冷えるな。お前、大丈夫か?」
「あたしはマントがあるんだし、大丈夫よ。毛布でも出して被ってたら?」
「なるほど。」
ごそごそと音がして、肩から下げていた袋からガウリイが簡易毛布を取り出した。
ばさりっ………
重い気配とともに、あたしの頭の上にも何か落ちてきた。
ガウリイが毛布を二人にかけたのだ。
「いらないわよ、マントがあるって言ったでしょ。」
「そういうなって。薄いマントよかあったかいぜ、これ。」
「………………。」
「こうやって被れば、頭も濡れないだろ?」
 
見上げれば同じ毛布の屋根の下。
いい考えだと得意げな笑顔。
より近くで見る顔に、思わず目を逸らしてしまうあたしに気づかず。
彼はいつもの通り。
 
 
ひるるる………………
 
 
その時、耳の上をかすめた高い声。
思わずびくりとしたあたしに、ガウリイが変わらない声でそっと言う。
「ゴーストだよ。」
「………わかってるわ。」
幽霊に怯える子供じゃない。そう言いたくてつい語調が強くなる。
「泣いてるみたいね。」
 
ひるるる…………
ひるるるるるる…………
 
高く低く。
遠く近く。
打ちのめされた女のような声で、それは歌う。
それは人間ならば胸を痛める音程。
未知への恐怖をかき立てる警告音。
 
ひるる………るる…………
るる………ひ…………
 
誰を想って泣いているのか。
この世に未練を残して。
幻のように希薄な存在に身をやつし、小暗い洞穴や湿った森、寂れた廃虚に漂う影。
呼んでいるのは誰かの名前か。
繰り返し、繰り返し。
徒労に終わる石積みのように。
重ねる泣き声。
 
「…………『男が思うと風が吹き、女が思うと霧が出る』、ね。」
「…………なんだ、それ?」
「古い言葉よ。霧が出てるし、ふと思い出しただけ。」
「…………男が思うと、ええと、風が吹き……?」
「………女が思うと霧が出る。」
「なんで女は霧なんだ?」
「知らないわよ。考えた人に聞いて。」
「………どうやって。」
眉を寄せたガウリイに、あたしはぷっと吹き出す。
 
………もし、今ここであたしが死んだら。
ゴーストになんかなるつもりは全くないけど。
もし、なったら。
そうしたらあたしも、誰かの名前を繰り返し呼ぶだけの影になるんだろうか。
その時。
呼ぶのは誰の名前?
 
「そんなの、聞いたことないなあ。」
「聞いたけど忘れちゃったんでしょ。」
「それは大いにありえる。」
「いばらないでよ。」
「しかし、霧や風を起こすほど、人間の思いが強いってことなんだろうな?」
「そうかもね。案外、この霧はあんたのせーだったりして。中身とは裏腹のあんたのその罪作りな容姿とエガオで、ずらりと並んだ女の人がいっせいに霧起こしてたりして…………こわっ!!」
「………お前なあ。」
「は。そういえばあたしの周りはいつも風が吹いてる気がするわ!この華奢な容姿と魅力的な瞳が、多くの罪のない男性を嘆かせているのね。」
「そりゃあ罪だよなあ…………中身を知らせないなんて。」
「何か言った、ガウリイ。」
「それに、外見だけで多くの男性を迷わせるかどうかも大いにギモン………………ってててててててっ!!」
「言ってくれるじゃない。この天才美少女魔道士に向かって。常に身の危険にさらされてんのよ、あたしがカワイイから。」
まじな顔で答えると、ガウリイは観念した。
「はいはい。そーかそーか。カワイイはともかく、身の危険にさらされてるのは確かだし。だからこーやって保護者のオレがいるんだろ。」
「そうね。いつかあたしが最良の相手と出会うまで、きっちり保護者してちょーだい。言い出しっぺはあんたなんだからね。」
「最良の相手、ねえ。」
「何よ、現れないとでも言いたいわけ。」
「いや、誰にだって現れるだろうし、リナにだってきっと、たぶん。」
ぴくく。
ちまちまと腹立たしいやつである。
 
ガウリイがふいにあたしの顔をのぞきこんだ。
「な………なによ?」
それだけでどきんとなるあたしなのに。
彼の顔は一瞬でも赤くなることない。
「どんなヤツだろうな?そいつ。」
からかうように笑うその目に、吸い寄せられることも知らずに。
「ただ者じゃないよな。できれば会ってみたいもんだ。」
そう言って、また笑う。
 
……………急に近づかないでよ。
心臓が止まるみたいだから。
ようやく息ができたあたしは、つんとそっぽを向く。
「そうよ、ただ者じゃないわ。容姿端麗成績優秀質実剛健晴耕雨読、見目麗しくおまけによく働く!剣を振るえば右に出るものなし!」
「そんなヤツだったら、一度手合わせしなくちゃなあ。」
「………あんたなんか、叶わない相手なんだから。」
「そりゃあ、オレより強くなきゃしょうがないだろ。オレに代わって、リナを守るんだからな。」
「……………………。」
黙り込んだあたしに気づかず、ガウリイは照れたように笑う。
「オレに勝ったらリナとつきあってもいい、なんて、ちょっと父親の気分かな。」
「……………………。」
 
…………………………バカ。
人の気も知らないで。
 
きっとこの霧のせいだ。
毛布がやたらと寒い。
 
「現れなかったらどーするつもり。責任とって、ずっと保護者してくれるわけ。」
「…………いや。」
毛布の中を腕が伝って、さっき握ったあったかな手が、あたしの頭を撫でる。
「大丈夫。きっといつか現れるさ。」
…………その時は、別れる時?
そしてあたしは、いつまでこんな不毛な会話を続けるつもり?
「じゃ、あんたにも現れるわけね、最良の相手が。………いつか。」
それとももう、巡り会った?
口が滑りそうで怖い。
「オレのことはいいんだ。」
頭を撫でる手はまだ止まっていない。
「まずリナの幸せが先だろ。」
 
幸せ。
ってなに。
 
 
たまらず、毛布から飛び出した。
急に立ち上がったあたしに驚いて、ガウリイが声をかける。
「どうした?」
「何でも…………」
ない、と言おうとした。
 
ひるるるる‥………………
 
目の前に、蒼い人影が立っていた。
両手らしきものを胸の上で組み。
白目のない瞳に、炭のような闇がとぐろを巻く。
 
ひるるるる……………………
るる………るる…………るるる……………る
 
ない咽をはりあげ。
ただの穴でしかない口を目一杯開き。
泣き叫ぶゴースト。
長い髪のようなものがまとわりつく頭は、半分霧の中に溶け込んでいる。
思いを残し。
思いに囚われ。
体を失ってもなお、在りし日の影だけを残す幽霊。
 
 
背後から低い声が聞こえた。
「霧になったって、思いは届かないぜ。」
ガウリイの声だった。
「生きてるうちに。ちゃんと、相手に伝えなくちゃな。
たとえ通じなかったとしても。
自分の中に、悔いは残らないだろ?」
 
る………………………
ゴーストの悲鳴が止まった。
ひたりと向けられた瞳に浮かぶのは、怒り?哀しみ?
 
「………けど、相手を思えばこそ、伝えられない場合もあるよな……。」
振り返ると、頭から毛布を被ってよく顔の見えないガウリイがそこにいた。
足の間で、両の手のひらを組んでいた。
「でもその時は、例え死んでもその思いだけは後悔しない。
…………オレだったらたぶん、満足して。
その思いだけ抱いて、静かに眠るだろうさ。
今さら伝えられなかったとて。泣き叫んだりはしないぜ。」
 
……………………る‥‥‥‥‥‥
……………………………………………
半透明の体が揺らいだ。
ぴたりと止まる。
ぱくりと口を開いた。
どんどん開いた。
広がる広がる。
 
「!」
見守るうちに巨大になった虚ろな口に、魅入られたように立ちすくんだあたしの腕を、誰かが後ろから引いた。
がばぁあっ…………!
霧に溶け込み、さらに広がる。
よろけたあたしをガウリイの腕が抱きとめ、しゅるりと剣が鞘から抜かれる音がした。
「自分から散ることができないなら、オレが助けてやろうか。」
真っ白な空気の中。
微かに紫の燐光を放つ刀身が見えた。
 
う………………う…………う……………
口が歪み。
縮み。
 
しゅあっ……………
 
文字どおり、霧のように。
霧散した。
悲鳴が尾を引いて長く細く。
それも千々に引き裂かれ。
やがて途絶えた。
 
ひゅう、と吹く。一陣の風。
 
 
気がつけばあたしは、剣を抜いたガウリイの右手に抱かれ。
彼の胸に背中を預け。
呆然と前を見つめていた。
 
「オレ達はああはならないよな、リナ。」
耳もとでガウリイの声がした。
あたしは腕の中で振り返る。
振仰いだガウリイの顔はいつものように穏やかで。
だから聞かずにはいられなかった。
「………伝えられない思いが、あったとしても………?」
「伝えられない思いでも。それを後悔したりはしない。
後悔してゴーストになって、死んでからその名前を泣き叫んだりはしない。
………それくらいなら。生きてるうちに、たくさん呼んでおくさ。」
「……………………。」
 
すぐ近くで見上げるガウリイの顔は。
厳しくて優しくて、少し悲し気で。
知らない顔がまたひとつ増えた。
 
 
そう。
彼の言葉に痛みを覚えながらも。
それでも。
この場所は失くしたくはない。
 
たとえこのまま死んでも。
あたしはガウリイの名前は呼ばない。
この思いだけは、後悔したくない。
 
「当たり前でしょ…………。」
あたしを抱えたままでいる右の腕に、そっと触れた。
きゅっと抱き寄せる。
「今の自分に後悔はないわ。
たとえ明日のたれ死んでも。ならないわ、あたしだって。」
 
風が吹き。
霧が晴れてゆく。
差し込んでくる。昼の光。
嘘のような出来事は消えてゆく。
影とともに。
 
 
 
「おいおい。物騒なことを言うなよな。
オレがついてて、のたれ死ぬなんてことさせるか。」
「どっちかとゆーと、ガウリイの方が確率高いかもね、それ。」
「お前と一緒じゃ、命がいくつあっても足りないからな。」
「それでも一緒にいるんでしょ。」
「……………………。」
 
霧が晴れたあと。
眼前は切り立った崖っぷちだったということ。
目もくらむような深山幽谷が広がっているということ。
それも知らずに、たった一つの平たい岩の上。
一枚の毛布を被った下で、腕の中で。
見つめ合うあたし達。
 
後悔は、しない。
たとえずっとこのままでも。
 
「ああ。それでもいるよ、一緒に。」
「物好きね。」
「よく言われるさ。」
 
遠くからゼルガディスとアメリアの声が聞こえるまで。
あたし達はしばしの間。
他の誰も入り込めない場所にいた。
 
 
思いで霧を呼ぶよりも。
このままずっと隣で。
一緒に風に吹かれていたい----------。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
----------------------the end.
 
 
くう(笑)くっつきそーでくっつかないっ(笑)
またしてもリナ→ガウに挑戦してみましたが、ガウ→リナ以上にくっつかないっ(笑)いずれくっつくと頭じゃわかっているのに、何でこんなにじれったいんだっ(爆笑)
 
では、ここまで読んで下さった辛抱強いお客様に、愛を込めて♪
傍で見ててじれったくてつい口を出したくなる、カップル寸前の友だちっていますか?
そーらがお送りしました♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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