『振り返るな』


 
なだらかな坂をガウリイは歩いていた。
いつ果てるとも知れない道を。
先は長く、出口は永遠に見えないかも知れない。
・・・それでも。
 
ゆっくりと大股で歩くのは、背後からひっそりと続いている、小さな足音のためだった。
聞き慣れたあのぱたぱたと、軽い足音よりもさらに軽く。
まるで鴎の羽撃きのような。
そのまま飛び去ってしまうのではないかと思わせるほど、ひっそりとした。
 
 
どれほどの距離を歩いただろうか。
不思議と疲れは感じなかった。
ただ、痛いほど耳を澄ませ。
リナが後をついて来ているだろう、その確かな証拠にはほど遠い、一本の細い糸のような手掛かりにしがみついていた。
 

『地上に出るまで、一度たりとも。
一瞬たりとも、振り返ってはならん。
さすればお前が求めた者の命、二度と息を吹き返すことはなかろう。』


死せる者の王の言葉が今さらに耳朶に響く。

 

もどかしい時が過ぎていく。
時すら存在しないこの地で。
 
 
「!」
やがて、遥か彼方に、小さな針の頭のような灯が見えた。
足元が少しずつはっきりとし、踏む小石の一つ一つの形が感じられる。
文字どおり希望の光だった。
もうすぐだ。
 
「・・・・・・くぅっ・・・・」
 
背後から小さな呻き声が聞こえた。
どさりと、何かが崩折れるような気配。
 
咄嗟にガウリイは振り向いた。
警告はもう、その耳に響いていなかった。
・・・ただ。
どれほど聞きたいと熱望したかわからない、一瞬の声しか。
「・・・・・・!」
振り返ればそこには、うずくまった小さな人影。
頭からすっぽりと、白い布で覆われている。
だが、紛れもなく。
その布から少しはみ出ているのは、あの茜色の髪。
何度も撫でた、夕陽の沈む海のような。
暖かな色彩。
「リナ・・・・?」
 
手を伸ばそうとして、激しい拒絶の声に出会った。
「見ないで!」
「・・・・リナ?」
ほんの少し見えた髪も、素早い動作で布の下にたくしこまれる。
細い腕の形状が見てとれる。
それはきつくきつく、布を体に巻き付けようとする。
「大丈夫か・・・・」
「見ないで!触らないで!・・・・言われたでしょ?聞いてたでしょ?」
「何を・・・」
「地上に出るまで振り返るなって!振り返っちゃいけないのよ、もうダメ。」
「!」
ガウリイは我を忘れて駆け寄った。
「何がダメなんだ、ほら、灯が見える。もう少しだ、何でもない。
走ればほんの・・・」
「ダメ!」
「リナ!」
 
思ってもみない言葉に、ガウリイは息を飲み。
それから、布の塊に手を伸ばした。
「!」
 

地上から差す光が皮肉にも。
全てを明らかにする。
リナの体はそこにはなかった。
魂と。
そして、新たに与えられた器が一つ。
生者の世界に相応しい形をまだ取らぬまま。
大急ぎで再生される、まさにその途中。
「・・・・だから・・・ダメだって言ったのに・・・」
唇のない口が囁く。
目のない目から、流れるはずのない透明な水が流れ落ちた。
 
「・・・・・・。」
 
ガウリイは跪いた。
長い腕を広げ。
ゆっくりと、その体を抱く。
まだ短い髪に手をやると、過去幾度となくそうしてきたように。
また、同じく。
そっと撫でてやる。

「・・・・・・・お前さんが苦しんでる声が聞こえたのに・・・・。
オレが振り向かないわけ、ないだろ・・・・?」
「・・・・・・・・・。」
腕の中の小さな体は、ぴくりと震えていた。
「お前を取り戻したくて、あそこまで行ったのに。
お前を残して行くわけ、ないだろ・・・・・。」
「・・・・ガウ・・リイ・・・・・。」
ぽっかりと空いた胸の穴から、懐かしい声が聞こえる。
ガウリイは微笑むと、その体を抱き上げた。
「行こう。
明るいところでもう一度、お前の顔が見たい。」
「!」
布が揺れ、髪が触れ、リナが頭を振ったのがわかった。
「ガウリイ!」

だが、彼は意に介せず、再び歩み始める。
段々と早足になり。
彼は走り出した。
生ある世界へ向かって。
 
ほとんど笑い出しそうに晴れやかな顔で。
彼は暗い道の最後の上り坂を駆け上がりながら叫んだ。
「・・・・それに、生きてる世界で。
ちゃんとお前に、『おかえり』を言ってやりたいからな!」
「・・・・・・!」
 
 
 
 











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「・・・リナ。」
「・・・・・・・・?」
 
空に太陽がまだ高く輝く頃。
リナは宿屋の裏庭で目を覚ました。
見上げれば宝石のような木漏れ日と。
きょとん、とした青い瞳。
「こんなとこでうたた寝してたのか?
風邪引くぞ。」
「え・・・・・・あれ。」
起き上がったリナの膝の上から、ばさりと本が落ちる。
「何だ、これ。また難しそうなの読んでたな。
なになに、生と死と・・・・・・・」
「こら。返しなさい。」
 
ガウリイの手から本を取り上げると、リナは立上がって服から草を払った。
その様子を目を細めて見ていたガウリイは、ひょいと手を伸ばすと、その頭についた別の落ち葉を拾い上げる。
「・・・・それにしても、ついこの間あんなことがあったとは思えないな。
静かで、平和で。
のんびりと昼寝ができるなんて、さ。」
「・・・・・・そうね。」
生と死と。
その境目を渡り歩いたあの時が嘘のような午後。
「夢でも見てたのか?ぼうっとした顔して。」
頭上から聞こえた声に我に返ると、リナは小さく笑い返した。
「そね。ちょっとね。」
「疲れてるなら、部屋でもう一眠りすればいいさ。
別に急ぐ旅じゃなし。・・・な?」
「・・・・・ん。」
 
どちらからともなく、並んで歩き出す。
大股でゆっくり歩く男と、軽い足音で小走りに走る少女。
ふいに夢が思い出され、少女は頭を振る。
すると、大きくて暖かいものがその頭に触れた。
見上げる暇もなく。
隣から、低い声が聞こえた。
「・・・・・何にしろ。
お前が生きてて良かったよ。」
「・・・・・・・・・。」
 
いつものように頭を撫で。
そして何事もなかったように、ガウリイは歩き続ける。
リナは歩みを止める。
宿に入ろうとする男の背中を、じっと見つめた。
 
「・・・・・いたっ・・・・」
リナが小さな呻き声をあげた。地面にうずくまる。
「!」
間髪入れずにガウリイは振り返り、迷うことなくまっすぐに、こちらに向かって駆け寄ってきた。
「リナ?どうした!」
「・・・・・・・・。」
胸を抑え、顔を歪ませている少女の顔を覗き込む。
「・・・・持病の癪が。」
「なにっ!?お前、持病なんて・・・・」
青い顔をしたガウリイは、次の瞬間はっとする。
「お前!また!」
 
捕まえようとする腕からするりと逃れると、リナはぺろっと舌を出した。
「また引っかかった。
ったく、進歩のない男ねっっ。」
そしてくるりと背を向けて、さっさと宿屋の中に消える。
ガウリイは盛大に頭をかいてため息をつき、仕方なくその後に続いた。
階段の手前で。
相棒が佇んでいるのが見えた。
ガウリイも立ち止まる。
リナの後ろ頭が、微かに動いた。
「・・・・生きてるわよ、あたし。
そうそう簡単に死なせてくれないから。・・・誰かさんが。」
揺れる茜色の髪の向こうで、髪の色に似た頬が見え隠れした。
それは一瞬のことで。
 
ぼそりと呟いたことなどなかったように、階段を駆け上がる小さな姿。
 
今度はガウリイが、その背中を見つめ。
低い呟きが、口からこぼれた。
 
「・・・・ああ。何度だって迎えに行ってやるさ。
そして最初に言うんだ、お前に。
ただ、・・・・『おかえり。』って、な。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
--------------------------the end.
 
何故振り返っちゃいけないのか、この手の話を聞く度に思ってました(笑)オルフェウスは、振り返ると妻の姿がなく。イザナギは、見るもおぞましい妻を目にして逃げ。ソドムから逃れてきた夫婦は振り返って塩の柱になり。
何にせよ、死者を蘇らせてハッピーエンドになった話は思いつきません。やっぱり越えてはいけない境界のようですね。でも、地獄で大人しくしているリナも、すっぱり諦めが良すぎるガウリイも、どちらも想像がつかないのでやはりこうなりました(笑)あれが夢かどうかは、御想像にお任せいたします(おひ)それと、ここでの『冥王』はフィブリゾではありませんね(笑)
では、ここまで読んで下さった方に愛をこめて♪
次回はもうちょっと楽しい話にしますね(笑)
そーらがお送りしました♪ 


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