『彼方の森』



「そーいや、あのでっかい森の向こうって、確か………」

目の上で手をかざし、小さな人影が丘の上で遠くを眺めていた。
広がるのは、背の高い木々が鬱蒼と茂った、深い森が延々と連なる光景。
一年中葉が落ちない常緑樹は、晴れていても暗く、黒ずんで見える。
黒森と呼ばれる所以だった。

「ん?どした、リナ?」
一回りも二回りも大きな人影が姿を現し、隣に並んだ。
遠目に見えてもかなり身長差のある組み合わせだ。
「いや、あのね。
あの森、かなり広いけど。
向こうの方って、あたしがまだ行ったことない別の国なんだなって思って。」
「……そうか。」
 

後から出てきたのは、金色の髪を長く伸ばした、長身の青年だった。
背に由緒ありそうな長剣を吊って、軽装の鎧を身にまとっている。
見たところ、旅の剣士か傭兵かと言ったところだ。
「そうだな。」
彼は頷き、ふと遠い目をした。
それから視線を外すと、傍らの人物を見下ろした。

いつもこの頭は、視線の先にある。
その性格から考えても、つむじが一つや二つじゃあるまいとつい考えてしまうのが、自分でもおかしかった。
いたって普通の、栗色の頭髪に覆われた小さな頭でしかない。
…………だがその中に詰まっていることといったら。

視線に気付いたのか、その小さな頭がくるっと上を向いた。
眉を寄せ、少し気難しそうな顔が見上げてくる。
「ちょっとガウリイ。
あんた、ちゃんと真剣に考えてる?」
「…………へ?」
つむじの事を考えていたのがバレたと思った青年は、素頓狂な声を出した。
少女がやや大袈裟にため息をつく。
「へ?じゃないわよ。今朝も話したばっかりでしょ。
次の街に着いたら、すぐに仕事を探さないとって。
前回の仕事で報酬もらい損ねたから、懐がかなり寂しいのよって。
………言ったわよね?」
「い………言ったっけ………?」
「まさか、もう忘れたってんじゃないでしょうね……?
たった数時間前の事を……………………
………………………………………………
…………って、もう数時間も経ってるのか………。
じゃあ無理よね、ガウリイに覚えてろ、なんて………。」
栗色の髪の人物が両手を広げ、諦め顔で手を広げた。
「そのうち、一緒に旅してるあたしの顔だって忘れちゃうんじゃない?
ある朝、あたしが『おはよう』って言うと。
いきなしあんたが、『……誰だっけ?』とか言ったりするわけよ。
あああっ………我ながら、しゃれにならない想像しちゃったわ………!」
 
頭を抱えて振る様子からしても、見た目はまだ十代半ばの少女のようだった。
が、服装が全く噛み合わない。
引きずりそうなほど長いマントといい、意味ありげな宝玉を抱えた肩の防具といい、体のあちこちにつけた宝石護符の数々。
暗黒の魔法を得意とする、黒魔道士そのものの姿をしている。
 
「腕は一流だし、伝説の勇者の子孫だし、とりあえずルックスはいいんだから。
それで頭さえ良けりゃ、恐いものなしだったのにね。
勿体ないっていうか、なんていうか………」
年も背も離れた小娘に言いこめられ、青年の方が苦笑する。
「もしオレが本当に頭が良かったら、こんな物騒な相手を相棒に選ばんと思うんだが………。」
「…………なんですって。」
「もとい。オレが何でもできて、カッコよくて非の打ち所がないやつだったら。
……お前さん、一緒に旅をしてたか?そんなやつと?」
「……………………」
青年の言葉にしばし黙り込み、腕組みをして目を閉じた少女は、すぐに目をぱっと開いた。
その様子はどこか落ち着きのない、反応が早い小動物のようでもある。
「しない。」
「だろ。」
「だってあたしが目立たないもん。」
「…………言うと思った………。」
 
予想通りの答えに、かりかりと青年が頭をかく。
ふいに少女が、すり寄るようにして、青年の胸に手を置いた。
潤んだ大きな瞳で見上げるが、少し首の角度に無理があった。
「悪かったわ、ガウリイ。無理難題言っちゃって。
あなたはそのままで十分ステキよv
ずっとそのままでいてねv
この天才魔道士リナ=インバースの、便利なカプセルモンスターとしてねv
「カ…………」
「知らない?危険に陥った時に、ぽいっとカプセル投げると。
中からモンスターが出てきて、代わりに戦ってくれるという伝説のアイテムよ。」
にこにこと御機嫌よく笑う相棒の顔を前にして、青年は深々とため息をついた。
これが年頃の男女ともなれば、えてして期待が持てそうな一場面ではあったのだが。
この二人に限っては、いつも一緒にいながらも、なかなかそういう雰囲気にはならない。
「アイテム扱いされながら、へらへらついていくオレって………」
「自分を卑下しちゃいけないわ、ガウリイ。
あんたはダメなんかじゃないわよ。
優秀なあたしの付き人をするんだから、それなりに優秀ってことじゃない。」
「いつから付き人に………」
「たった今。」
「………………あっそ………。」
 
くるりと背を向け、青年はすたすたと大股で歩き出した。
その周りを、少女が跳ねるように楽し気に進む。
「次の街に着いたら、すぐに宿を取って、口入れ屋を探しに行くわよ。
この際、贅沢は言わないから。
とりあえず路銀を稼がないとね。」
「はいはい。んじゃ、優秀な黒魔道士さんの、それなりに優秀な付き人は、せいぜいがんばって仕事をしますか。」
「よく言った!しっっかり働いて、んで美味しい物でも食べましょv
「それについては文句なく賛成、だな。」
「腹が減ってちゃ、戦はできないって言うし。
宿に着いたら食事を先にしようかしら。」
「それも大賛成。」
「じゃ、先に街に着いた方が奢るってのはどう?」
「………へ?………って、あああっ!」
青年の周りを跳ねていた少女が、いつのまにかふわりと宙に浮かんでいた。
悪だくみを思い付いたように、にやにやと笑っている。
「んじゃ、おっさきv
 
この出で立ち、この言動、この性格。
二つ名も盗賊殺しと恐れられた、強力無比の魔道士、若干17才の天才少女リナ=インバースである。
「ズルいぞ、リナっ!」
「へっへ〜〜んだ、魔法使っちゃいけないなんて、言わなかったもんね〜♪
じゃあガウリイ、ゴチになります〜〜〜♪
先行って、注文しとくね〜〜〜〜♪」
「血も涙もないな、おまいは…………」
「代わりに美貌と頭脳があるからいーの。」
「…………はいはい………」
ぼやく青年を後にし、リナは空へと駆け上がった。
国境の街、フォーチュンタウンを目指して。
 
 
 








 
 
 
それからほどなくして、青年も街に辿り着いた。
門の内側に入ると、馬や馬車を繋ぐ平地が内側に添って並んでおり、交易で栄えた街であることが見てとれる。
 
ちょうど昼時とあって、鼻を誘ういい匂いが漂ってきた。
賑やかな表通りに入ると、すぐに目立つ宿屋の看板が見える。
中に入ると、奥が食堂になっており、見なれた姿がひらひらと手を振っていた。
「早かったじゃない♪
あんたの分も先に注文しといたからね♪」
すでに湯気の立つ料理の皿が、テーブルの上に所狭しと並べられている。
だが、その一つとしてまだ手がつけられていないのに、青年は気付いた。
彼はふっと笑うと、背中の剣を下ろし、向い側に腰を下ろした。
「宿も取れたし、食事所も確保したし、……うぷぷvおまけに聞いてv
嬉しそうに口を手で隠しながら、リナが顔を寄せた。
「仕事も早速確保しちゃったわ。さすがは天才魔道士ってところよね。
食堂でご飯食べてるだけで、仕事があっちから来るなんてv
ガウリイは笑い、皿を指差した。
「って、まだ食べてないだろ。先に食べてても良かったのに。」
リナはちょっと顔を赤くして口ごもった。
「えっ……いや、ほら、いくらあたしでも、奢ってくれるって人より先に箸つけたりしないわよ。」
「………ぷ。」
「な、なによ?」
「いや、そーいう事にしておきますか。
じゃ、早速食べようぜ。冷めちまうよ。」
「うん。」
嬉しそうに頷いて、フォークとナイフを両手に持ち、どれから手をつけようかと目を輝かせる少女を見て、青年はまた吹き出した。
行動と言動のアンバランスさが、この少女の知られざる一面だった。
 
手を拭くと、ガウリイは話を続けた。
「で、仕事って?」
「この先の街道で、隊商が襲われてるらしいの。
やつらは森に潜んでいて、いきなり飛びかかってくるそうよ。
命からがら逃げ出してきた人の話によれば、ただの盗賊団じゃないみたい。
青いトゲトゲがたくさん生えた、でっかい狼みたいなのがいたって言うし。
剣で攻撃しても、跳ね返って効き目がないって。」
「それって…………」
ガウリイが眉を潜めると、リナは思案げにフォークを振った。
「正体は見てみなくちゃわからないけど。
魔獣、でしょうね。たぶん。
通常攻撃じゃ歯が立たないから、魔道士のあたしに声をかけたのよ。」
「なるほど。」
ガウリイが頷くと、リナが目を上げた。
「あ、依頼人が来たわ。
あたし一人なのを見て、渋ってたのよ。
だから連れが後から来るって話しておいたの。
魔法剣も使える剣士がいるってわかれば、あっちも安心するでしょ。」
「へえ。」
ガウリイはまばたきし、にやっと笑いかけた。
「ってことは、オレも頼りにされてるんだな?」
「あ、あったり前でしょ。」

リナはまた顔を赤くし、ごまかすようにぱたぱたと手を振った。
「いちおー、その、あたし達はコンビなんだし。
あたし一人じゃヤバいヤマもあるし、ね。
それに、あんたの剣の腕だけは、あたしも認めた超一流なんだから。
ともかく。なるべくおバカな質問はしないでね。
話はあたしに任せて。」
二人のついているテーブルに、いかにも裕福そうな商人が近付いてきた。
顔色が良くツヤツヤとし、でっぷりと太ったお腹を突き出すように歩いてくる。
「はいはい。
難しい事は、頭脳労働担当者にお任せしますよ。
オレは肉体労働専門だから。」
「そゆこと。」
リナはウィンクをすると、ぺちっと頭を叩いた。
「これでいただくものは、おんなじでござりまする〜〜〜〜♪
へっへっへ♪」
「なんのネタだ、それ………」
 
依頼人はよたよたと歩き、光沢のある高級そうなハンカチで額を拭き拭きやってきた。
「ではこちらが、お連れの………」
ガウリイを背中から見て、その小さな目に安堵の色が浮かんだ。
リナは席を立ち、相棒を紹介した。
「元傭兵で、あたしが言うのも何ですが腕は超一流、すでに人間技を超えちゃったやつです。
魔獣はあたしが引き受けるとして、残りは彼に任せれば大丈夫です。」
「おお、おお。
これで安心して隊商が出せるようになります。
頼みますぞ。まずは前金として………」
いそいそと席に付き、懐から金貨の入った革の小袋を出そうとした商人は、傍らのガウリイの顔を見た。
 
ごとっ。
 
皿で埋め尽くされたテーブルの僅かな隙間に、小袋が落ち、重い音を立てた。
「…………………」
商人は青ざめ、ガウリイの顔をじっと見つめていた。
袋を落としたことにも気がついていない様子だ。
「あの……どうかされました?」
きょとんとしている相棒を見てから、リナは商人に尋ねた。
「この顔…………」
商人が呟く。
「顔?」
二人はお互いに視線を交わし、何が何だかわからないというように、二人揃って肩をすくめた。
「顔が……何か?
あ、顔だけは舞台役者みたいにいいかも知れませんが、腕は保証します。」
「そうじゃなくて…………」
「えっ。じゃあまさかっ………」
衝撃を受けたようによろめき、リナは頬に手を当てて困った顔をする。
「もしかして……この顔だから、別の仕事を頼みたくなった、とか…………。
いや……それはちょっと…………
金額にもよりますけど…………」
「おいっ!」
ガウリイが慌てる。
「こらリナっ!何の話してるんだ、お前は!」
 
オチをつけようとしているリナに構わず、商人は何も反応しなかった。
ただじっとガウリイの顔を見つめている。
記憶の中を彷徨って、何かを思い出そうとしているようだった。

額にジト汗をかいて、リナは相棒を振り返る。
「あり…………。
ギャグ振ってる場合じゃなかった………?
これって……なんか………シリアスな状況………?」
「当たり前だ。」
こつん、とリナの頭を小突くと、ガウリイは腕組みをした。
「オレの顔が、何か?」
「その声………………」
てかてかと光る額に、ぎゅっと眉が寄せられた。
「思い出した……………。
あんた…………隣国の……………」
「え……………?」
 
商人は小袋を取り上げ、さっと懐にしまった。
がたがたと椅子を鳴らしながら、席を立つ。
「悪いが、この話はなかったことに。」
「えっ………ちょっと、待って下さい。
どういうことです?」
「どういうも何も、あんた達には仕事は頼めないんだよ。」
「あたし達に…………?」
「ああ、特にあんたの連れにはね!」
「え?」
太い指がまともに差したのは、ガウリイの顔だった。
彼はただ、虚をつかれたように呆然としている。
 
商人はあたふたとその場を去ろうとした。
「って………ちょっと待ってってば!」
ひらひらした商人の肩掛けをつかんで引き止めたのは、リナだった。
「最初に声をかけてきたのはそっちでしょ。
いきなりそれはないんじゃない?
理由くらいちゃんと説明するのがマナーってもんでしょ。」
「は、離してくれ。」
商人は振りほどこうとしたが、リナは言いつのった。
「これはビジネスよ。
納得できる理由なら、すっぱり諦めてあげるから。
せめて説明するくらい、罰は当たらないと思うけど。」
「………………………」
 
いまいましそうに睨み返した商人は、襟をリナの手から引き抜いた。
またひとしきり額をハンカチで拭くと、たたずまいを直した。
「いいですよ。そこまで言うならお話しましょう。
少し昔の事ですが、あたしゃ、自分で隊商を組んでたこともありましてね。
隣国とも頻繁に取り引きしてたんです。
出入りのお屋敷もいくつかあって、そりゃ儲かりました。
………ですがね。
一度ひどい目にあって、それから隣国に行くのをやめたんですよ。」
「……………………?」
 
話が飲み込めず、リナはガウリイの顔を見たが、それは何度も見なれた顔であって、どこかしら変化するものではなかった。
ガウリイも訳がわからない様子で、首を傾げてリナを見上げる。
 
「ひどい目って……どんな?」
「盗賊の疑いをかけられたんですよ。
二日も引き止められて、荷物を全部あらためさせられて。
仲間まで疑われて、尋問までされて、まるで犯人扱い。
何が盗まれたかまで、向こうは言いませんでしたが。
あたしゃ、ピンと来ましたね。
何せそのお屋敷は、それで有名だった名家でしたから。」
「……………………?」
ふん、と胸を逸らすと、商人の目がぎらぎらと光った。
声は潜めていたが、ざらざらと耳ざわりに響いた。
「伝説の武器ですよ。
『光の剣』って言えば、魔道士のあんたでも聞いたことがあるでしょうが。
その一族は、伝説の勇者の子孫だったんですよ。
その剣がなくなったんでしょう。
荷物の中に剣がないか、男の子を馬車に隠してないかどうか、血眼で探してました。
………あたしゃ、家族の顔も知ってましたからね。」
「……………………」
ガウリイが無意識に、腰に手を伸ばしたのにリナは気がついた。
今はもうない、ある剣が下がっていた剣帯に。
「あんただったんですね。
あんたが持って逃げたんだ、そうでしょう。」
商人はガウリイを指差し、吐き出すように言った。
「……………!」
 
リナはガウリイを振り返った。
彼はただ黙って、商人につきつけられた指先を見つめていたが、静かな様子で目を閉じると頷いた。
「そうですよ。オレが持ち出して、逃げ出したんです。」
「やっぱりそうか、あんたのお陰であたしゃ……」
「ちょ、ちょっと待って。」
ガウリイを非難し始めた商人を押しとどめ、リナは話に割って入った。
「それで仕事を頼みたくないってこと?
そりゃあ、あなたにとって迷惑だったかも知れないけど、それは……」
「ええ、ええ。わかってますよ。
あたしに迷惑かけたのは、この人のせいじゃないって言いたいんでしょうが。」
リナの手を今度は乱暴に振払い、商人はガウリイを蔑んだ目で見下ろした。
「あたしが頼みたくないのは、この人が、そうやって逃げ出しただけの人間だからですよ。
そんな人間に仕事を頼むやつがいますか。
あんたもこんな人と手を組まない方がいい。
またいつ逃げ出すとも限らないんだから。」
ガウリイが目を開けた。
怒るでもなく、慌てるでもなく、彼は商人の顔を見つめていた。
視線を逸らすことはしなかったが、少し悲し気に彼は微笑んだ。
「否定はしない。本当のことだ。」
「ほら見なさい。
本人だってああ言ってるし、これで納得したでしょうが。」
商人はハンカチを懐にしまい、挑戦するかのようにリナの前に立った。
「あたしが仕事を頼みたくないってのも、不思議はないでしょ。」
「………………………」

黙っているリナに向かって、商人は睨みつけるような視線を送る。
それから、反論の余地はないとばかりに背を向けようとした。
その背中を、リナの声が引き止めた。
「逃げ出すことの、どこが悪いのよ?」

「………はあ?」
商人は足を止め、かん高い声を出して呆れる。
「何言ってんですか、あんた……。」
上っつらの笑みを浮かべて、商人は笑った。
「お嬢ちゃん、悪いことは言わないよ。
まだ若いから、この男の見た目に騙されたんだ。
今からでも遅くはない、自分の身の振り方を考え直した方が………」
「確かに。あたしも事情はよく知らないわ。」
リナは肩をひとつすくめ、ガウリイの方に向かって手をひらひらと振った。
「あんたから見たら、あたしはお嬢ちゃんだし。
あいつは、顔がいいだけの男に見えるかもしんないけどね。」
その手を腰に納め、顎をつんと突き出す。
商人より挑戦的な目が輝いていた。
「それでも、一緒に組んで随分いろいろ乗り越えてきたのよ。
あんたなんかの想像も及ばないほどにね。
そのあたしが言うのよ。
ガウリイは、信頼がおけない仲間なんかじゃないって。」

「…………リナ」
驚いたような、嬉しそうな声を背中で聞いて、リナは背筋を伸ばした。
「その彼が家族から逃げ出すなんて、よっぽどの事だったんでしょ。
あんたがどう思うか知らないけど。
自分の手で、どーにもならない事態になったら。
逃げ出したっていいじゃない。」
「は…………?」
商人が目を白黒させて反論しようとする。
だがそれを遮るようにリナの言葉が続いた。
「そりゃ、何があっても逃げ出しちゃいけない、時と場合があるわよ?
でもね。
そうじゃない場合は、逃げ出してもいいじゃない。
逃げ出して、その後一人で生きていくだけの才覚が、彼にはあったんだから。」
「あ………あんた………」
「もしそれが、命をかけるほどの事じゃなかったら、逃げ出していいのよ。
逃げて、体勢を整えて。
立ち向かえるようになったら立ち向かえばいいし。
全く関係のない所で生きていくのも、別にいいのよ。
『光の剣』は確かに伝説の宝かも知れないわ。
でも剣は剣、どんなに凄くても武器の一つに変わりない。
人間の一生と、引き換えになんてできないのよ。」

リナはテーブルを回り、驚いているガウリイの脇に立った。
たんっ!
片手をテーブルにつき、寄りかかるようにして商人を見上げる。

「あんただって、魔獣を自分で退治しに行かないじゃない。
それも正解よ。
魔法も使えない人間が行ったところで役に立たないし、犬死にするだけ。
あたし達みたいな、専門家に任せればいい。
その専門家だって、逃げ出したくなる場合があるの。
あんたが見たことも聞いたこともないような、とんでもないやつらが世界にはいるのよ。
でも、あたし達は何とか生き延びてきたわ。
万に一つすら、助かる確率がない時だってあった。
‥‥‥でもね。
たとえそんな時だって。
彼があたしを置いて逃げ出したことは、ただの一度もなかったわよ。」
「…………………」
 
ガウリイは、自分を庇うように立ちはだかる小さな頭を見つめていた。
話している間、その頭は一度として振り向かなかったが、表情は見なくてもわかった。
まるで自分に売られた喧嘩のように、いや、自分に売られた喧嘩以上に彼女は呆れ、怒ってくれていたのだ。

呆然とした商人に、リナはにやりと笑い、片手を払うようにぱたぱたと振った。
「まあ、あたしが言いたいのはそこまで。
今回の件は、納得行かないけど、納得してあげるわ。
残念ね、今この街で、一番の腕利きに仕事を頼めないなんて。
気の毒だけど、他を当たることね。」
「……………な…………なっ……………」
商人は、リナの顔を見、それからガウリイの顔を見た。
リナの意志が一向に変わらないのを悟ると、何やらぶつぶつ呟き。
ひとしきりハンカチで額を拭うと、その場からそそくさと立ち去って行った。
 
 


 
商人が去る方向を見送っていたリナは、盛大にため息をつき、ようやくガウリイを振り返った。
「なにあれ。いい大人のする事とは思えないわね。
せめて去り際に、ガウリイに一言謝ったらどーなのよ?
騒動に巻き込まれたのは気の毒だけど、文句を言う筋が違うわ。
そこのなんたらお屋敷とかに言えばいいじゃない、ね。」
「…………リナ………」
ガウリイが何かを言いたそうに口を開いたが、リナは片手を振ってそれをとどめた。
「いいの、いいの。
なんだかよくわからないけど、出会ってからのあんたなら、あたしはよく知ってるから。
あんな風に言われる事はないわ。
腹が立ったから、勝手に言ったまでよ。」
言われた当の本人より、リナの方が怒っているようだった。
「一緒に旅する相手がどんな人間かくらい、あたしがわからないとでも思ってるのかしら。
全く、失礼な話よね。」
「……………………」
黙って自分の顔を見つめているガウリイを見て、彼女はふっと肩から力を抜いた。
「せっかくの料理が不味くなっちゃうわね。
さっさと食べて、次の仕事探しに行きましょ。」
「………………………」
 
テーブルを軽く叩いたリナの手に、大きな手がそっとかぶさった。
「………えっ?」
歩き出そうとしたリナは、がくんと立ち止まる。
「な、なにっ……」

振り返ると、ガウリイが頭を下げていた。
金色の長い髪で覆われた頭が、ほとんどテーブルにつかんばかりに深く下がっている。
「ちょっ……何の真似よ?」
「いや…………。」
頭を下げたままで、ガウリイは首を振った。
いつもと違う相棒の雰囲気に、リナの胸がどきりと不吉に騒ぐ。
だが、それは単なる危惧に過ぎなかった。
顔を上げた時、相棒はいつもの笑顔を浮かべているだけだった。
「ありがとな、リナ。」
「……………………」

真直ぐな視線が自分に向かっていて。
そこに何のこだわりもない事に、リナは気付いた。
非難されたことにも、自分が告げなかった過去がリナに知れたことも。
その微笑みに影は落としていなかった。
たとえ過去がどうであろうと。
今、ここにいる事の方が。
大事なのだと。
その目が語っている気がした。
 
 
リナは安心し、微笑み返した。
商人に言った通り、自分はガウリイを疑ってはいない。
同じように、彼には自分を疑って欲しくなかったからだ。
これくらいの事で、ぎくしゃくしてしまうような二人だと。

安心すると、リナはちょっとした悪戯心を起こした。
ふいに屈むと、ガウリイの目をのぞきこむようにしてウィンクする。
「前にも言ったかも知れないけど。
その目。
さてはお主、あたしに惚れたな?」
「!」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をガウリイがしたのを見て、リナは胸に手を当ててとうとうと言いのける。
「無理もない話よね。
腕と美貌と知性と野望、おまけにキップのいいリナ姐さんに、惚れたと正直に言っちゃいなさいよ。
悪いようにはしないわ。
一生、こき使ってあ・げ・るv
そう言って、輝くような笑顔を向ける。
ほんの一瞬、この場を訪れた暗い雰囲気を。
笑って吹き飛ばしてしまおうと、その目が言っていた。
「…………………………」
ガウリイはまばたきをし。
眩しそうに目を細めた。
 
  
それから、彼は体を折って、盛大に笑い出した。
ぷっははははははっ………
ち………知性はともかく、び……美貌………
おまけに…………野望………って………それ………誉め言葉じゃないだろ……
ぶはははははっ………!
「何よ。一字一句もっともじゃないのよ。
何をそんなに笑うのよ?」
まだおかしそうに笑い転げているガウリイに、リナが詰め寄る。
彼はテーブルを二、三度叩き、涙を浮かべて笑いを堪えた。
「こき使われるのは………今までと全然変わらんから別にいいが………。」
「いいが?」
「一生……かけなくちゃいけないのか………ぷははははっ………」
「そーよ。それだけの価値があるでしょ?」
「ははっ………」
 
彼は手を伸ばし、リナの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「っきゃっ……ば、ばかっ!何すんのよっ!?」
彼はまだくすくすと笑い続け。
それから言った。
「確かに。お前さんには、それだけの価値があるよな。」
「………え…………」
笑っておしまいになるはずだった。
いつものように。
驚いて開かれた赤い瞳を、穏やかな青い目がのぞきこんでいた。
「…………っと…………」
途端に目が逸らせなくなり、リナは固まってしまった。
「…………………………」
言葉が途切れたまま、つかの間の沈黙が胸を騒がせる。

「ま、一生こき使うって言われたら、たいがい逃げ出すと思うけどな。」
ガウリイはやりと笑い、撫でていたリナの頭をぽんぽんと叩いた。
「しかもこんな凶暴で大食いの御主人様を満足させるには、それこそ馬車馬のよーに働かされるだろーしなあ。」
「!ちょっと!!凶暴で大食いの御主人様ってダレのことよっ!」
「はははは。わかってるくせに、こいつぅ。」
「ってぇ!らぶらぶカップルみたいにおでこつんするのヤメれっ!
そーいうほのぼのな話題じゃなかったでしょーがっ!今っ!」
「ははははははっ。」
「さわやかに笑ってごまかすなっ!
ったくっ!ガウリイなんだからっ!」

赤くなって憤慨し、ぷりぷりと怒りながら席に戻ったリナを、ガウリイは笑ったまま見つめていた。
「こーなったらあたしに惚れてよーとなかろーと、一生あんたをこき使ってやるから。」
フォークとナイフをかまえ、挑むように言うリナ。
「いやになったらいつでも逃げ出していいわよ?」
「………そうだなあ。」
ガウリイは顎に手を当てて思案し、答えた。
「逃げてもいい場所と、逃げちゃいけない場所は、もうとっくに選んであるんだがな。」
「ふ〜ん。逃げちゃいけない場所って、どーいう場所よ?」
すでに興味は食事の方に移っていて、気のない上の空の返事が返ってきた。

ガウリイは笑い、自分のフォークとナイフを取り上げた。
「あれ。知らなかったか。
さっき自分で言ったくせに。」
「………………………………へ……………?」
 
 
 
 
 
 
その後、宿の食堂のとあるテーブルでは、次から次へと景気よく運ばれる皿で一杯になった。
空になった皿は、どんどん片付けられていったが。
主に注文主ではなく、後から遅れてきた連れの方がよく食べていたらしい。
もう片方は会話もしどろもどろになり、時々、伺うようにちらりと健啖の相棒を眺めたが。
にこやかな笑顔に会って、すぐに慌てたように視線を外し。
真っ赤な顔で頬をぽりぽりとかいていた。
 
食事が終わると、二人は連れ立って宿を出たが、片方がぎくしゃくと落ち着かずに歩いて、よくつまづいたので。
もう片方は笑って、その頭をぐしゃぐしゃと撫でて。
何ごとか囁くと、もう片方は息を吹き返したように飛び上がり。
からかいの言葉をかけて、笑いながら駆け出す相棒を追いかけて、元気よく走り去ったという。
 
付け加えておくと。
でっぷりと突き出したお腹を激しく揺らせて、額に汗かきかき、必死にその後を追った商人風情の男がいたそうだ。
剣士と魔道士の二人連れが意気揚々と森に向かったのは、それから間もなくしての事だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 













 
 
 
 
 
 
 
=====================================おしまい♪

ふ〜危なかった(笑)これ、とっくにアップしたと思い込んで、小説バックアップのフォルダから削除しちゃった話でした(笑)後から気づいて慌てて検索かけたら、全然別のフォルダに一つ残ってました(笑)危ない危ない(笑)
 
さて。
逃げちゃいけない場面もそりゃありますが。
逃げてもいい場面もあると思うんですよ(笑)どーにも手に負えなくなったら、逃げちゃってもいいじゃないですか。命かけるほどの事じゃなかったら、と自分は思うんです。
 
学校でも会社でも、もうダメだと限界まで追い込まれたら、逃げちゃえばいい。逃げてひきこもるんじゃなくて、別の学校や会社、別の社会に自分を置いてみる。そりゃ当然努力が必要だし、別の圧迫もあるでしょうが。死ぬよかマシだと思うんですが。
抜き差しならない状況になって、自分の手じゃどーにもならない事態になった時。
自分はそーやって逃げました(笑)小学生の時です(笑)詳しくは言いませんが(笑)
周囲の状況を変えて別の環境に置いてみるんです。するとどーにかなるもんです(笑)
抜き差しならない状況って、案外、狭い社会の中だけのルールで、全然別の環境だと何でもないって笑って済ませられるような出来事だったりしますしね。

ガウリイの過去も詳しくはわからないけど、血なまぐさい争いに巻き込まれるくらいなら、持って逃げちゃって正解。
おかげでリナに巡り合えたじゃないっすかv
 
では、ここまで読んで下さった方に、愛を込めてv
これだけは逃げ出しちゃいけないと思う状況は、どんな時ですか?
そーらがお送りしました♪
 
 
 
 



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