『美味しいお酒』

 
 
夜風の中に、甘く漂う果樹の香り。
浮かれて散る花びらのように、軽い足取りで進む男が一人。
月影に踊るのは闇色の髪に、細くしなる竿、重く揺れる葦籠。
鼻歌まじりに、釣果を持ち帰る。
 
明りのついた一軒の家の前で、ふふんと笑う。
その口許には、火のついていない煙草。
表が店鋪を兼ねている、とんがり三角屋根の家。

 
「帰ったぞ。」
勝手口の扉を開け、上機嫌でテーブルの上に魚篭を放り出し。
定番の椅子に腰かけ、長い足をどさりと投げ出す。

キッチンへと続くのれんをくぐって出てきたのは、小柄な女性だった。
茜色の髪を後ろに束ね、黄色いエプロンをつけている。
「ちょいと疲れたな。一杯やるか。
まだ酒残ってたっけか?ああ、つまみもあると嬉しいんだがな。」
大げさにため息をつく男。
「いやあ、朝からがんばっちまったぜ。やっぱり労働の後は酒だよな、酒。酒は?」
「………言い残すことはそれだけ?」
「へっ………?」
 
冷たい一言に背筋をぞくりと言わせ、それまで大仰な態度をとっていた男が一変する。
おそるおそる見上げると、エプロンの女性は片手を腰にあて、片手に包丁を構えていた。
「!!お、お前、それは一体っ!?」
「見てわからない?出刃包丁よ。
仲間に、菜っきり包丁とか刺し身包丁とか、まな板も切れる万能包丁ってのもいるけど。
こういう時はやっぱり出刃よね。」
こここここういう時って…………?」
「そりゃ勿論、亭主が朝から糸の切れた凧みたいにどっか吹っ飛んで歩いてると思ったら、夕飯の後片付けも終わったころにのこのこ帰ってきて、さも働いたみたいに酒とつまみを要求する、そういう時よ。」
「ああああああああ」
 
男は立ち上がると、両手を掲げてこわごわと妻に近寄る。
よく見れば女性のように美しい顔立の、年令不祥の男である。
だが、青ざめて慌てている姿は、ごく一般的な恐妻家、もとい愛妻家の夫だった。
「お、落ち着け、落ち着けって。な?
そんな危ないものはしまって、ま、一息つこうじゃねーか。
お、お前さんみたいに小せえ、いや、その、可愛い手には、それはあんまり不似合いってもんだぜ。」
そう言って、そうっと手を妻の包丁に伸ばす。
「あら。そんな事はないわよ。これ一本で、どんな魚だって捌いてきたもの。
ちなみに、ルナはこれ一本で雷竜を倒したわよ。」
「hっ………そりゃ、あいつはまた特別で………」
「お忘れかも知れないから言っておきますけど。ルナの母親はあたしよ。」
あああああああ。
わ、わかってるわかってる、身に染みてよ〜〜〜〜くわかってるって。
種を仕込んだのは俺だし。」
「!!」
 
ぶんぶんっ!!
 
「おわわっ!?」
正確無比に突き出される包丁の斬撃を、男は髪ひとすじでかわす。
「あたしはそ〜ゆ〜下品な冗談が大っっ嫌いなのっ!!
っていつも言ってるわよね!?」
「じょ、冗談なんかじゃねーって、ほ、本当のことだろうが!」
「ええ本当よね!ウブで純真無垢で人を疑うことを知らない、いたいけな少女をだまくらかして、傭兵くずれがたぶらかしたってことは!」
「そ、そりゃねーだろ、ウブでいたいけで純真無垢だあ?そっちの方が冗談じゃねーのか!?
大体、いつ俺がお前をだまくらかしたよ?何をどうやって?」
「いろいろよっ!」
「お、おいおいっ。」
男は背後に回ると、驚くほど機敏に動き回る小柄な妻を、後ろから抱きかかえるようにして動きを止める。
「落ちつけって、なっ?知ってるだろ?
俺がお前さんには、叶わねぇってことくらい。」
「………………」
包丁を振り回すのをやめ、女性が黙る。
「世の中、先に惚れちまった方が負けって言うからな。
これ以上どうやったって負けっこねぇ。包丁なんかなくたってな。」
「………………。」
 
黙っていた女性は、男の腕の中で顔をあげ、首をひねって振り返る。
慌ててはいても、さほど困った顔ではない男。
ひとしきりにらみつけるエプロンの女性。
軽くため息をついたあと、妻は肩をすくめた。
「当然でしょ。今のは単なる食後の運動よ。」
「………だと思ったよ。」
火のない煙草を噛み、男は苦笑いをした。
「まあ怒るのは、これを見てからにしてくれ。」
 
 
テーブルの上にあった魚篭を開くと、中に入っていたのは魚ではなかった。
「なにこれ、どうしたの?」
びちびちと撥ねる魚の代わりに入っていたのは、身動きひとつしない、金貨の山だった。
光り物という意味では似ているかも知れない。
「いやあ、それがな。話せば長くなるんだが………。」
椅子に腰かけ、ちろりと妻に流し目を送る。
みなまで言うなとため息をつくと、妻はキッチンに消え、出刃包丁の代わりに、ボトルとグラス、つまみの皿を持って現れた。
男は手揉みして、テーブルの上に欲しいものが並べられるのを眺める。
「おっ、これこれ♪まずは咽を潤さないとなあ♪
おおっ、白子か!この季節はやっぱこれだよなあ。」
「で、長い話って?」
「おう。」
早速、箸で白子をつまんでほいっと口に放り込んだ男は、上機嫌な顔に戻ってグラスに酒を手酌で注ぐ。
 
「朝早く目が覚めちまったんで、ちょっと先の川に行こうとしたらだ。
途中、荷車が轍にはまっちまって、動けないのに出くわして。
ちょいと手を貸して助けてやったら、礼だと言って小麦を一袋もらってな。」
男は片手で、その袋を持っているような仕種をしてみせる。
「んでその小麦を持って釣りにいったが釣れなくて。
仕方なく近くにあった小せえ食堂に入ったら、店の主人が小麦を切らして困ってやがったんだ。
で、こいつを渡して、礼にでかいハムの塊をもらった。」
「………………………。」
「今度はハムをぶらさげて歩いてたら、いきなり犬に食いつかれてな。ほとんど食われちまったんだ。」
「…………ねえ。」
「これがまた、小さいくせにがっつく、可愛くない犬でな。
顔中くしゃくしゃと皺だらけで、むき出した歯がまた立派でよ。」
「…………ねえ。」
「あっと言う間に、ハムを平らげちまったんだ。
さすがの俺もあっけにとられて、呆然と眺めちまったぜ。それでな?
おっと、泡が勿体ねえ。」

「…………ねえ。この話、いつ金貨に辿り着くの?」
思わず妻が平板な声で尋ねる。
男はさも旨そうに泡酒を飲み干す。
っか〜〜〜〜っっっ!溜まらんね!
この一杯のために生きてると言っても、過言じゃねーな、俺は。」
「……………ああそう。妻と娘のためじゃないのね。」
そっ、それは言葉のアヤってやつじゃねーか。」
「まあいいわ。今に始まったことじゃなし。
それより話の続きよ。どこをどうやったらそれが金貨になるわけ。」
 
男はまたボトルを傾け、細心の注意を払って縁きりまで注いだ。
「おお、そうだったな。
で、その犬を飼ってたのが、これまた凄い犬………じゃなくて一応人間の女だったってわけだ。
両手の指に全部、でっかい宝石のついた指輪をつけて、羽根がわさわさついた扇子を持ってな。
俺は当然抗議した。飼い犬の責任は、飼い主にあるからな。
で、詫びとしてその指輪をいっこもらった。」
「…………なんだかあたし………こういう話、前にどっかで聞いたような………。
気のせいかしら…………。」
「まあまあ、最後まで聞けよ。
んで、その指輪を放り投げながら歩いていたら、道の向こうからボロボロの服の男が数人歩いてきやがって、見るからに誰かに痛めつけられたみたいに、ぼんやり頭を垂れてやがるんだ。」
「…………………で?」
「聞いてみればそいつらは、ちょっとしたでき心で山賊をやってみようと始めた、初心者ってやつでな。ところが、初仕事に選んだ相手がとんでもないやつだったらしくて、こてんぱんにのされちまったらしい。」
「………………こてんぱん、ねえ……………」
「で、これからは心を入れ替えてまじめに働くことにしたから。
これから次の町に行って職を探すところだって言いやがるんだ。
だがなあ、そんなボロボロの姿で行って、誰が雇ってくれるってんだ?
ここで俺の高潔な精神が働いちまってなあ。」
「………指輪をあげたわけね。」
「ま、言っちまえばそういうこった。
でっかい石がついた派手な指輪だったからなあ、お前さんのこともちらっとは頭に浮かんだんだが………」
「ちらっとね。」
「い、いや、その、お前さんの指には、あんな趣味の悪いやつは似合わねーよ。
で、その代わりにへこんだ鍋をもらっちまった。
いらねえって言ったのに、何かやらなきゃ悪いと思ったんだろう、しつこく押し付けられて、仕方なしに受け取って、それから街まで帰ってきたんだぜ。」
やれやれと首を振り、また酒を呷る男。
 
妻はため息をつくと、向い側の椅子に腰かけた。
「………へこんだ鍋ねえ………。」
「で、こっからが驚きだ。
鍋もまあしっかりした造りだったし、直せばまだ使えるだろうと、いかけ屋に持ち込んだんだ。
そうしたらな?
いかけ屋のおやじ、青ざめたかと思うと俺の手をわしっと掴んで、是非譲ってくれと言いやがるんだ。
それも、驚くような値段でな。」
「へえ。鍋が?」
「おうよ。何でも、希代の名工の手による、滅多にお目にかかれない逸品なんだそうだ。
で、俺はそいつを渡して、金を受け取った。」
「それがこの金貨なの?」
「ま、そーいうわけだ。これで機嫌直してくれるか?」
金貨の袋を押し出すと、ちろりと男は妻を見上げた。
 
「…………………。」

妻はしばらく黙っていたが、一転してにっこりと笑顔になった。
目に見えて男がほっとする。
妻が金貨を見て機嫌を直したと思ったからだ。
が、彼女の機嫌は別のところで、すでに上々だったことを男は知らなかった。
「いやあ、大変な一日だったぜ。」
「そりゃあそうでしょうとも。」
「というわけで、奥さん、お代わりもってきてくれるかな?この白子、絶品だぜ。」
「そうでしょ。今日は久しぶりに一家全員集まれると思って、奮発したんだから。」
にこにこと微笑む妻。
華奢で、童顔で、とても二人の大きな子供がいるとは思えない。
「全員って……………。昨日も三人で食べたじゃねーか。」
「違うわよ。」
 
妻は手付かずのボトルに手を伸ばすと、しゅぽんと栓を開けた。
「もう一人帰ってきたのよ。というか、二人ね。」
「……………は?」
「リナよ。リナが帰ってきたの。」
「おう、そうか、リナが……………………………
…………………………………………………………」

こくこくと頷く男の顔が、さ〜〜〜っと青ざめた。
「……………って、おいっ!?リナが帰ってきたって!?
「だからそう言ってるでしょ。気づくのが遅すぎるわよ、娘の気配ももう忘れたわけ?」
「あ、いや、ええと、ええっ!?
「今朝こっちに着いたのよ。
あんたの帰りを待ってたんだけど、なかなか帰ってこないから。
夕飯は皆でお先に、それはそれは美味しくいただきましたことよ。」
「リナのやつが……………」
 
男は呆然と呟き、それからじわじわと微笑み出した。
「そうか、リナのやつが…………。ちったぁ成長して帰ってきやがったかな。
そうかそうか、リナのやつが…………。」
うんうんと頷き、嬉しそうに喜びを噛みしめる父。
空のグラスに空いたボトルから酒をなみなみと注ぐと、妻にも勧める。
「そりゃめでたい。ま、お前も飲め。」
「ありがと。」
「乾杯しようぜ、二人で。無事に帰ってきた娘にな。」
「そうね。」
「かん…………………って、待てよ。」
 
目の前にまであげたグラスに焦点を合わせ、男が眉を寄せた。
「お前、確かさっき言ったよな、帰ってきたって…………二人ってどういうことでい?」
「リナに連れがいたってことじゃないの。」
「連れだぁっ!?女か!」
「男よ。若い男性。あなたに負けず劣らず、顔でだまくらかせそうなハンサム・ボーイよ。ま、あたしの娘は顔ではだませないけどね。」
「お………お…………男ぉおおおおおっ!?!?
「しっ、静かに。疲れて眠ってるわよ、皆。
今日は店の模様替えをするって言ったのに、誰かさんが帰ってこなかったせいで、手伝ってもらったからね。相当疲れてるわよ、あれは。」
「ねっ………ねっ………眠ってるって…………
ま、ま、まさかお前っ………リっ………リナとそのヤローがっ……
いっ…………一緒ってことは………………」
 
ぶるぶると手を震わせる男を前に、妻はしたり顔でグラスを傾ける。
「いきなりそんなことはしないわよ。いくら何でも。」
「そっ………そうか、そ、そうだよな!!!
ははは、そうそう。いくら何でも、はははは…………。
バ、バカだぜ俺は。
リナなんか、まだちっせえガキで………」
「あら、もうすぐ18よ、あの娘。あたしがルナを生んだ年と一緒じゃない。」
「!!!」
「それに、あたしが用意したところで。
あの娘がはいはいって一緒の部屋に行くわけないでしょ。
あたしに似て照れ屋さんだしv
今日のところは寂しいかも知れないけど、別の部屋でしょうよ。」
「さ、さ、さみっ……さみっ……さみっ…………!!」
「明日は挨拶しなさいよ、お・と・う・さ・ん。」
「おっ……おっ……おとっ…………」
 
 
ぜんまい仕掛けの人形のように、椅子の上でぶるぶると震えつづける男。
下の娘によく似た、豊かな茜色をほどいてリラックスすると、妻はのんびりと微笑んだ。
「こてんぱんにのされた初心者の山賊ってあたりで、ピンと来ないなんて。
名うての傭兵も耄碌したわね。」
「………………………」
口をぱかぱかさせ、あうあうとうめき声をあげる男。
自称天才美少女魔道士、リナ=インバースの生みの母はグラスを持ち上げ、夫のグラスにかちりと合わせた。
「うふ。明日が楽しみね。」
あああああああい、あい、挨拶って挨拶っ…………」
男の手からは、今にもグラスが落ちそうだ。

妻は我慢できずに笑い出し、グラスを呷ると笑顔でこう言った。
「ああ、本当ね。あたしも。
この一杯のために生きてるって気がするわ。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 












 
 
----------------------おしまい。
 
リナもガウリイも出ませんが(笑)ガウリナであることは間違いないのでこの読書室に入れました(笑)おやぢ好きだし(笑)リナ母も、一度書いたら何だか勝手にイメージが固まってしまって、この二人のコンビで書いてみたくなりました。姿形や喋り方や、家の外見など勝手な想像ですのでお許し下さい(笑)
 
でも、最初は別のネタで考えていました(謎笑)そのバージョンでもいずれ書くかも知れませんが、おやぢのわらしべ長者、説明長いし(笑)そのままで一本、話になりそうだったのでこのまま続けて終わらせました。リナもガウも出ない話はこの読書室では最初で最後か?(笑)レアかも(笑)


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