『レインドッグ』

 
 
 
雨は全ての者の上に、等しく降ると言うが。
オレはそれを信じない。

今この瞬間、さえぎるものも何もなく、諦めたように力なくただ座り込む者と。
降りかかる全てのものからできる限り遠ざかろうとする、少しでも智恵の働く者の上には。
等しく平等に、雨は降らない。
 


 
叩き付けるような雨の中で、オレはただその時、泥を見つめていた。
髪や服から滴り落ちる雫が作る、小さな池のことも知らず。
一面ぬかるみの中。
折れ曲った剣と槍は、汚泥の中から天を仰ぐように伸びる。
もう立ち上がることもできない、魂を失った主人達に代わって。
 
鈍い痛みを感じて、左腕に手をやった。
へたくそな包帯の上から、滲み出る赤黒い血。
押さえた手のひらにも血が。
ぬるりとした感触に寒気を覚え、我に返ってみれば。
考える力すらたちどころに奪ってゆく、うるさいほどの雨音。
 

…………………考えようとした。
生き残った理由を。
残されたものは自分と、血まみれの手と。
雨と泥にまみれた、ぐしょ濡れの雑巾のような匂いだけなのに。
他には何も。
 

「……………………!」
 
背後に気配を感じた。

振り返ってみれば、薮の中から黒い瞳が覗く。
濡れた鼻面。
野犬。
 
咄嗟に剣を拾い上げ、次の瞬間にはそんな自分に吐き気を覚えた。
生き残った理由もわからないくせに。
何故今さら、自分の命を保とうとする?
 
途端に、なじんだ剣の握りがまるで蛇の腹のように思えて。
熱いものでも触ったように、取り落とす。

そんなオレに、こちらを警戒していた犬が鼻を鳴らした。
下らないと、そう言われた気がした。
 
やがてゆっくりと身を翻し、犬は姿を消した。
薮の中を進み。
自分の足で歩いて去って行く。
 

犬は迷わないだろう。
 生き残った理由など。
犬は考えないだろう。
 生き残った必然さえ。
犬は生きるだろう。
 ただ、犬は生きて行くだろう。
 

…………………雨。
雨は全ての者の上に、等しく降らない。

立ち止まり、足も体も思考も止めて。
みずから動こうとしない者にのみより多く、降り掛かる。
そこに慈悲などありはしない。
たとえ志し半ばで倒れた年若い兵士でも。
誰かの涙を絞ることでしか楽しみを得られない悪党でも。

そしてここに、生きる理由すら見つけられない、半端者も。
容赦なく、冷たく濡らして行くだけなのだから。
 
 
 
 
 






 
 
 
 
 
 
 
・・・リイ・・・・ガウリイ?」
「・・・・・・・え?」
「そんなとこで何やってんのよ、ずぶ濡れじゃない。」
「・・・あ、ああ・・・。いや、ちょっと。」
「ちょっとじゃないわよ、いくらあんたの頭の中身がふやけたワカメでも、それ以上水分を足してど〜すんのよっ?ほらっ、さっさと入んなさいってばっ!」
 
目をあげると、宿の裏口にリナが立っていた。
 
・・・まるで、そこに小さな灯が点っているようで。
雨が閉じこめた灰色の風景の中で、そこだけいやに色が鮮やかだった。
何となく、オレがそこへ、入って行ってはいけない気がして。
 
「いいよ、このまま入ったら、宿の中がビショビショになっちまうから。」
オレがそう答えると、リナは腰に手を当てて呆れた顔をした。
「あのね。宿は風邪引かないけど、あんたはいちお〜生き物なんだから風邪くらい引くでしょっ?ほら、ちゃんと足拭きもあるから、ここでその泥も落として。」
小さな腕が、足元のマットを指差している。
「・・・わかった。」
行かないわけにはいかなかった。
 
ブーツをこすりつけて泥を落としていると、リナが何かを腕に抱えて戻ってきた。
「なによもう、子供みたいなんだからっ。頭下げて!」
「・・・え?」
オレのすぐ目の前に、白いタオルを手にしたリナが立っていた。
「・・・頭。ほら、拭いてあげるから。」
「・・・・・い、いいよ・・・・。」
「頭下げなさい。」
こんな時のリナに逆らっていいことは何もない。
深くは考えずに、頭を下げた。
「もっと!届かないでしょっ。」
「はいはい。」
 
ごしごし。
 
しばらくの間、リナは黙ってオレの頭をタオルでこすっていた。
ぐらぐらと揺れるオレの視界には、木の床しか見えない。
「ったく、窓からあんたを見つけた時は、ユーレイじゃないかと思ったわよ。
ぼ〜〜〜っとつっ立ってるんだもの。」
「・・・ユーレイ、か。」
ある意味、そうかも知れない。
いや、そうだったかも知れない。
「あのままず〜〜〜っと立ってたら、それこそ笑い話じゃ済まされないわよ?
風邪だって、こじらせれば命に関わるんですからね。」
「・・・はいはい。」
「部屋へ帰ったら、ちゃんと服を着替えるのよ。」
「はいはい。」
「ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。」
 
床を見つめるのをやめ、視線をあげると、すぐそこにリナの顔があった。
真剣な顔をしてオレの髪を拭いているのが、何だかおかしくて。
オレはつい、くすりと笑ってしまった。
「・・・何よ?」
少し赤くなった顔が、ぶすりと問い掛けた。
「・・いや、今日のリナは、優しいなと思ってさ。」
「今日のあたしは?・・・んじゃ、いつものあたしは優しくないっての?」
「い、いや、そーいう訳じゃ・・・」
だが、確かに優しかった。
そう言ってオレを問い詰めながら、声はそれほど怒っていなかったからだ。
手は休みなく動いていた。
時々、リナが動くと、ふわりといい匂いがした。
タオルからかも知れない。
 
 
リナが鮮やかに見えた理由は、わかっていた。
 
少なくともこいつは、いつまでも黙って雨に濡れているような奴じゃない。
あの日、オレが動けなかったぬかるみから。
こいつなら、まっすぐに歩いて立ち去っただろう。
戦う理由も、生きる理由もなかったオレに比べて。
あの冷たい雨は、お前をびしょ濡れにはしなかったはずだ。
 
ぶるる、と首を振ると、リナが文句を言った。
「せっかく人が拭いてあげてるのにっ。
あんたってば、びしょ濡れの気足の長い犬みたいよね。」
「す、すまん、つい。」
「犬だってこんな大雨の中、ぼ〜っと立ってたりしないわよ?
野良犬だって、どっかでちゃ〜んと雨宿りしてたりするんだから。」
「・・・・そうだ、な。」
 
 


ああ、そうだ。
オレは犬にも劣る生き物だ。
生きているくせに。
呼吸しているくせに。
生きる理由がわからないなどと、甘ったれた思いを抱いていたのは。

ならばオレは犬になろう。

犬のように生きて。ただ、生きて。
生き延びて。
雨が降ったら雨宿りの場所を探せばいい。

そしていつか、こいつが立ちつくすかも知れない雨を。
少しでも、さえぎることができるのなら。
そのために、オレは生きよう。

戦う理由も、生きる理由も。
答えは等しく、ここに。
 





「・・・な、何でそんなに、見つめてんのよ。」
「いや、お前さんからは、雨の匂いがしないと思ってさ。」
「当たり前でしょ。あんただってしないわよ、雨の匂いなんか。」
「そうか?」
「そ。ほらもう、タオルのお日さまの匂いよ。」
 


そう言って笑った小さな太陽を。
抱きしめて濡らさないように。
オレは開いた指を閉じた。

雨音は、もう聞こえない。
 
 
 
 
 





















 
 
 
 
 
 
 
 
…………………………The End.
 
チャットで盛り上がった傭兵話からできたお話です。泥と雨と血にまみれた生気のない目をしたガウリイです(汗)これが原因で、ガウリイは雨が嫌いという設定でもうひとつお話を書きました。どちらも、リナが出てきてくれるとほっとする、そんなイメージで書いてました♪
では、ここまで読んで下さったお客様へ、愛をこめて♪
顔を見るとほっとする、そんな人が周りにいますか?
そーらがお送りしました♪
 
 


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