『ティアレイン・ディアレイン』
tear-rain and dear-rain

 
 
ぽたり。ぽたり。
軒先から落つるは雨の雫。
ぽたり。ぽたり。
視界はけぶる、色彩を失い。
ぽたり。ぽたり。
幾重にも薄紗の幕が取り囲む。
ぽたり。ぽたり。
激しく降るは雨、その雨音にいつしか耳を塞がれる。
ぽたり。ぽたり、ぽたり。
ただ雫だけが、ゆっくりと。

 
 
「ガウリイ〜?お昼ご飯食べないの〜?」
突然、つかつかと足音が背後から聞こえて、ガウリイは窓辺から振り返った。
軽く腰に手をあて、小首を傾げているリナの姿がそこにあった。

「ノックしても応答がないし。勝手に入ったわよ。」
「・・・ああ。もう、そんな時間か。」
夢から醒めたような様子のガウリイの脇をするりとすり抜け、リナが窓に近付く。
「何してたの?こんな窓の傍にまで椅子持ってきて。」
答えを待たずに窓枠に手をかけ、頭を出してきょろきょろっと見回す。
「何もないじゃない。それに窓を開けっ放しにしてたら、雨が吹き込んでくるわよ?」
 
くるりと振り向くリナ。
その背中を見つめていたガウリイが、はっとするほどのスピードで。
「・・・いや、ついぼうっと・・・。」
「・・・それは、聞かなくてもわかるわよ・・・。」
こめかみをかりかりとかいて、リナがため息をついた。
「眠ってたんじゃないかって言いたかったの。
なら、起こしたのは悪かったって・・・・・」
 
それを聞いてガウリイが目をぱちくりさせた。
「リナが・・・悪いって・・・?」
「何よ、何でそこで驚くわけ。」
「いや・・・・。寝てる方が悪いって、てっきり怒られるかと・・・。」
「あのね。」
リナは腰に両手を置いて、窓枠によりかかる。
「そりゃ、いつもだったらそうするかもしんないけど。
あんなことがあったばっかりだし。
眠れるなら、眠っておいた方が回復が早いってもんでしょ。」
「あ・・・・ああ。」
 
ようやく納得がいった。
つい最近ガウリイは重傷を負い、魔法医の手も借りてようやく良くなってきて、旅を再び始めた矢先のことだったからだ。
「それならもう心配はいらないって言っただろ?」
「そりゃ、体力が取り柄のあんたからしたら、そうかも知れないわよ?
でも鬼の霍乱とか、本人も気付いてないところで意外に傷が深かったって場合もありうるでしょ?」
リナは両手を広げて肩をすくめた。

「・・・・・・。」
ガウリイが急に黙り込んだ。
リナはきょとんとする。
「どうかした?」
「いや・・・・・。」

リナに問われ、ガウリイはゆっくりと首を振った。
そして、ぽつりと言った。
「その・・・・・・・・鬼の錯乱・・って、さぞかし恐いんだろうなって・・・・。」
がたっ。
窓枠に寄り掛かっていたリナがずるりとコケた。

「錯乱(さくらん)じゃなくて、霍乱(かくらん)!」
「あ、ああ、そうか。」
「・・・まったく。」
頭に手をやって頼りなく笑うガウリイを、リナはじっと見つめる。
次につかつかと歩み寄り、少し屈んだ。
「・・・・?」
小さな冷たい手が、ひやっと額に当たったのがわかって。
椅子の上で、ガウリイは身体を固くする。
 
「・・・・・・。熱・・・が少しあるような・・・・。」
今度は自分の額にあてているリナ。
「う〜〜ん、よくわかんないけど。ちょっと熱っぽいわよ、ガウリイ。」
「・・・そうか?オレは全然、何ともないぞ。」
「もしかして、治りきってない傷があるのかも。化膿してると熱が出るんだからね。
どこか痛いとことかないの?」
「別に・・・・。」

いつもは見下ろす位置にある小さな顔が、やや上から見下ろしている。
何となく居心地の悪さを感じて、ガウリイは椅子の上で身じろぎした。
「でなきゃ、まだ疲れが残ってるとか。
・・・とにかく、ちゃんとベッドで横になった方がいいわよ。
食事なら、あたしがもらってきたげるから。」
一時もじっとしていない小動物のように、リナがぴょこんと身を起こしたので、ガウリイは慌てて手を振った。
「い、いいって。メシ食うくらい、下まで降りるよ。」
その指をぴこぴこと振って、リナはあっさりとそれを却下した。
「ダ〜メ。あんたみたいに自分の体力に自信があるヤツに限って、ガタッと寝込んだりすんのよ。
いい?今日はあたしの言うことを聞いて、一日安静にしてなさい。」
「お、おい・・・。」
「ほら、パジャマに着替えて。その間に、あたしがご飯もらってきたげるから。いいわね?」
「え・・・・・・。」
ガウリイがたじろいでる間に、リナはさっと身を翻して部屋から出て行った。
 
一気に何もかもが素早く動き出した時間だった。

リナが来る前の部屋が。
時が止まっているかのようだったからかも知れない。
 
 
 
 
こんこん。 
しばらくして、ドアを叩く音が聞こえた。
「ガウリイ〜?ここ開けて。」

ドアの外から声が聞こえ、ガウリイははっと我に帰って急いでパジャマの上着を頭から被った。
「早く。腕が痺れてきちゃったのよ。」
慌ててドアをあけると、リナは重そうなお盆を両手で抱えていた。
「ふ〜。重かった。危うく階段でこぼしそうになったわ。」
見ると、お盆の上には二人分の食事がところせましと並んでいた。
「椅子は一個しかないのよね。じゃ、悪いけどテーブルをベッドの脇に置いて。
あんたはベッドに座って食べてね。」
「・・・ああ。」
ガウリイが小さなテーブルを移動させると、リナはお盆をそこに乗せ、ちゃっちゃっとカップや皿の蓋を取って準備をした。
あっという間に、湯気や、食べ物の匂いが部屋の天井へと昇る。
「食べたらちゃんと寝んのよ。
明日の朝、熱が下がらなかったら医者を連れてくるから。」
「んな、大丈夫だって。」
「言うことききなさいって言ったでしょ。
あ、それ、熱いから気をつけて。できたてをもらってきたから。」
「あ、ああ。」
 
 
窓の外は、相変わらずの雨。
細かく途切れず素早く降る雨と。
ゆったりのんびり不規則に落ちてくる雫。
 
部屋の中には、ついさっきまで雨の音しか聞こえていなかったのに。
今はかちゃかちゃと食器とカトラリーがぶつかる音や、食べたり飲んだり喋ったりと一気に賑やかになっていた。
「いつもよりペースが遅いじゃないの、ガウリイ。
やっぱりどっか具合が悪いのよ、きっと。」
「え。そうかな?」
「そ〜よ。いつものあんたなら、とっくにその皿は空っぽになってるでしょ。」
「う〜ん。何となく、胸の辺りが・・・・」
「苦しいの?」
「いやあ・・・・。つい感激で、胸が一杯になったのかも・・・。」
「は??」
「リナがこうして部屋まで食事を持ってきてくれて、オレの健康まで心配してくれるなんて・・・・。そう思ったら胸が・・・・。」
「ばっ・・・」
 
ガウリイが予想した通り、リナの顔がかっと真っ赤になった。
不必要な強さでフォークを肉にぐさぐさと刺している。
「そ、そんなことでいちいち感激しないでよねっ・・・。
いくらあたしでも、病人に無理はさせないわよっ・・。」
その様子を見て、ガウリイはふっと笑った。
「そうだよな。相手が弱るとほっとけない質だからな。お前さんは。」
その優しい声に、リナはさらに赤くなる。
「い、いきなし何語ってんのよ、人のせーかくっ。」
「それに照れ屋だし。」
「も、もぉっ。さっさと食べないと、全部あたしが食べるわよっ!」
「はいはい。」
「さっさと食べて、さっさと寝るの!いいわねっ!?」
「はいはい。」
 
 
その言葉通り、食事が終わるとリナはベッドを指差してガウリイに寝ろと命令した。
後で、というガウリイの言葉など聞かず、ベッドに入るまでずっと指差している。
仕方なくガウリイはスリッパを脱ぎ、ベッドに入る。
「それじゃダメ。ちゃんと横になって。」
背もたれによりかかって起きているガウリイに、びしりと命令する。
「横になんないと意味ないの。いい?横になるまで、あたしは動かないからね!」
「・・・はあ。はいはい。」
 
ため息をついて、ガウリイは横になる。
リナは確かめるように上からのぞきこむと、きちんと毛布が肩までかかっているかを見た。
「よしよし。んで、目を閉じて。ちゃんと寝たら出て行くからね。」
「そこまでするのかよ。」
「あたしが出て行ったら、すぐにまた起きるかも知れないでしょ?
それじゃあたしがここまでご飯運んだ甲斐がないってもんじゃない。
きちんと寝てもらって、んで治ってくんないと。
雨がやんでもここに逗留することになるわよ?」
「・・・・眠くない。」
「眠くなくても、寝なくちゃダメ。目をつぶってれば、そのうち眠っちゃうわよ。」
「眠れない。雨の音が・・・・。」
ガウリイが呟いた。
「雨?」
リナが不思議そうに問い返した。
 
窓の外は依然、雨。
リナが部屋に来たことも、食事を部屋に運んだことも、ガウリイを無理矢理、床につかせたことも。
何ひとつ起こっていないのと同じように、全く変わっていない。
風景を閉じ込め、人を家の中に閉じ込め。
時は停滞したまま。
 
「でも今日の雨は、雨音がうるさいってほどじゃないし。
いい子守歌になると思うけど。」
「・・・子守歌・・?」
「そーよ。この音聞いてると、なんか眠くならない?」
そう言うと、リナは軽いあくびをかみ殺した。
「あたしは眠くなってきたわ。お腹もいっぱいだしね。
あんたが寝たら、あたしも部屋に帰ってお昼寝しようかな。」
「子守歌ねえ・・・。」
目を丸くしているガウリイ。
リナは突然、イライラしたようにその襟元をひっつかんだ。
「そういうこと!だから、寝なさいってば。いい加減。」
「そんなこと言ったってなあ。眠くないもんは仕方ないだろうが。
雨音を子守歌にしろっていきなり言われても・・・。」
リナは手を緩めた。
「ま、諸説云々あるんだけどね。
赤ん坊の時に、母親の胎内で聞こえる音に近いとか言う説もあることだし。」
「赤ん坊・・・・?」
「そ。胎内にいる時、心臓の音や血流のごおおおって音が聞こえて、意外にうるさいみたいよ。どうやって調べたんだか知らないけど、そうなんだって。」
「・・・へ〜〜〜。静かで平和な場所かと思ってたけどなあ。」
「外で喋ってる声とかも聞こえてるんだって。
ま、ホントのところはどーだかわかんないけどね。」
「へ?」
ガウリイがきょとんとすると、リナは顔をしかめた。
「だって。胎内の音が人をリラックスさせるって言われてもさ。
せっかく出てきたのに、また胎内に戻してど〜すんのよってあたしは思うんだけどね。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
 

ガウリイが何度も目をぱちくりさせたので、リナはちょっと慌てた様子になった。
「な、何なのよ、何でそこで黙り込むわけ??
感心するとか、反論するとか、なんかリアクションちょ〜だいよねっ!
ど、ど〜していいかわかんないじゃないのよ。」
心なしか顔が赤くなっている気がする。
ガウリイはぽかんとリナの顔を見ていた。
心なしか、の程度だったリナの顔が、じわじわと赤味を増すまで。
 
「もっ、もう、何なのよ。人の顔じろじろ見てっ。」
照れ隠しであることはまぎれもない。
ぱっと身体を起こすと、ベッドの脇をうろうろし始めた。
「と、とにかくっ。何でもいいから、ちゃんと身体を休めなさいってこと。
ちゃ、ちゃんと回復したら・・・・」
「回復、したら・・・?」
「回復したら。」
気を取り直したのか、立ち止まったリナがにっこりと笑った。
「回復したら、遠慮なく呪文で吹っ飛ばさせてもらうから。」
「そ・・・そ〜ゆ〜ことか・・・・。」
「そ〜ゆ〜こと。」
 
観念したガウリイが目を閉じると、リナが近付いた気配があった。
小さな声が呟いた。
「今みたいに弱々しいあんたじゃ、安心して吹っ飛ばせないからね・・・。」
その額に、再び小さな手が押し当てられる。
「寝なさい、ガウリイ。また夕飯の時、様子を見にくるから。」
「・・・・・。ああ。」
 
さっきひんやりとした手は、もう温かくなっていた。
それがそっと、髪を撫でていったような。

 
ガウリイは目を閉じたまま、軽い足音がテーブルに近寄り、遠離り、かちゃかちゃと食器がこすれる音も遠離り、やがてドアがぱたんと閉じるのを聞いていた。
再び、部屋は雨の音に包まれる。
 

それでもガウリイの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
リナが来て去った今と、来る前の部屋は何も変わっていない。
雨空だけを見ていたら、時間さえも通り過ぎていないと思うだろう。
 
……………………だが。
彼にとってそれは、大きな違いだった。
 




ゆっくりと胸を上下させ、大きな深呼吸をして。
ガウリイは眠った。
リナに言われた通りに。
何も考えずに。
 
ただ、雨音ではなく。

残されたリナの気配を。
耳に残る声のこだまを。
 
子守歌代わりに、して。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 













 
 
 
 
 
 
 
 
=======================the end.
 
 
雨って好きですか?
自分の場合、すごく自己中な好き嫌いが存在します(笑)すなわち、自分がお出かけする時の夏の雨はイヤ(むしむしするから・笑)、家の中にいて雨が降るのは、好きなんです(笑)出かける予定のない日曜日、激しく降る雨の音をバックにベッドで分厚い文庫本を読む。これが幸せだ〜と思っていました(笑)特にファンタジーを読むと雰囲気が盛り上がってばっちし。今じゃあ、そんな悠長なことはできなくなりましたが(笑)
 
何で雨の音が落ち着くのか、そーらにもわかりません。胎音に近いという説も聞いたことがあります。心音を聞いていると落ち着くって事もあるし、ホントかも知れませんが。しかし、んないちいち理由をつけなくても、落ち着くものは落ち着くんだからい〜じゃないかとも思ったり(笑)
赤ん坊向けに胎音が聞こえるぬいぐるみを売り出したというニュースを聞いて、ある芸能人が『せっかく出てきたのにまた胎内に戻さなくても』というコメントをしたのが面白くて覚えていました(笑)で、リナちゃんに言ってもらったり(笑)
 
赤ん坊ができると、産婦人科へ定期的に検診に行きます。お腹にマイクをあてて胎児の心音を聞かせてくれるのですが、その時に聞こえるしゅくしゅくごーごー言う音が胎音なわけですね。結構やかましい環境にいるんだなと思ってしまいました(笑)それなのに、ちゃんとお母さんの声やお父さんの声は聞こえてるそうですよ。お母さんが安定した声で話してると赤ん坊の成長もよく、興奮したりケンカばっかりしてると赤ん坊の心音も乱れるそうです。人間て、よくできてますね。
 
おおう、脱線(笑)
このお話では、何故ガウリイが雨の音がいやなのかあえて書きませんが。何となく、子守歌にはしたくないんだろうな程度に想像していただけると嬉しいです♪リナの声を子守歌にして眠るガウリイが書きたかったものですから(笑)
雨が嫌いな理由は、レインドッグの方に書いてあると思います。同時期に書いたお話でした。
雨を小道具に使うのは、そーらの話の中では多いかも知れません。
 
今回のお話はちょっと、またセリフに仕掛けというか、深そうな意味を持たせたものもあります。せわしなく降る雨はリナ、ゆったり落ちる雫はガウリイ、みたいに(笑)
では、ここまで読んで下さったお客様に愛をこめて♪
雨の降る暇な午後。昼寝をしますか、それともてるてる坊主を作りますか(笑)
そーらがお送りしました♪


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