「ふぁーすとぷれぜんと。」



 
 
輝く雲海を突き抜けて、本物の海の向こうに細長い竜のような島を見る時。
ビジネスクラスのリクライニングシートの上で、彼はいつもイヤホンを外す。
まるで、聞こえないはずの何かを拾おうとでもするように。
「………………。」

いつからだろう。
その必要がない時ですら、無理にでもここに帰るようになったのは。
いつからだろう。
本当の家があるわけでもないのに、「帰る」という言葉を使うようになったのは。
 

 

 

Sirent Night, Holy Night………

 
ごった返す空港ロビー。
通りすがる人々の賑やかな会話に紛れ、ゴロゴロと転がるカートの音が谺する。
吹き抜けに佇む巨大なツリーには、雪のように白いボールと、海のように青いリボンが群れ集う。
しつこいほど流れるクリスマス・ソングが、一人急ぐ彼の背中を急き立てていた。
出国ゲートを通り抜け、立ち並ぶショッピングモールの前を通りかかり。
初めて彼は、自分が手ぶらであることを思い出した。
 

Sirent Night, Holy Night………

 
金や銀、青や赤、緑や紫や黄色がさんざめくガラスケース。
彼はかぶりを振る。
指輪を見れば、自分が振り切ってきた責任を思い出す。
鎖を見れば、それがどんな形でさえ、所有者を縛ってしまう気がする。
何より。
自分が今、どうしたいのか迷っているその時に。
たったひとつだけの贈り物が選べるはずもない。
恋人でもなく、まして家族でもなく。
名前の他はほとんど自分の事を知らないだろう、それだけの相手と。
ほんの少しの時間一緒に過ごすために、8時間かけて日本に帰ってきたというのに。
まだ彼は迷っている。
 
 
 
『俺達にクリスマスも糞もあるか。』
いつもと同じ不機嫌そうな声で、彼に言った者がいる。
『そうまでして戻る必要がどこにある。』
問われて答えに窮した彼を、一言の元に切り捨てた。
『この世界と引き換えにでもするつもりか。』
衛星電話の向こう側で、忙しく働く気配が共に責め立てる。
ビープ音。
サイレン。
異常が始まる。
世界に穴が穿たれる。
時と場所を選ばずして。
そうして異界へ通じる門を押し開き、分け入って来る異形のモノを誘う。
満たされぬ渇望を満たすために、この世界を狩り場と見るモノ達が。
彼らは常に眠らぬ目を光らせる。
門を見張る守番として。
 
 
『ガウリイ』
 
店の前を立ち去りかけた彼は、思わず足を止めた。
背中に届いた声が、彼の名前を呼んだからだ。
彼は振り返り、辺りを見回した。
だがそこに、彼の探し求める姿はなかった。
代わりに目が会ったのは、人ではなく。
金色のもしゃもしゃの毛皮にほとんど隠れているような、眠たげな犬のぬいぐるみの黒い瞳だった。
「……………。」
一歩近寄ると、ぬいぐるみから声がした。
「メリー・クリスマス」
誰かを思わせるような、かん高い少女のような声だった。

ガウリイはケースに納められたぬいぐるみの前にひざまずいた。
 
彼女がここにいるわけがない。
彼女がここで自分を呼ぶわけがない。
分かっていながら、探してしまった。
そんな単純な自分の行動が、全てを物語っているではないか。
ぬいぐるみに吹き込まれた無邪気な声の挨拶すら。
空港に降り立つ前から聞こうとしていた、あの声に聞き間違えてしまうとは。

迷っているなどと、自分をごまかすことはもうできない。
どうしようもなく。
惹かれているのだと認めるしかない。
あの声の主に。
『世界と引き換えにでもするつもりか。』
仲間の叱咤が追い討ちをかけずとも。
答えはとっくに、自分の中にあった。
こんな事もわからないのかと、ずっと呆れていたに違いない。
 

ケースの中には、説明書きのポップが添えてある。
『このぬいぐるみには、お好きなメッセージを声で録音できます。』
作り物の黒い瞳が、保証するかのように煌めいていた。
 



気がつくと、ガウリイは一抱えもあるショッピングバッグをぶら下げていた。
プレゼント包装用のシルバーの袋と真っ赤なリボンまで入っている。
やや呆然としつつ、彼はタクシーを拾い、目的地を告げた。
待ち合わせのカフェへ。
約束の時間はとうに過ぎている。
 
遮音壁が続く味気ない車窓を眺めつつ、ようやく我に返った。
袋からぬいぐるみを取り出す。
「おや、クリスマスプレゼントですか。」
バックミラーで運転手の目が笑っていた。
「随分と大きいぬいぐるみで。小さな女の子ならさぞ喜ぶでしょうな。」
行き先を告げた彼の流暢な日本語に安心したのか、怯んだ様子もなくつっこんでくる。
「ダンナなら、彼女に送る指輪の方が似合いそうですがなあ。」
そう言ってひとしきり笑う。
ガウリイはぬいぐるみを見下ろし、低く笑った。
まるで自分は、小さな姪に贈り物を運ぶ年嵩の叔父のようだ。 
それこそふさわしいのかも知れない。
血のつながらない縁戚のように、保護者気取りで傍にいたのだから。
その相手は、今も待ち合わせの場所で、苛立ちながら自分を待っているだろう。
手渡した時の唖然とした顔が浮かぶようだ。
子供扱いされると、やけにむきになって怒ったものだった。
今度も怒るかも知れない。

怒っていてもいい。
その声が聞きたい。
自分の名前を傍で呼んで欲しい。

地を蹴立てて風が吹く熱砂の砂丘。
鼻の奥まで氷る極寒の湖。
落書きだらけの地下鉄が走る寄せ集めの街。
ゴミひとつ許されない観光と金融の国。
そのどこにも眠る場所はあったというのに。
そう思う相手は、この国の他のどこにもいなかった。
その声が二度と聞けないかも知れないと思うと。
矢も楯も溜まらず飛行機に飛び乗ったのだから。

『ガウリイ。』

子供かと思うと大人びた表情で。
大人かと思うと寂しげな横顔を隠していたりして。
いつも自分を驚かせる鋭い洞察力を見せたかと思うと。
意外な事で素直に喜んだり。
したたかなようでいて、華奢でとらえがたいその姿が。
いつも心の隅を占めていた。

知らなかった。
気づかないふりをしていただけかも知れない。
通り過ぎる全てがかりそめで、何一つ自分のものではない気がしていたから。
本当に手放したくないと思うものが。
世界と引き換えにしてでも守りたいものが、自分にあったとは。
今まで思いも寄らなかったからだ。

 
何かに急かされ、ガウリイはぬいぐるみと向き合った。
柔らかな手を握ると、その中に感圧式のスイッチが感じられる。
握る手の向こうに、リナが繋がっていた。
自分に何もできない事はわかっている。
叔父のようにぬいぐるみを渡す以上のことは。
もらう側がぬいぐるみ以上の何を期待しているかも、知るすべはない。
彼女が自分にとって、どういう存在であるかわかった今でも。
迷いは別のところに残る。
巻き込みたくない。
危険な目に会わせたくない。
縛りたくない。
笑顔すら忘れるような、残酷な現場を見せたくない。

様々な感情が複雑に交差する中。
ガウリイは口を開き。
こう言おうとした。

「メリー・クリスマス」

と、だけ。
 
………………………だが。
出て来た言葉は違った。
 
 
 
 
 



 
 
 
シャラ………シャララッ……

ドアを開けると、鈴より軽やかなウィンドチャイムの音が響いた。
静かに流れるインストゥルメンタルの音楽はやはりクリスマス・ソングだ。

待ち合わせの喫茶店に入り、ガウリイはコートを脱いで袋を隠した。
偽物の観葉植物の向こうに、栗色の頭が見える。
近づくにつれ、その白く細い肩が目に入った。
声をかけても振り向きもしない。
テーブルに並んだ空のパフェグラスが、無言のうちに遅刻を責め立てている。
「すまん。」
こすらんばかりに頭を下げ、そっと顔をあげると。
諦めたとばかりに小さくため息をつく、スネた表情が目に入る。

黒いイヤリングが揺れ。
うっすらと化粧までしている彼女。
とっくにいなくなっていてもおかしくなかったのに。
自分を待っていてくれた。

ガウリイは微笑み、その声に耳を傾けた。
たとえ数時間後には別の国にあろうとも。
この瞬間のためなら、何度でも戻ってきただろう。
 
……………だからこそ。
渡そう。
最後になるかも知れない、この最初のプレゼントを。
伝わらないかも知れない。
けれど、伝えたいと思った、最初の言葉を込めて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 









 
 
 
 
 
 
 
 
 
-----------------------------END.
 
 
「ぷれぜんと。」のぷれ・ストーリーということになります。
リナに渡すぬいぐるみに、ガウリイが声を吹き込む段階の話がちょっと書きたくなりまして、ぱぱっと30分くらいで勢いで作りました。
 
やー、ふと思いついて書き出したのはいいのですが。
思いっっっっきり時期はずれですよね!!(笑)クリスマス頃に思い付けよ、自分!(笑)でも思いついた時に書かないと忘れちゃうし!!(まず間違いなく・笑)
しかも左手が持病で腫れまくってて、キーボード打つのもつらい今に何故!!(笑)何度やっても「握る」が「煮グル」になっちゃってどーしようもないというのに!!(笑)
 
ま、まあ何はともあれ、最近には珍しく短編にまとめらたのでアップいたしました(笑)書きかけばかりが溜まっていく今日この頃です(笑)

吹き込んだ言葉は何だったか。わからない方は、読書室5号室の「ぷれぜんと。」を読んでやって下さい♪

スレのDVDボックスが発売されて、新しいニュースがいろいろ掲示板を駆け巡るという今日この頃は、何だかとっても嬉しい状況です♪最初から見たらきっとまた、新たな発見や、新たな妄想(笑)がたくさん生まれることでしょう♪
 
では、ここまで読んで下さったお客さまに、愛を込めて♪
子供のように、デカいぬいぐるみが欲しくなった事はありますか?

自分はほぼ十年前に清里で、身長1メートル40センチはありそうな、真っ白のクマのぬいぐるみを衝動買いしたことがあります(笑)
コビトさんが車の助手席に乗せてシートベルトを締めていたため、ガソリンスタンドのお姉さん達に好評を博しました(笑)
そーらがお送りしました♪





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