「標的の名はリナ=インバース」



シャキィンンッ!!
 
早朝で人もまばらな食堂に、金属同士の激しい擦過音が響き渡る。
「どー見ても、それはあたしのものじゃなくて?
寝惚けまなこの保護者様?」
「どー見ても、オレの方に近い皿だと思うが?
寝グセ頭のどんぐり目のおチビさん?」
「失礼ね。
あたしの頭のどこが寝癖なのか、教えていただける?
か・し・らっ?」
「どんぐり目のおチビさん……ってところは、否定しないんだなっ?」
ギリギリギリという不吉な音をさらにさせつつ、二本のフォークが噛み合っていた。
すでにテーブルの上は空の皿が一杯だ。
どうやら中央に置かれた残る大皿一つを争っているようである。

「お言葉ですけど。
目が大きいのは美少女の特権だし?
チビってのはまた、華奢で可憐って言葉にも置き換えができるからよ?
ご存じないよーですけど?」
テーブルをはさんでにらみ合う二人。
そのうちの片方は10代の少女のようだ。
確かに背は低く、目一杯背伸びして何とかリーチを稼ごうとしている。
腰まで届く栗色の髪は、寝癖ではなく巻き毛の奔放な型と言えた。
その証拠に艶があり、丹念に梳ってあるように見える。
「なるほど、な。
……ところで、寝惚けまなこもその方式で行くと、どういう風になるんだろうな?」
対するもう一人は、反対にかなり大柄の青年だった。
装備からすると軽戦士といった風で、細身のようには見えても腕は少女の軽く倍はありそうだ。
青い瞳は殺気をたたえるというより、どちらかというと穏やかでのんびりしたムードを醸し出している。
「そーね。
憂いを浮かべた流し目、っていう言い方にもできると思うけど。
あんたの場合、それは無理ね。」
無理という言葉を強調する少女。
片眉を上げ、軽くため息をつく青年。
「ほほ〜。
何だかお前さんにばかり都合のいい話に聞こえるんだが、どーしてだろうな?」
「あ。気がついちゃった?」
片方の拳を握って顎の辺りに寄せ、ぱちぱちとわざとらしいまばたきを繰り返す少女。
「ってことで、これはあたしがもらうわねv」
絡み合うフォークからぱっと手を放すと、大皿を両腕で囲い込む。
「こらこらこらっ。何が「ってことで」なんだっ!」
かちゃんっ!
持ち手のなくなったフォークが一本絡んだまま、自分のフォークを空の皿に置いた青年。
 

……さてもこの光景は珍しくもなく。
二人の間では日常茶飯事のごとくに行われ。
共に旅をするようになってからというもの、一種の通過儀礼と化していた。

少女の名前はリナ=インバース。
泣く子も怯える極悪魔道士という一般の風説もどこ吹く風、美少女天才魔道士を自称する。
青年の名前はガウリイ=ガブリエフ。
実は極悪魔道士に操られた悲劇の天才剣士。
などとどこぞの街で囁かれている噂は、本人の全く関知するところではない。
明日の行く先すらおそらく少女任せの、自称リナの保護者である旅の傭兵だ。
二人は数々の事件に遭遇し、その裏に流れる暗い陰謀から世界の危機に至るまでをくぐり抜けた、盟友でもあった。

 
「全く。色気より食い気だなあ、お前さんは。
………いつものことだが。」
潔く諦めたのか椅子に腰を降ろし、ガウリイは顎の下に手を当ててリナを見下ろした。
「単に育ち盛りと言って欲しいわね。
今は栄養を必要とする時期なのよ。」
あっという間に綺麗に皿を平らげ、彩りに添えられた青野菜をシャクシャクと噛みながら不思議と明瞭な声で答えるリナ。
「花だって蝶だって、人生が開花するまでにはしっかり溜め込むっしょ?
それと一緒よ。」
仕上げにこくりと水を飲み干し、食事にも自分の答えにも満足げなリナは、片手を上げて食堂の主人を呼んだ。
「すいませーん、デザートお願いしまーっす。」
「まだ食うのか……。」
「………じゃあ、ガウリイ。たとえばの話をするわよ?」
タンブラーをテーブルにたんっと音を立てて起き、リナはやにわに身を乗り出した。
大きな目で上目遣いにガウリイを見上げる。
「たとえば急に、あたしが食い気より色気の人になったら。
あんた、どーする?
朝も早からきっちり化粧して、覗き込むのは皿の中身じゃなくてだけ。
香水なんかもぷんぷんさせて。
「ダイエット中だから。」とか言ってご飯は小鳥がついばむ程度のちょっぴりしか食べない。
食堂中の男にちらちら視線を送って、言葉尻には全てハートをつけまくって。
マジックショップより遥かに長い時間を服飾店で費やすよーな。
そーゆー人間になった方がいいというわけ。
あたしが。」
「………………………」
つられてつい身を屈めたガウリイの顔と、リナの顔との距離は皿一枚ほどの幅もなかった。
長セリフを一息で言いのけたリナの迫力に押されたか、それとも別の何かに戸惑ったのか、ガウリイが言葉を失って呆然としていた。
「そりゃ……お前………」
ようやく声に出した頃には、どことなく低い声が掠れていた。
「そーゆーのは……オレもちょっとどうかなと思うが………」
「でしょ。だったらもう、食い気とか色気とか言わないの。
素直に、あなたと一緒にメニュー制覇するのは無常の喜びです、くらい言って。」
苦笑するガウリイに、リナが茶目っ気たっぷりの、彼がごくたまに見せる不器用なそれよりかなり上手いウィンクを送る。

ガウリイはため息をつき、それから笑って身を起こした。
「……まあ、お前さんの言い方は極端だとは思うが。
ちょびっとしか食わない相手と一緒じゃ、確かにオレも食った気がしないだろうな。」
リナも身を引くと、こくこくと頷いた。
「そーそー。あんたは覚えてないでしょーけど。
あたしとあんたが初めて一緒に食事した時も、最初っからこんな勢いだったわよ。
あんた、全然そんなの気にしなかったしね。」
「そうか。」
ガウリイも頷き返し、事は解決したとばかりに大きく伸びをした。
「食ってるうちは、元気な証拠だしな。リナは。」
「そーいうこと。」
 

「リナ………?」
 
背後から、別の声がかかった。
二人が同時に振り向くと、店の主人が呆然とした表情でそこに立っていた。
デザートの皿を乗せた盆を抱えたままだ。
「もしやと思うが………」
呟いた主人はいきなり、ぜんまいが巻かれた人形のようにバタバタとテーブルに駆け寄った。
空の皿の上に盆が置かれ、皿ががしゃりと音を立てる。
「あんた、リナ=インバースってお人じゃ!?」
「………へ?」
リナの目はどちらかというと、皿の上に転がったケーキの方に吸い寄せられていたが、自分のフルネームを聞いてようやく顔を上げた。
主人は青ざめた顔で、じっとそんなリナを見つめている。
「どうしてそんな事を聞くんです?」
ガウリイが間に割って入る。
「こいつがリナだと、何かあるんですか?」
「あるも何も。」
主人はぶるぶると震える指で、無意識に皿を取り上げ、置く先も見ずにごとりと放り出した。
すでにケーキは見る影もない。
「もしもあんたさんが正真正銘のリナ=インバースなら!
気をつけなされい………!
あんた………狙われておりますぞ!!!!
ガラガッシャン!!

空になった盆をテーブルに叩き付ける主人。
音からして、どうもその下で何枚か皿にヒビが入ったようである。
それが全く気にならないほど、主人はパニックの様相を呈していた。
「ね……狙われてる………!?誰に?」
このふいうちにリナは目をしばたかせ、主人と同じように辺りを見回した。
だがすでに食事を終えて出て行ってしまった人ばかりで、他に客の姿はなかった。
「誰と言われると、名乗ったわけではないからわからんのですが……」
主人は声を震わせた。
「恐ろしいやつでした………!」






 
わずか二日ばかり前のことらしい。
店を閉めようとしていた食堂に、一人の男がふらりと立ち寄った。
店主が断れなかったのも、今こうして震えているのも、全てその男の醸し出す雰囲気にあったようだ。
濡れたような黒髪。
頬のこけた青白い顔。
とがった高い鼻。
若いような年寄りのような、年令不詳の顔立ち。
背中には異様に長い剣を吊るし、身のこなしには一切の隙がなかったと言う。
少なくとも平凡な一生ではなかったことが容易に見て取れる。

中でも主人を震え上がらせたのは、その視線だった。
これに睨まれた獲物は、凍りついてしまうだろうと思わせる冷たさ。
手にかけたのは、一人や二人ではあるまい。
それも何の感情も浮かべることなく、まるで食事を採るように自然にやってのけるだろう。
そんなうそ寒さを感じさせるような冷たい瞳だった。

 
「そいつが尋ねてきたんです、アタシに。
『リナ=インバースを知っているか。』とね。
アタシが知らないと答えると、男はおもむろに懐から小袋を取り出し、さらにこう言ったんです。
『リナ=インバースを見かけたら教えて欲しい。礼は置いていく。』
アタシは断ろうとしたんですが、男の冷たい目にどうしても………。
後で中身を見たら、なんとあんた、金貨がぎっしり詰まってるんですよ。
こいつはよっぽどの事と思いましたよ、アタシゃ。」
「…………………。」
ガウリイはリナを振り返り、リナは首を振った。
「ぜんっぜん心当たりないわ。今のところ。」
「あれは普通の人間じゃありませんや。
物凄い殺気でした。
金で動く殺し屋って言うより、何か大きい恨みを抱えて狙っている感じで。
見つけたら必ず、そりゃあもうムゴい方法で殺してやると決意しているようでした。」
「な……」
ガタンッ!
腰を浮かせ、反論しようとしたリナを制する者がいた。
片手を上げたガウリイが先に、にこやかに主人に答えていた。
「そいつは怖い話だなあ。
あいにくとこいつはただのリナだが、本物に出会ったら伝えておくよ。
怖いやつが狙ってるからって。」
「そうかい、良かった。是非そうしてくれ。」
主人はあからさまにほっとした顔をして、ようやくケーキが崩れたのに気がついたようだった。
代わりの品を取りに来ると言い残し、彼は厨房へ足早に戻った。
 

「ガウリイ!!」
目の前を塞いでいる大きな手をわしっっとつかんで、リナが文句を言った。
「何で止めたのよ!?」
「何でって。……当たり前だろ?」
彼は眉根を寄せて、リナを見下ろした。
「あそこでお前が言い返したら、本人だって認めることになる。
わざわざ教えてやらなくったっていいだろう。」
「そっ……そりゃそーだけどっ……」
珍しくリナが口ごもる。
「あんな風に言われたら、腹が立つのもわかるがな。
関わらないでいられるなら、その方がいいだろう。
ま、そうなったとしても、オレもいるんだしな。」
ガウリイが控えめに付け足すと、リナはぽっと顔を赤くした。
そんな自分の反応にうろたえたか、慌てたように視線を逸らすとリナは呟いた。
「ってことはあのおっちゃん、礼金一人占めってことじゃないのよ。
それが許せないわ。」
「……おいおい、そっちか。」

ガウリイが何ごともなかったように笑うので、リナは安心したようだった。
視線を戻し、少し考えこむような表情を浮かべる。
「それにしても、あたしに恨みを持つヤツねえ……。」
「まあ、恨みと言ってもいろいろだからな。
こっちじゃ全然気にしてないことも、相手が大事ととっちまうこともあるんだし。
考えてもわからないことだってあるさ。」
「まあ、そうだけど………。」


「しっかしあんたら、相変わらず仲はいいようだな。」
 
「へ???」
またしても背後から別の声がして、二人は振り返った。
そこにいたのは、今度は店の主人ではなかった。
別の若い男が、ニヤニヤといやな笑いを浮かべながら腕組みをしていた。
それも一人ではない。
その傍らには、賛同しかねるとばかりにそっぽを向いた、色白の若い女が少し距離を開けて並んでいる。
双方とも簡単な防具を身につけ、男の方はいわくありげな剣を腰にたばさんでいた。
女の髪は銀髪で、頭の後ろの高い位置で一つにまとめてあった。

「よう。ルークにミリーナじゃないか。よく会うなあ。」
陽気に片手を上げて挨拶をするガウリイに比べ、リナはその男の笑いがカンに触ったようだった。
「ちょっと。相変わらずって何のことよ。」
「いや、だから。
こないだのオンブといい、今度は食堂のど真ん中で手を握りあってるだろ。
こいつを見たら、誰がどう見たって仲がいいとしか言えねーじゃねーか。」
逆立った黒髪を赤いバンダナでまとめているルークは、さらにニヤニヤ笑いの度を深めて二人の手許を指差した。
「う、げっ!?
とても可憐で華奢な美少女とは思えない悲鳴を上げ、リナがぱっとガウリイの手を放す。
勢いでつかんだままだったらしい。
「こ、これは話の流れでついっ!!ふ、深い意味はないのよ、深い意味はっっ!!」
「別にいーじゃねーか。
おめーらがラブラブでも、俺は全く気にしないぜ。
俺達はさらにその上を行くラブラブだからな。
な、ミリーナ?」
上機嫌で振り返ったルークの顔は、そこで固まった。
どうやら相手の冷たい視線にあって怯んだようだった。
「……ま、まあそれはいいとして。
確かに俺達はよく偶然に出会いやがるよな。
腐れ縁っつーのかね、こいつは。全っ然、嬉しくないが。」
「……それはこっちのセリフよ。」
リナの眉がぴくぴくと動いた。
「そのラブラブなお二人が、こんなところで何をしてるのかしら?
ここら辺りにお宝が眠ってるなんて話、聞いたことがないわよ?」

トレジャーハンターだというルークはそれには答えず、勧められもしないうちに開いた椅子にどかりと腰を下ろすとテーブルを見回した。
「しっかし、こっちも相変わらずだな、お前。
そのひでー食い気を、ちったぁ色気に回しちゃどーだ?
ダンナをいつまでも我慢させてっと、体を壊すぞ。」
親指でぴっとガウリイを示し、歯をむき出して笑うルーク。
ダダダダ誰がダンナよ、誰が!
ムキになったリナがテーブルを叩くと、ヒビの入った皿はあえなくぱっかりと割れた。
ルークが片目をつぶる。
「そーやって慌てるから、からかわれるんだぜ。
意外にわかりやすいやつだな、あんた。」
「………あ……あんたほどじゃないわよ。」
冷静さを取り戻そうとしたリナはこほんと咳払いをすると、横目で応酬した。
「わかりやすすぎて、相手に嫌われるあんたほどじゃね。」
「なにいっ!俺がいつミリーナに嫌われたっ!」
たった今。
がたんと席を立ったルークに、当の本人からの冷たい一声が冷水を浴びせた。
「な……ミリーナぁ………」
リナに向けた強気の発言はどこへやら、情けない声がルークの口から漏れる。
「そんな事より。声をかけた用件についてちゃんと話したら。」
「そ…そんな事って……俺には一番大事な……」
「あなたにはそうでも、私にはそうではなかったら?」
「ううっ………」

 
がっくりと肩を落としたルークは大人しく席に戻った。
その意気消沈ぶりは思わず周囲が同情を覚えるほどだ。
「え、ええと。で、その用件って?」
話しづらい雰囲気の中、リナが先に口を開いた。
「あたし達に何か、用があったの?」
「あ………ああ、まあな………」
顔を伏せたまま、ルークが大して気もなさそうに答えた。
「俺は別に知らせなくてもいいと思ったんだが、ミリーナがな……。」
「知らせるって、何を?」
ガウリイがミリーナを振り返る。
ミリーナはその緑色の目でちらりとリナを見てから、ようやく言った。
「あなた、狙われているわ。リナ。」
ね………!?
思わず同時に声を上げ、顔を見合わせるリナとガウリイ。

「昨日のことよ。
この近くの森の中で、バカでかい斧を振り回していた男が呟いているのを聞いたのよ。
『リナ=インバース。出会った時こそ貴様の最後だ。
必ず見つけだす。』
とね。
そう言いながら、斧を何度も木に叩き込んでいたわ。」
「ありゃあ、あんたに相当な恨みを持ってるよーだな。」
ほとんど楽しげとも取れる声で、ルークが後を引き取った。
「執念深そーなやつだったぜ。
遠くからだから顔はちらりとしか見えなかったが、雲を突くような大男でな。
斧を握る腕のぶっといこと。筋肉ダルマだぜ、ありゃ。
一体どんな恨みを買ったんだか、このクソ生意気なお嬢さんは。」
その言葉に、リナの目も声も平板になる。
「そーゆーあんたはその一言で、あたしの恨みを買ってるわよ。
このツンツン頭のデクノボーさん。」
「ほほ〜。
どうやらお互いの見解は、果てしなく平行線を辿るよーだな?俺達は。」
「その点については、全く異義はないわ。」
横目で応酬しあう二人。
一方、それをよそに、ガウリイはミリーナに尋ねていた。
「で、それだけか?あんた達が聞いたのは。」
「いいえ。」
銀髪を揺らして、ミリーナは首を左右に振った。
「実は今朝も、同じような光景を目にしたのよ。
相手は全くの別人でね。
体中にナイフをつけた、全身剃刀のような男よ。
『リナ=インバース。次こそ絶対に仕留めてやる。』って呟いているところを。
これは一体、どういうことかしらね。」
「…………!」






 
 



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