『二人で無敵』







 
ぴーぴちゅぴちゅぴちゅ。

 

晴れた空にところどころ浮かぶ、白い雲の辺りから。
のどかな小鳥の鳴き声が響き渡る。
一見すると、静かで平穏な、春の昼下がり。
 
町から少し離れた街道を、小さな人影が歩いていた。
腕からカゴをぶらさげて、まだ短い足をせっせと動かしている。
まだ年の頃は五つか六つ、母親のスカートの陰に隠れてしまいそうなほど小柄だ。
頭の後ろで、細いポニーテールが揺れている。
 
少女の頭にも、街道にも、そして広がる草原にも等しく、午後の太陽が照りつけていた。
青く伸びた牧草の先に、赤茶けたレンガのサイロを持つ長屋が並んでいる。
長い柵の向こうには、土色の肌を持つ馬が数頭。
のんびりと草を食んでいた。


 
「お嬢ちゃん。お使いかい。」

少女が進む道の先に、柵にもたれかけるようにして中年の男が立っていた。
くたびれた鍔広の帽子を被り、首にかけた布でしきりに汗を拭いている。

「……………」
声をかけられたことに気づかないのか、少女は何も答えずにすたすたと歩き続けた。
「お嬢ちゃん。」
スタスタ。
「お嬢ちゃんてば。」
スタスタスタ。
「あ。銀貨が落ちてる。」
ピタッ。
 
 
突然立ち止まった少女は、反射的に足下を見回した。
だが即座に、ぶ然とした表情で振り返った。
「ちょっと。いたいけな子供をだまさないでよね。」
子供らしい、あどけない声だった。
だが、舌ったらずなところは微塵もない。
朝から晩まで喋り続けているような、よくいる小さい女の子のようだ。
ふっくらとした頬に、大きな目が挑むように見上げている。

「何だ、聞こえるんじゃないか。
何回呼んでも答えないから、てっきり耳が悪いのかと思ったよ。」
にこにこと親しみやすい笑顔を浮かべて、男が近寄ってきた。
両者の間には、半世紀近くの年数が横たわっているはずだが、何故か男の笑顔の方に子供っぽさが伺えた。
「あたしの耳はべつにわるくなんかないわ。とくべつせいなの。
大事なことはどんなに小さくても聞こえるけど、どーでもいいことは聞こえないようになってるのよ。」
これをわずか数秒で一気に言ってのけ、少女はまたくるりときびすを返す。

 
邪険にされたことなど、露ほども意識していないのか。
男はのんびりと口笛を吹きながら、少女の後を歩き出した。
「ついてこないで。」
髪を揺らして少女が口をとがらせる。
「ついていくわけじゃないさ。
お嬢ちゃんが一人で歩いてるのが危ないと思ってね。
おじさんは護衛だ。」
「………ごえい?」
「そう、お嬢ちゃんを守ってあげるよ、どこへ行くんだい?」
「……………おじさんにかんけーないでしょ。」
少女はそれに答えず、クリーム色のワンピースの裾をふわりと回して、スタスタと歩き続ける。
「おいおい、待ってくれ。足が早いんだな。」
「わるいけど、いそいでるの。」
「そうかそうか。大変だなあ。そんなに小さいのにエライんだね。」
少女におもねるように男が言葉を重ねる。
何とかして相手の反応を引き出そうとしているようだった。
「…………………」
少女は無言で歩き続ける。
 
スタスタと足早に歩く、大人の腰ほども身長のない幼い少女。
その後ろを、大股でゆっくりついていく中年の男。
二つの影は昼の太陽の下には短く、重なることはない。
 

「なあ、知ってるよ、そのカゴの中身。
チーズを買ってきたんだろう。
あそこの牧場のは美味しいって町でも評判だからね。
お母さんに頼まれてきたのかい。」
「…………………………」
「重いだろう、おじさんが代わりに持っていってあげようか。
おじさんも町へ帰るところなんだ。」
「…………………………」
「遠慮することはないよ、おじさんにもねえ、お嬢ちゃんくらいの年頃の娘がいるんだ。
だからほっとけなくてねえ。」
「…………………………」
「ねえ、ほら、町までまだ大分あるだろう。荷物を持ってあげるよ。」
「…………………………」
「おや、おじさんが怖いのかい?」
 
少女の足がぴたりと止まった。

「おじさん、うるさいんだけど。」
「お、やっと口をきいてくれたね。」
少女の冷たい声にも、男は動じない。
嬉しそうににこにこ笑って、少女の前へと回りこんできた。
「わかった、お嬢ちゃんは照れ屋さんなんだね。
初めて会う人となかなかお友達になれないんだろう?
ああ、おじさんにはわかるよ。
お嬢ちゃんには、友達が必要なんだ。」
「…………………………………」
腰をかがめてにこにこと笑う男。
何故か少女は、そこでため息をついた。
男の言葉に、何かを思い出したようだった。
 
「あのね。人のことをかってに決めつけないでくれる。
そーいうのを『じこぎまん』ってゆーのよ。」
「おおっ。」
男はわざとらしく目を見開いてみせ、膝を打った。
「すごいね、よくそんな難しい言葉を知ってたね。
お嬢ちゃんはすごく賢い子なんだね。いやあ、こりゃ驚いたな。
おじさんは賢い子が好きなんだ。」
「………………はあ。」

少女はまたひとつため息をつき、カゴを持っていない方の手をぴっぴっと振った。
「そこどいて。」
「おお、すまんすまん。
お家じゃ、お母さんが心配してるんだろうね。
そうだよなあ。
お嬢ちゃんみたいに可愛い子がだよ。
たった一人でこんな遠くまでお使いに行ったら、ひどく心配だろうね。
世の中には、悪い人もいるんだから。
心配してるお母さんのためにも、おじさんがお嬢ちゃんを守ってあげるよ。
大丈夫、悪い人が来ても怖くないよ。」
そう言って男は少女の肩を叩こうと、手を伸ばした。
 
ひょいっ。
 
まるでその動きをすべて見切ったかのようだった。
少女はするりとその手を避け、再び何ごともなかったようにスタスタと歩き出した。
「…………………」
男は一瞬きょとんとする。
少女からは見えない角度から手を伸ばしたつもりだった。
だが、少女には気づかれていたようだ。
「……………?」
だがすぐに気を取り直し、男は少女の後を追った。
ワンピースの上につけた、水色のエプロンドレスの紐をつかまえようとでもしているように。

スタスタスタ。
臆する風でもなく、歩き続ける少女。
街まではまだ、確かに距離はある。
長い下り坂が続いており、その先にようやく町並が見えるくらいだった。

男の足音がすぐ後ろまで迫り、少女はぶっきらぼうに告げる。 
「ついてこないでって言ったでしょ。」
「ついていってるわけじゃないよ。おじさんの家もあっちなんだ。
一緒に行こう。」
「おことわり。」
「本当に照れ屋さんなんだねえ、お嬢ちゃん。
あ、それともお母さんにきつく言われてるのかな。
知らない人と口をきいちゃいけないって。
そうだよね、悪い人かも知れないからね。
でもおじさんは大丈夫だよ。」

 
男がさっと二、三歩先に進んだかと思うと、少女の前方に割り込んできた。
そこから、下り坂のはるか先を指差す。

「見てごらん、おじさんは普通のおじさんだ。
ちっとも悪い人に見えないだろ。
悪い人っていうのは、ほら、あんな人の事を言うんだ。」



 
男の指差す先、町の方向から、誰かが歩いてくるのが見えた。
どう見ても、町に住んでいるような人間には見えない。
馬車を引いていたり、大きな荷物を抱えている商人でもなさそうだ。

昼の太陽に、その人物が身につけている鎧がぎらりと光っている。
その腰には、かなり物騒に見える長剣を下げている。
 
「ほら見ただろう、怖い武器を持ってる。
ああいうやつが危険なんだ。
おじさんを見てごらん、危ないものなんて、一つも持ってないよ。
さあ、気をつけた方がいい。
もしかすると、お嬢ちゃんが町から出るのを見ていて、後を追ってきた悪いやつかも知れない。
お嬢ちゃんをさらって、どこかへ連れて行こうとしてるんだ。
だめだよ、危ないよ。」
「……………………」
 
少女が目をすがめて遠方を見ようとしたその瞬間、いきなり男が行動に出た。
のんびりとした歩調や口調に似合わぬ、鋭い動きだ。
素早く少女の背後に回り、自分の体重の四分の一しかない少女を、軽々と抱えあげたのだ。
「何すんのよ!」
宙に浮いた足をばたつかせ、少女が文句を言う。
その言葉にかぶせるように、男は声をひそめた。
「しーーっ!前から来る悪いヤツに聞こえちゃうじゃないか!
おじさんはね、君を守ってあげようとしてるんだ。
だから暴れちゃいけない。
いいところがある、この木の陰に隠れよう!
悪いヤツが行っちゃうまでだからね!」

両腕で少女を抱え込み、木の陰に入ると男はしゃがみこんだ。
町から歩いてくる人影はまだ遠い。
 
「はなしてよ。」
怒った声で少女がもがいたが、男の腕はしっかりと回されていて、ふりほどけなかった。
「大丈夫だ、おじさんが守ってあげるよ。
でもおじさんは武器を持ってないってさっき言っただろう?
だから、悪いヤツが行っちゃうまで、一緒に隠れててあげる。」
 

その時、男の顔に、少女の栗色の髪が触れた。
男は薄笑いを消し、恍惚とした顔で、大きく息を吸い込む。

「いい匂いがするね。お嬢ちゃんは。
ちゃんと毎日頭を洗ってるんだね、えらいねえ。
きっとお風呂が大好きなんだね。」
男の声が低く掠れてきた。
少女が肩を震わせる。

たたみかけるように、男は喋り続けた。
「おじさんちにはね、大きなお風呂があるんだ。
お嬢ちゃんにも入らせてあげたいなあ。
きっと楽しいよ。
おじさんのうち、このすぐそばなんだ。
どうだろう。
あの悪いヤツが行っちゃうまで、おじさんちに隠れてるっていうのはどうだい。
名案だろう。
ゲームをして遊ぼうか。
美味しいおやつもたくさんあるんだ。
お嬢ちゃんにぴったりの素敵なドレスもあるんだよ。
お人形さんもたくさんあるし、着せ替えっこして遊ぼうよ。」
「………………………」
 




 ぴーーーぴちゅぴちゅぴちゅ。
 

ぶわきぃっっっ!!!!!!

 
「ぬがっ!!??」
ずざざざっ!
どすんっ!
 
ぴぴぴぴぴっ!
ばたばたばたばたっ!
 
木に止まって休もうと降りてきた小鳥が、慌てて羽ばたいて逃げ出した。
尋常ではない物音が木陰からしたからだ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?」
アゴをおさえた男が、呆然とした様子で草むらに転がっていた。
男の前にすっくと立ちはだかった少女は、カゴの中身をのぞいていた。
と、何かを見つけ、大声を出した。
っだぁああああっっ!!タマゴ!タマゴが割れてるうっ!!
おっさんのせいだからねっ!」
「お………おっさん…………?」

もはや自分の腕の中。
何も抵抗できないと過信していた男は、その少女にいきなりカゴで殴打されたのだった。
そのショックはいかばかりか。
顔が一気に赤黒く染まっていく。
「い、いけないお嬢ちゃんだ、暴力を振るうなんて!
おじさんはただ、お嬢ちゃんと仲良くなろうとしただけなのに!」
 
ぎろっ!!
 
少女の目が男を睨みつける。
小さな足をめいっぱい広げて仁王立ちになった少女は、大きく鼻を鳴らしてせせら笑った。
ふんっ!な〜〜にが仲良くなろうよ!
スケベエ心がミエミエだっつーの!
一見、いい人そーな親切そーな顔して、猫なで声出しちゃってさ!
いい加減、パターン通りってのがわかんないわけ!?」
「…………な………?」

かくん!
男の下顎が外れたように下がった。

その間にも、さきほど見せた年令に見合わぬ回転の早さで、今度は少女がまくしたてる。
「まーね?
アメあげようかとか!
おかあさんが病気になったから一緒に病院行こうとか!
ありがちぺっぺっぺーな話題から始めなかったことは認めるわ。
そこらへんにたまたまいた、全然関係ない人間を悪い人だって決めつけて!
自分はさも味方になったみたいに立ち回る。
ま、即興で考えた割には筋が通ってるように一見聞こえるわ。」
「……………はあ…………?」
あっけにとられた男に向かって、少女の口上は続く。
「そーね。
あたしが今まで出会ってきた、ワンパターンセリフ大好きな三流盗賊に比べたら。
0.0001くらいは、上の点をつけてあげてもいーでしょぉう。
しかぁし!!
 
びし!!
少女の空いた片方の手が、お下品にも中指を立てた状態で空を指差す。
(全国の保護者のみなさまごめんなさい)

「年端も行かない少女をさらって、自分の好きにしよーだなんて。
変態もいいところよ!!
定冠詞をつけてあげてもいいわ。
・ド変態!
おまけに非力な子供を狙う辺りが、卑怯!
・ド卑怯!
・ド変態ド卑怯!
自覚してる?
自分がド変態でド卑怯だってこと!」
「…………な……な………な…………」
男の開いた口が塞がらなかった。
 

少女はその場でぐるぐる回り、攻撃の手を緩めない。
「どーせ小さな子供なら?
お菓子や服でごまかして、てきとーに言い包められると思ったんでしょーけど!
万に一つもだまされて連れて行かれた子供が、あんたを好きになるわけがないでしょーが!
子供はみんな素直で可愛いと思ったら、おーまちがいよっ!
素直で可愛い笑顔を見せるのはね、相手が信頼できる親や友達だからよっ!
世界がひっくり返ったって、あんたはそんな笑顔なんか見れやしないの!
はっ。でも、そーなのよね。
あんた達みたいなやつって。
相手が自分を好きにならなくても、別にいーのよね!
自分さえ楽しけりゃ、相手の気持ちなんてどーでもいいんだから!」

ざしっ!
足を止め、カゴをぶらさげたまま腕を組み、少女は傲岸不遜そのものの態度で男を見下ろした。
「知らないでしょ。
気にも止めないんでしょ。
あんたに襲われたその子が、家族にどんなに皆に待ち望まれて生まれてくるか。
重くなっていく体に耐えて、10ヶ月も大事に守ってきて。
お腹を痛めてやっと産まれた子供に、今度は夜通し泣かれて困って。
どんなに眠くても我慢して、ずっと抱いていた母親がいたこととか。
ハイハイして、歩いて、走って、その成長を毎日の積み重ねの中で見守った人たちがいることとか。
どんなにその子の成長を楽しみにしていたかとか。
知らないくせに。
たった五年やそこらしか生きてない子供にだってね、ちゃんと歴史があんのよ。
でもあんた達みたいなのは、そんなのどーでもいいのよ。
そこにその子の形さえあればいいのよね!」

「……………こ……この………こ…こ…………」
もはや言葉にならない呟きを口の中で繰り返して、男がよろよろと起き上がる。
少女の言葉が耳に入っているかどうかもわからない。
少女の顔を見ているかもわからない。
雲をつかむような手だけを伸ばしてくる。
 
「…………ふざけんじゃないわよ。」
少女の声は低く、とても子供の声には聞こえなかった。

「ようやく開いた蕾を刈り取って、自分だけの花壇に植えたって。
もう花は前のように綺麗には咲かないんだから。
耳の穴かっぽじってよっっく聞きなさいよっ!
あんたみたいな
ド変態ド卑怯ド最低非人間のために、子供は生まれてくるんじゃないってのよ!!」

「………なななななな…!」

思ってもみない恫喝を浴び、男は激高した。
顔を真っ赤にして両の手を広げて少女に覆いかぶさろうとする。

「こここここここのガキっ……………!」



ッガィイイン!!!!

 
金属が、何か固いものを叩くような音が響きわたった。
と、男の目がくるっと裏返る。

ドターーーーンンッッッ!!

男の体が前のめりになったかと思うと、今度は勢いよく地面に倒れこんだ。
そのまま、ぴくりとも動かなくなる。

振り上げた拳の持って行き場に困り。
やや拍子抜けした顔で、少女はその手をくるくると回した。
「ガウリイ〜〜〜。もうちょっと待ってくれてもいーじゃない。
これからだったのに。」
「………おいおい。」
倒れた男の後ろに、別の人影が立っていた。

昼の太陽にぎらりと光る軽装の鎧。
黄金色の長い髪を後ろに流した、中年にはまだ通い二十歳過ぎの青年だ。
当てずっぽうに危険な人間だと形容された、さっきの人物だった。

「これでも、長ゼリフの間は我慢して待ってやったんだぜ。
まったく。
その姿になっても、相変わらずヒヤヒヤさせてくれるよ。
お前さんは。」
















後編へ続く。