『最後に君は微笑んで。』

 


 

     1。


 
 髪をそよがせる気持ちのいい風が、開け放たれた窓から入ってきた。
 格子越しに覗く風景は、歴史と伝統に裏打ちされた荘厳な建物の並びだ。
 白い尖塔が見える。
 その先端に、翻る国旗。
 セイルーンの首都を一望に見下ろす、城の一室である。
 
 「いや〜、さすが王女サマ。いいお茶飲んでんのねv
 繻子張りの贅沢なソファ、広い室内に白を基調とした調度品。
 金の縁取りの入ったローテーブルの脚は、いずれも職人の手による凝った彫り込みがなされている。
 そのソファの一角に陣取り、臆した様子もなく紅茶をこくりと飲んだ人物がい言った。
 栗色の長い髪、挑戦的な瞳に似合わない華奢な身体。
 そうは見えないが、もう十八になろうかという少女である。
 床まで届くばかりの漆黒のマント、護符やタリスマンに守られた服装に装備、一見すると旅の魔道士と言ったところだ。
 だが、それだけでは彼女の説明にはならない。
 悪人や盗賊からは「盗賊殺し」などと恐れ称される、自称美少女天才魔道士。
 リナ=インバースがその名だった。
 
 「相変わらずですね、リナさんは。」
 空になったリナのカップに手ずから紅茶を注ぐのは、神聖セイルーン公国の第一王位継承者となった王女アメリアである。
 黒髪に真珠のティアラをつけ、清楚な薄紅色のドレスを身にまとっていた。
 「あんたこそ、いいもん着ちゃって。
 そうしてると、グっと大人っぽく見えちゃったりするわよ。アメリア♪」
 「……もう。からかわないで下さい。
 リナさんに急に誉められると、何だか気持ち悪いです。」
 アメリアがぷうっと膨れると、リナは目を平板にして顎をあげた。
 「ひ・と・がっ!素直に評価してんのに、気持ち悪いとは何ごとよっ?失礼な。」
 そっぽを向いたリナの隣から、相棒が膝を乗り出してきた。
 「いや、その気持ちはわからんでもないぞ。アメリア。
 いきなりリナに誉められたりすると、後でとんっっ……でもない事を頼まれたりしないかと、つい身構えちまうんだろ。」
 「そーです!その通りです、ガウリイさん!」

 意気投合する二人の前で、リナの目がきりきりと釣り上がる。
 「ほほ〜〜〜。ってことは、こーいうこと?
 最初は無料でパンを配ったりなんかしちゃってよ。
 そこそこ客が集まった後で、目が飛び出るくらい高〜〜い浄水器とか!
 健康器具とかをお年寄りにローンで売りつける、アヤし〜業界の人みたいってこと!?
 あたしがっ!?
 そーいう目であたしを見てたの、あんた達っ?」
 「じょ……浄水……?」
 「な……何もそこまで話を発展させなくても………」
 慌てたガウリイがとりなすように言葉を続ける。
 「お、落ち着け、リナっ。オレたちはただ……」
 「ただ………なによ?」
 「いや、ただ………その。
 正直に思ったことを、ついうっかり素直に言っただけなんだ。
 悪意はないんだ、悪意は。」
 「〜〜〜〜〜!!!
 手をぱたぱたと振る相棒の前で、リナのこめかみがぴくりとひきつった。
 「ぬあああっ!!失礼の上塗りとはこの事かっ!!
 でえいっ、そこへ直れいっ!ガウリイ=ガブリエフ!!!
 このリナ=インバースが、じきじきに引導を渡してくれるわぁっ!」
 「うぐうっ!か………髪で首を絞めるなっ……ごほっ!

 
 ソファの上で、いつもの漫才が始まった。
 アメリアはほっと胸をなで下ろしつつ、微笑ましげに見守る。

 子供のように身長の低いリナの相棒は、頭二つ分ほども差のある大柄の青年だった。
 遠目で見ると、親子連れに見えなくない。
 片方が落ち着きなくセカセカ動くその後ろから、のんびり構えた大股がついていく。
 体格も性格も反比例するような二人だ。 
 だが、ひとたび事に当たれば、誰よりも息が合った。
 軽戦士のガウリイが敵と剣を交えているその隙に、複雑かつ高度な呪文を練り上げ、必殺の一撃を放つリナ。
 時としてそれが言葉や意志の疎通なしに、お互いの意図を無意識に読んで行われるので、仲間ですら驚かされたことがある。
 いいコンビだと、誰かが言った。
 そしてじれったい仲でもあると。

 
 「お前なあ、もうちょっと大人しくできないのかよ?
 一応ここは城の中で、王女様の部屋なんだろ。」
 「何ぬかすかな。ガウリイくん。
 あたしはね、しようと思えばいくらでも、大人しくも女の子らしく〜もできるのよ。
 なのに、周りがそーさせてくれないだけなんですからねっ。」
 「人のせいにするな、人のせいに。」
 「何よ。あんたなんか、最初はあたしをただのお子さま扱いしたくせにっ!
 お嬢ちゃん。とかっ!お家はどこだい?とかっ!?
 あげくの果てにはおにーさんがついてってやるよ、とか!
 そんなあんたと一緒に旅をして、あたしがいつどこで大人しくしたり、女の子らしくしたりするヒマがあるってゆーのよっ!?
 今思い出しても腹が立つ!
 あの時は、アトラスに着くのが早いか、あたしの胃に穴が開くのが早いか、競争だったんですからねっ!?」
 さすがにその迫力にたじたじとしながら、ガウリイがぱたぱたと手を振る。
 「そ………そんな前のことを持ち出されても………。
 じゃ……じゃあだな!
 今日からお前さんを一人前の女性として扱えば、大人しくするってことか?」
 「………………。」

 と、二人の会話が途切れた。
 思わずアメリアが身を乗り出す。

 リナの目が、相棒を値踏みするように細くなった。
 「………あんたじゃ無理。」
 
 がくっ!
 
 アメリアが肩を落とし、ガウリイがうなだれる。
 「お………お前なあ………」
 「だぁああって。今までさんざん、色気がないだのムネがないだの、凶暴だの大食らいだの、サインをもらうと不幸になるとまで言われてきたのによっ!?
 そのあんたから急にレディ扱いされたって、吹き出すのがオチだわ。」
 「ま……そりゃそうだ………。」
 後ろ頭をかりかりかいて、ガウリイが顔をあげる。
 「オレだってそうなったら、吹き出しちまうだろうしなあ。
 いやあ、意見が合って良かった良かった。」
 「〜〜〜ガウリイっっ!!あんた、今日の夕飯ヌキっ!」
 「何故っ!?

 「ぷっ!くすくすっ!」
 このやり取りを聞いて、本当に吹き出したのはアメリアだった。
 「本っ当に変わらないんですね、お二人とも!」
 「え…………」
 「な……なによ、アメリア。何で笑うのよ?」
 二人は顔を見合わせ、何となく赤くなる。
 
 
 一人旅をしていたリナが、流れの傭兵だったガウリイと出会って。
 二年ほど過ぎたと聞く。
 じれったいとアメリアも思う。
 傍にいるのが当たり前すぎて、そこから一歩踏み込んだ関係になかなかなれない。
 傍で見ていても、やきもきさせてくれる二人だった。
 意味があるのかないのかよくわからない、ガウリイの言動に一喜一憂したり。
 相手の存在の大きさを思い知ったリナの、言葉に出さない苦悩に心を痛めたりもした。
 だが周囲がどう思おうと、二人が互いに離れようとしたことはなかったのだ。
 ………………この時までは。
 
 「でも、寄ってくれて嬉しいです。
 本当言うと、このドレスも部屋も窮屈で。
 それが王女として生まれた務めですから、嫌だとは言いませんが。
 たまに刺激が欲しくなるんですよ。」
 アメリアが皿に盛られたクッキーを勧めると、リナはごほんと咳払いをして手を伸ばした。
 「そりゃあね。セイルーンの図書館が、今まで出入り禁止だった幻の書物まで公開するって聞いちゃ、寄らないわけがないじゃない。滅多にない機会だし。」
 「でも意外に早かったですよね。この近くまで来ていたんですか?」
 「ああ、ゼフィーリアまで行く途中だったんだ。」
 クッキーをぱりんと音を立てて食べつつ、ガウリイが言った。
 「そうですか、ゼフィーリアに…………………」
 
 がっしゃんっ!!
 
 「ゼ、ゼフィーリアっ!?
 テーブルを叩いて立ち上がったアメリアを、きょとんとしたガウリイが見上げる。
 「ど、どした?」
 「ゼフィーリアって、ゼフィーリアって!!
 リッ……リナさんの故郷じゃないですかっっっ!!
 ってことは、ええっ!?お、お二人って‥‥‥!!」
 アメリアは真っ赤になって、二人を交互に見比べた。
 「わたしの知らない間に、そぉーいう展開になってたんですかぁあああっ!?!?
 
 ぶぱっっ!!
 
 景気よくリナが紅茶を吹き出す。
 「おめでとうございますっ!リナさんっっ!!
 口からだらだらと紅茶をこぼす(食事中の方失礼)リナの手を、アメリアがぎゅっと握りしめる。
 「わたし、別れてからもずぅぅぅ〜〜〜〜………っっと気になってたんですよっ!!!
 リナさんとガウリイさんがっ!!
 お互いをすっっっっっごく大事に思ってるくせに、あとちょっとのところがじれったくてっっ!!
 二人揃ってリナさんの実家を訪ねるなんて、そこまで話が進んでいたなんて!!
 そうですか、ようやくなんですねっ!!!
 で、いつですか、お二人が自分の気持ちに素直になったのわっ!?」
 ずずいっとアメリアがリナの顔に迫る。
 「告白はどっちからっ!?
 もう手は握りましたっ!?肩はっ!?その……キ……キスはっ!?
 ああっ!!わたしもその場にいたかったぁぁっっ………!!」
 
  ごっちぃんんっっ
   
ぴよぴよぴよ………
 
 「いったぁあああいい…………なにするんですか、リナさん〜〜」
 リナの手を離し、アメリアは赤くなったおでこをさすった。
 「いきなり頭付きしないで下さいよ〜〜〜。」
 「じゃかましいっ!!
 
人が満足にしゃべれない状況で、よくも好き勝手にぽんぽん妄想を膨らませてくれたわねっっ!!」
 リナも額をさすっていたが、アメリアより腫れているようだった。
 「も……妄想?」
 「そーよっ!!
 ゼフィーリアは確かにあたしの故郷だけど!
 そこに行く理由は、あんたの考えるよーなもんじゃないからっ!」
 「え………ええっ?」
 怒った様子のリナの脇で、ガウリイがテーブルにあったナプキンを取る。
 「あ〜あ、びしょぬれじゃないか。ほら。」
 甲斐甲斐しくリナの口の周りを拭くガウリイ。
 「せめて拭いてから抗議したらどうだ。」
 「だってアメリアがっ………いっ、いいわよっ、自分でやるからっ!」
 「…………………」

 リナの顔をうらめしそうに見上げ、アメリアが呟く。
 「本当に……妄想ですか、リナさん………?」
 「そっ…………そーよっ!?」
 ガウリイの手からナプキンをひったくり、ごしごしと口を拭くリナ。
 「でも………相変わらず仲いいみたいですけど……」
 「これのどこがっ!?」
 「じゃあ、何故ゼフィーリアに?どっちが言い出したことなんです?」
 「これ。」と脇を指差すリナ。
 「オレ。」と自分を指差すガウリイ。
 「な〜んか知らないけど、珍しく強引に決めてくれちゃってさっ。
 ま、別に行くあてがあったわけじゃないから、たまには里帰りもいいかな〜と思っただけよ。」
 「ガウリイさんが……?」
 「しかもよ。ゼフィーリアを選んだ理由ってのが、聞いたらアメリアぶっ飛ぶわよ。」
 まだ少し顔を赤くしたまま、ちろりと隣に視線を送ったリナが言った。
 「えっ……そうなんですか、ガウリイさんっ?
 理由って、どんななんですっ!?」
 「え……………」
 アメリアに詰め寄られ、ガウリイはぽりっと頬をかいた。
 「それは…………」
 
 
  ガチャッ!!
 
 「……何だ。お前達も来てたのか。」
 聞き慣れた声がして、開いたドアから入ってきた人物がいた。
 フードを目深に被った白装束の細身の男性で、手には数冊の古い書物を抱えている。
 「ゼルガディスさんっ!
 アメリアが驚いてその場で立ち上がる。
 フードを脱ぐと、金属的な輝きを持つ銀髪と、冷たい色の肌が現れた。
 かつての旅仲間の一人、邪妖精とゴーレムとのキメラにされた剣士、ゼルガディスだった。
 彼も同じ理由で図書館を訪れた後らしい。
 「…………っと。どうした、取り込み中だったか?」
 部屋の空気を読んだのか、ゼルガディスは足を止める。
 「えっ!?あ……いえ、その!
 と……取り込み中……といえばそのような……
 問題の核心に近づいたり遠ざかったりっていうか……ええと……」
 両手の指をもじょもじょと合わせ、アメリアがぼそぼそと答える。
 「なんだ。相変わらずだな、アメリア。はっきり言え。」
 「は、はいいっ!ええとですねっ!!
 実はガウリイさんとリナさんがっ……!」
 「ガウリイとリナが……?」
 言われて二人を見たゼルガディスの顔が、何故か赤紫色に染まる。
 「ほほ〜〜。確かに取り込み中だったようだな……。」
 「えっ……?」
 アメリアが二人を見下ろすと、彼女の頬もぽっと赤く染まった。

 さっきまで軽口を叩きあっていた二人が、全く違う形でそこにいた。
 何と、リナがガウリイの胸に顔を埋めている。
 「こっ………これはっ……!?」
 アメリアの目がきらきらと輝く。
 ガウリイの腕は、リナを受け止めるように回されていた。
 「ああ。お前らがラブラブなのはわかったが、何もここでやらんでも……」
 ため息をついたゼルガディスの苦言を、ガウリイが遮った。
 「リナ!?」
 照れたのでもなく、慌てたのでもない。
 切迫した様子の声だった。
 「おい……!?
 「…………?」
 
 それは全く的外れの期待だった。
 ガウリイの腕の中で、小さな背中が小刻みに震えている。
 長い髪をつかんだままの手は、関節が白くなるほど強く握りしめられていた。
 「な……なんだ?」
 ゼルガディスが駆け寄る。
 ガウリイがそっと身体を起こすと、リナの蒼白な顔が現れた。
 汗が額にびっしりと浮かんでいる。
 「リナさんっ……!?」
 目はぎゅっと閉じられ、唇を噛みしめられ。
 まるで激しい痛みに必死に耐えている人のようだった。
 「リナ!
 「リナさん!」
 ガウリイとアメリアの呼びかけに、リナはふっと目を開けた。
 「…………………っ……」
 微かに口を開き、何かを言おうとする。
 が、すぐに意識が遠ざかってしまった。
 力なく閉じられる目蓋。
 「リナ!」
 「リナさんっ!?」
 「アメリア、魔法医を!」
 「リナ………!?
 
 ぐったりとした体を抱きかかえるガウリイの顔からも、血の気が引いていた。
 
 





 


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