「続・変化」

すらりと伸びた足が、前へ向かって懸命に駆けてゆく。
ふわりとなびいた髪が、鼻先をかすめて過ぎてゆく。

いつからだろう。
こんな風に、お前が前を歩いていると落ち着かなくなったのは。




月日はいつしか過ぎた。
出会った頃よりほんの少し、彼女の背は伸びていた。
髪も。
いつも一緒にいて気付かなかったのだが、いつのまにか、彼女はあどけなさの残る少女から、一人前の娘へと変貌を遂げていた。
くるくる変わる表情、まっ先に事件へと鼻をつっこんでいくあたりは、
ちっとも変わりはしないのだが。
ふと伏せた睫の下の瞳が、風が髪をさらって顕になるうなじが、
細かな指先が。
目に触れた瞬間、どうしようもなく。
胸の埋め火(うずめび)をかきたてる。
それは、ただ彼女が成長した、ということだけではないのかも知れない。
見守るこちらの心境が、微妙に変化しているという証なのかも知れない。
そして気付くのだ。

彼女も、オトナになることを。
この手から、飛び立つ日もあるということを。




「ね・・・・・ガウリイ?」
「ん?」
「・・・・・・んん、何でもない・・・・。」
「??おかしなヤツだなあ。」
「悪かったわね。おかしなヤツで。」
・・・悪いわけないだろ。
オレは、そのおかしなヤツが気になって仕方ないと言うのに。


彼女が、何度となくオレに問い掛けては、はぐらかすようになったのはここ数日のことだ。
どっちが悪いんだろうか、オレたちはちょっとしたぶつかり合いをした。
・・・そんな可愛いものでもないか。
ほいほいと男について行ったリナが、あまりにも無謀で、無防備で。
心配したのにわかって貰えなくて。
ついにオレは強引な行為に出て。
リナを泣かせた。
一番泣かせたくなかったヤツを、自分で泣かせてしまったのだ。
とすると、悪いのはやっぱりオレか。
・・・・それ以来だ。
リナが、何かをオレに言いたそうにしているのは。


「ね・・・・ガウリイ。」
「ん?」
「もしも・・・・よ。」
「ああ。」
「・・・・・・やっぱ、何でもない・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」


あの時。
最後に謝罪の意味も込めて、脅かしなどではない本物のキスをした。
拒絶されてもいいと思った。
それだけの事を、オレはしたんだから。
だが、そっと触れた唇はただ柔らかく。
逃げ場を求めたりはしなかった。
オレは目を見開いて、彼女の顔を見つめてしまった。
素直に目を閉じてオレを受け入れている彼女の顔を、信じられなくて。
ヒドい事をした。
なのに。

唇を離すと、しばらく彼女は目を閉じたままだった。
そっと手を掴み、すばやく手の甲にくちづけた。
宿屋まで引かれて行く間、彼女は抵抗もせず、ただ黙って後をついてきた。
そして翌朝。
いつもの顔で、オレを迎えてくれたのだ。

それから。

何かを言いたそうなリナ。
問いただせないオレ。
もどかしさだけが、つのる旅。




「ガウリイ・・・話が、あるの。」
「何・・・・。」
「後で、部屋に行ってもいい。」
「ああ。」



そしてオレは、信じられない言葉を耳にする。
「何も、なかったことにしてくれって・・・・・・?」

拒絶の言葉か、それともあわよくばオレを受け入れてくれる、そんな言葉を期待していた。
ところが、彼女がわざとらしいほどの明るさで、手を広げて説明するには。
あんな事は、なかったのだ、と。
自分も忘れるから、あんたも忘れなさい、と。


オレは耳を疑う。
何を言ってるんだ、こいつは。


「そうすれば、今まで通りに旅が続けられるでしょ?
あたし、ガウリイとぎくしゃくするのは嫌だし、だから、こないだの
事はすっぱり忘れて、また元の二人で旅を続けようよ。・・・・ね?」
「本気で言ってんのか・・・・・。それがどういう事か、わかってるのか。」
「どういう事とかも何も。今まで通りって事で。
何にも変わらない。つい1週間前の状態に、ただ戻るだけよ。」


戻る?
そんな事、できっこないだろ?
お前にできたとしても、オレにはできそうにない。

今でも鮮やかに思い出せる。
お前が漏らした小さな吐息を。
透明な水で溢れた赤い瞳を。
華奢な腕を、細い腰を、髪の香を。
元の、ただの保護者にはもう決して戻れやしない。
お前にだってわかってるはずだ。

だが敢えて、それを忘れろと言うのなら。
普段通りに振る舞えと言うのなら。
それは、拒絶されたも同じだ。
今のオレを否定されたと同じことだ。
そういう事を、そんなに明るくオレの前で告げるのか?
一度たりとも、オレの瞳を見ることなく?


「・・・・・わかった。」
オレの返事は、短かった。
我ながら、素っ気ない声。

言い放った後、すぐに部屋を後にする。
リナを一人、残したままで。
彼女の、ほっとした顔を見たくなかったからだった。




****************************************

「お兄さん。荒れてるのね。」
「・・・・。」

酒場のばか騒ぎ。
タバコの煙と、脂っこい食事の匂い、野郎どもの臭い息。
喧噪のただ中が、居心地いいなんて。

部屋を出て、街の中心部でただひとつ灯の点った酒場に入った。
カウンターの隅に陣取り、一番強い酒を注文する。
それを何度となく呷るうちに、気がつくと見知らぬ女が張り付いていた。
派手な衣装、かぎタバコ、見るからにそういう女だ。
「随分飲んだじゃない。お酒、強いのね。」
「・・・・・。」
返事をするのも面倒で、オレは黙って酒を呷り続ける。
いくら飲んでも酔えない酒を。

「何か悩みごとでもあるの?」
言うほど関心もなさそうに、タバコを吸う女。
うっとーしーな・・・。
「どっか他へ行ってくれ。オレは一人で静かに飲みたいんだ。」
「へええ。暗いのね。女にでもフラれたの?
あんたみたいな男をフる女がいたら、お目にかかりたいもんだわ。
でもいい?そおいう時は、明るく騒いだ方がいいのよ。
くら〜〜〜く一人で飲んでても、ただ辛いだけ。
あたしが付き合ってあげるから♪」

・・・フラれた?
オレが?
リナに?
そういう事なのか、リナ。

「あ〜〜あ〜〜〜、そんな顔しちゃって。いい男が台無しよ。
ほら、顔上げて。」
オレの顎に手をかけて、くいっと持ち上げる。
覗き込んできた顔は、化粧臭い。
「あら・・・。あんたって、顔がいいだけじゃなくって。
目も奇麗なのね・・・・・。そおいう目って、女は弱いのよ・・・。
奇麗ね・・・・。」




『・・・ガウリイの目ってさ。ガウリイらしいよね。』
『なんだそれ。オレらしいって、どういう事だよ。』
『ん〜〜〜〜。何となく。ぱかっと明るいって言うか。』
『ぱ・・・・ぱか・・・・?』
『それに、何となくガウリイって空色のイメージがあるのよね。』
『え・・・・そうなのか。』
『だあってさ。ふふ。あたしがガウリイの顔見る時、ほとんど見上げることが多いでしょ。だからかなあ。ガウリイと空が、重なって見えるのかも。』
『ふ〜〜〜ん。オレと空がねえ・・・』
『いつでもそこにあって。普段は忘れてるけど、ホントは凄く奇麗ってとこが。』
『ん??なんか言ったかあ?』
『ん〜〜〜ん。なあ〜〜〜〜んにも♪』



オレは心地よい程の感覚を覚えた。
記憶の中の、リナの声に。
例え憎まれ口を叩いていても、耳に快く聞こえるのはどうしてだろう?
媚びを売る隣の女のうわっつらが甘い言葉なんかよりも。

「ねえ。あたしの部屋へ行かない?お酒もあるしさ。
あんただったら、あたし、お金はとらないからさあ・・・・。
ねえ・・・・・?」
頬に湿った感触。
指で触れると、べったりと女の口紅が付いた。
「やめろ・・・・」

振り払おうと、視線を動かしたその向こうに。
酒場の入り口が見えた。
そこだけ、特別な明りがついているように見えた。
栗色の髪が、マントの上で揺れていた。

「リナ!」

髪とマントはひるがえり。
夜の闇へと消えて行く。
オレは女を押し退けるように、席を飛び立った。





こんこん!
「リナ!」
部屋からは、しんと静まり返った気配がするだけで、答えはない。
「頼む、開けてくれ!」
どんどんっ!
一瞬の間をおいて、ドアはかちゃりと開いた。
俯いたリナが顔を出す。
「人の部屋の前で騒がないでよね。・・・・・入ってよ。」

ばたん、とドアは閉まる。
オレたちは二人っきりになる。
リナはくるりと背中を向け、部屋の中央で立ち止まった。
オレはドアのそばから動けない。

「リナ、さっきのは・・・・」
オレが言いかけた時、彼女はぱっと振り返った。
「あ、ご、ごめんね?なんかびっくりしちゃっただけだから。
そりゃガウリイだってオトコなんだから、あーいう事もあって当然よね。
あたし、気がきかなくてさ。に、逃げ出したわけじゃないのよ。
びっくりしただけで。だから別に・・・・・。」
視線がさまよう。
「追っ掛けてこなくても良かったのに。」

ずきん、と胸が痛みを発する。
オレはなんでいちいち、こいつのこんな言葉に反応しなくちゃいけないんだ。
「そうか。そりゃ、悪かったな。」
何だかバカバカしくなってきた。
たった1人の人間に、振り回されてる自分が。
たった1人の人間の、言葉に突き刺さる思いをしている自分が。
たった1人の。
段々イライラしてくる。
酒が回ってきたのかも知れない。

「そおかよ。なら、オレはさっきのところに戻る。
・・・・・・・今夜は帰らないけど、お前は先に寝てろよな。
まあ別に、気にもならんだろうけど。
明日は・・・・・」
声が掠れる。
「早いから。」
別れる、とは言えない。
どうしてだ。
未練がましくひっついて行くつもりか。
お前はフラれたんだろ?
ならさっさと、目の前から姿を消してやるのが潔いとは思わないのか。

ドアのノブに手をかける。

ああそうだよ。
オレは未練がましいよ。
例え、リナがオレの事をどう見ようと。
オレはリナの許を離れたくないんだ。
いつかオレの目の前で、リナが他のオトコに惹かれていく光景を見るハメになっても。
例え、憎まれ口でもいい。
リナの声を、いつまでも聞いていたいんだ。



「だって、どおすればいいのかわかんないのよ!」
突然、背後から叫びが聞こえた。
ノブに手をかけたまま、オレは声がした方を振り返る。

そこには、両手を体の脇で突っ張り、拳を握りしめ、俯いているリナがいた。





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