「君といる未来」


あいつは言った。
『ちょっと行ってくるよ。』
あたしは言った。
『待たないわよ。』

あいつは言わなかった。
『なにもきかないでくれ。』と。
あたしも言わなかった。
『わけをおしえて。』とは。




*****************

「リナさん?」
酒場の前を通り掛かったシルフィールは、見間違えようのない姿を見て小さく驚きの声を上げた。
まだ町は夕刻。
雑踏の中で、リナにはその声が届いたようだ。
彼女は振り向いた。




「驚きました。あなたに会うなんて。」
繁華街の食堂。
雑多な人間がごった返す、賑やかな場所。
膝の上で手を揃えたシルフィールは、その端正な顔でにこりと笑った。

復興したサイラーグの町。
町並みも人も新しい。
そんな町だからこそ、微力ながら支えていこうと敢えて戻ったシルフィール。
リナやその仲間達と別れてから何年になるだろう。
まじまじと前の席に座ったリナを、シルフィールは見つめた。

「ここへはお仕事で?」
リナは目の前のディナーセットAを平らげるのに忙しい。
ちょっと待てと手を上げると、咽につまったらしい塊を無理矢理水で流し込んだ。
「ぷは。ここへは仕事で来たのかって?そーよ。
この町に新しくできた魔導士協会から依頼があってね。」
飯屋のおやぢが空の皿を片付けた。
瞬時に次の皿が運ばれる。
ディナーセットB。

「シルフィールこそ、こんな時間に酒場の辺りで何してたの?」
手にしたフォークにサイコロステーキを3つ続けて刺すと、ぱくりと口に放り込む。
「ああ。わたくし、この時間まで近くの教会でお手伝いをしていまして。
帰りに時間がある時は、酒場で働く方達にお話をして差し上げるんです。」
「お、お話?」
気のせいか、リナの額にじと汗が見える。
シルフィールは小首をかしげる。
「そうです。この世界の創世の話とか、日常に潜む神の御技などを話して聞かせるんです。皆さん、たいそう喜んで下さいますよ?」
「あ、あっそ。」

しん。
沈黙。
話の途絶えた二人は、黙ってそれぞれの夕食を口に運ぶ。

「あの〜〜。」
シルフィールが口を開いた時だ。
先を制してリナが言った。
「ガウリイなら、いないわよ。」
「え・・・・?」
まさにその質問をしかけていたシルフィールは驚いた。

「な、何故わたくしが聞こうとしていたことを・・・?」
リナの目が半開き。
「わかるわよ、それくらい。あたしはあのクラゲと違うんですから。」
ぽいっ。
付け合わせの小さな赤い実を拾い、口に投げ込む。
「そ、そんなこと・・・」
ぽっと、その実よりもシルフィールが赤くなる。
「で。ガウリイ様は?」
そこで諦めないところが、シルフィールがシルフィールたるゆえんである。

「ああ。別れたのよ。
もう1年くらい前になるかな。」

口の中で実を咀嚼しながらの、不明瞭な声が返ってきた。
右手の親指と人さし指を口に持っていくと、実についていた緑の茎を唇からつまみあげる。
「1年も前に・・・?な、なんでそんな事になったんです?」
シルフィールは思わず身を乗り出していた。

ガウリイと最期に会った時の事を覚えていた。
事件が終わり、これからどうするのかと聞いた自分の質問に、彼はさらりと
『リナはどうするんだ?』と聞いたのだ。
その瞬間、言わずもがなの彼の気持ちがわかった。
だから、あっさり受け流したのだ。
彼の道は、彼女の行く道。
そんな風に、彼等の旅は続いて行くのだと思っていた。
今の今まで。

「・・・そんな。ガウリイ様がリナさんから離れるなんて・・・」
「なんで?だってあたし達、単なる旅の連れだったんだから。
行き先が違えば、別れるのは当然でしょ?」
淡々とした声。
シルフィールは面を上げた。


変わらないその瞳。
変わらないその姿。
ぱしりとものを言い放つ。
何も変わっていない。
何も。
だが・・・・本当に何も?

「行き先が違えばって、どういうことです?ガウリイ様に何かあったのですか?」
「知らないわ。」
「知らない・・・・?」シルフィールは愕然とする。
「知らないって、ガウリイ様に別れた理由をきかなかったんですか?」
「きいてないわ。別に。」
「どうして!?」言葉は悲鳴に近かった。
「どうしてです!?急に別れることになったら、その理由くらい確かめるのが普通でしょう?単なる旅の連れだとしてもです。でも、あなた方二人はそれよりもっと・・・・!」
それ以上、言葉は続かなかった。
何故だか胸が苦しくて、シルフィールは拳を鳩尾に押し付けたのだ。

リナはそんなシルフィールをちらりと見遣り、軽く首を振った。
「ある日、あいつが言ったの。
どうしても行かなきゃいけない所があるって。
それは、一人で行かなきゃいけない所だって。
次の朝、あたし達は宿屋で別れたわ。
それから、あいつの事はあたしにもわからないの。」
何の感情も込められていない語り口調に、なおもシルフィールの焦燥はつのる。
「それで、わけをきかなかったんですか!?少なくとも、それぐらい教えて貰ったって・・・!」
「あいつは言わなかったの。」
「な・・・なにをですか?」
「『わけはきかないでくれ』とは。」
「じ・・・じゃあ、きいても良かったんじゃ・・・・」
言いかけたシルフィールに、リナの言葉がかぶる。
「言わなくてもわかったわ。きいて欲しくないんだって。
なら、あたしは何もきかない。
あいつが自分から話さない限り。
だから、何も知らない。」
「そ・・・・!」

思わずシルフィールは立ち上がる。
椅子が後ろへと音を立てて転がる。
「それでいいんですか、リナさんは!?
それで別れちゃっていいんですか、ガウリイ様と!
だって・・・だって、
あなたにとってのガウリイ様は・・・・・・!」


食堂中のざわめきが途絶えた。
フォークやナイフが皿に当たる音も。
夕食時の他愛もない会話も。
皿を運んで回るウェイトレスの靴音も。


リナはシルフィールを見上げた。
そして、ひとつため息をついた。
フォークとナイフを皿に置く。
「出ましょ。」





りりりりりりり・・・・・

りりりりりりり・・・・・

すっかり暗くなった、町外れ。
さくさくと雑草を踏みながら、リナが先頭を歩く。
2,3歩離れた後を、奇妙な沈黙を守ったままのシルフィールが続く。
「ここいらだったわよね。確か・・・」
リナが立ち止まった。

何もない草原。
ただ月だけがばかでかく、草むらでは一斉に虫達が鳴き交わす。
リナの言わんとしたところを察して、シルフィールは辺りを見回した。
そう。
フラグーンのあったであろう、場所を。
その痕跡は、ないに等しいが。

「いろいろ、ありましたね。」
ぽつりとシルフィールが呟く。
「そうだっけ?まあ、細かいことは忘れちゃったけどね。」
頭の後で腕を組み、そっぽを向くリナ。
「リナさん・・・わたくし、やっぱり納得がいきません。」
思いつめたような声を背中に受けながら、リナはただ月を眺めていた。

「わかりません。わたくし、あなた方二人は、ずっと一緒にいると思っていました。
いえ、信じていました。まるで当たり前のことだと。
リナさんのそばにガウリイ様がいるのも、ガウリイ様がリナさんのそばにいるのも、どちらも二人にとってごく自然なことのように見えたからです。
だから、なおさらわからないんです。
そんな二人が。
そんなあっさりと別れてしまうってことが。」
「・・・・・」
「リナさん。わたくしには本当の事をおっしゃって下さい。
ガウリイ様と、何があったんです?」
「何もないわよ?」
くるりと振り向いた瞳には、嘘の色はなかった。
月明かりに浮かび上がる、小さな姿。

「言ったでしょ。あいつは自分の道を行くって言ったの。
んで、あたしにはあたしの道があったの。
それは同じ道じゃなかったの。だから別れた、それだけの事よ。」
「それでいいんですか、リナさんは。それで、嫌じゃないんですか!?」
「嫌も何も。あたしの道に無理矢理ガウリイをひきずってくわけにも行かないでしょ。」
「リナさんの道・・・ガウリイ様のおっしゃる方向には一緒に行かれなかったんですか?」
「あいつは一人で行かなくちゃいけないって言ったのよ?
なんであたしがのこのこついて行かなくちゃいけないのよ。」
「一緒に行きたくはなかったんですか?」
「・・・・」
「行かなくちゃいけない、連れていけない、とかじゃなくて。
リナさんの気持ちとして、一緒にいたいという思いはなかったんですか!?
ガウリイ様と!」

激した様子で、肩を震わせるシルフィール。
それに対して。
こちを見つめるリナの表情には変化はなかった。

シルフィールはついに言った。
「わかりません。わたくし、リナさんがわかりません!」
「・・・」
「わたくしだったら!例えガウリイ様がついてくるなと言ってもついていきます!ダメだと言われても影からこっそりついて行きます!
だって、ガウリイ様と離れたくないですから!
一緒にいたいと思いますから!!
でもリナさんは、違うんですね!?」

声を高くして言葉を投げ付けるシルフィールに、リナはすっと肩をすくめただけだった。
「あたしは、あたしよ。他の誰にもなれないわ。」
「・・・・・!!」

訳のわからない衝動に突き動かされ、シルフィールはその場を立ち去りたくなった。
リナは静かに言った。
「月が綺麗ね。あたし、もう少し見ていたいの。だから、あなたはお帰りなさい。」
言われるままに、踵を返す。
しばらく歩いてから、シルフィールは一度だけ振り返った。
大きな月を前に、小さな姿は立ち尽くしていた。
何故だかその光景が、胸に小さな痛みを呼び起こした。






「わからないわ・・・・」
「何がわからないんだい?」

シルフィールは、はっとして顔を上げた。
目の前には、顔見知りの女性。
昼下がりの、裏通り。
いつものように街頭訪問の最中だった。
「何がわからないんだい?」
女性は重ねて尋ねた。
片手には、煙草。
夜ともなれば客の通ってくる店の玄関に、小さなテーブルを出していつもシルフィールが来るのを秘かに楽しみにしている、夜の女。
過ごした年月を顔に刻んできた。
「ご・・・ごめんなさい、ぼんやりして・・・」
読みかけの本に、視線を戻す。
だが内容が頭に入ってこない。

「何かが心にひっかかっているのなら。誰かに話して流しちまいな。」
「・・・・。」
「それには何の係わりもない、通りすがりの人間が一番。
酒の勢いならもっといい。
相手が酔っぱらっていれば上等。
ほら、あんたの目の前にいる、あたしみたいに。」
テーブルの上の、汚れたグラスを指で弾くと、女は器用にウィンクをしてみせた。
「話した方が、いいんでしょうか・・・」
ぽつりとシルフィールがこぼす。
女は笑う。
「流さなければ。澱(おり)になる。澱は苦い。毒にもなる。」

「何年も一緒に旅をしてきて、傍目にも仲が良さそうな二人が、ある日突然、お互いの理由をきくこともなく別れる、なんてこと、あるんでしょうか・・・・?」
シルフィールは女の顔を覗き込む。
女は、驚いた顔をして、それから煙草をくわえた。
深く吸い込む。
「そりゃあ。あるかも知れないね。」
「でも!男性の方は理由を言わず、女性の方はききもしなかった、なんて・・・」
「よっぽど、そいつを信じてるんだね。」
「・・・は?」
畳み掛けたシルフィールは、さらりと言った女の言葉に目を見開く。
「だから。よっぽど、信じ合ってるんだろ。その二人は。」
「だ・・・だって、だって・・・」
「男は理由を言えなかった。女は、それを察した。
男は、理由を言うほうが簡単だった。だがそれは、女を傷つけると思った。
女は、知りたかったが、きかない方が簡単だった。尋ねるのは、男を困らせることだとわかっていたから。・・・違うかい?」
「そ・・・れは・・・」
「お互いが、お互いのことをよく知っていなければできないことさ。
そういう二人だったんじゃないかい?」
「それは・・・そうかも知れません。でも・・・!」
「それに、男が理由を言わなかったのには他の訳もあると思うね。」
「ど、どんな訳です!?」

説法に来たはずの神官が、逆に説法されている。

「おそらく。男は、女のところに戻ってくるよ。」
「え・・・!?それは、本当ですか?」
シルフィールはがたん、と席を立つ。
テーブルが揺れる。
グラスの酒がこぼれて、女は顔を顰めた。
「ああ。だからあえて、理由を言わなかった。
戻ってくれば、それで全てが元通りじゃないか。
ただ女と別れたいなら、適当な理由でもつければいいんだから。」
「あ・・・・・」
「女もそれはわかってるはずだ。
だから、あえてきかなかったのさ。」
「そ・・・そんなことって・・・」
「しかし・・・」
女は、煙草をふかした。
「その二人。あたしの思った通りなら・・・・大したヤツじゃないか。
並みの二人じゃないね。
恋人とか夫婦の域を超えてる。
もし男が戻ってきたら、この二人はもっと強くなるだろう。
天下に怖いものなしってね。」
「・・・・・」
今は祈るような気持ちのシルフィールは、空を見上げて言った。
「ホントに・・・そうだといいんですけど・・・」
「ああ。全くだね。」
女はまた、煙草をふかした。


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