「君に捧げる名前」

夕暮れが、迫る森を赤く暗く染めあげる中。
ひと組の親子が、街道とは名ばかりで草の生い茂ったでこぼこ道を、てくてくと歩いていた。

男は、長身。
長いストライドで大股に歩み去る。
子供は、まだ小さい。
だがその細い足で、懸命に父親の背中を追う。
男が振り返った。
「キツイか。」
子供は頑として首を横に振った。
「大丈夫。」
刀身の長い剣を背中に背負った男は、一時、子供の顔をじっと見た。
そしてふっと微笑む。
「よし。しっかりついて来い。」
返事を待たずにまた、視線を前に向けて歩き出す。
子供はその背中に力強く頷き返した。
肩まで伸びた、黄金色の髪を揺らして。
そして、青く晴れ渡った空のような瞳を前に向けると、口をきゅっと結び。
そして同じく歩き出した。
父はそっと呟いた。
「がんばれよ、ガウリイ。」



ぱちぱち。
小気味良い音を立てて燃えてゆく焚き火の明り。
まるで被いかぶさる怪物のように見えた木々の枝が、悪さを見とがめられたかのようになりを潜めている。
木は、ただの木だ。
食べ終ったお椀を小川へ洗いに行っていた少年は、焚き火を見てほっと肩の力を抜いた。
そのそばに、寝床をしつらえている父親の姿を確認して。
濡れた洗い物を丁寧に布で拭き、自分のザックにしまう。
できることは自分ですること。
できないことも、やってはみること。
これは、少年が父親と旅をするようになってからの約束事だ。
だから、寝る前に必ずする事も約束のひとつのようなもの。

すでに父は細くしなる枝を二本、焚き火のそばにしつらえていた。
余計な小枝は払ってある。
長いのが父。
少し短くて細めのが彼のもの。
少年はできたての刀を受け取ると、大きく深呼吸。
毎夜の訓練の開始に、まず父に一礼。
男の目が一転して厳しくなる。
男は、ある家宝の剣を戴いた剣術一族の出身だった。


静かな夜の森に、木がぶつかりあう音が。
少年の早く激しい呼吸と。
踏み締める枯れ葉のかさかさと。
男は、汗ひとつかいた様子はない。
性急に攻め込んでくる若い太刀筋を、右に左にと受け流す。
少年に隙があれば、容赦のない一撃を与える。
痛みにひるむ隙すら。
少年は次第に父親を怒りと苛立ちと恐怖の目で睨み付けるようになる。
父にはかなわない。
父には届かない。
「ここまで。」
男の一言で、その日の訓練は終る。
唐突に断ち切られた高揚した感情を、少年は持て余す。
肩を落とし、地面を眺める子に、父親は黙ってタオルを投げてやるのだった。

「父さん。」
「ん?」
新しい服に着替え、汗をかいた服を明日は洗おうと枕元に畳みながら。
少年は焚き火の前に座る父の背中に問い掛けた。
「なんだ?」
「どうしたら、父さんみたく強くなれるかな・・・?」
そうした疑問を、羞恥心を呼び起こすことなく口にできる年令。
まだ幼い少年の、素直な問い掛け。
「どうしたら、強くなれる、か。」
父の背中は、笑ったような気がした。
「お前は、父さんが強いと思ってるのか?」
意外すぎる質問。
少年は父が、剣技においては並ぶものが少ないくらい、十分に強いことを知っている。
たつきの道を立てるため、彼が街に逗留するたびに請け負う仕事は一度の失敗もなかった。
報酬を受け取ったあと、返り討ちに会うこともあったが、彼は少年の目の前で鮮やかにそれらを打ち倒した。
つまり、父が負けるところは一度も見たことがないのだ。
「父さんは、強いよ。」
何を言ってるんだと言わんばかりの口調である。
だが父は鼻で笑った。
「お前は強さの意味を知らない。」
「意味・・・・?」
服を畳むのもすっかり忘れて。
少年は呆然と座り込む。
「意味って・・・?強いってことに、意味なんかあるの?強いから、強いんでしょ?違うの?」
「違う。」
「じゃあ、教えてよ。」
「ガウリイ。」
父に名前を呼ばれ、少年はびくりとする。
「な、なに。」
だが振り返った男の顔は、穏やかで諭すような顔だった。
手を伸ばし、彼は少年の頭を撫でた。
「そのうち、お前にもわかるようになる。それがわかった時。
お前は本当の強さを知って、本物の強さを手に入れるんだ。」


本当の強さ。
強さの意味。
強いってどういうこと?
父さんは、強くないの?

渦巻く疑問は、見上げる夜空にくるくると弧を描き。
ちかちかと瞬く星は、まるで答えを教えてくれそうで。
見つめるうちに少年はいつしか眠りに落ちた。
焚き火の番をする父の、己の右手を掻きむしる左手の爪のことは知らずに。



「ガウリイ!そばを離れるな。」
「はい、父さん!」
明るい昼間でも、鬱蒼と茂る木が濃く影を落とす中。
親子を突然襲ったのは、いわゆる山賊、野盗くずれの類い。
ばらばらの装備。
むさ苦しい外見。
饐えたような匂いがつんと鼻を刺す。
その数、十余人。
「へ。決まり文句で悪いが、命が惜しかったら金目の物を出して貰おうか。」
頭目らしい男のひび割れた鐘のような大声にガウリイは思わず肩をすくめた。腰に下げた剣を抜いてはいるが、一人で大人を倒したことはまだない。
緊張する彼を尻目に、何故か父は楽しそうに声を上げて笑った。
「面白いことを言うなあ。嬉しいよ。
だが悪いと思ったら、たまには決まり文句以外のバリエ〜ションを考えたらどうだ?」
ガウリイはあっけに取られる。
昨日、父は自分が強いと言われた言葉を鼻で笑ったではないか?
父は自分に自信がないのではないのか。
じゃあ、やっぱり、父は強いんだろうか?
頭目に目をやると、ヒゲ面の顔は今にも沸騰しそうな鍋に近かった。
「や、野郎ども!構わねえからやっちめええ!!」
「お、おお。」
わらわらと集まる手下達。
いくら何でも、二人(いや、一人と半人前)と十数人が相手じゃ分が悪すぎる。と、ガウリイが思った時だ。
「はっはあ!」
父は笑いながらその中に身を投じた。
そしてガウリイは見た。
彼が抜いた剣が、煌めく銀の光を放ちながら。
まるで舞うように。
泳ぐように。
そして突然目の前から消えたり現れたりする螢のように。
閃き、ひらめき。
躱し、受け流し、突き、払い上げ、薙ぎ払い。
男どもが呻いて倒れていく様を。
やられたことにも気付かず呆然と立ちすくむ様を。
頬に一筋、鋭い傷を負わされた頭目が、一転して気弱そうな顔で逃げて行くところを。
父一人で。
総勢をあしらった様を。
目のあたりにしたのだ。

「やっぱり父さんは強い。」
刀身を露払いし、鞘に涼やかな音をたてて納めた父に、ガウリイは言った。
「強いよ。」
だが父はそれを、賞賛の言葉とは取らなかったようだ。
「いや。」
くるりと向けられたのは、背中。
「父さんは、強くない。」
「どうして!」
「何故なら。」
聞こえてきたのは自分を責めるような、寂しいような声。
「守らなきゃいけない人を、守れなかったから、だ。」
それで話はお終いとばかりに唐突に歩き出す父。
ザックを背負い、慌てて追い掛けるガウリイ。
「待って!父さん、待ってよ!」
あの寂しそうな声には覚えがあった。
前に一度だけ、彼が発した質問に帰ってきた言葉も、同じ声だったからだ。
「待ってよ。それって・・・・母さんのこと?」
「・・・・・」

ガウリイには、母の記憶はほとんどない。
時々、夢に見る。
誰かの腕に抱かれている自分を。
温かくて、いい匂いがして、安心できた。
だが、その顔を見ようとすると目が覚めてしまうのだ。
あれが、母なのだろうか。
実際に顔も覚えていないかった。
「父さんが守れなかった人って、母さんのこと?」
「・・・・・」
「教えて。母さんは・・・死んじゃったの?父さんが守れなかったから、死んじゃった、の・・・・?」
今まで尋ねたくとも、絶対にできなかった質問。
母の安否。
「教えて、父さん。オレだってもう赤ん坊じゃない。知っておかなくちゃいけないことは、知らなくちゃいけないんだ!」
父は振り向いた。
優しい顔で。

「いつきかれるかと思ってたよ・・・。」
「・・・・・」
父の目は意外にも穏やかで。
ガウリイは思わず目を逸らした。
地面には、枝枝の葉が陽光を受けて自然のレース模様を作り出していた。
「お前の母さんはな、ガウリイ。」
「うん。」
「今この世に生きてはいない、かも知れない。」
「え?」
「だが、死んでるとも言えない。」
「・・・どういうこと・・・?」
「ん・・・つまりな。」
男は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「昔、大きな戦いがあってな。父さんも母さんもそれに巻き込まれた。母さんは、強い人でな。この世界と、父さんやお前を守ろうとして。持てる力を全て使っちまったんだ。」
「・・・・?」
「結果。この世界は救われた。一時的にはな。だが引き換えに。母さんが。」
「死んだ、の・・・?」
「死んじゃいない。」
「じゃ、生きてるの。」
「たぶん。」
「たぶんて!?」
「父さんにもわからないんだ。ただわかるのは。」
穏やかな、穏やかすぎる目。
「母さんが消えてなくなってはいないということ。もしかしたら、姿かたちが変わってるかも知れないけど、いなくなってはいないって事だけさ。」
「・・・・・!」
10才のガウリイには不可思議すぎる答。
「わからないよ、父さん。」
「ああ。父さんにもよくわからない。でも、それで父さんには十分なんだ。」
「十分?」
「いつか。この旅のどこかで。必ず母さんと再び会える。そう思うだけで、十分だ。」
「そんな・・・・」
当てのない旅の、理由がやっとわかった。
父は母を探していたのだ。
僅かな手掛かりを求めて。
「それでいいの、父さん。」
「それでいいんだ。」
「いつどこで会えるか、わからないんだよ?」
「だがきっと会える。」
「死んでるかも知れないんだよ?」
「死んでない。少なくとも、この世界からいなくなっちゃいない。」
「どうしてわかるんだよ!」
「それはな。」
穏やかな目をした男は、ついと手を伸ばしてガウリイの手を取った。
それを自分の胸に当てる。
「ここでわかるんだ。母さんのことは。何故かってな。
ここと、母さんが繋がってるからさ。」

とくん。とくん。
規則正しい鼓動。
ガウリイの小さな手の中で、それはまるで寄せては返す細波のように。
だが確かな証として。
にっこりと笑った、父の明るい笑顔が。
疑うことをさせなかった。

「それにな。」
「?」
目をあげると、そこにはすぐ近くで輝く自分と同じ色の瞳があった。
「それに。お前がいるだろ?」
くしゃくしゃと撫でられる頭。
「お前がいるから。父さんは旅を続けられる。お前がもっともっと強くなれるように、父さんはがんばれる。お前がいるから、歩いていける。」
初めて聞いた、父の露骨な愛情表現。
「ガウリイ。お前は、父さんの今はたったひとつになった宝物だ。」
「今は?」
くしゃっ。
乱暴にかき混ぜられる髪。
「野暮なこと聞くなよ。もうひとつあった宝物は、母さんに決まってるだろ?」
「父さん・・・」
「強くなれ、ガウリイ。強く、強く。」
「強さの意味って、なんなの、父さん。」
「本当の強さはな、ガウリイ。剣の技とか、スピードとか。そういうもんじゃない。守りたいものを見つけられる。そして、その守りたいものを全力で、そして必ず守れる。その意味で、母さんは父さんなんかよりずっと強かったんだ。」
「オレにも、守れるかな?」
「守りたいものがあれば。守れるように。強くなれ、息子。」
くしゃくしゃ。


風が吹き。
何事もなかったように、男は歩き出した。
少年はその後を必死に追い掛ける。
「父さん!」
「ん?」
「父さんは、何でオレに、父さんと同じ名前をつけたのさ。」
同じ色の髪の向こうで、父は振り向かなかった。
「・・・それはな。いつか母さんに会えた時。
お前が、父さんと母さんの子供だってすぐにわかるように、さ。」


ガウリイは、息子には言わなかった。
例え、オレが倒れても。
お前が代わりに母さんを見つけた時。
名前ですぐにわかるように、と。
今度はお前が、彼女にとってのガウリイになれるように。
祈るような気持ちでつけたことを。































====================えんど。

ありゃ。予定よりマジでちょっと暗い話になってしまいました。
前半、仕掛けました。あれ?と思っていただけたら光栄の極みです♪
そうです。これはガウリイと、ガウリイとリナの息子ガウリイJr.(笑)のお話です
しかし、ほのぼの親子を書く予定が〜〜〜(笑)
ガウリイの子供の話が書きたいなと思った時、二つのパターンが浮かんでいました。ひとつはこれ。親子で旅をしてるんだけど、それはリナを探す旅で、父と息子の二人旅だって話です。一緒にお風呂に入ったりご飯を争って食べたりを想像してたんですが、結局入りませんでした(笑)
もう一つは、いずれ書きたいので詳しくは言えませんが(笑)ガウリイに隠し子発覚!?てな感じの騒動です(笑)タイトルは「あなたの子供に生まれて」まだ冒頭とラストシーンしか決まってません。あう。

この二人の旅は、いずれハッピーエンドで終るでしょう。
父は妻に、子は母に会えますように。
では全然ラブラブのないこんな話を読んで下さった方に、感謝を込めて♪
そして、いつも素敵なイラストでそーらを喜ばせて下さる、
にゃんさんにこのお話を捧げたいと思います♪

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