「水面の鳥」
泳ぐ鳥の足は絶えず・・・

 

「まっらく、らんだってゆーのよほ。」

すでにロレツが回らないほど、泥酔したリナがガウリイに向かって文句を言う。上半身をテーブルに預け、片手にビアジョッキを持ったまま。そばにはフォークやらスプーンやら空の皿も散乱している。
 
「なんだってこんなに飲んだんだよ?」
情けない気持ちでガウリイは辺りを見回す。17,18の若い娘がぐでんぐでんになっているとあって、周囲の客の目も冷たい。
「なんかガウリイっれば、きょほはまわりばっか気にしてるう。」
ぶすっと言う。
「朝からまわりばっか見れ、落ち着かないわよお。きょろきょろしれらかと思ったら、突然一人で飲みに行っちゃうしい。一人で宿で待っれるのも芸がないからあたしも飲みに出かけたらけじゃないの。もお、ほっといれよおおお。」
「・・・・・」
黙ってガウリイはリナを抱き上げる。
「ら、らにすんの!おろしれ、おれしれっればああ〜〜〜〜〜」
恥じらう乙女というよりは、駄々をこねる子供のようだ。
「どうも、お騒がせしました。」
ぺこりと入り口で一礼すると、ガウリイはリナを肩に抱え上げ、すたこらとその場を後にした。



「おろしれよ〜〜〜〜〜!
これじゃ、まるれずたぶくろかなんかじゃないら〜〜」
ガウリイが小走りに走るたびに、リナの上半身は揺れてガウリイの背中にごんごん当たっている。その間も、ガウリイはきょろきょろと辺りを見回していた。間断なく揺さぶられながらもリナはそのことに気付いた。
「・・・まっらく、らんだっれいうのよ・・・」
独り言のようにぽつりと呟く。



宿に着く頃にはリナを激しい吐き気が襲っていた。
「う〜〜〜〜〜、せかいがまわるううううう。うぶ。」
「わ、ちょっと待て!ここで吐くなああああ」
「もとはいえば、あんらがわる・・・・うぶ。」

結局リナは廊下で吐いてしまった。信じられないような吐瀉物の多さにガウリイはため息を付く。
「なんだってこんなに食ったんだよ。」
とりあえずリナを部屋に寝かせ、アーマーを外し雑巾とバケツを持ってそれと格闘を始めた。

しばらくしてガウリイが手を洗って部屋に戻ってみると、リナは寝かせたままの格好でベッドで眠っていた。
戸口に立て掛けてあった剣を取り、ベッドの脇に置く。
それから手洗い用の水桶でタオルを絞り、ベッドに行くとリナの顔を拭いてやった。

だからオレは、保護者ってやつを止められないんだな、とふと自嘲気味になる。

寝顔はただあどけなく、ガウリイは突然それを揺り起こしたいという衝動にかられた。
男の前でいともたやすく無防備になれる、その寝顔を。
いつでも眠っていてたまにしか浮上してこない、彼女の中にある女の顔が見たくて。
「うぅん・・・」
リナが身じろぎする。
「ガウリイのバカ・・・・」
寝返りを打つ。
ガウリイはハッと我に帰る。そしていつもの苦笑を浮かべた。

頬がまだ熱い。
そっと指で触れてみると柔らかかった。指の背でなぞるように頬を撫でる。
この娘が、本当に目覚めるのはいつなのか。目覚めることはあるのか。自分に目覚めさせることができるのか。そうつらつらと思いながらも、ガウリイは周囲に神経を張り巡らせていた。

「・・・いるのか、ゼロス。」


ややあって、部屋の中央に一瞬にして獣神官が出現する。

「やあ、やっぱり気付いてたんですか。」
その顔はあくまでも笑顔だ。
「ああ。朝からな。ずっとオレ達を見てただろ。」
すぐ手が届くところに光の剣がある。

「なんの用だ?と聞きたいところだが、どうやらオレに用事がある訳じゃなさそうだな。」
神官の笑みが深くなる。
「ご存じでしたか。」
「最初はオレに用かと思って、一人で人気のないところへ行ってやったのに、仕掛けてくる様子がなかった。ってことは、リナに用があって、リナが一人になるのを待ってたんじゃないのか。」

杖を抱えてゼロスはパンパンと拍手を送る。
乾いた音が部屋にこだまする。

「素晴らしい。あなたの天性とも言えるその野生の勘には、魔族の僕も純粋に感心してしまいますね。おっしゃる通り僕はリナさんに用事があったんですよ。一人になってくれるのを待っていました。
酒場で見つけて、やあ、やっとお会いできると思ったらあなたが素早く戻ってくるし、泥酔してるとは美味しい状況なのに、あなたはリナさんのそばを離れてくれないしで、結構ストレス溜まっちゃいました♪」
ストレスなどとは永遠に無縁そうな無邪気な笑顔で魔族は続ける。
「・・・さて、どうしましょう?」
「リナに何の用だ。」
「・・・人前では言えませんねえ。だいいち、聞いてどうするんです?」
「リナに害があるなら、斬る。」
「おおこわい。さすがは自称保護者どの。リナさんのこととなると、人が変わっちゃうんですね。親心というか父性愛というか、まったく感心します。」
嫌味か、こいつ。
「でも娘の恋愛に口を出し過ぎると、お父さんって嫌われるんですよ。」
チッチッと、いつものように人さし指を振る。
片目をつぶりガウリイの反応を確かめる。
「・・・恋愛?だと?誰と誰のことだ?」
「もちろん、」ゼロスは笑って自分の胸を指差した。
「僕とリナさんの。」
「・・・・・」
「僕はね、あまり一つの物に興味を持ったことってあんまりないんです。
人間なんか特にそうですね。あっと言うまに死んでしまうし。まあその点では、人間も他の生きとし生けるものたちも、あまり変わりはありませんけど。寿命が短いのもそうなんですが、この指を振るだけでみんな僕の前からすぐにいなくなってしまうんですよ。そんなものに興味を持ったところで、つまらないでしょ。」
当たり前のように口にする。
そんなゼロスをただ黙って見つめるガウリイ。

「だけど、リナさんは違います。
何故だかはよく、僕にもわからないんですけどね。彼女もまた生き物の一つでしかないんですが、そんなものに興味が湧いたこと自体に自分でも驚きましたし、その驚いた自分にも興味が湧いてきたんですよ。
・・・つまり、リナさんは僕の興味を引く存在であり、興味を引かれた自分にも興味が湧くという、この不可思議な感覚を与えてくれるんです。
こんなことはかつてなかった。
神の世界にも魔族の世界にも。
そして僕は、この感覚を手放したくないんです。」
「・・・なんのことか、さっぱりわからんな。」
「そうでしょう。」
事も無げに笑う。わかっている、と。
だがガウリイの答えは少し違っていた。

「言い間違えた。わかりたくないと言おうとしたんだ。」
ゼロスが眉をひそめる。
「ごたごた理屈を並べて、結局リナにホレてるってだけだろ。
だけどその理由はわからんと来た。
保護者としちゃあ、その辺が知りたいんでね。理屈はどーでもいいんだ。」
剣を構える。
「で、・・・何をしに来た?」

黒衣の神官と、アーマーのない剣士。
場末の宿屋の一室での攻防。

「いやあ、僕なりに考えたんですけどね。
今までリナさんは、僕のすることにひどく抵抗したことはないんです。
人間の言う、くちづけとやらを交わした時だって、ただ赤くなるだけでものすごく嫌がってる風には見えませんでしたよ。・・・ですから、もし僕がもう少し押しさえすればリナさんのまた違った顔を拝めるのではないかと・・・」
毒を含んでいるとは思えないその微笑。ガウリイは剣を抜き放つ。
「・・・今、なんて言った?」
「え?ですから押し倒しに来たと・・・」
「そうじゃなくて、リナが嫌がらなかったとかなんとか・・・」
「ああ。くちづけですか?えーと、2回ほどしましたか。」
ぶわっと、ガウリイの周りに見えない風の壁がわき上がる。闘気。殺気?
「あれ、ご存じなかったんですか。リナさんは何も言わなかったんですか?」
ウィンクして神官は続ける。
「そんなことも報告されないなんて、あなたはそれでも保護者なんですかねえ?あ、それとも、保護者だから言わないのかも。キスしたなんて、娘は父親に教えませんもんねえ。恋人なら言うかもしれませんが。」
 
ガウリイが剣を振りかざした瞬間、
何か見えない力に押しとどめられたように動きが止まった。
「ゼ・・・ロ・・・・・・・・ス」
固まったまま歯を食いしばり、その隙間から絞るように魔族の名前を呼ぶ。
苦しそうなその顔にはすでに汗の玉が浮いている。
「娘の恋愛には口を出さない方がいいって言いましたよ。あ、手もね。」
魔力を使っている最中には決して見えない、優雅な素振りで神官はさりげなくベッドに近付く。その上では、ぐっすり眠るリナの姿があった。
「く・・・・・・」腕は一ミリも動かない。

 「リナさん・・・・」
そっと少女の名前を呼び、ゼロスは杖を床に置いてひざまづく。
ゼロスがリナの髪をかきあげるのを、ガウリイはただ歯を食いしばって見ていることしかできない。やがて神官の手は彼女の首筋にかかり、まるで禍つ影のようにベッドに覆いかぶさろうとしていた。

「お会いしたかったですよ・・・・」
そう囁くとゼロスは花の蕾のような小さな唇に触れようとした。
「リ・・・・・・・ナ・・・・・・・・・・・・!」

 


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