「てのひらのうた」
てをうって、むすんで〜♪


ガウリイがリナに言われて、イモを洗っている間のことだった。
物音一つ立てずに、近寄ってきたものがあった。
野生のオオカミだった。

「…………!」
ガウリイはオオカミを見たことはあっても、これほど間近では初めてのことだった。
そのまま動かずに見守っていると、目があった。

 野生の動物に遭ったら目を合わせてはいけない。
 相手がこちらの力量を測ってしまう。

昔、誰かが言っていたのを思い出した。


オオカミは静かだった。
その瞳は、深い湖のように底なしで、透明だった。
「………………………」
ふい、と視線を外したのはオオカミの方だった。
するりとガウリイの脇を抜け、どこかへ向かって歩き出す。
歩き方が変だった。
片方の後ろ足を引き摺っている。

ガウリイは思わずその後をつけた。
オオカミはこちらに気づいているはずなのに、振り返りはしなかった。
なかば悠々と川面に近付き、水を飲む。
その姿を見てガウリイは息を飲んだ。

左脚に深々と矢が刺さっていた。
オオカミはかすかにそちらの脚を引きずっていた。
灰色の毛皮に黒いシミのようなものがこびりついていた。
一目でそれが血だと、ガウリイには見てとれた。

「……抜いてやろうか?」
相手に人間の言葉がわかるはずもない。
だがガウリイは考えるより先に、口に出していた。

オオカミが水を飲むのを止め、こちらを振り向いた。
矢はどう考えても人間の放ったものだった。
自分を傷つけたと同じ人間の仲間に、心を開いてくれるだろうか?
オオカミは牙を剥く。
低く唸る。
前脚に体を深く沈め、丸い狼耳をぴたりと伏せ、臨戦体勢。

ガウリイはオオカミを安心させるかのように笑いかけた。
「可哀想にな。
血が乾いてるとこを見ると、もう肉がしまって抜けないだろう。
オレでよけりゃ切開して抜いてやるけど、どうする?」

しばらく間があった。
驚いたことにオオカミは首を傾げて警戒を解き、ガウリイの提案を考えているかのようだった。
やがて、オオカミはゆっくりと近付いて来た。
「オレを信用したってわけか?」
食われるかも知れないという考えは、何故だか頭に湧いてこなかった。
オオカミはガウリイの目前まで来ると、どさりと地面に倒れこんだ。
矢が刺さっている方を上にして。


火を起こすわけにはいかなかったので、丹念に小刀を水で洗った。
いくらか殺菌になる。
オオカミは静かに横たわっていた。

ガウリイが傷を切り開いても、深く埋まった鏃(やじり)を引き抜いた時も、オオカミは唸り声ひとつあげなかった。ただハアハアと、荒い息をするだけ。
作業が終わると、手近な草を揉んで傷口に当てる。
そのまま布かなにかで縛ってやろうかと思案していると、予告なくオオカミは立ち上がった。
フンフンと傷の匂いを嗅ぎ、ぺろりと舐める。
「そうか。あとは自分でするか。」

礼のつもりなのか。
オオカミはじっとガウリイを凝視した。
だが犬のように、尻尾を振ったり甘えてみせたりはしなかった。


束の間の交流を残して、オオカミは立ち去った。
後には血だらけの、矢とガウリイの手が残された。

ガウリイはしばらくオオカミの消えていった方向を眺めていたが、ふと己の手を振り返った。
鮮血が、まるで汗のようにびっしょりと手を濡らしている。
ガウリイの中に、皮肉な笑い声が谺する。

さんざん命というものを軽々しく扱い、いとも簡単に奪ってきたその手で、お前は今オオカミを癒してやったつもりか。その、穢れた手で。
あのオオカミは喜びはしない。
ひとつの命を救ったところで、それが何になる。
お前は偽善者だ。
助けたかったのは、あのオオカミなんかじゃない。
自分だ。
自分の心を少しでも楽にしたくて、あんなことをしたのだ。
自分のためだ。オオカミのためじゃない。

真っ赤に染まった手が、オオカミの流した血が、ガウリイを責めているようだった。
ガウリイは手を洗い出した。
流れる綺麗な水に浸し、何度も。何度も。

リナが背後から声を掛けるまで、それは続いた。





********************


 ガウリイは事の次第をリナに話して聞かせた。事実だけ。
 心中の葛藤については触れずに。
 リナは静かに聞き入っていたが、その目は納得していない様子だった。

「じゃ、今なんでいなかったの?」
「それがさ。そのオオカミがまた来たんだ。」
「え?」

 


*************************

たき火の向こう側で、くだんのオオカミがじっとこちらを見ていた。
ガウリイが立ち上がると、さっと向きを変えてまたこちらを振り返る。
まるで後についてこいと言っているかのようだった。
ガウリイが歩きかけると、また少し前に進み、また振り返る。

オオカミが、傷付いた人間を山の麓まで案内したという話は聞いたことがある。
俗に、送りオオカミという呼称がついた由来だ。
人間の少し前を歩き、きちんと要所要所で振り返り、人間がちゃんと後をついて来るか確かめると言う。
ガウリイは何だか自分がおとぎ話の中に入り込んでしまったかのような錯覚を起こした。
まるで夢遊病者のように、オオカミの後を付いていったのだ。

眠るリナを一人残して。

しばらく森の奥へ入り込み、突然オオカミは立ち止まった。
目の前に、雷で倒れたのか枯れた大木が大きなうろを作っていた。

オオカミはガウリイを振り返り、そっと鼻でその方向を差し示す。
ガウリイが膝をついて中を覗いてみると、そこにはまだ目の開かないオオカミの子供がいた。
ひいふうみい、4匹。
ふくふくとした毛皮の固まりとなって幸せな夢を見ている。

オオカミは一般には群れを作って生活するが、こうした群れからはぐれた家族もいることにはいる。その場合、親はメスもオスも獲物を狩り、子育てを仲間のメスに委ねることもできない。ガウリイはオオカミが何故これを見せたかったのか、何となく理解した。

もしこのオオカミが死ねば、この生まれて間もない子オオカミ達も命がない。
メスの姿が見えなかったが、大木の背後に気配はあった。
このオオカミはこの子達の父親なのだ。
オオカミの透明な瞳が、こちらをまた凝視する。
礼か。
ガウリイは苦笑する。
「礼などいらん。こっちが好きでやったんだから。」
そう、お前達を助けたくてやったことじゃない。
礼を言われる立場じゃない。

オオカミは微かに笑ったように見えた。
ガウリイはぎょっとした。
きびすを返し、巣の中に戻るオオカミの後ろ姿を見送り、ガウリイは早々にその場を立ち去った。
オオカミではなく、キツネにつままれたような心持ちで。





*************************


静かに語りおえたガウリイの顔を、しばらく見つめていたリナは口を開いた。

「・・・んで、戻るとあたしがいなかったのね。」
「ん?ああ。眠ってるとばかり思ってたから焦った。悪い。」
「何で謝んの?」
「眠ってる人間を一人で置いて行くなんてオレが悪かった。」
「・・・・・」
「も一度見張りをするから、お前は眠れよ。
あんまし眠れなかったろ?」
そっとガウリイに肩を抱かれ、リナはおとなしくたき火のそばに戻る。
リナの肩に掛けた自分の手を、ガウリイの視線が吸い付くように見ていた。

たき火の前で、すとんとリナが座る。
肩すかしをくらったガウリイはぽかんとその場に立ち尽くした。
「なに怒ってんだよ?」
「・・・・・話してないことがあるでしょ?ガウリイ。
オオカミが来て、矢を抜いてやって、そしたらそのオオカミがお礼に巣まで案内してくれた。事実はそうよね。でも全部じゃないでしょ。」
ずばりと切り込んでくるリナの言葉に、ガウリイは内心舌を巻いた。
リナの勘ときたら、オレの野生の勘より鋭いな、と。
「うーーーん。話さなきゃダメか。」
「ダメ。」
「う〜〜〜〜ん。」
「忘れた、はナシよ。」先手を打たれる。
「お前な。」
「言おうとしたでしょ。」
逃げ場はなかった。ガウリイはため息をつく。
 

   自分の手が、いつまでも汚れている気がした。


素直に、ガウリイはリナにそう告げなければならなかった。
適当な嘘を思い付かない自分に呆れる。
オオカミを助けたのも、そんな自分を少しでも変えたくてしたことだと白状する。
カッコ悪いな、と反省しながら。

だがリナは、ガウリイに軽蔑の視線を送ったりしなかった。
リナの隣へ精魂尽き果ててどっかりと腰を降ろしたガウリイに、こう言ってのけたのだ。

「オオカミにとっちゃ、そんなことどーーーーでもいいんじゃないの?」
「へ?」
「だからあんたが、オオカミを助けたくて助けたんじゃないと言ったところで、ああそうですかとオオカミが軽蔑する訳ないじゃない。
だって実際あんたはオオカミを助けたんだし。
オオカミにとっちゃ、命が助かっただけでめっけもんじゃない?」
「…………あ。」
「理由なんてどーでもいーのよ。
要はあんたが一匹のオオカミ、いや子供と奥さんの命を入れて6匹助けたことに変わりはないわ。」
「………だが、オレが今まで殺してきたかもしれない、オオカミ以外のたくさんの命に比べれば・・・・。」

ぶん、とガウリイの目の前に、リナの人さし指が振り立てられた。

「あのね。あたしたちは毎日、誰かの命を犠牲にしながら生きてるの。
美味しく食べたおイモさん、今朝食べたお魚さん、兔さん、シカさん。皆生き物なの。
あたし達は、誰かの命を奪わなきゃ生きてけないのよ。」
「食うために殺したわけじゃない。」

声に潜む、ぞっとするような寒気をリナは無視する。
「いーじゃない。
今日100匹オオカミが死ぬとして、その6匹をあんたが助けたんだから、100匹が94匹に減ったじゃない。それじゃいけない?」
 
目の開かない子供たち。親オオカミ。
巣。矢。血。
いのち。

「それともやっぱ罪悪感が薄れないからって、今からそのオオカミ殺してくる?」
「…………!」
リナの一言は辛らつだった。
思わずガウリイは身構える。
「自分の手が汚れてるからって、いつまで手を洗い続けるつもり?
永遠に?そんなの、不可能だわ。
第一そんなことしてたら、あたしは容赦なくあんたを置き去りにするわよ。
あたしはあんたと旅をしているんであって、アライグマと旅をしてるんじゃないわ!」


          ・・・・・アライグマ?


二人は目を見合わせた。
ぷっ。
どちらからともなく吹き出す。

「・・・すまん、リナ。変なこと言っちまって。」
「なに謝ってんのよ。ヤメてよ。照れるから。」
言葉通り、頬を染めるリナ。
「とにかく、旅は道連れ世は情けねえって一緒に旅してる以上、あんたも一人で悩んだりしないこと。いーーーわね!」
「世は情けねえ?」
「いーーーーーーーわね!」
「はい。」

口でリナに勝てる訳がない。
なんだか体よく丸め込められた気もするが、悪い気分じゃない。
ガウリイの顔に、自然と微笑が浮かぶ。
感謝の意味を込めて、そっとリナを背後から抱き締めてみた。
小さな背中に耳を当てて鼓動を聞く。
抱かれた瞬間ぴくんとリナが跳ねたが、そのまま抵抗しないでじっとしていてくれた。

………こいつも、人の気持ちがわかるヤツだな。


リナを膝ごと抱えていた自分の手を、リナの肩ごしに見るガウリイ。
何度か抱いた疑問が胸を離れない。
この手に、リナを抱く資格はあるのか、と。

するとリナが、突然その手を取って自分の頬に当てた。
てのひらに、あったかくて柔らかい感触。
気のせいか、すりすりとてのひらの中で頬が動いたようだった。

「あたしは、ガウリイの手、好きよ。」

ずきんとガウリイの胸が疼く。
よせ。リナ。そんなことを言われる資格はオレには・・・

「だってあたしのためにおイモ掘ってくれるもの♪」
ずべっっ!
「それからお水汲んできてくれたり、」
は?
「重いもの持ってくれたり、」
え?
「メンドい盗賊とかやっつけてくれたりい。」
おいおい。
・・・自分がいびって追い出した奴らだろ…………。


くる、とリナが振り向く。
栗色の髪が、火に映えて眩しい。
目はきらきらと輝いていた。
生気そのもののような、光の少女。

たき火のせいだけではなく、眩しいその姿にガウリイは目を細める。
少なくともこいつは、黙ってオレに殺されてやるタイプには見えないな。
もしかしてそれが、オレが安心してこいつと旅を続けられる、ひとつの理由なのかも知れない。
と思いながら。

「ガウリイ。」
「ん?」
「もう、黙ってどっかに行かないでよね。」
聞き逃してしまいそうな、か細い声だった。

この日何度かの衝撃を味わいながら、ガウリイは目を閉じた。
自分勝手な悩みのせいで、オレはリナをただ心配させてしまっただけじゃないのか。
………ならば、償う方法はひとつしかない。


「わかった。もう、黙って一人でどこにも行かない。約束する。」
 
たとえ洗っても落ちない罪がこの手にあろうと。
ただひとつのものを護れるのなら。

この手で、お前を抱きしめよう。

































====================================END

あり。短編にしようと思ったのに、無茶苦茶長いじゃないですか(笑)
すいません(汗)またもやギャグにしようとして不発に終わりました。
途中からくらーーーいガウが書きたくなってしまって。でもハッピーに終わってますのでご安心を♪
移転改装につき、ちょびっと手を加えてみました。
じんわり暗くて長いのにおつきあい下さってありがとうございました♪

では、ここまで読んで下さったお客様に愛をこめてv
手を洗う時は何を使いますか?石鹸?ハンドソープ?
ポンプを押すのがめんどくてやっぱり石鹸を使ってしまうそーらがお送りしました。


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