「無慈悲な夜の女王」古城♪


 「這いつくばって妾に礼をお取り。お前はもう妾の虜。
逃げることなど許さない。」
 「逃げたりなんかしない。オレは、お前から逃げたりしない。」
 「生意気な口をおききでない。お前は囚人(めしうど)。妾はこの夜の牢獄に君臨する女王、並ぶものなき。お前の命は妾のもの。煮て食おうが焼いて食おうが思いのまま。」
 「オレの命はとうにある人間に捧げている。」
 「それは妾であろう。」
 「お前であって、お前じゃない。」




********************************

 黄昏とは夜と昼の境目。
昼の支配者たる黄金の日輪がその座を明け渡し。夜の支配者、日輪の母たる存在、漆黒のヴェール纏いし夜の空神が柔らかに降りたもう。
 すべてはその色彩を魔法のごとく変え、正体すら不明な物となる。
不安を呼び起こし、故に郷愁を呼び起こし、人を家路へと急がせる。
 かつては荘厳とも言える規模であったろう、今は見る影もなき、忘れら去られた古代の生物の化石のようなガレキの建物。
 ------------古城。
 住まうは過去の谺と闇と湿気を好む夜の小動物たち。
 今、解き放たれたように、ぽっかりとあいた窓から羽音もせわしく飛び去って行く。------------狩りをするために。


 輝く髪を黄昏色に染めながら、立ちすくむ男。
腰に下げたバスタードソードから立ち上る、暗い闘気。
空の色より冷たい瞳を、彼は古城へと向ける。
 己が無力で連れ去られた、隣にいるべき存在を探しに。





***************************************************

 物音に気付いてガウリイがリナの部屋に駆け込んだ時、すでにリナの姿はベッドの上にはなかった。
 開け放たれた窓の外の暗がりに、頭を垂れたまま浮かび上がる小さな姿。
「リナ!!」
 叫び駆け寄っても、少女の顔は上がらぬまま。
すう、とその姿が上に向かって浮かび続け、ガウリイは手を伸ばす。
だがその手は空しく空を掴むのみ。
頭上から声。
聞いた者の力を奪いそうな、金属の擦れるような音。
だがそれは女性の高音。

『この者は預かる。返して欲しくば朝日が登る方向へ2日歩け。』

「誰だ!何故リナを攫う!!」
『来なければこの者の命は貰う。よいな。』
「いいわけないだろ!!リナを返せ!!」
窓枠に足をかけ、目測を計って飛び上がるが、惜しくも届かずに、彼は不安定なバランスのまま地面に落下する。
『恨むなら、無力な己を恨むがよい。』
声はぞっとするほど冷たい笑いを含ませながら、徐々に消えていった。




*********************************

 そしてガウリイは来た。
2日と言われたところを1日で。
何故そこが目的地だと思ったのかは、自分でもよくわからない。
だがリナの気配はその城跡からしていたのだ。
 何故リナが攫われたのか。
 敵の正体は。
 などと考えている男ではない。
深呼吸ひとつもせずに、走り続えたその足で城に駆け込む。

 「リナ!!」
彼の声は高い天井に吸い込まれていく。
狩りに出掛け損ねた蝙蝠が2,3羽、暗がりでこそこそ様子を伺う。
 もろもろと崩れていきそうな足場を踏み締め、広場らしき場所を抜け、螺旋の階段を見つける。
 気配はリナのものしかなく、何故彼女が自分の声に答えないのかが気にかかる。そして捉えていった犯人の気配もないことが。
 「リナ!!」
階段は続く。

 ぽっかりと屋根が吹き飛んだ尖塔の名残り。
その頂上で彼は探し求めていたものを見る。
 「リナ!!」
駆け寄り抱き起こすが、うつろに開かれた眼に反応はない。
 「リナ!!」
頬を叩くが、その冷たさに愕然とする。
 「リナ!!!」
揺さぶる。

 『来たか。』

 また耳の上を擦るようなかん高い声。
 「貴様!!リナに何をした!!」
意識のない体を抱いたまま、ガウリイは片手で持った剣を宙に向ける。
 『約束通りにこの娘は返そう。・・・ただし、体だけな。』
 「なん・・・だと?!」

 首筋に冷たい金属の感触。
まさかと疑いながら、ゆっくりと見下ろせばうつろな瞳がこちらを見つめ、
喉元に突き付けているのはその手に持った優美な小刀。
 「リナ?」
 「今こそ積年の恨み、はらす。」

 飛び退り、首筋に熱い感触。
よけ切れなかった一閃が傷跡を残す。
 信じられない面持ちで、離れたリナを見る。
 声は彼女自身の声。
 姿も何ひとつ変わらないというのに。
違和感を覚えるのは手に持った小刀だけ。
 だがよく考えてみると、どことなく見覚えがあった。
 リナが連れ去られる前日、例によって例のごとく、夜中に彼女が抜け出して行った先で手に入れた宝剣。
特徴的な深い青の宝石がその柄に輝く。

 「まさか、それに何か魔法が・・・?」
 「この娘がこれを手に取ったは僥倖。だが目的はこの娘ではない。」
 「なんだと?」
リナであってリナでない少女は、刀で男を指し示す。
 「お前だ。金の戦神よ。」

 呼び起こされた忌まわしい記憶にガウリイは身震いする。
まさかその名が、リナの口から、リナの声で呼ばれようとは。

 「かつて最も高額の報酬を受け取った伝説とも言える傭兵がいた。
彼は黄金の長い髪をひるがえし、魔導士の呪文すらはねつけ、味方のための血路を開き、必ず戦を勝利に導いた。
 ・・・・・・だが、それは彼の側での評価だ。
 彼の敵となった者の立場で言えば、それは恐ろしい悪魔。
美しい顔立ちでいとも簡単に包囲網を突破し、銀の閃きとともに城の奥津城まで攻め込む。女子供には決して手をかけないが、男には容赦しない。
・・・・・畏怖を込めて味方も敵もお前をこう呼んだ。
金の戦神と。」



 風が吹いてきた。
 床の埃が宙に舞う。
 忘れ去られ、人の訪れたこともない、城の残骸の上を。



 「この城をお忘れか。戦神(いくさがみ)よ。」
抜き身の剣を構えながら、ガウリイは辺りを見回す。
 「悪いが覚えていない。」
 「ほ!」
嘲るようなこう笑が響き渡る。
 「ほほ!都合のいいものよのう。犠牲を強いた側は、強いられた側をすぐさま忘れる。覚えていれば多少なりとも、良心が痛むからな。
夜をぐっすり眠るために、人は都合の悪いものは忘れてしまう。
よくできた生物であること。
 だが肉体を持たぬ存在となった今、妾には忘れることなどできぬ。
・・・できぬのじゃ。」

 激しく首を振るリナ。
 「お前がこの地に来るのを一日千秋の思いで待ちかねたぞ。
お前の髪の輝きを、お前の鋼の匂いを、この城で再び感じることができるとは。・・・・・復讐の女神よ、ご照覧あれ。この喜び、供物といたす。」
 泣いているのか、笑っているのか。
 その肩が震えている。

 「目的がオレなら、リナを放せ。彼女は関係ないだろう。」
 栗色の髪を揺らし、少女が笑う。
 「この娘がそんなに大事か。血にまみれた大罪人でも、人を愛する気持ちが残っているとは驚きだ。」
 「お前にどうこう言われる筋合いはない。」

 途端にリナから発せられた衝撃波に、ガウリイは打ちのめされ壁まで吹っ飛ぶ。したたかに背を打ち、呻きながら床に倒れ込む。

 「お前は妾の仇。妾には権利がある。」
 「・・・何の権利だ。」
 「お前は妾の獲物。」
 「・・・何を馬鹿な。」
 「馬鹿なことではない。お前が、妾の目の前で、我が敬愛する王、そして・・・・・」

 リナの唇が震える。

 「そして・・・我が王子の命を奪いせしこと。忘れたか。」

 鈍い光を放つ刀身を床に突き立て、ガウリイは身を起こす。
 そこにまたさらなる攻撃を浴び、柄から手を離してガウリイは再び床に倒れ込む。その頭上から、いつのまにか近くまで来ていたリナの声が響く。
 

 「這いつくばって妾に礼をお取り。お前はもう妾の虜。
逃げることなど許さない。」
 「逃げたりなんかしない。・・・オレは、お前から逃げたりしない。」
 「生意気な口をおききでない。お前は囚人(めしうど)。妾はこの夜の牢獄に君臨する女王、並ぶものなき。
お前の命は妾のもの。煮て食おうが焼いて食おうが思いのまま。」
 「オレの命はとうにある人間に捧げている。」
 「それは妾であろう。」
 「お前であって、お前じゃない。」


 リナを取り戻す。
 その口から、出るはずのない言葉を全て消し去って、本来の彼女を取り戻したい。痛む身体に笞打ち、何とか起き上がろうと苦戦するガウリイ。

 「お前にも、愛する者を奪われた哀しみ、知ってもらおう。」
 「どうする気だ。」
背筋が凍る。
 「例えお前のような、人でなしの愛とて、甘んじて受けたこの少女を。
お前から奪い去ってやる。」


 リナが後ずさる。
 1,2,3,4,5,・・・6歩。
 あと数歩で、部屋の反対側に辿り着く。
その方向に目をやったガウリイは跳ね起きる。
反対側には壁がない。

 「やめろ!オレが憎いならオレを殺せ!彼女は関係ない!!」
 「だがお前はこの少女を愛しただろう。」
 「それはオレの勝手だ!彼女は知らない!」
 「だがこの娘とて知っているぞ。お前が自分を大事にしているということを。いつも変わらずそばにいたことを。」
 「だからと言って、彼女を殺して何になる!」
 「これは賭けじゃ。」
 「・・・・賭け?」
 「妾とこの娘の。」

 あと3歩。

 「この剣を手にした時。妾は目覚めた。
剣を持つものに、妾の死の瞬間を、死の原因を見せてやった。
血溜まりに立つ、光輝く剣を携えた死神の姿を。
 だが、この娘は。
 それを信じようとしなかった。
妾がどんなに話してきかせようと、どんなに死の苦しみを訴えようと、娘は鼻で笑って頭から信じようとしなかったのだ。
 そこで妾は賭けをしようと持ちかけた。
これが真実なら、お前の命を貰う。
嘘ならば妾が消えようと。
 ・・・・娘が躊躇したので、妾は、取り引きに乗らねば他の人間に取り付くと脅してやった。そしてその人間を利用してお前の連れを殺すと。
 娘は即決した。
妾との賭けに乗ったのじゃ。」

 あと1歩。

 
 上昇気流に髪をなぶられ、がけっぷちに少女は立つ。
かつては美しかったこの城の、主に愛された王妃の魂とともに。

 「妾は賭けに勝った。故に、この娘の命は貰う。
そしてお前には永遠の苦しみを与えてやる。
すなわち、一番大事な者を奪われるという苦しみを。」

 ゆっくりと足が引かれる。
 ガウリイは地を蹴る。
 「だがまだ、この娘は信じていないようだ。魂が抵抗しておる。」
リナであってリナでないその顔が、ふっと微笑む。

 ゆっくりと後ろへ倒れ込んで行く。

 今度こそ。

 伸ばした腕に、必ず彼女を。

 うつろな瞳が大きく開かれ。

 その小さな体は暖かい腕に抱きとめられ。

 ガウリイは彼女の体を包み込むと自分の体を下に。

 

 轟々と耳の中で風が唸り、ガウリイは呟く。
 「オレの命は、とうにお前さんのものだから。」





 翔風界(レイ・ウィング)


 小声で唱えられた呪文の言葉を、ガウリイは聞かなかった。



次のページに進む。