「這いつくばって妾に礼をお取り。お前はもう妾の虜。
逃げることなど許さない。」
「逃げたりなんかしない。オレは、お前から逃げたりしない。」
「生意気な口をおききでない。お前は囚人(めしうど)。妾はこの夜の牢獄に君臨する女王、並ぶものなき。お前の命は妾のもの。煮て食おうが焼いて食おうが思いのまま。」
「オレの命はとうにある人間に捧げている。」
「それは妾であろう。」
「お前であって、お前じゃない。」
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黄昏とは夜と昼の境目。
昼の支配者たる黄金の日輪がその座を明け渡し。夜の支配者、日輪の母たる存在、漆黒のヴェール纏いし夜の空神が柔らかに降りたもう。
すべてはその色彩を魔法のごとく変え、正体すら不明な物となる。
不安を呼び起こし、故に郷愁を呼び起こし、人を家路へと急がせる。
かつては荘厳とも言える規模であったろう、今は見る影もなき、忘れら去られた古代の生物の化石のようなガレキの建物。
------------古城。
住まうは過去の谺と闇と湿気を好む夜の小動物たち。
今、解き放たれたように、ぽっかりとあいた窓から羽音もせわしく飛び去って行く。------------狩りをするために。
輝く髪を黄昏色に染めながら、立ちすくむ男。
腰に下げたバスタードソードから立ち上る、暗い闘気。
空の色より冷たい瞳を、彼は古城へと向ける。
己が無力で連れ去られた、隣にいるべき存在を探しに。
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物音に気付いてガウリイがリナの部屋に駆け込んだ時、すでにリナの姿はベッドの上にはなかった。
開け放たれた窓の外の暗がりに、頭を垂れたまま浮かび上がる小さな姿。
「リナ!!」
叫び駆け寄っても、少女の顔は上がらぬまま。
すう、とその姿が上に向かって浮かび続け、ガウリイは手を伸ばす。
だがその手は空しく空を掴むのみ。
頭上から声。
聞いた者の力を奪いそうな、金属の擦れるような音。
だがそれは女性の高音。
『この者は預かる。返して欲しくば朝日が登る方向へ2日歩け。』
「誰だ!何故リナを攫う!!」
『来なければこの者の命は貰う。よいな。』
「いいわけないだろ!!リナを返せ!!」
窓枠に足をかけ、目測を計って飛び上がるが、惜しくも届かずに、彼は不安定なバランスのまま地面に落下する。
『恨むなら、無力な己を恨むがよい。』
声はぞっとするほど冷たい笑いを含ませながら、徐々に消えていった。
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そしてガウリイは来た。
2日と言われたところを1日で。
何故そこが目的地だと思ったのかは、自分でもよくわからない。
だがリナの気配はその城跡からしていたのだ。
何故リナが攫われたのか。
敵の正体は。
などと考えている男ではない。
深呼吸ひとつもせずに、走り続えたその足で城に駆け込む。
「リナ!!」
彼の声は高い天井に吸い込まれていく。
狩りに出掛け損ねた蝙蝠が2,3羽、暗がりでこそこそ様子を伺う。
もろもろと崩れていきそうな足場を踏み締め、広場らしき場所を抜け、螺旋の階段を見つける。
気配はリナのものしかなく、何故彼女が自分の声に答えないのかが気にかかる。そして捉えていった犯人の気配もないことが。
「リナ!!」
階段は続く。
ぽっかりと屋根が吹き飛んだ尖塔の名残り。
その頂上で彼は探し求めていたものを見る。
「リナ!!」
駆け寄り抱き起こすが、うつろに開かれた眼に反応はない。
「リナ!!」
頬を叩くが、その冷たさに愕然とする。
「リナ!!!」
揺さぶる。
『来たか。』
また耳の上を擦るようなかん高い声。
「貴様!!リナに何をした!!」
意識のない体を抱いたまま、ガウリイは片手で持った剣を宙に向ける。
『約束通りにこの娘は返そう。・・・ただし、体だけな。』
「なん・・・だと?!」
首筋に冷たい金属の感触。
まさかと疑いながら、ゆっくりと見下ろせばうつろな瞳がこちらを見つめ、
喉元に突き付けているのはその手に持った優美な小刀。
「リナ?」
「今こそ積年の恨み、はらす。」
飛び退り、首筋に熱い感触。
よけ切れなかった一閃が傷跡を残す。
信じられない面持ちで、離れたリナを見る。
声は彼女自身の声。
姿も何ひとつ変わらないというのに。
違和感を覚えるのは手に持った小刀だけ。
だがよく考えてみると、どことなく見覚えがあった。
リナが連れ去られる前日、例によって例のごとく、夜中に彼女が抜け出して行った先で手に入れた宝剣。
特徴的な深い青の宝石がその柄に輝く。
「まさか、それに何か魔法が・・・?」
「この娘がこれを手に取ったは僥倖。だが目的はこの娘ではない。」
「なんだと?」
リナであってリナでない少女は、刀で男を指し示す。
「お前だ。金の戦神よ。」
呼び起こされた忌まわしい記憶にガウリイは身震いする。
まさかその名が、リナの口から、リナの声で呼ばれようとは。
「かつて最も高額の報酬を受け取った伝説とも言える傭兵がいた。
彼は黄金の長い髪をひるがえし、魔導士の呪文すらはねつけ、味方のための血路を開き、必ず戦を勝利に導いた。
・・・・・・だが、それは彼の側での評価だ。
彼の敵となった者の立場で言えば、それは恐ろしい悪魔。
美しい顔立ちでいとも簡単に包囲網を突破し、銀の閃きとともに城の奥津城まで攻め込む。女子供には決して手をかけないが、男には容赦しない。
・・・・・畏怖を込めて味方も敵もお前をこう呼んだ。
金の戦神と。」
風が吹いてきた。
床の埃が宙に舞う。
忘れ去られ、人の訪れたこともない、城の残骸の上を。
「この城をお忘れか。戦神(いくさがみ)よ。」
抜き身の剣を構えながら、ガウリイは辺りを見回す。
「悪いが覚えていない。」
「ほ!」
嘲るようなこう笑が響き渡る。
「ほほ!都合のいいものよのう。犠牲を強いた側は、強いられた側をすぐさま忘れる。覚えていれば多少なりとも、良心が痛むからな。
夜をぐっすり眠るために、人は都合の悪いものは忘れてしまう。
よくできた生物であること。
だが肉体を持たぬ存在となった今、妾には忘れることなどできぬ。
・・・できぬのじゃ。」
激しく首を振るリナ。
「お前がこの地に来るのを一日千秋の思いで待ちかねたぞ。
お前の髪の輝きを、お前の鋼の匂いを、この城で再び感じることができるとは。・・・・・復讐の女神よ、ご照覧あれ。この喜び、供物といたす。」
泣いているのか、笑っているのか。
その肩が震えている。
「目的がオレなら、リナを放せ。彼女は関係ないだろう。」
栗色の髪を揺らし、少女が笑う。
「この娘がそんなに大事か。血にまみれた大罪人でも、人を愛する気持ちが残っているとは驚きだ。」
「お前にどうこう言われる筋合いはない。」
途端にリナから発せられた衝撃波に、ガウリイは打ちのめされ壁まで吹っ飛ぶ。したたかに背を打ち、呻きながら床に倒れ込む。
「お前は妾の仇。妾には権利がある。」
「・・・何の権利だ。」
「お前は妾の獲物。」
「・・・何を馬鹿な。」
「馬鹿なことではない。お前が、妾の目の前で、我が敬愛する王、そして・・・・・」
リナの唇が震える。
「そして・・・我が王子の命を奪いせしこと。忘れたか。」
鈍い光を放つ刀身を床に突き立て、ガウリイは身を起こす。
そこにまたさらなる攻撃を浴び、柄から手を離してガウリイは再び床に倒れ込む。その頭上から、いつのまにか近くまで来ていたリナの声が響く。
「這いつくばって妾に礼をお取り。お前はもう妾の虜。
逃げることなど許さない。」
「逃げたりなんかしない。・・・オレは、お前から逃げたりしない。」
「生意気な口をおききでない。お前は囚人(めしうど)。妾はこの夜の牢獄に君臨する女王、並ぶものなき。
お前の命は妾のもの。煮て食おうが焼いて食おうが思いのまま。」
「オレの命はとうにある人間に捧げている。」
「それは妾であろう。」
「お前であって、お前じゃない。」
リナを取り戻す。
その口から、出るはずのない言葉を全て消し去って、本来の彼女を取り戻したい。痛む身体に笞打ち、何とか起き上がろうと苦戦するガウリイ。
「お前にも、愛する者を奪われた哀しみ、知ってもらおう。」
「どうする気だ。」
背筋が凍る。
「例えお前のような、人でなしの愛とて、甘んじて受けたこの少女を。
お前から奪い去ってやる。」
リナが後ずさる。
1,2,3,4,5,・・・6歩。
あと数歩で、部屋の反対側に辿り着く。
その方向に目をやったガウリイは跳ね起きる。
反対側には壁がない。
「やめろ!オレが憎いならオレを殺せ!彼女は関係ない!!」
「だがお前はこの少女を愛しただろう。」
「それはオレの勝手だ!彼女は知らない!」
「だがこの娘とて知っているぞ。お前が自分を大事にしているということを。いつも変わらずそばにいたことを。」
「だからと言って、彼女を殺して何になる!」
「これは賭けじゃ。」
「・・・・賭け?」
「妾とこの娘の。」
あと3歩。
「この剣を手にした時。妾は目覚めた。
剣を持つものに、妾の死の瞬間を、死の原因を見せてやった。
血溜まりに立つ、光輝く剣を携えた死神の姿を。
だが、この娘は。
それを信じようとしなかった。
妾がどんなに話してきかせようと、どんなに死の苦しみを訴えようと、娘は鼻で笑って頭から信じようとしなかったのだ。
そこで妾は賭けをしようと持ちかけた。
これが真実なら、お前の命を貰う。
嘘ならば妾が消えようと。
・・・・娘が躊躇したので、妾は、取り引きに乗らねば他の人間に取り付くと脅してやった。そしてその人間を利用してお前の連れを殺すと。
娘は即決した。
妾との賭けに乗ったのじゃ。」
あと1歩。
上昇気流に髪をなぶられ、がけっぷちに少女は立つ。
かつては美しかったこの城の、主に愛された王妃の魂とともに。
「妾は賭けに勝った。故に、この娘の命は貰う。
そしてお前には永遠の苦しみを与えてやる。
すなわち、一番大事な者を奪われるという苦しみを。」
ゆっくりと足が引かれる。
ガウリイは地を蹴る。
「だがまだ、この娘は信じていないようだ。魂が抵抗しておる。」
リナであってリナでないその顔が、ふっと微笑む。
ゆっくりと後ろへ倒れ込んで行く。
今度こそ。
伸ばした腕に、必ず彼女を。
うつろな瞳が大きく開かれ。
その小さな体は暖かい腕に抱きとめられ。
ガウリイは彼女の体を包み込むと自分の体を下に。
轟々と耳の中で風が唸り、ガウリイは呟く。
「オレの命は、とうにお前さんのものだから。」
翔風界(レイ・ウィング)
小声で唱えられた呪文の言葉を、ガウリイは聞かなかった。
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