「ケンカをしよう。」

始まりはささいなことだった。
 
リナが焼けるのを楽しみにしていた、夕飯の魚をガウリイが食べてしまったとか。
ガウリイが煮えるのを待っていた兔のシチューをリナが全部たいらげた、とかまあ、日常茶飯事のようなできごとだったのだ。

ところがその日は違っていた。
いつもならリナがガウリイをどつき倒してコトは済んでいたはずが、こんなガウリイの一言ですっかり事態が困窮を極めたのである。すなわち、
「リナ、なんでも暴力で解決しようとすると、嫁の貰い手がなくなるぞ。」
「・・・・・よ、余計なお世話よ!」

顔を真っ赤にして怒ったリナは、結局ガウリイをどつかずにそのままふて寝をしてしまった。
抑圧された感情は暴力というはけ口を失って、とどまるところを知らず、限界まで高まろうとしていた。




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「あ〜〜あ、オナカすいたあ〜〜〜。
だあ〜れかさんが、アタシのお魚ちゃん、食べちゃうからなあ〜〜〜。
あ〜〜〜、いじきたない人って、ホント困っちゃうわよね〜〜〜〜。」
「・・・・・」
「もう、オナカすいちゃって、歩けないなあ〜〜〜。
お魚食べたいけど、釣りをする元気もないしい〜〜〜〜。
だあ〜〜れかさんはあ、たくさん食べたから、元気でいいけどお〜〜〜〜。」
「・・・・・」
「まったく、か弱い乙女のささやかなお食事を横取りするなんて、まさに鬼畜のごとき仕業よねええ〜〜〜〜。」

手が出せないのなら、口を出す。
抑圧された感情はギリギリと引き絞られた弓のように緊張し、すこしでも吐き出そうと口にする言葉はかえって感情を刺激した。
つまりリナは、朝、目が覚めて歩き出してからというもの、10歩すすむごとに愚痴をたれたのだ。
ところが、一向に反応を示さないガウリイに鬱憤をはらすどころか、自分が鬱憤を溜まらせる結果となった。

のれんに腕押し、というありがたい格言があることを、リナは知ってか知らずしてか。

 
その時、ガウリイとリナは二人旅だった。

ということは、ここで仲裁に入ってくれたであろうアメリアや、皮肉のひとつでもかましてリナを正気に戻したかもしれないゼルガディスの存在すらもなかったのだ。
絶えまないリナの愚痴が小一時間も続いたであろうか、ついにガウリイが口火を切った。

「お前なあ、いい加減にしろよ。
オレが黙ってりゃ、いつまでもグチグチ、どっか具合でも悪いんじゃないか?」
「・・・なんでよ?」
「いやあ、よく言うじゃないか。
子供が熱を出すと妙に理屈っぽくなったりするって。」
「・・・・・」
「どれ、熱測ってやろうか。」

額へと伸ばされたガウリイの手を、リナは力任せに払いのけた。
ばしっと音がした。ガウリイの目が大きく開く。

「子供扱いもたいがいにして!何が『子供が熱を出すと、』よ!
なんであんたってそんなに無神経なの!?信じられない。
こんな、食い意地はった、カオだけのクラゲ頭の、無神経で図太くてデリカシーがなくて何言われてものほほんのほほんとして、へらへらとただ後をついてくるだけの、こんな男と旅をしてたなんて!」
一気にまくしたてるリナの顔は紅潮し、ガウリイと視線を合わせずに苛立たし気に首を何度も振る。
「もうたくさん!もう限界!あたしだって我慢のできないコトがあるわよ!
なんであんたってそうなのよ、いつも変わんないのよ、いつもいつもいつも!何とか言ったらどうなの?!
何も言えないんでしょ!
何とか言ってよったら言ってよ!!!」
 
つかのま、沈黙が流れた。聞こえるのは、リナの荒い息遣いのみ。
 

暗雲がたちこめた二人をよそに、周囲は年に何日とない好天気だった。
冬から春に切り替わる、日射しは暖かいが風が冷たくて気持ちいい、そんな日だった。木々の緑は冴えざえと萌え、道ばたには早咲きの名も知れぬ野草の花々が咲き、そのまわりを美しい翅を持つ昆虫が戯れる。
はるか高空では小鳥が、その妙なるさえずりを山々に響かせようと惜しみ無い努力を続けている。
長い冬を家屋内で耐えた人々が、カゴにお弁当を詰めてピクニックに行こうかと考える陽気だ。



「・・・そうか。わかった。」
ガウリイの返事は短く、簡潔だった。
何の感情も込めていない素っ気無い一言を残し、ガウリイは静かにその場を立ち去った。
 
リナはいつまでもそこに立ち尽くしていた。





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町は活気を帯びていた。

春の訪れを祝う祭りごとを控えて旅の芸人が続々と押し掛け、通りのあちらこちらには特設のテントや屋台の類いが用意されている。
人々の期待に満ちた表情、ときおり上がる嬌声、賑やかに打鳴らされる鎚の音。お楽しみはこれからだ、と町中が表しているようだった。

リナはその中の一軒の宿屋に泊まることにした。
入り口で宿屋の主人に
「何名さまですか?」と聞かれて、つい
「二人」と答えてしまい、慌てて「一人」と言い直した。
「夕飯は7時ですよ。」
と背中にかけられた言葉を無視して、リナは階段を駆け上った。

ドアを開け、ドアを閉め、ベッドに倒れこむ。

眠るつもりだった。
何故なら、昨日の晩は寝たふりをしただけで、眠ってなかったから。
街道からこの町に入り、宿屋にたどり着くまでは猛烈な眠気が襲っていた。ベッドに入りさえすれば、たぶん5秒と持たないだろうと思っていたのだ。
ところが、あれほど強かった睡魔が、今はすっかり後退していた。
眠ろうと思っても全然眠れない。無理矢理、目蓋を閉じてみる。

がばっとリナは起き上がった。眠れるどころか、目を閉じるとどうしようもなく浮かび上がってくる一つの顔があるからだ。
それは、金色の髪で縁取られていた。
リナはマントとショルダーガードを放り出した。
手袋、ブーツ、イヤリング、みんなベッドの周りに放り投げた。
-----リナを中心に、放射状に広がったモノたち。
まるで結界か、魔法陣のようだった。

リナは自分が放り出した怒りの名残りのようなそれらをまたぎ、そなえつけのタオル一つを取ると浴場へ向かった。






 ぽちゃん。

お湯はちょうどいい湯加減だった。しかも、宿屋の裏手は山の一角で誰にものぞかれない露天風呂になっていた。
「あ〜〜〜〜生き返るう〜〜〜〜。」
声に出して言ってみる。
誰も聞いていなかった。
他に客はいなかった。
しゃべってはみたものの、自分の声しか反響しないのを聞くとなおさら一人でいることを思い知らされるようで、リナはただ、ぶくぶくとお湯に鼻の下まで潜るのだった。

『ガウリイのバカ』
頭の中でつぶやく。でないと、お湯が口に入るからだ。
 

一人で宿屋に泊まるのは何年ぶりなんだろう。
そう考えるとびっくりした。
もちろん、ガウリイ以外の人間と旅をしたこともあったが、その前は一人だったし、その人間と別れてガウリイに出会うまではやっぱり一人だった。
一人の生活は当たり前だったのだ。
ところが、今の自分はどうだ。
宿屋の主人に人数をきかれて何も考えずに「二人」と言ってしまったり、さっきみたいに、眠れなかったり。
 
『今頃、どうしてるかな。』

ふと考えてしまう自分に気がつくと腹が立った。
確かに、ケンカをふっかけたのは自分だ。
でも突然前を去ったのはガウリイだ。
あたしは、いなくなって、と言ったんじゃない。どっかへ行って、とか、二度と戻ってこないで、とは言わなかった。どうして?と言ったのに。
聞きたかったことがあったはずなのに。
思い出せない。

何をあんなにムキになっていたんだろう。
わからない。自分がわからない。
どうして?どうして自分で自分がわからないの?
こんなのはイヤ。こんなあたしはキライ。
あたしは、いつでも自分のしたことには自信があった。
それなりの理由とか、根拠とか、ひらめきとかがあったのよ。
それがなに?
今度のことは自信なんかこれっぽっちもない。
理由も根拠もあった気もするけど、思い出せないのよ。
そもそもなんであたしは、ガウリイに腹を立てたんだっけ。

・・・どうしてガウリイは、「わかった。」の一言しか言わないで、あたしと別れたんだろ?そんなことはわかりきっている。
こんなあたしと旅を続けるのが嫌になったのだ。
もしかすると、前から嫌だったのかも。口に出さないだけで。



-----------いつかこんなことがあった。
リナは風呂の縁に腕を組み、顎を乗せた。

あれはフィブリゾにガウリイをさらわれた時。
あの時もガウリイがいなかった。
アメリアもゼルもいたのに、なんだか一人ぼっちになった気がした。
ガウリイの顔を思い出したら涙がぼろぼろ出て、自分でも困った。
なんであんなに泣いたんだろう。
なんであんなに寂しかったんだろう。
・・・今みたいに。



リナはお湯の中でぼろぼろ泣いた。

 


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