「抱かない理由」
すごいタイトルもあったもんだ…


なんとなく、離れがたい夜がある。


お互いの目が、お互いの目に吸いついたように離れず、周囲の雑音もいつしか遠のき、どちらからともなく、グラスを傾け合う。
一口呷るたびにここちよい刺激が咽を通っていき、胸に辿り着いて小さな炎になる。
言葉はだんだんと少なくなり、ただ視線だけが想いを伝える。

ガウリイが立ち上がり差し出した手に、リナは素直に自分の手を落とし、二人は酒場をあとにする。宿に向かう途中、空はこの上なく星が美しかったのだが、たぶん二人の目には入っていなかったことだろう。
黙って手をつないだまま、人けの絶えた通りを歩き、宿に入り、階段を昇る。




ふわふわと、リナは雲の上を歩いていた。
外の地面の上も、階段を昇る時も、長い廊下を歩いている時も。
ガウリイが導かなければどこにも行けなかった。
あらゆる思考が停止していた。


がちゃりとドアの開く音。
ばたんとドアの閉まる音。
かちりと鍵の閉まる音。
耳には入るが聞こえてない。
けだるくて、ここちよくて、なにも考えたくなかった。

暖かい腕に抱きとめられる。
ガウリイの胸に、顔を埋める。
なにも考えたくない。

髪にガウリイのくちづけが落ちる。
なにも考えたくない。

頬に、耳に、顎に。
おでこに、閉じたまぶたの上に。
優しいキスが落ちてくる。
なにも考えたくない。

唇にためらいがちに触れてくる。

やがてキスは深くなり、他の場所に逃げなくなった。
何も考えられない。
ただ溺れてしまいそうで、腕をガウリイの背中に回してしがみつく。
何も。何も。
ふわりと体が浮き、ベッドの上に降ろされても、何も頭に浮かばなかった。
ただ口を開き、次第に激しくなるガウリイのキスを受け入れているだけ。
頭を押さえていた手が、何度も髪を撫で、やがて肩に回り、首を這い上がり、かちゃりとマントの留め金を外している。
ショルダーガードも、邪魔。
腕が自由になる。
背中にしがみついていた手を、解いて首に巻き直す。
掴まってるのか、抱きよせてるのか、自分でもわからない。
ますますキスが激しくなる。




細い少女の体。
星明かりに浮かび上がる青白い腕。



ガウリイはぞくりと身を震わせる。
忘れたはずの忌まわしい記憶。

瞬間、いささか乱暴にリナから身をもぎ離し、ガウリイは起き上がってベッドの端に座り直す。
「ガウリイ・・・?」
かすかに囁く声を耳にしても、リナの方を見る勇気がなかった。

「すまん・・・・悪かった。
オレはお前の部屋で寝るから。お前はここで眠れ。」

ようやくそれだけ言うと、ガウリイは逃げるように部屋を抜け出した。







こんこん。リナの部屋に小さなノックの音。

両腕を頭の後ろで組み、天井を眺めていたガウリイはゆっくりと起き上がる。
重い足を引き摺り、ドアに向かう。
開ければそこに、俯いたリナの顔。
何も告げられず、くるりと背中を向けて部屋へ入るようにうながす。
ひとつしかない椅子に陣取る。
リナは少し迷ったが、とてとてと歩き、ベッドのはしっこにそっと腰を下ろした。小さなローテーブルひとつを挟んで、二人は顔を会わせる。

何か言ってやらなければ。
そう思えば思う程、咽になにかが詰まったみたいに言葉にならなかった。
下手なことを言うくらいなら、沈黙していた方がましだ。

何か聞かなければ。
ここまで来たんだから。
一番大事なことだって、まだ口にしてない。
言ってあげなくちゃ。

「あのさ・・・」
二人同時に口を開く。間が悪い。
二人とも黙りこむ。
また沈黙が続く。


突然リナが自分の頭をぽかぽかたたき出した。
驚いてガウリイは席を立ち上がる。
「リナ?何やってるんだ、よせ!」
慌てて両腕を引っ張りあげる。
交差した腕の隙間から、まん丸い瞳が二つ、まるで捨てられた子犬のような目でこちらを見上げていた。
思わず両腕を離す。
ぱたりと、自由になった腕を体の脇に垂らし、リナは呟いた。
「だって、ヤなんだもん、こんなの。」
もうその瞳は伏せられている。
ガウリイはひざまづく。


「すまん、なんて。悪かった、なんて。謝られたくないよ。
・・・・・謝るようなこと、ガウリイはしてないんだから。」
わずかに語尾が震えている。精一杯のリナの告白。
「嫌だったら、とっくにはり倒してる。なのに、何でガウリイが謝って、そんで、急にいなくなったりするの。あたしは、・・・」
それ以上、言葉にできないのか。
咽がごくっと鳴っている。
泣いてるのか、泣きそうなのか。

両手でリナの小さな顔を挟んで自分の方を向かせる。
半分閉じていた瞳が、ゆっくりと開く。
綺麗な、赤い、リナそのもののような、瞳。
この瞳が曇ることは許せない。
いつでも前を向いていて欲しい。
いつでも輝いていて欲しい。
たまにオレを映してくれればそれでいい。
聞かせたくない。
昔の話など。


「リナ。」
「どうして、謝ったりしたの?」
「すまん。」
「だから、謝らないでって、言ったでしょ。」
「・・・あの時、謝ったのは、お前に対してじゃなかったのかも知れない。」
リナが顔をあげる。
「じゃあ、誰に?」
「聞いたら後悔するかも知れないぞ。」
脅しのつもりだった。だがリナに通用するはずもない。
彼女の瞳に、挑戦するような光が生まれる。
「言って。」

答えの代わりにリナを抱え上げる。

「!?」

ベッドに座り、リナを膝の上に乗せる。
後ろから抱き締める。
髪の香を嗅ぐ。
話しているあいだ、自分の瞳をリナに見られたくなかった。




「昔の話だ。」
「・・・・・」

「傭兵をしてたってのは、言ったよな。」
リナはガウリイの腕の中でこくりと頷く。
「まあ、普段はほとんどだだっぴろい平原なんかでやり合うんだが、たった一度、命令で市街戦に出たことがある。・・・もっとも、傭兵なんぞは後始末が主だけどな。」
リナは目を開いたまま、耳もとで囁かれる聞いたこともない低い声に聞き入る。
「そこで見たんだ。」
「何を?」
「お決まりの光景さ。略奪された側と、略奪する側の。奪うのは、何も金品に限ったことじゃない。」

ガウリイが何を言わんとしているのか、リナには察しがついた。
女なら。
最大の恐怖と言ってもいい。

「略奪する側は、正規軍の、それも将校ばかり。略奪される側は、それこそ何の罪もない、ただ自分の家を離れることができなかった留守を守る妻や子供たち。」
叫び声が、耳に谺するようだった。
下らない、下劣な、でもそれが戦争の、ある一面。
「初めて目にした時、オレは物陰で吐いちまった。ただ胃が締め付けられて、収まりが悪くて、止まらなかった。」
「・・・・・」

ぎゅっと、リナを抱く腕に力が入る。

「やっと起き上がったオレの目に飛び込んできた光景は、もっと胸が悪くなるもんだった。ヤツら、未亡人までか、
その子供まで・・・・・・・・・・・・・」

リナは目を閉じる。

「ちょうど、出会った頃の、お前くらいだったんだ。」

自分の首に巻き付く、細く白い腕。
ヤツらが押さえ付けていた腕と、どこが違う?

リナは聞かない。そこでオレは何をしていたんだ、と。

ありのままを話すつもりだった。

「オレは剣を鞘から抜いた。突っ込むつもりだった。だが傭兵仲間が何人もオレに飛び掛かって、オレは押さえ込まれちまった。もがいた。怒鳴った。
お前ら、あれを見て何とも思わないのか、と。
仲間は、黙って首を振った。
オレは思い出した。傭兵の契約を。
その時、その国王に交わした契約は、個人の契約でなく、団体の契約だった。つまり、オレが裏切れば仲間も同罪になる。いつ寝返るかもわからない、傭兵を信用しない国王の手だ。傭兵同志にお互いを監視させるんだよ。傭兵が、その国の正規軍の、しかも将校クラスに手をかけたとあっては、もうどこでも傭兵として雇ってくれはしない。よっぽど辺鄙な場所でも探さない限りはな。」
「・・・・・」
「リナ、オレを責めていいよ。オレは結局、何も出来なかった。砂を噛んでるしか。ヤツらが立ち去ったあと、仲間はようやくオレを解放してくれたけど、女の子は啜り泣き続けてた。あの声を、あの細い腕を、さっき思い出しちまったんだ。
・・・・・お前と、あの子は、どこか似ていた・・・・・・」
「・・・・・」


リナを抱き締める、その腕が、熱を帯びていた。
リナが責めるまでもなく、ガウリイは十二分に自分を責めている。

ふ、とため息をつき、リナは自分の腰に回されたガウリイの腕に、自分の手を重ねる。背中のガウリイの体が、びくんと跳ねた。
腕をどかそうとすると、自分の方から離れていった。
リナは立ち上がる。

ガウリイは俯いている。
長い黄金の髪で、顔を隠したまま。
このままあたしがガウリイの元を去っても、ガウリイは何も言うまい。
向き直るとリナは、ガウリイの胸に飛び込んだ。
固い胸板が抗った。
背中に腕を回し、引き寄せ、顔を埋める。
そしてまだ言ってなかった、一番大事な言葉を唇からこぼす。

「好きよ。」

驚いたガウリイの体が、リナを遠ざけようとでもするつもりなのか、わずかに後じさる。リナはそれを許さない。
どこにも行かせない。
どこにも、行かせはしないんだから。
「・・・バカね。あたしをよく見て?ここにいるのは、あたしよ。リナよ。
今まであなたは、何を見てたの?あたしを見てても、あたしじゃない、過去の顔のひとつを見てたの?」
ガウリイの顔を見上げる。
彼はまだ、顔を伏せている。
ぐい、と髪を引っ張ってやる。

「いて。」
「やっとこっちを見たわね。」

暗い、青い、瞳。
いつものガウリイそのままのような、青空の色が今は霞んでいる。
いつでも振り向けば、そこで輝いていた目が、
安心させてくれた瞳が、
今はあたしすら映していないなんて。
こんなの、許せない。
例えボケラッタでも、脳みそヨーグルトでも、くらげでもいい。
こんなのは、絶対に嫌。
どついてでも張り倒してでもキスしてでも、この瞳を元のように輝かせたい。
いつでも見守ってくれた、あの優しい瞳に返したい。

さっきとは打って変わって冷えきったガウリイの体を、自分の体温で暖める。
あんたが氷河期に閉じ込められちゃったってんなら、あたしは核融合真っ最中の太陽になってやるから。


「ガウリイ、あたし、さっき嫌がった?」
「・・・・・」
「抵抗した?」
「・・・・・」
「自分でも驚いちゃうけど、さ。」
「・・・・・」
「嫌じゃ、なかったんだよ?」
「・・・・・」
「だって、ガウリイだったから。」
「・・・・・」
「これだけ言っても、まだわからない?」
「・・・・・」
リナはひとつそっとため息をつく。

「じゃあ、もうひとつ教えてあげる。あの、後、その子はどうしたか。」
「?」
ガウリイの瞳にかすかな光がともる。
「その子、生きてたんでしょ?」
「・・・・あ、ああ。」
「殺されたわけじゃ、ないのね?
じゃあ、今でもどこかで、生きてるかも知れないのね?」
「ああ。」リナが何を意図しているかわからず、ただガウリイは頷く。
「そんじゃきっと、大丈夫よ。」

「リナ?」

きつい声。
でもめげない。
「その子、あたしに似てたんでしょ?確かに、酷いことをされたけど、命がまだあるなら、その子はまだ諦めていないかもよ。」
「・・・・・!」
「女として最大の侮辱を受けて、たぶん身も心もずたずただわ。周囲の目だってきっと冷たいわよ。そんな時、意外と冷たいのは同性の女たちだって言うわ。
でも、ね。もしあたしだったら、どうすると思う?」
「・・・・」
「泣き寝入りなんて絶対にしないわ。後ろ向きに人生送ったりもしない。
だって、悪いことをしたのはあたしじゃないんだもの。あいつらなんだもの。
あたしは堂々と胸を張って、あいつらをしばき倒しに行くわね。
叶わない相手なら、どうやったら手が届くか、努力する。
そんでもどうにもならなかったら、そんときゃしょーがない。
忘れてやるわ。
何もかも。
受けた痛みの分だけ、そいつらより絶対に幸せになってやる。」

大きく目を見開いて、ガウリイはリナを見下ろしていた。

「ね?だから、大丈夫よ。
あたしに似てたんなら、タダで転びはしないって。」
無理に笑顔を作ってみる。
でもすぐにそれは、本物の笑顔に変わった。
ガウリイの瞳が、また輝き出したからだ。
今度こそ間違い無く、ガウリイはあたしを見ている。
過去でなく。

ぎゅうっと、ガウリイはリナを抱き締める。
「お前さんらしいな。」
ぽつりと漏らすと、リナが微笑んだ気配があった。
「ホントに・・・そう、思うか?」
「あんたこそ。まだホントのこと言ってないでしょ。」
「え。」
「あんたがその子をほっぽったまま、どっかへ行くわけないでしょ?
どうせ、少ない給料みんなあげちゃったんでしょーが。」
う。何故わかる。
「あんたがやりそうなことくらい考えつかんで、長年のコンビは組んでられないわよ。そんですぐその国の契約を更新しないで、どっか別の国に行ったのね?どこかでその国の噂は聞かなかったの?そのバカ将校たちの。」
思いもつかなかった。
ガウリイはそれこそ、混沌と化した記憶の海を探る。
「あ・・・そー言えば。」
「あった?」
「元将校どもが、どっかの地方に視察に行って、ゴブリンに追いかけ回されたってえ、話を聞いたよーーな・・・・」
「ゴブリン?」
「なんでもホレ薬を飲まされたゴブリンみたいで、目がハートになってたって、当時笑い話になった・・・・でも、あれってまさか・・・・・」

ぶは。
リナが笑った。
「ゴブリンにホレ薬!?あたしよりいい根性してるわ、その子。」


輝く赤い瞳。
穏やかに光り始める青い瞳。
「好きよ。何度も言わないからね。」
「愛してるよ、リナ。何度でも言ってやる。」

二人は微笑み、互いにいだきあう。
今はこれで十分。
抱かない理由は、もう、ない。


































=========================おわり♪

ああ。どつぼガウふたたび(笑)書き出しはすごくスムーズでした(をい)が、やっぱりガウリイが悩み出すとこっちまで悩んじゃって。遅くなってしまいました。どんならぶらぶを書いても、やっぱりリナはリナらしくあって欲しいもんですよね。んでついつい、説教リナと化してます(笑)
さて、もう理由はないんですから、ごーごー?
いーや、まだまだ甘いよ、がうりん♪
てなわけで、待ってて下さった方も、そうでない方も、読んで下さった皆さんに感謝します♪ありがとうございました♪
そーらでした♪

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