「約束」後編

宿を引き払い、町を出た。
街道から外れ、深い森に入り込む。

野営を始めた次の晩、変調の最終段階が訪れた。



「ぐ・・・・・」
眠っていたガウリイが、突然苦しみだした。
焚き火の番をしていたリナは、はっと身を起こした。
「ガウリイ!?」
触れようとした背中から、ごりっと骨が擦れあうような音がする。
「リ・・・・ナ・・・・」
「ガウリイ!」
「約・・・束・・・・・だ・・・・・・・ぞ・・・・・・」
「ガウリイ!!」

背中が激しく震えだした。
眠る前、防具類は外してあった。
ガウリイは、今はまだガウリイである体は、ゆっくりと身を反転させ、四つん這いになる。頭は下に垂れたまま。
リナが眼を見張るうちに、どんどんガウリイの髪が伸びだした。
さああああっと広がるように、早いスピードで植物の成長を見るように、生き物のようにそれは伸びつづける。
頭頂から、めき、と何かが生えてきた。
異形の双角。
黒光りし、枝別れし、まるで王の冠のように頭上に君臨する。
地面についた手は、指がさらに長くなり、爪は手のひらの2倍の長さ。
鈎爪のようなそれは、柔らかな地面へと突き刺さる。

「!」

苦痛なのか、それとも別の何かなのか、ガウリイが顔を逸らし、一声吼えた。
ごりっごりっと音を立てていた背中は、中央でぱっくりと割れた。
リナは口に手を当てる。
まるで生まれたばかりの子犬のように、薄い膜で覆われた翼のようなものが姿を現わす。ばさりと音がして、膜を突き破って先端が尖った蝙蝠のような翼が広がった。
ぴりりっと布地が裂ける音。
リナの耳は全神経は、今ガウリイに集中している。
手袋の裂けた音だった。
ぱきん、とリストバンドが割れる。
手袋の下には、ガウリイが口にしていた紫の鱗。
見る間に腕へと這い上がっていく。
魚の鱗のように丸くはない。
ひとつひとつが逆らうように反り、尖った先端を見せつける。
ばさり、とガウリイの上着が破れて落ちる。
見えた素肌は、人間の肌の色ではなかった。
黒曜石。
磨かれた石のような光沢を持つ。
同じく裂けたブーツからも鱗が光る。

「ぐ・・・・・・お・・・・・・・・・・・・・・」
「ガウリイ!」
「ダ・・・・・メ・・・・・・だ・・・・・・・・・」
ぶるんとガウリイが首を振っている。
まだその顔はこちらを向こうとしない。
近付こうとするリナを、声で制する。
「じゅ・・・もん・・・・・の・・・・・よう・・・・・い・・・・・」
「まだよ!」
「リ・・・・ナ・・・・・!」
「まだだってば!まだあんたはガウリイよ!まだ可能性はある!!」
「・・・・・・く・・・」

長い鈎爪で、ガウリイは己の顔を探った。
「た・・・・・・・の・・・・・・・・む・・・・・か・・・ら・・・・」
「がんばってよ!ガウリイ!!」
リナの声は、悲鳴に近い。
「まだ諦めちゃだめ!あたしたちは今までに、もっと大変な時をくぐり抜けて来たじゃない!これくらい、なんでもないって、笑ってよ!
いつもみたいに、笑ってよ!」
声に、言葉に、全身全霊をかける。
「いつものガウリイに、戻ってよ!!」
激しく振った顔から、汗と、他の何かが玉となって散る。
「一生あたしの保護者をするって言ったじゃない!!」
「す・・・・・・・ま・・・・・・・ん・・・・・・・・」
「謝んないで!!!」
リナは立ち上がる。

踏み締めるように、一歩。また一歩。今だ変調を続けるガウリイに近付く。
気配でそれを察し、びくりと震えたガウリイは、すっと後じさろうとする。
リナは疾る。

ガウリイは、自分の首にリナの腕が回されたことに気がつく。
固く、体温などないに等しい胸に、リナがすがりついている。
「やめろ・・・・・・・・・!」
ガウリイは顔を背ける。
この瞳だけは、リナには見せたくない。
綺麗だと言ってくれたこともある、あの瞳を覚えておいて欲しい。
「ねえ、ガウリイ。」
拒絶の言葉など耳に入っていないかのように、そっと呟くリナ。
「どうして今まで、あたしなんかと旅をしてきたの。」
「・・・・・・」
「いつか、尋ねようと思ってた。どうして、あたしなのかって。」
「・・・・・」

一陣の風が舞う。
ガウリイの、リナの、髪を揺らす。

「・・・・・!!」
ガウリイの体に緊張が走った。
広げられた背中の翼が、2,3度羽撃く。
リナは咄嗟に何が起きようとしているか察知した。
首に巻き付けた腕に力を入れる。
「ガウリイ!だめ!!」

するとガウリイは、初めてリナの方を向いた。
冷たい汗が、リナの背中を流れる。
何の感情も浮かべていない、人間ならざる瞳を、リナは見たのだ。

一瞬の隙をついて、ガウリイはリナの腕をもぎ放し、さらに大きく羽撃く。
「ガウリイ!!!!」
土煙を上げて、異形の獣は空へと飛び立つ。
半分に欠けた月だけが、その飛翔を見ていた。





アツイ
サムイ
イタイ

頭に浮かぶ言葉らしきものはそれだけ。
闇に浮かぶ獣は眼下を見下ろす。
ひとにぎりの灯。
町。
人間。
クイモノ。

コワス
こわしちゃいけない。
コロス
ころしちゃいけない。
イタイ
なにがいたい?
ココ
どこが。

獣は鈎爪で自分の胸を差す。

ココ
なぜいたい?
ワカラナイ
イタイ
イタイ
イタイ
どうすればなおる?
ワカラナイ
イタイ

獣は涙を流す。

イタイ
イタイ
・・・・イタイ
?・・・いたい?
アイタイ
あいたい?・・・だれに?
ワカラナイ


己と問答する獣の前に、月を背にして立つ小さな影。

獣は身構える。

「ガウリイ!!」
影は叫ぶ。手に、大剣を持って。

テキ
てきならたおすか?
タオス
ほんとうにてきだろうか?
テキ
オレヲコロシニキタ
なぜわかる。
ヤクソクシタ
やくそく?
ヤクソク

影は少女の形をしていた。
何かに引き裂かれたようなぼろぼろのマントを風の結界になびかせ、少女は剣を目の前に構える。

獣は空中で停止する。

刃を、攻撃を、甘んじて受けようとするように。
小刻みに翼を震わせながら、じっと相手の行動を待つ。

だが少女は、剣の切っ先を自分の咽に向けた。
影になった顔からは、細かい表情まではわからない。
だが、何故か獣には、少女がにっこりと笑った気がした。

「ごめん、ガウリイ。やっぱり約束、あたしの方が守れそうにないや。
あんたを殺すなんて、大口叩いてもやっぱりダメ。
・・・だから、先に行くね。
あんたがホントの獣になっちゃったんなら、
もうガウリイには会えそうにないし。
会えないんなら、もう、生きててもしょーがないかなって。
相棒なしに独り旅するの、もう、ちょっと辛いからね。
だから、悪いけどあたし、先に行くわ。あっちでガウリイに会うから。」

剣を胸に抱いて、リナは翔風界の呪文を解く。
落ちてゆく小さな影。
あの高さから落ちたのでは、ひとたまりもない。
しかも切っ先を咽に向けたまま。
運良く木の上に落ちても、助かるまい。




リ・ナ



忘れた感情が蘇る。

肩にもたれかかる、小さな重み。
こちらを見上げる、眩しいほどの輝く瞳。
どんなに風にふわりと彼女の髪がなびくか。
どんなに楽しそうに彼女が生き生きとしているか。
言葉も交わせない戦闘の最中、眼だけでどれほど通じ合ったことか。

獣は翼をかなぐり捨てる。

鱗が音を立てて宙にばらまかれる。

空を泳ぐように獣は少女の後を必死で追う。
見えた。
捉えた。
懐かしいその感触を胸に抱く。

「リナ」

ただひとつの名前を呼ぶ。
他には何もいらない。
角も、牙も、爪も、翼も。
何もいらない。

さかまく風と、闇と、くるくる回る月。
衝撃の後、ガウリイは気を失った。










ちちち、と小鳥が鳴いた。
ばさばさ、と飛び立つ音がする。
足音が近付いてきて、すぐそばで止まった。

気配の持ち主が屈みこむのがわかった。

唇に、冷たい感触。
しみる。
冷たいが、柔らかい。

口を開くと、少量の水が流れ込んできた。
咽を伝う。

ガウリイは目を開いた。
びっくりした顔が、目の前にあった。
慌てて飛びすさる。真っ赤な顔が。
「ガ、ガウリイ?起きてたんなら、起きてたって言ってよね!?」

ガウリイが起き上がる。
辺りは朝になっていた。
元の野営していた場所だ。


「オレは・・・・・・?」
ガウリイは腕を見る。手袋はなかったが、その腕に鱗は1つもなかった。
首を回し、裸の背中を振り返って見る。
髪も、普通の長さ。翼など影も形もない。
手を見る。
指も長すぎない。爪だって短いくらいだ。
はっと気がついて顔に手をやる。
しかし、触っただけではわかるはずもない。

「だいじょーぶよ。」

静かな声が、少し離れたところからした。
見るとリナが、こちらをじっと見ていた。跪いて。

ガウリイは昨晩のことをすっかり思い出す。
「・・・・!オレは・・・・。お、お前は!?」
気がせいて、いつのまにかリナの細い腕を掴んでいた。
「いた!」
「!?す、すまん」
手から力を抜く。だが放さない。
「一体・・・どうやってオレたち助かったんだ?」
「そりゃ、あたしがすんでのとこで浮遊の呪文を唱えたからでしょ。」
口をとがらせて、そっぽを向くリナ。
一瞬ぼーっとしてたガウリイに、やっと事情が飲み込める。
「!!お前・・・騙したな。最初から死ぬつもりなんかなかったんだろ!」

とがった口から、ぺろ、と小さな赤い舌。

「自殺なんてあたしの趣味じゃないもん♪」
「なら最初からそう言えよ!」
「ああでもしなきゃ、あんたあたしを助けにきてくれなかったでしょ?」
悪戯っぽい光をたたえて、赤い瞳が覗き込んでくる。
「う・・・でも、もしオレが助けに来なかったらどうするつもりだったんだ。」
「う〜〜〜〜ん。」
考えてもいないくせに、考えたふり。
「さあ。どうしたかしらね。」
「お前な!」
「でも、信じてたわよ、あたし。」
「!」
「あんたは絶対来るって。だから、来なくても別にいいの。あたしが信じた通りにしたまでだから。」
「・・・・・」

言い淀んだガウリイの目に、傷だらけのリナの体が映った。
「これは・・・・」
自分がつけた傷だ。
おそらくは、鱗が。
自分が掴んだ方のリナの袖口から、一筋の血が流れる。
「・・・・・・」
やりきれない顔をするガウリイの頬に、リナが触れる。

「おかえり、ガウリイ。」

朝の光に浮き上がる、眩しいその姿。
髪はぼさぼさでも、服はぼろぼろでも、肌は傷だらけでも、美しいその姿。
おそらくは同じく傷付いていたであろうガウリイの体に、先に治癒の呪文をかけて、自分はほったらかしにしていた、優しい姿。

ガウリイは魂が吸い込まれるようにそれに見とれる。

「・・・・」
「約束、守ってくれて、ありがとう。」
「・・・・リナ」
「言った通りでしょ。あんたはできたじゃない。獣を飼い馴らすの。」
「・・・・・」
くすりと笑う。
「英雄ってやつにも、なれるかもね。」
「・・・・そんなのにはならない。」

血が流れた腕を引き寄せる。

「じゃあ、なんになるの?」
「お前の保護者さ。一生な。」

赤い筋に、唇を当てる。

「英雄になるより、大変よ。」
「・・・わかってるさ。十分、わかってる。」
「もう独り旅は嫌だっての、本気だからね。」

しみるのか、少し痛そうな顔をするリナ。
腕から唇を外し、乱れた髪の頭を撫でる。

「お前に殺されないよう、頑張るさ。」
「他の誰にも殺させないわ。」
「オレ自身にもか。」
「そうよ。」

リナは明るい笑顔を浮かべる。
青空に負けないよう。
相棒の青い瞳に負けないよう。

「約束だからね。ガウリイ。」

































===================================おしまい。
「胸の風穴」とは別ばーじょんの獣なガウです(笑)
今回は、リナとガウリイの絆みたいなとこが書きたかったので、恋愛物という感じではありませんね。ただ、ふつーの好いた惚れた以外の部分が、この二人にとっては大きな絆となってると思いまして。
「風穴」にちらりと出てくる、「約束」のシーンをあらたに書きたくてこういう結果となりました。別なお話とお考え下さい(笑)でないとリナちんは獣なガウばっか相手にしてることになる(笑)

では、読んで下さった方、待っていて下さった方に、愛を込めて♪
そーらがお送りしました♪


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