「夜の帳(とばり)もおきんさん奥様劇場♪


「このカップ、きれい。ちょっと高いけどこれにする」
夕焼けのようなグラデーションの上薬で焼かれた陶器を手にとり、新妻は
微笑む。こんな何気ない日常が、今日も二人に訪れる。
 
 
そして、新居の食卓の彼女の席にはそのカップが置かれる。
あるときはジュースを、あるときは水、そしてワイン。
お気に入りのカップを持ち、語り合う時間。
二人はたしかに幸せだった。
 
 
「さわらないで!!このカップにさわらないで!!」
つる、と手から滑り落ち・・・
 
かちゃんと陶器が砕ける音。
 
 
そこには『なにもかも終わった』表情の妻が呆然と破片を見つめる姿。
「壊れてしまえば、もう元には戻らないわ」
 
彼女が泣くなんて。
オレは、なんて間抜けなんだ・・・
 
 
************************************************
 
 
「じゃあ、いってきまーす!!戸締り、火の元のは注意してよ!」
「はいはい。分かってるよ」
「明後日には帰るわね!」
 
彼の名はガウリイ・ガブリエフ。元傭兵で、今は妻の実家の商売を継いで
ここセイルーンに店を構えている。
『インバース商会セイルーン支店』は、魔導用の道具と剣を扱っている。
魔導用の道具は妻のリナが、剣は彼が担当している。
そこそこ商売も繁盛している。彼もリナもその道のプロのせいか、客の
ニーズに答える品を提供すると評判だ。
今日からリナは道具の仕入れのため、家を空ける。
店を締めて二人でいこうといったのだが、リナに睨まれてしまった。
「ふたりがいない間、剣を買いに来たお客さんがいたら駄目でしょ?
さあさあ、商売商売!」
 
リナがいないので、魔導の道具のことが判らない彼には扱えない。
店のドアに『魔導道具は、お休み』とはり紙を貼っておいた。
数人のお客を相手にして午前の商売はお終い。
昼食は外食で済ませるために店を一旦締める準備をしているところに、
ドアベルの音。
「はい、いらっしゃい」
「ガウリイ様」
「シルフィール?」
そこには昔なじみの顔があった。
「お久しぶりです、ガウリイ様」
「本当、久しぶりだな。サイラーグから来たのか?」
シルフィールはフィブリゾの事件(彼の記憶にはない事だが)の後、
暫くセイルーンに住んでいたが、1年ほど前から故郷のサイラーグに
戻っている。
「はい。セイルーンに用があって」
「そうか。今から外に食事に行くんだが、君も行くか?」
「ええ。・・・リナさんは?」
「リナは今、家を空けているんだ。魔導具の仕入れでね」
「そうですか」
彼はシルフィールと連れ立って近所のレストランに入っていった。
彼女にしてみれば思わぬ幸運が舞い込んできたようなものだ。
彼に片思いして数年。ところが自分より後に現われたリナに彼は恋をし、
ついには結婚してしまった。その恋仇が留守で、ふたりきりで食事が出来
るのだ。シルフィールはそっとつぶやく。
『つかの間の”恋人ごっこ”。これくらい、いいですよね』
 
 
ひととおり食事も済み、コーヒーを飲みながら一息入れる。
「シルフィール、君は結婚しないのか?」
「え・・・わたくし、相手がいませんもの」
「へえ、オレはリナよりも早く相手が見つかると思っていたんだがなあ」
屈託ない微笑み。だが、シルフィールには痛い。
『わたくしの想いに気付かない、ガウリイさま。酷い人・・・』
彼にそんな質問をされるのが一番辛い。その話題から逃れようとする。
「リナさんとは、どうです?新婚生活は」
「ははは、もう、旅を何年も一緒にしていた相手だからなあ。
お互い、解りあうというか、なんとなく理解できるというか。
勿論、けんかもするけど普通、なんじゃないかな」
幸せそうに語る彼に笑顔を作って聞いている自分が惨めに思えた。
シルフィールは想像する。
ガウリイに愛され、幸せに暮らす自分を。
「さてと。そろそろ店に戻らなくちゃな」
立ち上がり椅子をずらす音で、シルフィールは夢から覚める。
『なんて、悲しい夢なのかしら、ね』
彼に聞かれないようにそっと小さくため息をついた。
 
 
「では、ガウリイ様、お元気で」
「ああ。・・・シルフィール、このあと、どうするんだ?すぐサイラーグに
帰るのか?」
「いえ、明日の朝に立つ予定です。今から、街道近くの宿にいくんです」
「そうか。じゃあ、家で泊まるといい。ここからなら街道も近いし。
宿代もばかにならんだろ?」
「え?よろしいんですの?」
「ああ。部屋もあるんだ。構わないよ」
「じゃあ、お礼に晩ご飯をお作りいたしますわ!」
シルフィールは有頂天になった。
彼と『1日だけのままごと』が出来るのだ。
 
 
その日の晩餐は、なんとも豪勢なものであった。
「宿代よりもかかってるだろう?悪かったなあ、こんなご馳走作って
もらって」
「いいんですの。さあ、召し上がれ」
「いただきます。・・・うん、これ、結構いけるなあ」
「ガウリイ様に喜んでいただけるなんて感激ですわ」
 
リナがいつも彼のために食事を作る『神聖な場所』に、土足で
入っていく・・・そんなイメージが浮かんだ。
だが、土足でわざと踏みにじりたい衝動にかられる。
食後の後片付け、リナの使いやすいように配置されている品々を、
少し移動させる。これだけで、ここは自分の領域になったような
錯覚に陥る。
巫女として神に仕える者が、なんと陰険な仕業をするのだろう。
シルフィールは少し後ろめたさを感じる。
だが。
『今だけです、今だけ、ガウリイ様をわたしのものと思わせてください』
彼女は思わず祈らずにはいられなかった。後ろめたさを打ち消すように。
 
「この客室を使うといい。それじゃあ、お休み」
彼に通されたのは1階のリビングの傍の小さな部屋。
彼等の寝室は2階なのだろう。彼女でさえ、2階へは通してもらえない。
そここそが、リナの聖域なのだ。
彼に愛され、甘え、眠る場所。
彼に抱かれる彼女を思うと、激しい嫉妬が沸き上がる。
出来るものなら、彼に愛されたい。一夜でいい。
シルフィールは決心して、2階へ上がって行った。
 
 
「あの、ガウリイ様」
そっとノックする。暫くして彼が顔を覗かせる。
少し寝ぼけた表情が、母性本能をくすぐる。
『この全てを、自分だけのものにしたい。それが出来るなら』
狂おしい想いと同時に、彼女の両腕が彼に放たれる。
「なんだ?シルフィール・・・え??」
いきなり抱きつかれ、ガウリイは目を覚ます。
「なんだ?どうした?」
シルフィールは消えそうな声で囁く。
「ガウリイ様・・・抱いてください・・・」
「はあ?」
間抜けな声。
彼の表情は『信じられない』と語っている。
「なあ、シルフィール。オレ、結婚してるんだけど」
「知っています。分かっています。でも、わたくし」
「ストップ。もう、言わなくていい。でも、出来ない相談だ」
「なぜですの?」
「そりゃあ、きみがリナの友人だからさ。勿論、オレにとってもね」
「友人、ですか」
「そう。それ以上の感情はないんだ、悪いが。リナを裏切りたくないんでね」
あっさりと避けられる想い。自分には魅力が無いのか。
自分は、あの娘に劣っているというのだろうか?
シルフィールは怒りが込み上げ、彼に想いを押し付ける。
「ガウリイ様に出会ったのは、わたくしの方が早いのに!どうして、
どうして・・・わたくしでは駄目なのですか?わたくしのどこが駄目
なのですか?わたくしの方が、容姿だって、家柄だって、ええ!性格
だって・・・あの人に劣るとは思いません、何故”選ばれなかった”
のか・・・おしえてください・・・」
涙声の黒髪の美女。だが、この涙も計算づく。もう、なりふり構わない。
演技でも、彼を引き寄せたい。多分、この涙は他の男には通じただろう。
だが、目の前の男は冷たい目で見下ろしている。もう、笑ってはいなかった。
「オレには、リナが必要なんだ。きみじゃあないんだ、シルフィール。
がさつで、意地汚なくて、お金にがめつくて、短気で乱暴で、胸ぺちゃで。
だけど、あいつじゃなくちゃ駄目なんだ。きみには分からないだろうが」
シルフィールの目から、涙がこぼれ落ちる。だが彼はすがる目を、突き放す。
「あいつは・・・最高なんだ。情にもろく、甘えん坊で、寂しがりで、
なんでも自分で抱え込んでしまって・・・あいつを守れるのは、オレだけ
なんだ。裏切ることは出来ないし、なにより裏切る気もない」
「ガウリイ様・・・」
「リナは、オレを『オレ』にしてくれるんだよ、どう言ったらいいか
わからんのだが・・・とにかく。部屋に戻るんだ。ここは、オレと
リナの部屋だ。他人は入れない。冷たいと思ってくれて構わん」
ぱたん。
静かにドアは閉められた。分かっていた結果。
涙を拭こうとせず、シルフィールは客室へ戻ると声を押し殺すようにして
泣いた。
 
 
朝、目を覚まし階下に降りるとキッチンから良い匂いがする。
「あ・・・おはようございます、ガウリイ様」
「シルフィール・・・」
シルフィールは彼の困惑の表情を見て小さく笑う。
「すみません、もう・・・忘れてください」
「・・・ああ、朝食、頂くよ」
その言葉に安心したのか、ガウリイはいつものおだやかな笑顔に戻る。
彼女も支度を済ませ、向かいの席に座る。
ガウリイは彼女をちら、と見る。そして、彼女の前の食卓のなにかに
視線が止まる。
「シルフィール、そのカップは・・・まあ、いいか」
「なんですの?ガウリイ様」
「いや。なんでもない」
彼女は不思議に思ったが、そのまま食事を続ける。
後片付けが終わり、シルフィールはサイラーグへ帰る支度に取りかかる。
 
「おーい、シルフィール。来てくれないか?」
店の方から声がするので行って見ると、ガウリイは魔導士らしき数人と
話をしているところだった。
「ああ、よかった。エルドーの水晶と、ハーレの葉を欲しいんだそうだ。
オレじゃあ判らんから、ちょっと手伝ってくれないか?バイト代、弾むから」
ほとほと困った様子のガウリイは、シルフィールとバトンタッチする。
 
「まいどありー。いやあ、助かったよ」
「いいえ、お役に立ててうれしいですわ」
そこに、また客が現われて、シルフィールは引っ込みがつかない。
「そろそろ、出発しないと、次の街へたどり着けないぞ?」
ガウリイも時計を見て気にしている。
「・・・明日に延ばします。サイラーグに帰るのは」
「え?そりゃあいかん。帰ったほうがいい」
ガウリイはきっぱりという。昨日の夜のような事は、ご免だといわんばかりに。
 
「はい・・・わかりました。用意、してきます」
淋しそうに家の中へ彼女は戻っていった。
少し可愛そうな気もしたが、同情で酷い目・・・『修羅場』に遭いたくない。
彼にはリナの方が大事なのだ。
 
 
アメリアとゼルガディスが店のドアベルを勢いよく鳴らして入ってきた。
「ガウリイさーん!ただいまー!!・・・あれ?リナさんは?」
「よお、アメリアじゃないか。ゼルも一緒か」
「おや?リナはまだか?家の中なのか?」
「ゼル、あいつは昨日仕入れに行って戻ってきていないぞ」
すると、アメリアとゼルガディスは妙な顔つきになる。
「俺達は、昨日一緒に魔導アイテムを買いに行って、今朝3人で帰って
きたんだ。リナとは30分くらい前に、先に家に戻るといって別れたんだぞ?」
 
「あたしとゼルガディスさんとで手伝ってあげたんですよ。早く仕入れが
済んで助かったって喜んでいました・・・でも、まだ戻っていないなんて」
かちゃん。
家の中から、なにか割れる音。
「どうしたんだろう?シルフィール?」
「え?シルフィールさん、いるんですか?」
「ああ。昨日、泊まっていったからなあ」
「げ。修羅場の予感・・・」
「はあ?」
ガウリイはきょとんとする。その表情を見て、ゼルガディスは深くため息。
「くらげにも、程があるぞ、旦那・・・」
アメリアも細い眉毛を吊り上げ、ガウリイを睨む。
「ガウリイさん、奥さん留守の新婚の家に、独身の女性を泊めたんですか?」
「独身って・・・たしかにそうだが、知り合いじゃないか」
「なに甘い事いってんですか!ああ、リナさんが荒れ狂っても知りませんよ!」
 
『たしかに、昨日危なかった。だが、ちゃんとつっぱねたんだ。
怒られることなど、なにもしてはいないぞ?』
心の中で、彼は弁解していた。そしてキッチンに駆けつけた3人がみたものは。
 
割れたカップを呆然と見つめるリナ。
そして、そばにはシルフィールがやはり呆然と立っていた。
「リナ?どうした?」
ゆっくりと、ガウリイの方を、リナは振り向く。
「やーん、こっ怖いですう、リナさあん」
怒るかと思えば、能面のように無表情。その口が、ぽつりとつぶやく。
「壊れてしまえば、もう元には戻らないわ」
「リナ?」
 
ぽとり。
大粒の涙がこぼれる。
「大事にしていたのに。ガウリイ、こわれちゃったよ」
リナのことだから、ドラグスレイブでもぶっぱなすかと思えば。
そこには愛らしい新妻の姿のリナがいた。
ガウリイは、思わず駆け寄り抱きしめる。
「こわれちゃった・・・」
ただ、静かに涙をこぼすリナの髪を、やさしく撫でる。
ゼルガディスはアメリアの腕を引いてそっとその場を離れる。
シルフィールもいたたまれず、彼等から離れて客室へ走り去る。
 
 
「リナ。すまん。オレは配慮が足りなさ過ぎた。アメリアにも叱られたよ。
本当に・・・すまない」
「壊れたカップは・・・もう元にはもどらないわ」
「リナ?」
「あたしも・・・こわれちゃった、よ・・・」
「・・・!」
「ガウリイ・・・あたし、なんか、いやになっちゃった・・・
ひとりにして・・・」
「だめだ。・・・だめだ、だめだ!」
「ガウリイ・・・お願い」
「だめだ!絶対に、だめだ!ここで放したら・・・お前、どこかへ
いっちまう!絶対・・・だめだ・・・」
彼は抱きしめていた身体を放し、肩を掴んでリナの顔を見る。
「シルフィールに、なにか言われたのか?なにか酷いこと、言われたのか?」
「ううん。ただ・・・」
「ただ?」
「ガウリイを、愛してる、って。抱いてもらいたかったって」
「・・・でも、オレは」
「うん。冷たく断わられたって。でも、あたし・・・ショックだった。
あたしとガウリイだけの家に、彼女が・・・ううん、ほかの女の人でも。
あたしがいない時に入れて欲しくなかった。
あたしが決めた位置にないの。お鍋も、ポットも、花瓶も、クロスも。
あたしの『お城』じゃなくなってたの。あたしの席を、あたしの座布団を
・・・あたしのカップを、使って欲しくなかったの・・・」
そこまで一気に言うと、声を押し殺すように彼の胸で泣いた。
彼には下心があった訳でもなく、知人に対するただの親切心だったにせよ、
結果的にふたりの生活をなにより大切にしてくれていた妻への裏切り行為。
滅多なことで泣かない妻を泣かせてしまった。彼は後悔に苛まれる。
「・・・ごめん。本当に、ごめん。もう、他の女に親切になんか、しない」
「なにいってるのよ、ガウリイは親切なのが取り柄じゃないの・・・」
ようやく微笑むが、それもどこか弱々しい。それでも、彼女は彼を責めない。
「リナ。リナ、リナ・・・」
華奢な身体を抱きしめる。小さな、小さなオレのリナ。
腕の中にいるのを確かめるように、何度も彼女の名を呼ぶ。
返事の代わりにリナはぽつりとつぶやく。
「ねえ、あたし・・・こんなに、よわっちかったかな?ガウリイが・・・
ガウリイがいてくれなきゃ、ダメな身体になっちゃったのかな・・・」
この言葉に彼は、胸が締め付けられる想いで泣きたくなる。
一番大事な女性を、苦しめて泣かせてしまった。
償い・・・彼はそっと瞼に口づけをする。
そして、誓う。この涙に。
二度と彼女を悲しませないと。
 
 
「シルフィールさん・・・」アメリアは客室のベッドにうずくまる
娘に声を掛ける。だが、何を話しかければいいか分からない。
シルフィールはゆっくり起き上がり、やるせない想いで自嘲気味に答える。
「わたくしの、邪な想いは打ち砕かれました。神も、呆れ果てているわ。
これは、天罰です。わたくしは、報いを受けなくてはなりません」
鞄を抱え、彼女は出ていった。アメリアは呼び止めようとしたが、
ゼルガディスがそれを制止する。
「ひとりにしておいてやれ、アメリア。今、一番甘やかしてはいけない
時だ。ひとり、考えさせてやるんだ。俺達も、行こう」
「・・・はい」
二人はシルフィールの後に続いて外へ出ていく。
 
 
外は、すでに日も沈み、薄暗い。
「・・・そうだ、あいつらのことを忘れてた」
「あ・・・」
部屋をぐるりと見回す。人の気配がない。
「帰っちまったようだな」
「・・・悪いことしたわ、ゼルやアメリアに」
「明日、謝りに行こう。で、みんなで食事でも一緒に食おう」
微笑んでいたリナが、くるりと悪戯な表情に変る。
「あら?謝るのはガウリイだけよ!それに奢るのもよ。セイルーンでも
指折りのレストランで、豪華ディナーでなきゃだめだかんね!勿論、
ガウリイのおこづかいから出すのよ!」
「うええ。勘弁してくれえ」
「駄目。あたしを泣かせた罪は大きいわよ!きっちり、一生かけて
償っていただきますからね!」
「はははは」
いつものリナ。いつものガウリイ。やっと、ふたりらしさを取り戻す。
けれども、前よりも絆は深く、強く。
 
ガウリイはリナを抱えて二階へ上がる。
新妻は彼の首に両腕を絡め、目を閉じる。
「ゆるしてくれるか?」
「・・・なにを?」
とぼける妻の微笑みに励まされ、彼は真っ暗な寝室へ連れていく。
 
 
夜の帳が降り、闇が不思議と暖かい。
なにもかもを闇く染め、全てを隠す。
ふたりの姿も、仕草も。
ただ、息づかいだけがそこに在る。
 
 
えんどおおお
 

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