「Blood−red Silver」


 四人は通路を駆けていた。遠くから重い音と、振動が伝わってくる。
「何かに引火したのか‥‥とにかく、急いでここから出るぞ!」
 ゼルガディスが叫ぶ。
 死霊山の頂上にある研究所。ゼルガディスとアメリア、そしてガ
ウリイは、さらわれたリナを追ってここまで来ていた。
 少女ダミアの協力もあり、リナの救出には成功したものの、まだ
「無事に」とは言いきれない。魔力を無制限に吸い取られ、リナの
髪は白銀の色に変わっている。
 命にかかわるかもしれない。
 その思いが、一同を急がせていた。
「――待て!」
 突然、ダミアが声を上げた。前を行く3人は、出口の見える通路
で立ち止まる。全員が振り返り、まずアメリアが口を開いた。
「どうしたんですか?」
「そのまま、外に出るつもりなのか?」
 ダミアの目はまっすぐに、ガウリイに向けられていた。正確に言
えば、ガウリイに抱かれた、リナの姿に。
「‥‥!」
 一瞬の間をおいて、ゼルガディスが表情を変える。
「確かにな‥‥このまま外に出れば、リナが危険だ」
「えっ?」
 アメリアが聞き返す。ゼルガディスは続けた。
「よく考えてみろ。びしょ濡れになっている今のリナが、冷たい空
気にさらされたらどうなる?」
 はっ、とアメリアが息を呑む。ダミアは無言で、事の成り行きを
見守っている。そして。
「どうすればいいんだ? ゼル」
 緊張した声で、ガウリイが言った。ゼルガディスは考え込む。
 
 ズズ‥‥ン‥‥
 
 低い音が響いてきた。一同の間に、言い知れぬ戦慄が走る。
「ゼルガディスさん‥‥!」
 不安と焦りの混じる声。応えるように、ゼルガディスはアメリア
に顔を向けた。
「アメリア、手伝ってくれ。これからガウリイの周りに、風の結界
を張るんだ」
「結界‥‥? どうするんですか?」
 気温の変化は、風の結界ではどうしようもない。アメリアの言外
の言葉に、ゼルガディスが続けた。
「風の結界に、外から炎の呪文をかける。洞窟の中くらいまでは、
それでなんとかなるはずだ。
 洞窟に入れば、壁を熱して暖をとれる」
 言い終わる前に、アメリアの表情が輝く。
「わかりましたっ! やってみます!」
 すぐにガウリイのそばに寄り、アメリアは呪文を唱え始める。そ
の様子から視線を外し、ゼルガディスはダミアに向き直った。
「ダミアとか言ったな。あんたにも手伝ってもらうぞ」
「わかっている。風の結界を守ることだろう」
 顔色ひとつ変えることなく、ダミアが答えた。得物の剣を引き抜
き、出口のほうへと歩いてゆく。
 ゼルガディスも呪文を唱え始めた。
 
 
「ウインディ・シールド!」
 アメリアの呪文が完成する。タイミングを計ったように、ダミア
が出口の扉を開けた。そして、全員が走り出す。
 続けて、ゼルガディスが呪文を解き放った。
「フレア・アロー!」
 冷気の中、風の結界に炎の矢がぶつかる。連続してゼルガディス
は、混沌の言語を紡ぎだす。
 一同の行く手に、雪だるまが2匹現れた。
「はっ!!」
 ダミアが剣を振るった。狙いを違わず、敵の頭を一撃で叩き割る。
 ――強いな‥‥。
 呪文を唱えつつ、ゼルガディスは思う。
 別方向から、もう1匹がダミアに襲い掛かった。振り向きざま、
ダミアが大きく剣を振るう。しかし、浅い。
 雪だるまの攻撃が、ダミアに迫り――
「フレア・アロー!!」
 数十本の炎が、虚空を疾る。炎は風にはじかれ、あるいは結界を
それて、雪だるまの身体に突き刺さる。
「助かった」
「礼は後だ」
 短く言葉を交わす。一同は、洞窟の中に駆け込んだ。
「こっちだ。風の入らない洞穴がある」
 ダミアの誘導に従い、奥へと進む。後ろでゼルガディスが、何度
か炎の呪文を繰り返す。
 やがてほどなく、洞窟の奥まった場所にたどり着いた。結界を解
こうとしたアメリアを、ゼルガディスは目で制す。
 彼は唱えかけた呪文の残りを呟き、解き放った。
「フレア・ランス!」
 
 ごうっ! 

 洞穴の壁が灼け、熱風が空気を震わせる。そこで初めて、ゼルガ
ディスはアメリアに向かい、頷いた。
 アメリアが風の結界を解く。ちらり、とリナに目をやり、アメリ
アはマントを外した。乾いた地面に広げて敷き、その上に、ガウリ
イがリナを横たえる。
 アメリアが呪文を唱え始めた。ダミアは入り口にたたずみ、ゼル
ガディスは、壁に火炎呪文を追加していた。
 そして、ガウリイは。
「‥‥リナ‥‥」
 消えそうな声で囁く。昏睡しているリナを、ガウリイは悲痛な表
情で見つめていた。
 ゼルガディスは呪文を唱え終わり、ガウリイに近づいた。振り返
りもせず、ガウリイが問いかける。
「アメリアの呪文で、リナの髪は‥‥元に戻るのか?」
 一瞬の沈黙。
「‥‥いや、おそらくは無理だろう。だが、時間がたてば、自然に
治るはずだ」
 ゼルガディスの答えに、ガウリイは何も言わない。静まり返った
空間に、しばし、アメリアの詠唱だけが響く。
 不意に、ガウリイが立ちあがった。
 くるりときびすを返し、洞穴の入り口に歩き出す。ゼルガディス
は慌てて聞いた。
「どこに行く気だ?」
「外を見てくる。オレたちがいたら、色々やりにくいだろうし、な」
 寂しげな、穏やかな表情。しかし――
 ゼルガディスは刹那、絶句した。
 ガウリイの頬に、銀色に光る雫を認めて。
「リナのこと、頼んだぞ」
 ダミアに声をかけ、ガウリイは洞穴を後にする。ゼルガディスは
我に返り、急いでその背中を追った。
 
 
 洞穴を出て、しばらくも歩かないうちに、ガウリイが剣を抜く。
「敵か?」
 確認するように、ゼルガディスが口にする。彼の手もすでに、腰
の剣に伸びていた。ガウリイは答えず、研究所に続く道を睨みすえ
る。
 視界に、動くものが映った。それが戦闘員だと、ゼルガディスが
判別するより早く――
 
 こうっ!!
 
 風が吹き抜けるように、ガウリイが走った。銀光が闇に閃く。
 どす、どさり。
 重いものが落ちる音。悲鳴すら上げさせず、ガウリイは敵の胴を
両断していた。何体かを、一撃で。
 ゼルガディスは戦慄した。身体が凍りついたように、動かない。
 感じたのだ。ガウリイを取り巻く空気は、尋常ではない。普段の
闘気とも、殺気とも違う――寒気すら感じるほどの、底知れない闇
に似た。
 押し殺した負の感情。それは‥‥瘴気と呼べるほどの。
「ゼル‥‥」
 低い声が聞こえる。ゼルガディスは立ち尽くしたまま、ガウリイ
の言葉を待った。
「ここは頼む。オレは‥‥さっきの建物から出てくるやつを、なん
とかする」
 静かな口調で言い、ガウリイは歩き出す。ゼルガディスは言葉も
なく、見送ることしかできなかった。
 
 
 洞穴の中は、痛いほど静かだった。
 アメリアは涙目で、リナを見下ろしている。ダミアは黙々と、リ
ナの服を乾かしている。
 リナの命に、とりたてて別状はない。それでも、リナの髪の毛は、
やはり銀色のままだった。複雑な感情を持て余し、アメリアはダミ
アの方を見る。
 ちょうどその時、ダミアもアメリアに向き直り、口を開いた。
「大丈夫なのか?」
 短い問いかけ。アメリアはとっさに目をこすり、頷いた。
「はい。リナさんの身体のほうは、もう完全に回復してます。
 ‥‥でも‥‥」
 言って、再び目を落とす。アメリアの心境を察したのか、ダミア
もリナの脇に膝をついた。ゆるく流れる白銀色の髪を、じっと見つ
める。
 沈黙が、空間を埋めた。
 ふと、思い出したように、アメリアが顔を上げる。
「ダミアさん、ガウリイさんたちの加勢に行ってください。ここは、
もうわたしひとりで充分ですから。
 リナさんが無事だって、伝えてください」
 声の震えを隠すように、早口で言う。ダミアはアメリアに目をや
り、頷いた。
「わかった」
 立ち上がり、ダミアが洞穴を後にする。アメリアはもう一度、あ
ふれかけた涙をぬぐった。
 
 
 洞穴を出たところで、ダミアは剣を抜く。争う物音と、呪文の詠
唱が聞こえた。バスタード・ソードを携え、ダミアが走る。
「エルメキア・ランスっ!」
 ひときわ大きく響く声。そして、女の悲鳴。
 駆けつけたダミアが見たのは、倒れた魔法使いと、その傍らに立
つゼルガディスの姿だった。
 ダミアの気配に気づき、ゼルガディスが振り向く。
「お前、なぜ‥‥」
「向こうは大丈夫だ。だから、手伝いに来た」
 言いながら、ダミアは辺りを見回す。
 倒れた魔法使いの他に、雪像の破片や、何体かの動物の死骸もあ
る。それほどの戦いがあったにもかかわらず、ゼルガディスは数か
所、衣服が裂けているだけだった。
「‥‥あの男は?」
 ふと気づいたように、ダミアが尋ねる。ゼルガディスはしばし、
沈黙した。ややあって、ためらいがちに口を開く。
「ガウリイは、俺と逆方向へ向かった‥‥おそらく、研究所から出
てくるやつらと戦っているはずだ」
 聞き終わる前に、ダミアの表情が硬くなる。
「戦っている‥‥? たったひとりで、か!?」
 確認する問いかけは、非難にすら聞こえた。ゼルガディスは短く
答える。
「そうだ」
「なぜ、一緒に戦わない? 研究所にいるのは、他のモンスターと
は違うのに‥‥」
 ダミアはゼルガディスに、鋭い視線と言葉を向ける。真っ向から
それを受け止めて、ゼルガディスは言った。
「ガウリイは無事だ‥‥それだけは、間違いない」
 ――?
 ダミアは気づいた。ゼルガディスの口調に、何かが潜んでいるこ
とに。ちょうど、不吉なものを語るときのような、昏い響きに似て
いる。
 沈黙したダミアを見ながら、ゼルガディスは言葉を続けた。
「リナは大丈夫だと、ガウリイに伝えてやってくれ。ここをひとり
で守るのは、あんたより俺のほうが向いている」
「‥‥わかった」
 釈然としない面持ちで、ダミアが頷く。振り返らず、彼女は洞窟
の向こうへと去っていった。ゼルガディスはひとつ、深いため息を
つく。
「誰にも、あいつの邪魔はできないからな‥‥」
 
 
 洞窟の出口から、光が差し込んでいる。まぶしさに目を細め、ダ
ミアは外に足を踏み出した。そして――息を呑む。
「‥‥っ!?」
 先刻見た雪景色は、どこにもなかった。
 雪原の上に、数え切れないほどの物が落ちている。ゾンビの肉片、
ゴーレムの残骸、戦闘員の死体、ドラゴンの骸‥‥
 白銀の雪は、今や真紅に染め上げられていた。
 その中で、ただひとり。
 燃え上がる研究所を背景にして、佇む人影があった。抜き身のロ
ング・ソードの刃が、火を照り返して赤く輝く。光をはらんだ髪が、
ふわりと揺れた。
 ダミアは一歩も動けなかった。振り返ったガウリイの目は、まっ
すぐに彼女を捉えている。かなりの距離があるが、ダミアは直感で
悟っていた。
 動けば、斬られる。
 一瞬、ふたりの視線がぶつかり――ガウリイが表情を変える。
「‥‥リナは!? リナは、どうなったんだ!?」
 焦った口調で、ガウリイは問いかけた。ダミアは我に返り、答える。
「大丈夫だ。命に、別状はない」
 言葉を聞いて、ガウリイの顔に、安堵の色が広がった。
「そうか‥‥」
 小さく呟き、ガウリイは構えを解く。身に纏う雰囲気さえ、穏や
かなものに変わっていた。信じられないといった面持ちで、ダミア
が口を開く。
「これは‥‥全部、ひとりでやったのか?」
 ガウリイは刹那、黙り込む。そして、微笑んだ。
「ああ。オレにできることは、このくらいだからな」
 壊れそうな笑顔。ガウリイの瞳が、ダミアに向けられる。空を写
す湖のように、底にあるものは見えない。
 かける言葉もなく、ダミアは立ち尽くす。
 冷たい風が、ふたりの間を吹きぬける。ガウリイの髪が、風に乱
され舞い上がった。隠れていた右の頬に、ただ一筋の赤。
 
 
 血の色に染められた、一筋の――涙。
 
 
(Blood−red Silver 完)
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 笹井勇希  
 
 
 

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