「続・夢改革」


叫ぶように名前を呼ばれて、弾かれたように飛び起きる。
眠るつもりはなかったが、うとうとしていたらしく、はかなげな夢から引き離される。
前に垂れてくる髪を掻き揚げながら、早々にベッドから抜け出した。
 
 
そこにいるのは小さな影。
薄白いカーテンがゆらめき、そこから月明かりが漏れてぼやけた輪郭を浮かび上がらせている。
闇に慣れた目が、その姿を映す。
彼女は長い髪をシーツに垂らすようにして俯き、手をついていた。
流れる髪の間から、青白く照らされた首筋が見える。
「リナ」
息を吸い、静かな気持ちで名前を呼ぶ。
すると、いつも反応を返さないその体が、ぴくりと震えた。
怪訝な気持ちで近付いて、そっと片手で顎を持ち上げる。
ゆっくりと、頭を撫で、髪を撫で、そして耳をかすめて頬に辿り着く。
ふと、降りていく指先にひどく冷たい感触が伝わる。
驚き、漏らした声はかすれていた。
「・・・リナ、お前・・・・・・」
確かめるように、もう一度撫でる。
冷たい頬の上を手が滑る。
「泣いてるのか・・・・・・?」
その唇から、声さえ漏れはしないのに。
頬に添えた手に水滴が伝わり、そのまま流れ落ちていく。
声を掛けても。頬を撫でても。尚もその瞳は、こちらを見ない。
 
ぽたん
 
そういう音を、聞いた気がした。
小さな体に腕を回し、ゆっくりと抱き寄せる。
息を吐く音が、腕の中から漏れた。
「ガウリイ・・・?」
囁かれる声に、頷く。
彼女がゆっくりと目を閉じるのが分かった。
「あんたはガウリイよね・・・ここにいるのよね・・・」
安心したように、寄りかかってくる体を受け止める。
 
これで、何回目になるのだろうか。
名前を呼ばれ、こうして彼女を抱きしめるのは。
これ以上、力を掛けることが怖いように感じられるのは。
「どうしていつもこんなに苦しいんだろ・・・」
虚ろな声でつぶやかれる言葉に、黙って背中を撫でる。
ほとんど力のこもらない腕の中で、彼女が顔を上げた。
その瞳がこちらを見据えた途端、震えてすぐに下を向く。
その一瞬で、瞳にたたえた光を認識する。
そして。
 
光が、零れる。
 
「ずっと・・・お前と一緒にいたけど・・・」
滑り出す言葉に悲しみが宿る。
「・・・リナが泣くのは、初めて見たな」
言いながら、大きな手は背中を撫でる。
すると首に細い腕が巻き付く。
そこから心持ち体を起こし、そして顔を上げる。
視線と視線がぶつかって。お互いが、相手の瞳を覗き込む。
「あたし・・・が・・・?・・・泣いてる・・・・・・?」
抱きしめられた腕の中で、紡いだ声が震えている。
片手で、濡れた頬に触れる。
その手を掴み、彼女は首を小さく振る。
「泣いてない・・・泣くわけないじゃない・・・泣く必要なんてないんだから・・・」
言って、首を振り続ける。
掴んでいた手から。首に掛かっていた腕から。
力が抜けて、シーツへと沈む。
俯いて。小刻みに震える体を、戒めを解かれた手で抱きしめる。もう一度。
「お前は、ずっと涙を溜めてきたんだろう?」
優しく語り掛ける。しゃくりあげる、肩。
「今まで何があっても・・・流さない様に、こらえて。
ずっと・・・・・・お前が奥にしまっておいた涙が。今、溢れ出てきちまってるんだよ」
「・・・・・・あたし・・・泣いてないってば・・・」
ぼんやりとした口調で。だが、否定される言葉に、抱きしめる腕に力を込める。・・・少しだけ。
「ああ。・・・分かってる。リナは泣いてない。
お前の心が満杯になっちまったから、これ以上心にしまうことができなくなって、
涙が勝手に出てきてるんだよな?
・・・お前はこうしてる今でも泣いてないよ」
こくんと頷いたのが、体に伝わる。
「そうよ・・・勝手に出て来てるだけよ・・・・・・あたしは涙なんか流したくないっていうのに・・・」
ゆっくりと髪を撫でる。何がここまで彼女を追いつめてしまったのか。
毎夜毎夜繰り返される悪夢に?
今までの軌跡に?
押し込めた悲しみに?
彼女が自分の感情を堪え、冷静に振る舞おうとするのを今まで何度見てきただろう。
何度、見ないふりをしてきただろう?
胸の奥に痛みが走る。
それを隠して、手は髪を撫で続ける。
「でもな。もし・・・今、お前が今まで溜めてたものを一部でも流し出しちまったら、
心にまた空きができるだろ?
そしたら、リナは今より楽になれる。・・・また、つらい事が起きても、こらえられる。
オレは、お前には元気でいて欲しいから・・・今までこらえてたもの、
少しだけでもいい、吐き出しちまうんだ」
耳元で囁くと、髪の匂いが鼻をかすめた。
彼女の肩が震える。
振動が、伝わってくる。
冷たい涙が、滑り落ちていく。
溢れ出るほどこらえていたものが、少しずつ。
凍り付いていたものが、溶かし出されるように。
「こらえてたの・・・吐き出すのも・・・・・・結構、しんどいもんね・・・・・・」
「お前は、溜め込み過ぎてたんだよ・・・・・・つらいか?」
なだめるように、頭を撫でる。
「今だけでも・・・・・・・・・行かないでくれたら・・・それでいい」
肩にもたれて囁かれる言葉に、少しだけ鼓動が早くなって。
小さな体を毛布で包み、抱きしめた。
 
 
 
 
 
 
やがて、日が昇り、朝が来て。
ゆっくりと瞼を開けると、傍らにはぬくもりがあった。
「ちょっと待て・・・・・・なんであんたがここにいるのよ・・・? ガウリイ・・・」
怒気を含んだ声が、真正面から浴びせられる。
自分を戒めていたと思われる腕を、いとも簡単に引き剥がす。
髪をかきあげ、体を起こしてしばし見つめ合う。
緊張した空気を霧散するように、息を吐く。
「夢を、見たんだ」
「は?・・・ゆめぇ?」
怒りに燃えていた顔が、怪訝へと変わる。
そして、その青い瞳から何かを探り出すように、じっと見つめる。
真っ直ぐに視線を返すと、やがて瞼を閉じて、苦笑のため息を漏らした。
ふっと、笑うように。
「・・・あんたでも、怖いユメって見るのねぇ」
カーテンのなびく窓から、お互いの顔に光が射す。
いつもより赤い瞳が、彼女から何かが流れ去ったということを物語っていた。
 
 
 
 
・・・そして。
 
 
夢は変わった。
 
 
 
 

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