『愛玩生活』


 
 
あたしの名前はリナ。
今は『飼い猫』というお気楽極楽だけれどその分、暇を持て余す身分である。
 
 
棲家は居心地良く空調設備の整った、見晴らしの良いビルの最上階。
豪華で美味しい食事も食べれて、アイツがいなければ好きなときに好きなだけ寝ていられる。
ただ、外出だけは出来ないのが退屈でしょうがないんで玉にキズなんだけど、
欲しいモノは甘い声でねだればなんでも揃えてくれるので至れり尽くせりでもある。
 
初めてここにきたときは、こんな世界もあるものなのかとそりゃあ驚いたもんなんだけど
実のところ、この生活にももう大分慣れてしまって今じゃ飽き飽き。
退屈に飼い慣らされているというか。これこそホントの飼い殺しよね。
 
 
今朝もケダルイ体を無理に起こす気にもなれなくて、
目が覚めてからもごろごろとベッドの上で寝そべっていた。
 
朝といえる時間帯もそろそろ残り僅かというところで、
さすがに空腹に耐えかねキッチンへ向かう。
 
このマンションにはあたしと、アイツしかいない。
通いでお手伝いさんが週に2度やってきて、家事をしていくくらいしか来客もない。
なので、さっさと朝食を食べて書斎――というよりは機械に囲まれた仕事場――に
篭ってる奴は無視して、あたしはいつも一人で遅めの朝食を食べる。
 
 
午後になるとアイツも書斎から出てきて、昼食を摂り始める。
その間、あたしは日当たりの良いソファの特等席でひなたぼっこをしながら
窓の外のちまちまとした建物や人、うつろう空模様をぼんやりと眺めたりする。
 
昼食を食べ終えると、奴は日によってまた書斎に篭ることもあるし、
大画面のTVで映画や番組を遅くまで眺めてることもあるし、本を読んだりもする。
いずれの場合でも、あたしの都合(といっても何時でも暇なんだけど)を無視して
奴はあたしを抱え上げて側に居させる。
 
 
今日の奴は午後からの仕事はないらしく、
昼食の後、あたしのいるソファまでやってくると隣りに腰を下ろした。
窓の外を向いて座ったまま、そちらに顔も向けないあたしに気を悪くするのでもなく、
大きな手で小さなあたしの頭をひたすら撫でる。
 
初めのうちは抵抗があったこの行為も、今となっては気にならない。
というより、どんなに腹を立てようとお構いなしで触ってくるので
最早怒る気力も失せたといった方が近いかもしれない。
 
しばらくして、あたしも曇りがちの空を延々眺めるのにも飽き、
ころりと奴の膝の上に頭をのせて横になり、目を閉じた。
相変わらず大きな手はあたしの至る箇所を撫でてゆき、最後に首輪にきた。
 
あたしの首には真っ赤な宝石がひとつ嵌った黒のベルベットの首輪がしてあり、
奴は時折外出する際、この首輪に頑丈な鎖と鍵をつけてゆく。
今はそんな野暮で余計なモノはついていないけれど、
それでもこれをしている限り、どんなときでも、首輪に繋がれた透明な鎖の先が
コイツの手中にあることを意識させられる。
 
寝そべっていた体が持ち上げられ、膝の上に抱え上げられる。
目を瞑ったままのあたしの唇に、そっと柔らかな感触がした。
彼が昼食の後に飲んでいた珈琲の香りが、鼻腔を微かに擽る。
あたしは瞼を閉じたまま、僅かに距離を置いたそれをペロリと舐め上げた。
気配で奴が笑い、それから敏感な耳元で囁く。
 
「リナ」
 
呼ばれて、返事を返す代わりに目を開けると雲間から覗くような青が間近にあった。
そのまま頬を寄せられて悪い気はしないものの、
瞳と声との裏に在る明確な意図を読み取り、つい内心で嘆息する。
せめてもの照れ隠しの抗議に、抱え上げられたまま胸板に爪を立てた。
奴はそれにも笑い、あたしを楽々と抱えたまま立ち上がると寝室へと移動した。
 
 
 
あんまり有意義とはいえない、ひたすら疲弊する時間を過ごした後。
奴とあたしは夕食を摂るため、共にベッドから這い出した。
 
奴にとっては少し早めの、あたしにとっては遅めの食事である。
それが済むとまたあたしはソファの上に寝そべり、奴は眠る直前までまた書斎に篭る。
そして奴が眠る頃になると、綺麗に身繕いを済ませたあたしも寝室へと移動する。
 
 
 
 
 
この一日のサイクルを成り立たせているのは、ひとえにアイツ――ガウリイの持つ
莫大な資産によって、である。
 
それは株の投資による利益によってもたらされるもので、
ガウリイが外出すると、ことあるごとにお土産として高価な宝石の付いた首輪が
あたしに贈られ続けているのも、先立つモノがあればこそ。
 
しかし、あたしはそれらの殆どに見向きもしなかった。嬉しがったこともない。
新しいのを見せられる度に「またか」という顔をしてみせるのみである。
石なんか眺めたって、お腹の足しにもなりゃしないじゃない?
食べれて美味しいモノのの方が遥かにマシだと思う。
 
まあ、あたしは何時も首輪以外何も身に付けていないので
奴からあたしにプレゼントできるモノといったら
限定されてしまっているんだから、仕方がないのかもしれないけど。
 
 
不平も不満も退屈も、何もかもが『不自由』という言葉に
凝縮されているような愛玩動物としての暮らし。
それでも、他に何処へも行く宛てもないので、此処に居座り続けるあたし。
 
このままの生活が延々と続くのかと思うと正直ウンザリではあったのだが
予想だにしなかったほど唐突に、この生活は打ち切られることになった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガウリイが株主となっていた会社の、株の大暴落。
 
 
 
 
 
呆気ないほどの幕引きに驚く暇すらも無く、
あたしと奴は今まで住んでいたマンションから放り出されることになった。
 
以前から全くと言っていいほど物の少なかったマンションの部屋は更に閑散とし。
それほど大きくない紺色のバッグひとつと茶色のケースひとつに荷物を纏めた彼と、
あたしだけが最後にぽつねんと残った。
 
 
ここ数日で大分やつれたように見える顔に、精一杯すまなさそうな笑みを浮かべて言う。
 
「ごめんな、リナ。
 『不自由のない生活』をさせてやるって言ったのに、こんなことになって」
 
大きな手が名残を惜しむようにそっと、頭に触れてくる。
あたしは黙ったまま、つぶらな瞳をただひたすら目の前の奴に向けるだけ。
 
「ほとんど無理矢理、ここに連れて来ちまったけど……
 たった3ヶ月の間だったけど、オレはお前さんと一緒にいられて本当に楽しかったよ。
 ありがとうな」
「…………」
「大見得はって、『なんでもお前さんの欲しいものをくれてやる』って言っておきながら、
 最後に残ったのはこんなもんだ。笑っちまうな」
「…………」
「この数日でなんとか必死に手をまわして、これから先、なんとかお前さん一人でなら
 暮らしていけるだけのモノは残せた。餞別代りだ、受け取ってくれ」
 
そう言って、足元にある茶色のケースを示す。
あたしはそれにも興味のない顔で一瞥をくれてやるだけ。
奴はそんな態度に小さく肩を竦めた。
 
そして萎びた笑みを浮かべ「それじゃあ」と向けられた背。
ベッドの中で爪を立てた覚えしかない広いそれに、
夢現の中、半ば強制的に啼かされた時にしか出さなかった声を投げつけた。
 
 
「随分と無責任な飼い主ね」
 
 
咎める鋭さが刺さったらしく、彼の足が止まる。
 
「拾っておいて、飼えなくなったらすぐにポイ?
 随分とふざけてるわね。訴えるわよ? そして勝つわよ?」
「事情が変わったんだ」
「それはあんたの事情でしょう。あたしはそんなのどうでもいい。関係ないわ」
 
振り返った顔を、ありったけの気力を叩き込むように睨む。
 
「今だから言うけど、あたしはたしかにあんたに飼われてたわ。
 人間同士の煩わしさも五月蝿いのも苦手だって言うから、精一杯猫のふりまでして。
 逃げようと思えば逃げられたのにね」
「………なら」
「けどね、そうまでして此処にいたのは
 『不自由のない生活』だなんてありもしない幻想に目が眩んでた訳じゃないわ。
 あんたがあたしになんでもくれるって言ったのを本気であてににしていた訳でもない。
 実際、ここに連れてこられるまでの生活は
 ここでの退屈な生活よりよっぽど充実してたんだから」
 
困惑の表情を隠すこともしない彼に、あたしは幾分口調を和らげて言った。
 
「そして結局、あんたがくれた宝石やらは、何にも残らなかった。
 でも、ただひとつだけ、あんたがあたしにくれた中で一番嬉しかったものは、残ってる」
「…………」
「それはね、名前よ。
 ……今まで誰も、あたしを名前でなんて呼んでくれなかった。名前すらくれなかった。
 便宜上、必要に迫られて仕方なく付けられた番号みたいに、呼ばれてた」
「…………」
「でも、あんたは違ったわ。
 例え愛玩対象としてだけでも、あたしを認めて、あたしだけの名前をくれて、
 ちゃんとあたし自身を呼んでくれた。
 その折角のお気に入りの名前も、誰も呼んでくれないんじゃあ意味がないじゃない?」
 
だからあたしはあんたの側にいたいのだと言うと、彼は緩く首を振った。
 
「お前さんが随分とその名前を気に入ってくれていたのは解った。その点は光栄に思うよ。
 そんなにその名前が好きなんだったら、今度は他の奴に呼んでもらえばいい」
「馬鹿ね、ここまで言っても気が付かないの?
 あたしは、あんたが付けてくれたこの名前を
 他の誰でもない、あんた自身に呼んでもらうのが好きなのよ!」
 
あたしが本物の猫だったら毛を逆立てて唸ってるところだが、
奴のぽかんとした顔を見ていたら怒る気力も失せてきた。
 
ふん、とひとつ鼻を鳴らすと、あたしは突っ立ったままのガウリイにぺたりと抱きついた。
 
「り、な?」
「あたしにここまで言わせておいて、この上まだあたしを置いていくなんて言ったら
 問答無用で引っ掻くわよっ!
 でもって、今度はあたしがあんたの首に縄でもかけて引き摺ってってやるんだから」
 
抱きついたまま、顔も上げずに噛み付く。
すると、彼は頭上で小さく吹き出し、次にとうとう笑い出した。
大きな手が優しく、頭を、髪を、背中を撫で下ろしてゆく。
 
「……猫は家について、犬は人についてくって言うけどなぁ」
「もうあたしは猫でも犬でもないわ。あんただって、あたしのご主人様なんかじゃない。
 ……これも、もう必要ないでしょう?」
 
まだ嵌められたままの首輪を示す。
彼は少し屈んで、器用にそれを外してくれた。
 
 
そしてどちらからともなく、唇を重ねる。
与えるのでも、与えられるのでもない、対等なkiss。
 
 
 
 
目が合うとあたしたちは笑って、鎖の外れた首輪の転がる部屋を後にした。
 
 
 
 
 
fin
 
 
 











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