『翼、休む場所<前編>

 

すでに閉店の時間を過ぎ、入り口の明かりも落とされた酒場。
構わず扉を開き、男が中に足を踏み入れると、
カラン・・・
店の扉につけてあるベルが、来客を告げる。
カウンターで片付け物をしていた人物が一瞬だけ視線をそちらに向け。
「今日はもうお終いよ。帰って。」
すぐに視線を元に戻し、素っ気無く告げる。
「いつもの。」
が、聞こえない振りで、カウンター席に腰掛ければ。
ふう、と溜息をつきながらも、グラスに琥珀色の液体を注ぎ、差し出してくれる。
それは幾度となく繰り返されてきた、二人だけの、儀式のような習慣。

「いつもいつも、閉店してから来るんだから・・・。しょうがない人ね。」
そう言いながらも、空いたグラスに酒を注ぐのは、
この酒場の歌姫であり女主人であり、
付近を根城にする飛行艇乗りたちのマドンナでもある、リナ=インバース。
「そうでもしないと、お前さんを独り占めできないからな。」
言って一気に、決して弱くはないその酒を飲み干すのは、
今では一介のしがない、空賊相手の賞金稼ぎであるが。
かつての大戦では、その人間離れした飛行技術と正確無比な銃撃の腕により、
伝説の剣になぞらえ「烈光の剣」の異名で呼ばれ恐れられた、
撃墜王にして英雄、ガウリイ=ガブリエフ。

「・・・また、仕事が入った。ちょっと、飛んでくる。」
言ってガウリイが空いたグラスを差し出せば。
「・・・そう。せいぜい稼いで、早いとこ、ここのツケを払って頂戴。」
酒を注ぎながら、リナが答える。
これもまた、いつもの習慣。いつもの会話。

しかし。今日に限って、リナの答えは無かった。
「・・・?リナ?」
不審に思い、ガウリイがグラスから目を上げ、リナの瞳を覗き込むと。
そこには、いつもの勝気な光は身を潜め。何かを思いつめたような、硬い眼差し。
「・・・行っては、ダメ。罠よ。」
硬い表情で、厳かに告げる。
しかし、ガウリイは。
「だろうな。」
こともなげに答えると、催促するように空のグラスをかかげる。

「・・・!知っていたの?」
「まあ、薄々はな。そんなコトじゃないかと思ってた。」
「それでも、行くの?」
「ああ。・・・で?今回の情報源は?」
リナとは逆に、むしろ楽しげに。尋ねるガウリイ。
「・・・ゼルよ。さっき、無線が入ったの。」
「やっぱり、な。バカな奴だ。せっかく、空軍大佐の地位を手に入れたってのに。
まだオレと連絡を取ってるなんて上に知れたら、クビどころか、自分まで
お尋ね者になっちまうぞ。」
「ホント、バカよね。飛行艇乗りは、馬鹿ばっかり。
昔の友情のために、今の地位を脅かすようなコトする馬鹿とか。
罠と知っていて、それでも飛び込んでいく馬鹿とか。」
「まったくだ。」
「誰のこと言ってるのか、分かってる?」
「もちろん。」
ニヤリ、とガウリイが笑ってみせると。
はう。大袈裟に溜息をついてみせ、再びグラスに酒を注ぎ足すリナ。

「あなたが頼まれた、空賊の討伐。
本当は、敵国の飛行艦隊が通る予定のルートなの。
あなたを囮に、敵艦隊を一ヶ所に引きつけておいて。
ここの空軍が大規模な飛行艦隊を組んでそれを包囲し、
あなたもろとも、一気に叩こうってワケ。」
「なるほどな。」
「撃墜王であるあなたが、空軍に入るのを拒否した。
今は敵でも味方でもない、フリーの位置にいるけれど、
仮に敵に回ったりしたら、これほど危険な存在はない。
だったら、早いうちに危険の芽は摘んでおけ、ということね。」
「憎まれたもんだ、俺も。」
それでもまだ、笑っているガウリイに。リナは、苛立ちを隠せない。
「敵国空軍だけでなく、この国の空軍まで相手にするのよ?!
いくら、あなたが超一流の飛行艇乗りだって。
・・・死にに行くようなものよ。」
最後は、聞こえるか聞こえないかほどの、か細い声で。
俯き、ぽつりと呟く。
ガウリイは、それには答えず。グラスの酒を飲み干すと。
「・・・じゃあ。行ってくる。」
立ち上がり、カウンター越しにリナの肩へ手をかける。

「行かないで、って泣いて頼んだら。聞いてくれる?」
俯いたままのリナの問いかけ。
「いや。それだけは、聞けない。
引き受けた依頼は、きっちり果たす。それだけが、今の俺のプライドだ。
これを無くしたら、もう、俺には何も残らないからな。」
「プライドを守って、命を捨てるの?本当に、正真正銘の馬鹿ね。」
「馬鹿でもいいさ。ただ、お前さんに相応しい男でいたい。それだけだ。」
「・・・馬鹿。」
顔を上げたリナの瞳は、今にも零れ落ちそうな涙で揺れていた。
その細い顎に手をかけ、唇に軽くキスするガウリイ。
「続きは、帰ってきてからな。だから。泣かないで待ってろよ、リナ。」
「誰が泣くものですか。分かってるでしょうけど。嘘をつく男は、嫌いよ。」
「ああ、分かってる。必ず、戻ってくるさ。お前さんのところに。
・・・じゃあな。」
そのまま、くるりと踵を返すと。
ガウリイは、一度も振り返らずに、店を後にした。
「馬鹿・・・・」
残されたリナの呟きだけが。静かな店内に響いた。

 

 

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