『翼、休む場所<後編>

 

数日後。
閉店の時間を過ぎた酒場に。
カラン・・・
店の扉につけてあるベルが、来客を告げる。
いつものように、カウンターで片付け物をしていた人物は、視線をそちらに向け。
軽く眉を上げただけで、黙って迎え入れる。
「いつもの。」
入ってきた男が、いつものようにカウンター席に腰掛ければ。
いつものように、琥珀色の液体がグラスに注がれ、差し出される。
何事もなかったかのように行われる、二人だけの、いつもの習慣。

「・・・無事だったのね。」
素っ気無く言うその声の、しかし隠し切れない微かな震えに気づき。
入ってきた男・・・ガウリイは、口元に笑みを浮かべる。
「心配しててくれたのか?」
「・・・当たり前でしょう。自分の為に誰かが死んだなんてことになったら、
いくらなんでも目覚めが悪いもの。」
「お前さんのため?」
訝しげに問うガウリイに。
「とぼけたってムダよ。私が知らないとでも、思ってるの?
あなたが今回の依頼を受けた、本当の理由を。」
怒りのこもった口調で、リナが言う。
「罠だと分かっていて依頼を受けるなんて。いくらなんでも、おかしいと思うわよ。
だから、この前、あなたが帰った後。ゼルを問い詰めて、聞き出したの。
・・・あなたは、最初この依頼を受けるつもりなんか、全然なかったのに。
軍部が、私の店・・・この店が、どうなってもいいのかと脅しをかけて。
無理矢理、承知させたんだって、教えてくれたわ。」

リナの店自体は、少しも法に触れるものではなかったが。
この店に集う客たちには、おおいに問題があった。
かつての戦争では、活躍し称えられた飛行艇乗りたちであったが。
今では、食うに困り、空賊として辺りの空を荒らすお尋ね者。
逆にその空賊を狙い、功を競う賞金稼ぎになった者たちとて。
ある意味では、非合法な殺人を犯しているようなものであり。
お上に目をつけられている者ばかりである。

その、日々、追い追われ、命すらかけた戦いをする、
敵同士になった飛行艇乗りたちが。
唯一、昔、共に戦った仲間に戻り、酒を酌み交わす場所。
それが、リナの店だった。
ここは、飛行艇乗りにとって特別の場所。特別な聖域。
そしてリナは、それを守る女神。彼らを見守る聖母(マドンナ)。

常に、犯罪者が集う場所と言っていい。
犯罪者を取り締まる軍部としてみれば、格好の捕獲場所。
その気になれば、彼らを一網打尽にすることなど、たやすいこと。
なのに、今までここが、軍の手入れを逃れてきたのは。
空軍の、それもかなり高い地位にいる者の中にも、
隠れてこの店へ通う者たちがいたことや。
リナの姉が、軍部の・・・というより、国の頂点に近い人物と
深いつながりを持っている、ということがあり。
軍にとっても、簡単には手を出せない特別な場所・・・
禁忌(タブー)とされてきたからである。

しかし、犯罪者が多く集まるのは、誤魔化しようのない事実。
いくら、無言の圧力があったとしても。
正攻法で、事実を広く知らしめ。手順を踏み、正しい法的手段に訴えれば。
彼らを取り締まることは決して不可能ではない。
そして、彼らを失うことになれば。
リナのこの小さな店など、あっという間に立ち行かなくなるだろう。
軍部は、今後、リナの店に手出ししないという条件と引き換えに。
ガウリイから、依頼を断るという選択肢を奪ったのだった。

「ゼルの奴め。ずいぶんと、口が軽くなったもんだ。」
苦々しげに、ガウリイが呟けば。
「アメリアに、協力させたんだもの。ゼルは悪くないわ。」
リナが素知らぬ顔で言う。
「なるほど、な。
かわいい婚約者殿には、さしものゼルも敵わない、ってわけか。」
苦笑いする、ガウリイ。

「・・・それを聞いて。私が、どんな想いをしたと思ってるの?」
再び、リナの声が震え。
それを隠すように、くるりとガウリイに背を向ける。
「かつての、戦争で。
国を守るため、・・・そして愛する人を守るためと言って、
多くの飛行艇乗りが飛び立っていった。
そして、必ず戻ってくると言ったまま、
帰ってこなかった飛行艇乗りが、どれだけいたことか。
覚えていないとでも言うつもり?
そのたびに。私たち―――残された女たちが、どんな想いをしてきたと思ってるの?
守って、死んでいった方は。それで満足かもしれないけれど。
守られて、残された方は。どんな想いで生きていけばいいというの?
自分のせいで、死んでいった人を。戻ってこなかった、愛しい人を。
ずっと、引きずって生きていかなくてはいけないの?
やっと。戦争が終わったのに。
あんな想いをするのは、もうご免よ・・・」
そして、華奢な肩が声もなく震える。
黙って聞いていたガウリイは、立ち上がると。
カウンターを回って、背中を向けたままのリナに歩み寄り。後ろから抱きしめる。

「言っただろう?俺は、必ず戻ってくるって。
お前さんにだけは、絶対、嘘はつかないさ。・・・嫌われたくないからな。」
「・・・帰ってこなかった人たちも。みんな、同じことを言っていたわ。」
「そうだったな。けど。俺だけは、絶対に、ここに戻ってくる。絶対だ。
それが、何故だか。聞いてくれるか?」
言って、ガウリイはいったん腕を緩めると、リナの肩に手を置き、向き直させる。
背の高いガウリイを見上げるように、上向いたリナの瞳には、今にも溢れそうな涙。
唇を噛み締め、それが零れ落ちるのを必死でこらえる。
「俺はな、お前さんと出会ってから。一つだけ、決めたことがある。
それは、俺が翼を休める場所は、リナのところだけ、ってことだ。
それ以外の場所へ。俺が降りることはない。
天国にだって、地獄にだって。俺の翼が休める場所なんてないんだ。
だから、一度飛び立ったら。絶対に、ここへ戻ってくるのさ。リナの元へな。」
そこで、いったん言葉を切ると。少し困った顔をして。
「・・・今回の依頼だって、お前さんのために受けたんじゃない。
ここが、俺の翼の休める、唯一の場所だから。
ここを無くしたら、俺は飛べなくなってしまうから。
俺の為に、自分の為に、受けたんだ。
リナが気にすることなんか、これっぽっちもないんだぞ?
だから。・・・泣かないでくれ、頼むから。」
リナの瞳からは、今や堰を切ったように涙が溢れ出していた。
次から次へと、止めど無く。

ガウリイは、リナの目元へ唇を落とし。
その涙を拭うと。
「泣かないで待ってる、って約束じゃなかったか?」
「・・・泣かないで、待ってたわよ。でも、あなたは戻ってきたんだから。
泣いたって、もう約束を破ったことにはならないでしょう?」
涙はまだ、止まらないが。
戻った憎まれ口に、ガウリイは安心したように笑う。
そして、悪戯っ子のような笑みを浮かべ。
「じゃあ、お互いに、約束を守ったところで。
残った、最後の約束を果たそうか?」
「最後の約束?」
何のこと、とリナが聞く前に。
ガウリイは、すばやくその唇を塞いだ。

長い沈黙が、静かな店内を満たす。
しばらくして、ようやく唇を離したガウリイは。
「続きは帰ってきてから、って言っただろう?」
得意そうに、笑った。
「・・・・馬鹿。」
そしてリナも。つられたように、くすりと笑う。

それから二人。
最後の約束を果たすため。
明かりを落とした店を後にする。
カラン・・・
後は、閉められた扉につけられたベルの音が。
誰もいない、静かな店内に響くのみ。

 


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