『花嫁の座は?』

 
1
 
 街を歩いていてどちらかが声をかけられる。
 そーいうのは別段、珍しいことじゃない。
 まあ、よくある、とも言わないけど。
 もっとも、あたしの旅の連れ、金髪美形ただしのーみそスポンジケーキのガウリイくんの場合、声をかけられたとしても、その人が誰か覚えていることのほうが珍しかったりするんだけど……。
 この前だって、ガウリイの傭兵時代の知り合いとやらがやけに親しそうに声をかけてきたのに、この男ときたら、小首をかしげたあげく、あたしに向かって「誰だっけ?」を聞いてくるときたもんだ。
 だああああああ。
 あたしがあんたの傭兵時代の知り合いまで把握しているわけないでしょーが!
 思わず突っ込み専用スリッパをふところから取り出して、すぱーんと頭を殴ってしまいましたよ、あたしは……。
 ガウリイの知り合いが呆然としていたのは……見なかったことにする。
 
 
 
 いろいろゴタゴタがあったものの、とりあえず次の行き先はあたしの故郷であるゼフィーリアと決まった。
 まあ、急ぐ用事があるわけでもない。
 あたしとガウリイは、のんびりとしたペースで旅を続けていた。
 これといった観光名所もないメルカバ・シティに滞在を決めたのだって気まぐれにしか過ぎなかったし。
 空は気持ちのいいくらい澄んだ青。
 宿屋をはやばやと決めたあたしたちは、宿屋のおっちゃんに教えてもらった市場へきていた。
 なかなかの活気に圧倒されたのも最初のうち。すぐにその雰囲気に馴染む。
 鼻をくすぐるのはおいしいそうな焼きイカの匂い。
 そう。この街、海が近くておいしい魚介類がたくさんとれるのだ。
 その新鮮な魚介類を堪能しよう、っていうのが、滞在の大きな理由だったりするんだけど。
 そう。宿をさっさと決めたのだって、その宿屋が魚料理で有名だからである。
 質だけでなく量もあるのだとか。今から楽しみでたまらなかったりする、が、今は市場を楽しむことがメイン。
 あたしは思わず息を大きく吸い込む。
 ……食欲を刺激するこの匂い。
「決めた!
ガウリイ、次はあのイカ行くわよ!」
「ちょっとまて。オレまだ……」
そういうガウリイ、ついさっき買った串にさしてあるホタテをまだはふはふ言いながら食べている。
「まったく。男だったらちゃっちゃと食べる!
 ……ったく、待ってらんないわ。あんたのぶんも買ってくるから。
 それでいいでしょ?」
「ああ」
 ……どーでもいいけど、食うか答えるかどっちかにしろよ……。
 あたしは、ガウリイをその場に置いて目当ての屋台へと走り出した。
「おっちゃーん。その焼きイカ、4つちょーだい!」
 もちろん、割り方としては、あたし3つ、ガウリイ1つである。
 ……っていうのは冗談できちんと2つずつである。信じて。
 もちろん4つ全部あたしが食べることなんてわけない。
 でもまあ、まだまだおいしそうなものはたくさんあるし、ここで腹ごしらえを急ぐ必要もないわよね。
 夕食ためにも、少しは余裕を残しておかなくちゃ。
 あたしは、お金を払うとガウリイの方へ向かった。
 なかなかの人ごみだけれど、彼の長身と目立つ金髪のおかげで、すぐに見つけることができる。
 ようやくホタテを食べ終えたらしい彼は、ぼんやりとすることなく突っ立っていた。
 喧騒に負けない程度の声で、あたしは彼の名前を呼ぶ。
「ガウリイ!」
「坊ちゃま!」
 ……へ?
 今、ものすご〜く場違いな単語が聞こえたような……。
 こんな庶民的な場所で「坊ちゃま」もないもんである。
 どこぞの貴族のガキが屋敷でも抜け出したんだろうか?
 あたしは、そんな想像を勝手に張り巡らせながら、ガウリイの元に駆け寄った。
 ガウリイに、まだあったかいイカさんを二つ、渡してあげる。
「さんきゅ。リナ」
「感謝すんのよ」
と念だけ押しといて(もっとも、この男が覚えているとは露ほども思わないけど)あたしはさっそく頭からかぶりつく。
 ……う〜ん。お・い・し・い。
 もとのイカが新鮮ってこともあるんだろうけど、これまた味付けも絶妙なのである。イカの本来のおいしさを損なわず、かといって物足りないわけでもなく……。
「はへ? はふひひはべはひほ?(あれ、ガウリイ食べないの?)」
 せっかくのアツアツのイカさんを、こともあろうにガウリイ、口にしていない。
 きょろきょろと周囲を気にしている。
「どうしたの? 食べないならあたしが……」
 手を伸ばしかけると、ガウリイは空いている方の手で、あたしの手を軽く叩いた。
「これはやらん」
「なら早く食べなさいよね」
 彼は、ようやくイカにかぶりつく。でもなんか、心ここにあらずって感じ。
「どーしたのよ、ガウリイ。きょろきょろしちゃって」
 くむくむ、こっくん。
 あたしは、最後のイカさんを名残惜しくも飲み込んで、ガウリイにたずねた。
「いやさ」
 そう言う間にもガウリイの視線は動いている。おかしい。
 別に様子から見て、敵というわけでもなさそうだし。
 第一、あたしたちは、ここ数週間、いたって平和な旅をしてきたのである。そりゃ、何回か盗賊いぢめをしたりはしたけど。
 でも、こんな街中でよくわからない奴に付けねらわれるようなことはしてない。……たぶん。
「知り合いに呼ばれたような気がしたんだ」
「知り合い?」
「ああ」
 言葉を濁す。
 そんなに会いたくない人間なのだろうか?
 なら別にここに突っ立っている理由もないし、さっさと逃げるという手もあるだろうに。
「気のせいかもしれないんだが……」
 そう言ってもう一口ガウリイは口に運ぶ。
 さっきまで食べていたものとはいえ、ひとが食べているのを見るとこちらも食べたくなるものである。
 ……やっぱりガウリイのぶん、いっこにしておけばよかった。
 そんなことを考えていると、いきなり背後から女性の声がした。
「ガウリイぼっちゃま!」
 ……なんだって?
 一瞬凍りかけた体で、無理やりガウリイに視線をやると、彼はいつも以上に憮然とした表情を見せていた。
 ……そりゃあ、天下の往来で「ガウリイぼっちゃま」なんて恥ずかしい呼ばれ方したらそうなるわな。あたしだったら暴れかねない。
 ほら……道行くひとがこっち見てるし……。
 で、同時にこのガウリイを「ぼっちゃま」呼ばわりする女性が気になって声をした方向をあたしは向く。
「やっぱり。ガウリイぼっちゃま!」
 立っていたのは、初老の女性。品よく年をとっている。身に付けているもののセンスも悪くないし。
「マイア……」
 まだ1つ焼きイカを握ったまま、ガウリイは呆然とつぶやいた。
 そのときあたしが思ったこと。
 ををっ。ガウリイが珍しく人の名前を覚えている!
 お約束?
 
 
 
 で、結局その女性がなんだったのかというと、聞いて驚け、ガウリイの乳母、だったらしい。
 乳母ですよ。お客さん。
 そりゃあ、男のくせに妙にちまちましたお魚さんの食べ方をするところといい、あの食事のなかからピーマンだけをより分ける腕前といい、もしかしたら育ちのいいやつかな……とは思っていたけれど、本当に「乳母」がいるほど坊ちゃんだったとは。
 そのガウリイの乳母……マイアさんは、偶然親戚の結婚式かなんかでこのメルカバ・シティに滞在していたらしい。
 ガウリイに会うのは……だいたい15年ぶりくらいだろうか、と言っていた。
(中身はともかく外見は)立派に成長したガウリイを見て、マイアさんは満足そうだった。
 場所を近くの食堂に移し、ドリンクを注文する。メニューには魅力的なおさかなさん料理が並んでいたのだが、ちょっぴり我慢。すべては夕食のため。
 なんでもこのマイアさん、8歳になるまでガウリイの面倒をほとんどみていたのだそう。当然、この男のしつけや教育もマイアさんがしたことになる……。
 ……たまに、この男、どんな育ち方したんだろう、疑問に思わないこともなかったけど、まさかこーしつけた張本人に登場されるとは。
 マイアさんは、「ガウリイ坊ちゃま」に会えたことがよほどうれしかったらしい。にこにこしながらガウリイに近況を尋ねてくる。
 ここ数年、旅をしていたのだ、とガウリイが答えると、あのガウリイ坊ちゃまも立派になって、とよよよと感激した。
「子どものころの坊ちゃまからはとてもとても想像できません。たくましくなられて……」
 ……どーいう子どもだったんだ、ガウリイは?
「どんな旅をされていたのですか?」
 マイアさんの問いに、あたしの方を向くガウリイ。
「……どんな旅だったっけ?」
 覚えてないのか、おまーは。
 と、いつもならスリッパでひっぱたくところだったが、寸でのところで我慢する。一応乳母さんの前だし。
 あたしたちが出会ってからの旅って、とっても波乱万丈ありすぎて、一口に説明できるもんじゃない。やたら魔族に狙われていたような日々が大半だ。
「リナさん、とおっしゃいましたよね」
 ガウリイの代わりに、さしさわりのない話を聞かせたあたしに、マイアさんが視線を向ける。
 うーみゅ。なんか居心地悪いぞ。まるで、値踏みされているようだ。
 ちなみに、ガウリイは、あたしのことは「リナだ」という、簡潔明瞭すぎる紹介をしただけ。いぶかしげにあたしを見るマイアさんに、保護者とか厄介な説明をガウリイが加えないうちに、「旅の連れです」というフォローだけは入れておいたけど。
 それでも、どーせマイアさんには、あたしなど「大切なガウリイ坊ちゃまにひっついているガキ」程度にしか思われていないのだろう。彼女にとって、あたしが謎の存在であることはたしかだ。
 見飽きたのか、マイアさんはあたしから視線を離す。
「ガウリイ坊ちゃま。リナさんとはどれくらいの期間旅を?」
「どれくらいだっけ?」
 間髪いれずこちらを向くガウリイ。
 ……だから、いちいち人に聞くなっつーの。
「だいたい3年よ」
「だそーだ」
 ……あのな。
「いけません坊ちゃま!」
 いきなり大声をあげるマイアさん。しかも立ち上がってなんかいる。
「そんな3年間もフラフラしてなすったのですか? 
 いったい自分の年をいくつだと思ってらっしゃるんです?
 そろそろ身を固めようとは思わないんですか?」
 思いがけない剣幕に、思わずのけぞってしまうあたしとガウリイ。
 ……よっぽど大切な坊ちゃまが、ガキ(とはっきりマイアさんがいったわけじゃないけど、そう思っていることはたしか)といっしょに3年間もいっしょに旅をしてきたことが気に入らないようである。
 まあ、ガウリイが、普通に結婚して子どもがいてもまあ、おかしくない年であることは確かなんだけど。
 とりあえず言いたいことは言ったのか、マイアさんは肩でやや上下させながらも席にすとんと座った。
 ……うう。周囲の注目が痛い。
「とはいってもなー」
「とにかく!」
 何かを言いかけたガウリイをごーいんに制するマイアさん。
「このマイア、ここ数年、ずっとガウリイ坊ちゃまの結婚式の招待状だけが楽しみで毎日を過ごしてきたといいますのに、待てど暮らせどそのようなものは来る様子もなく。
 それでも、どこかで幸せをつかんでいるはずだ、と信じておりましたのに。
 まだフラフラしていらしたのですか?
 マイアは坊ちゃまをそんな子に育てた覚えはありません」
 バッグから白いハンカチまで取り出して目元をぬぐっている。
 あたしは、ぽかんとその様子を見るしかなかった。
 ……なんていうか、その……。
 ひとり突っ走っちゃっているっていうか。
「前から申してたじゃありませんか。
 ガウリイ坊ちゃまの晴れ姿を見ることが、マイアの夢だと」
 鼻まですすり始めたし。
 ガウリイは、いきなり泣き始めた乳母に、どう声をかけていいのやら、困っている様子。
 ……だから、あたしに助けを求めるなっつーの。
 あたしは、露骨にガウリイから視線をそらせた。
「……あのなあ、マイア。別にオレだって、そーいうことを考えたことがないってわけじゃあ……」
 ぴくり。
 なだめにかかったガウリイの言葉に、マイアさんが反応する。
「つまり、結婚する気はあるってことでございますね!」
 俄然元気になるマイアさん。
 ガウリイ、圧倒されてるし。
「あ、ああ」
「任せてくださいまし」
「は?」
 目を点にするガウリイの手をぎゅっと握る。
 ……いったい何をまかせろっちゅーんじゃ。
 ひとり、置いていかれたあたしは(もっとも入りたいとも思わないけど)、やや冷めた目でマイアさんとガウリイを見ていた。
「このマイアの命にかけて、ガウリイ坊ちゃまにふさわしい花嫁を見つけて差し上げますわ!」
 ……何も、命までかけんでも……。
 突っ込むだけ無駄、なのだろうけど。
 





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