「降るような花の中で」



「ゼルガディスさん。幸せになって下さいね。」
アメリアは微笑んだ。
 
胸に、短剣を付き当てて。
 
 
 
 
 
旅の途中、俺はリナ達とはぐれた。
いや、正確には自ら離れたのだ。
いい加減、あいつらのフマジメな態度には堪忍袋の緒も切れて。
やつらがのんびりと木陰で昼寝をしている最中に、俺は一人で抜け出したという訳だ。
気分爽快だった。
これからは一人でやる。
思い立った時に行動、思い立った時にどこでも行ける。
久々に自由な気分を味わって、危うく笑い出しそうなぐらいだ。
やつらはフィリアとかいう、訳のわからんご神託なんぞに振り回されてる頭のおかしい女に付き合うがいい。俺には関係のないことだ。
 
俺の目的はただ一つ。
元の身体に戻ること。
俺がどんなに戻りたがっているか、やつらにはわかるまい。
これは冗談や笑い話なんかではない。
本気なのだ。
いいか、俺はレゾに合成されたからこんな身体になったんであって、元は人間なんだ。
合成された身体に、人間の思考形態が備わった、人間なんだ。
外見がロックゴーレムや邪妖精だからと言って、中味までそうなってしまった訳じゃない。
 
だが最近、ふと不安になる。
このまま、ずっとこの身体だったら。
いつか、俺の脳までがキメラになっちまうんじゃないか。
目に見えない、ロックゴーレムや邪妖精の思考が、俺の脳に入り込んでくる。
溶け込もうとしている。
そんな謂れのない不安で、夜中に跳ね起きることがある。
・・・バカバカしい。
そんな事はあり得ない。
だが、本当にあり得ないことだろうか?
 
人間と、そうでない物を見分ける境界線は、どこにあるのだろう。
例え外見が人間でなくとも。
俺が人間であるという事を証明してくれる、そんな便利な基準てやつはないだろうか。
 
 
 
ふと見ると、足元に一輪の花が咲いていた。
普段ならば気にも止めないだろう。
だが俺は立ち止まった。
何の変哲もない、小さな薄紅色の花弁を持った、名も知らぬ植物。
俺は長いこと、それを眺めて立ち尽くしていた。
 
「何を見てるんですか?」

背後から、まさかの声。
俺はびくりと硬直してしまったかも知れない。
かさかさと軽く下生えを踏む音がして、気配が近付いてきた。
「こんな遠くまでお散歩ですか、ゼルガディスさん。」
俺は振り向かない。
「・・・何故ついてきた。」
我ながら、ドスの効いた声だなと思った。
まるっきり、邪魔者が来た、という声だ。
「お昼寝から目が覚めたら、ゼルガディスさんが歩いて行くのが見えたんです。だからわたし、散歩にご一緒させて貰おうかと思って♪」
「散歩なんかじゃない。」ぴしりと言い放つ。
「あれ。違ったんですか。まあいいじゃないですか。そんな事は。」
・・・こいつは。
俺がどんなに凄んでみせても、全く効き目がない。
身の危険を感じるとか、迫力に気押されるとか、そういう事はこの娘にはないのか。
「よくはない。俺は散歩に出た訳じゃない。だから付いてくるな。」
「ゼルガディスさんは、戻らないんですか。」
「俺は戻らん。お前は戻れ。」
「嫌です。」
「そう、もど・・・・嫌!?」
 
かさかさと足音はすぐ脇へ。
「あ・・・。これを見てたんですね。可愛い花ですね。」
「おい・・・」
こいつは。人の話を聞いてなかったのか。
なのに、よりにもよって嫌だと!?嫌だと!?
何考えてるんだ、この娘は!
「おい、アメリア。」
「はい。何でしょう、ゼルガディスさん。」
見下ろした先に、しゃがみこんでこちらを振り仰いでいる小さな姿が見えた。
目を大きく開き、口の端には笑みが浮かんでいる。
曲げた足の上に身体を乗せ、膝の上に両手を置いている。
「何でしょう、じゃない。聞いてなかったのか。俺は戻れと言ったはずだ。」
「わたしも、嫌だと言ったはずですよ?」
何?!

「アメリア!」
「珍しいですね、ゼルガディスさんが花を見てるなんて。でも可愛いです、このお花。思わず立ち止まりたくなる気もわかります。」

・・・何がわかると言うんだ。
俺は立ち止まりたくて立ち止まったんじゃない。
この花が。
俺を人間とそうでないものに分ける、手掛かりになるかと思ったからだ。
ロックゴーレムは、花を美しいと思うだろうか。
邪妖精は、花が愛しいと思うだろうか。
 
「ねえ、ゼルガディスさん。ひとつきいてもいいですか?」
「・・・・・」
「怒らないで下さい。わたしが付いて来たのには、訳があるんです。」
「・・・訳?」
「はい。ですから、質問に答えて下さい。ゼルガディスさんは、今、元の身体に戻れるためなら何をしますか。」
「どういう意味だ。」
「単なる質問です。思った通りに答えて下さい。」
「俺に心理テストでもやらかすつもりか。」
「からかってる訳じゃないんです。大事な事ですから、答えて下さい。」
「大事な事、か。・・・俺にとって大事な事は、俺の身体を元に戻す事だ。いつも言っている。だから、質問の答えは簡単だ。俺は何でもやる。元の身体に戻れるなら。」
どのみち、俺に払える犠牲は大して残ってやしない。
家族も失くした。
家も財産も何もかも。
帰るところを失くしたのだ。
後、俺に払えるものがあるとしたら・・・・何だろう?
 
「そうですか。わかりました。」
アメリアはひとつ頷いた。
「もう一つだけ、聞かせて下さい。」
「一つじゃなかったのか。」
「これで最後です。」
「・・・」
「もし元の身体に戻れたら。・・・あなたは、幸せになれますか?」
「・・・・・!」
 



深い森の中で。
木が生い茂り、高く高く空へと向かってその腕を伸ばし、陽光さえも遮るような。
暗い森。
一輪の花を挟んで、俺達は向かい合っていた。
どこかで、鳥が啼いた。
 
「幸せ・・・だと?」
「はい。・・・人間は生きている限り、幸福を目指すものではないですか?
自らの幸福。それとも、他の誰かの幸福の為に。
他の誰かが幸福になることで、その人が幸福になるのであれば。
誰にでも、生まれ落ちた瞬間から幸福になる権利はあります。
手に入れられるかどうかは保証されませんが。
でも、手にいれようとあがく。努力する。その過程が人生です。その過程が、その人の生きた証になるんです。
・・・というのは、まあ、父さんの受け売りなんですけどね。」
「・・・・・」
「ですからゼルガディスさんにも、当然、幸福になる権利があります。
幸せになって欲しいんです。今わたしが、幸せであるように。」
「・・・幸せ?お前が?」
「はい。今のわたしは幸せです。」
「仮にも一国の皇女が、こんな未踏の地で、いつ野垂れ死ぬかもわからないような、こんな旅の空の下でか。」
「はい。わたしは幸せです。」
「俺にはわからん。」
「はい、今のゼルガディスさんは幸福ではありません。ですから、わからないんです。」
「何だと?」
「わたしは幸せです。仲間と一緒で。同じ目的があって。誰も病気も怪我もしてなくて。・・・それに。」とアメリアは一旦言葉を切る。だがすぐに続ける。
「・・・わたしは幸せです。毎日、幸せなんです。」
「おめでたいヤツだ。」
「ふふ。そうかも知れませんね。ですから余計に、ゼルガディスさんには幸せになって欲しいんです。」
「・・・・・」
 
俺が言い淀んだ、その時だった。
アメリアはポシェットから何かを取り出した。
はっきりとその方向を見ていなかった俺には、何だかよくわからなかった。
・・・直視できないでいたのは、アメリアが眩しかったからだ。
幸せだと言い切る、その輝きが眩しくて、憎らしくて、目を向けることができなかった。
だから、鞘を払う音で気がついたのだ。
それが、短剣であることに。

「ゼルガディスさん。幸せになって下さいね。」
アメリアは微笑んだ。
胸に、短剣を付き当てて。


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