「Change」


「ちょっと、まだ調べてるの?」
 聞き慣れた声に、ゼルガディスは振り返った。
 燭台の明かりに、赤にも見える栗色の髪が輝いている。
「……リナか」
「文献あさりもいいけど、ご飯くらい食べなさいよね」
「ああ、わかっている」
「わかってないから言ってんの! ったく……宿に戻った途端部屋にこもりっきりじゃない。夕飯の時間なんかとっくに過ぎてるわよ!」
 イライラと頭を掻きながら、リナがはぁっと息を吐く。寒気が窓から忍び寄り、彼女の息を白く浮かび上がらせた。
「今、アメリアが調理場に頼んで、わざわざ温め直してもらってるから……いいわね、あの娘の為にもそれくらいは絶対食べるのよ!」
「ああ」
 苦笑混じりに答えると、リナはようやく満足したらしい。
「ま……それはそれとして。なんかいいもの見つかった?」
 ひょいと覗き込んできたリナに、ゼルガディスは開いていたページを指し示した。
「いいもの、かどうかはわからんが。この絵は身体を司るモノという意味を持つらしい……もっとも、これが何処にあるのかはわからんし、場合によってはもう一度あの洞窟に行ってみる必要があるかもしれないが」
 旅の途中で立ち寄った村に、身体を変えられると言う曰く付きの洞窟があると耳にした為、今日丸一日はその洞窟調査に費やしたのである。結局大したものは出てこなかったのだが、壁画と数冊の書物が見つかった為、ゼルガディスは宿に帰ってからそれらの解析に勤しんでいた。
 本の一ページ、そこには動物と人間が上下に位置するオブジェが画かれていた。
「へぇ、なんかの像みたいね。あれ、なんかこれ見たことある……」
「何っ!?」
 色めき立ったゼルガディスに、リナはちょっとまっててと部屋を抜け出し、すぐさま帰ってきた。
「ほら、これじゃない!?」
 リナの手に握られていたのは、まさに本に書かれていたのと同じ像だった。握り拳大の思ったより小さな物だが、銀を思わせる滑らかな金属には、確かに動物と人間が彫られている。
「リナ、これをどうして……」
 言いかけたゼルガディスに構わず、リナは両目を輝かせた。
「ね、これってどうやって使うの? 使い方わかるんでしょ!?」
「そんなことより、どーやって手に入れたんだ!?」
「いや、洞窟で見つけたんだけど……そういや見つけてしまいっぱなしだったわ、てへっ」
「てへっ、じゃないだろう!」
「ま、過ぎたことは忘れてっ、使い方、わかるんでしょ?」
「それは……まぁ」
「よっしゃ! 何につかえんのかさっぱりだと、売るとしてもある程度買いたたかれるかもしんなかったけど、使い方わかるんならこれって結構高値よね!?」
「売るなぁっっ!!」
 絶叫したゼルガディスに、リナがパタパタと手を振ってみせる。
「や、やぁねぇ、じょーだんだってば。ちゃんと使ってみてから売るわよ」
「……そうしてくれ」
 結局売るんだな、という言葉は混沌の海に沈めることにして、ゼルガディスはがっくり肩をおとして頷いた。
「んで、どーやって使うの?」
「あ、ああ。ふたりで使う物らしい。ひとりが動物の口のあたりを、もう一人が人間の方を持って……」
「ふーん、こーすればいいわけね」
 像を持って説明しだしたゼルガディスの言葉が終わる前に、リナが像の片方をパシンと掴んだ。
「って、オイ!?」
 その瞬間、像に彫られていた人間の目が開いた。
 カッ!!
 灼けるような白光が室内を満たし……そして、沈黙が訪れた。


「ゼルガディスさん、あんまり無理しなければ良いんですけど」
 温め直して貰ったリゾットを乗せたトレーを手に、アメリアが呟いた。
「ん〜、ゼルもすぐ根詰めちまうからなぁ……呼びに行ったリナも一緒になって帰ってこないとこ見ると、なんかわかったのかなぁ」
 少女の前、階段を上っていたガウリイはぽりっと頬を掻いた。
「そうなんでしょうか?」
「さあ、わからんが。とりあえず、このままだとゼルは飯抜きで朝を迎えることになっちまっただろうな」
「夢中になっちゃうのは仕方ないと思うんですけど……ちゃんと食べないと、身体持たないし。今日なんて、冷え込むからちゃんと暖かくしないと」
「ま、でもアメリアがちゃんと面倒見てるんだから大丈夫だろ。わざわざゼルのとこまでメシ持って行ってやるんだもんな」
 にっこりにこにこ、と穏やかな笑顔を向けてガウリイがそう言うと、アメリアがぽっと赤くなる。
「面倒なんてっ! そ、そのっゼルガディスさんお食事忘れてるみたいだから……よ、余計なお世話かもしれないけど、気になって、だから、それだけで」
「あははは、余計な世話なんかじゃ無いと思うぞ。ゼル、あんま食わないし」
 オレやリナみたいに食べろ、とは言わないが……もーちょっと食べた方がいいよなぁ、などと呟きながら、ガウリイは自分とゼルガディスの泊まっている部屋の前に立つ。
「お〜い、リナ、ゼルいるか?」
 ドタバタどたん!
 妙な音をたてて、ドアが開いた。その内側には、銀髪の男。
「あ、ああ、ガウリイにアメリア……」
「ゼルに飯持ってきたんだ。あれ、リナは?」
 ドアのうちに、少女の姿を求めて首を巡らしたガウリィに、ゼルガディスが慌てた様子で口を開く。
「り、リナは、なんか疲れたからって、部屋に帰って寝ちゃったみたい……だ」
「そっか」
 納得したのか、ガウリイは一歩下がるとアメリアを部屋に招く。
「あの、ゼルガディスさんこれ」
 差し出されたトレーを、ゼルガディスは珍しく笑顔で受け取った。
「ああ、ありがとう。嬉しいよ、アメリア」
「ぜ、ゼルガディスさん?」
 滅多に見られない全開の笑顔に、アメリアがぽっと赤くなる。
「どうかしたのか、ゼル? 何か変だぞ」
 ガウリイの問いかけに、ゼルガディスが強張る。
「そ、そうか? ちょっと疲れてるのかもしれんな」
「そうなんですか? 大丈夫ですか、お医者様呼んだ方が!?」
「いい、大丈夫、休めば何とかなる」
 詰め寄るアメリアに、ゼルガディスがぶんぶんと頭を振る。
「ゼルもそう言ってることだし……アメリアも、そろそろ眠いんじゃないか?」
 早寝早起きの少女にそう言うと、ガウリイはゼルガディスをちらっと見た。ゼルガディスは落ち着かなさげに視線をさまよわせていた。
「それじゃ、ゆっくり休んで下さいね!」
 ガウリイさん、頼みましたよ、と言い放ちアメリアは部屋を出ていった。少女の足音が完全に聞こえなくなった頃、ガウリイはリゾットを平らげているゼルガディスに向き直った。
「ん〜と、それで……何がどうしてそうなったんだ、リナ?」


 キィッ……。
 ドアの開く音に身を竦ませ、リナ……いや、リナの姿をしたゼルガディスは布団から様子をうかがった。
 入ってきたのはアメリアだった。
 布団に潜り込んだままじっとしていると、ゼルガディスの方をちらりと見た後すぐに背を向けてごそごそと何かやり始める。
「――――!!」
 何をしているのかわからなくて息を殺していたゼルガディスだが、アメリアの真っ白い背中がいきなり現れるに至ってようやく事態を把握した。
 咄嗟に顔を背け、目を閉じる。
 ……どうやら、アメリアはパジャマに着替えていたようだ。
「………はぁ」
 赤くなった顔を手のひらで押さえて、溜息ひとつ。
 まったくもって、こんな情けない事態を迎える日が来ようとは夢にも思っていなかった。……人の身体に戻りたい、それを切望していたのは本当だが、よりにもよってリナ=インバースの身体になることになろうとは!
 どうやらあの像は、ただ単に持つ者のの身体と心を入れ替える役目を持っていたようだ。もう一度同じ事を試したのだが効果はなく、文献を漁った結果、像の効果は数時間ほどで、それも一度使った者には二度と使えないと判明した。結局、ゼルガディスの役に立つものではなかったのだ。
「チッ……」
 小さく舌打ちして、寝返りをうつ。
 ガウリイとアメリアに、事情を説明するのも面倒というか、情けなくて……リナの「ふたりには知らせないでいない?」と言う提案にのったのを後悔する。まぁ、確実に朝までには直るのだからと布団に潜り込んだはいいものの、ちっとも眠れそうにない。こんな事なら、リナの身体なのだから盗賊いぢめとでも称して外で夜明かしすればよかったと今になって後悔した。
「リナさん」
 不意に聞こえてきた声に、ゼルガディスはビクンと身を震わせた。
「具合、悪いんですか?」
 アメリアの指が、前髪を割って額に触れる。眼をあげたゼルガディスの視界、パジャマに着替えたらしいアメリアが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「いや……別に」
「熱は無いみたいですけど、服のまま寝てますよ」
 ……流石に、リナの身体で着替えなんて出来るはずもないから、そのまま寝ころんでしまったのだが、どうやらそれをアメリアに見とがめられたらしい。
「面倒だから、いい」
 そう言うと、アメリアは仕方ないなぁ、と言う表情をした。
「でもせめて、イヤリングくらい外したらどうですか? あ、わたし外してあげますね」
 同性故の気安さか、アメリアはふわりと身をかがめてきた。
 …………!
 パジャマの奥がちらっと覗き、結構深い谷間が見えた。
「ア、ア、アメリア!」
「何ですか、リナさん? 動かないで下さいよぉ」
 ゼルガディスの息がくすぐったいのか、アメリアは微笑混じりの声で抗議する。その声音が、妙に艶っぽく聞こえた。
 背筋がぞくっとして、ゼルガディスはパニックに陥りかけた。
 アメリアの指が、耳のあたりでうごめいている。
 視界には、やわらかそうな胸。
 腕を伸ばせば、簡単に抱き寄せることが出来るポジション。
 自分の心臓の音が、信じられないくらい響いた。
(お、落ち着けっ、今俺はリナの身体なんだぞ!)
 ここで手を出したら……明日、リナにどやされること間違いなしである。勝手に自分の身体でそんなことをされたとばれたら、竜破斬のひとつや二つではすまないかもしれない。
「あ、外れましたよ。ここ、おいときますからね」
 アメリアの声が耳元でしたかと思うと、近づいてきた時と同じ唐突さで少女の躰が離れた。
「あ、ああ……」
 ほっとしたような、残念なような、微妙な気分で頷いたゼルガディスに、アメリアがふっと問いかけた。
「あの、リナさん」
「……何だ?」
「今晩結構寒いんですよね。一緒に寝て、いいですか?」
 その瞬間。
 ゼルガディスは自分の顔面が岩の肌の時と同じく、固まったような気がした。


「一体、何だってわかっちゃったわけ?」
 空になった皿をテーブルの上に置き、ゼルガディスの姿をしたリナは、悪戯をあっさり見破られた子供のように不満げに唇をつきだした。
 ……可憐(?)な少女の姿ならともかく、キメラの男がそんな顔しても、微塵も可愛くないことだけは確かである。
 ガウリイはややひきつった笑顔で頭を掻くと、
「んー、なんとなく……リナって感じがしたから」
 と、答えた。
「なんとなく、でどーしてわかるのよっ!?」
「……カン、かな」
 実際ゼルガディスの姿をしているのが、リナだとわかったのに理由など無く、本当にただわかってしまったのだ。
 強いて理由を挙げるなら、たぶん、リナだったからだろう。
 リナ以外の誰かがゼルガディスの振りをしていたら、ああも短時間ではわからなかったかもしれない。
「あんたの勘って、人並みはずれてるけど……そこまで働くの? ……はぁ、せっかく男同士でどんな話してるかわかると思ったのに」
 最後の方は小声だったが、ガウリイの耳にはしっかりとどいた。
「お前、そんなこと考えてたのかぁ?」
「べ、べつにいいでしょー、ちょっとくらい」
 ぷいっとそっぽを向いたリナに苦笑し、ガウリイはベッドに座り込んだ。
「聞きたいんなら、いくらでも話してやるよ」
「ホントに?」
「ああ、でもその前にいっこ教えてくれないか?」
「何?」
 隣に座ったリナに目をあわせて、真剣に問う。
「お前、いつまでゼルの身体なんだ?」
「さあ? あと、数時間ってとこだと思うけど」
(……よかった、今晩中に戻るんだな。)
 ほっとしてから、ふと思いつく。
「そういや、たぶんゼルってリナの身体なんだろ? アメリアに知らせなくていいのかぁ?」
 一緒の部屋で、寝てるんだろ? と首を傾げたガウリイに、
「……忘れてた」
 ぽつり、もともと青い顔色を更に青くして、ゼルガディスの姿をしたリナは呟いたのだった。


 ぎしっ……。
 わずかに動いた途端軋んだベッドの音に、ゼルガディスは身を竦ませた。
 頬に触れる、やわらかい髪の感触。
 アメリアは、子猫のように丸くなってゼルガディスに寄り添っている。
 あどけない寝顔が、窓から差し込む月明かりに見て取れた。
「……ったく、人の気も知らないで」
 無防備に身体を預けてくる少女に、ゼルガディスは思わず愚痴をこぼす。勿論、アメリアは「ゼルガディス」に添い寝しているつもりはないだろう。だが、いくら外見が「リナ」とはいえ、ゼルガディスにして見ればアメリアとひとつ布団で眠っている状況に変わりはないわけで。
 近すぎる距離と、自分ばかりが緊張している状況が、少々腹立たしくなる。
(少しだけなら、いいよな?)
 自分自身に言い訳し、そっと腕の位置を移動する。
 心臓の音が、鼓膜を通してこめかみまで響いた。
 相変わらず、アメリアは健やかな寝息をたてている。
 片手で半身を起こして、アメリアに覆い被さるように体勢を整えたとき。
「むにゃ……そうです、ゼルガディスさん、正義ですぅ……」
 どんな夢を見ているのか、ほにゃほにゃとした笑顔で少女はそう呟いた。
 がくん。
 ゼルガディスは腕から力が抜け、思わずへたりこんでしまった。
「ったく……」
 ……何だか一気に気がそがれ、ゼルガディスは苦笑した。
 小さく溜息をもらし、そっとアメリアの頬に手を伸ばす。
 赤ん坊のようなやわらかなそれを引っぱってやろうか、などと思いながら、アメリアの寝顔を見つめる。今度は、自分自身の身体で、こんな風にアメリアに触れてみたい。
 ほのぼのとした幸せに浸っていたゼルガディスが、部屋に飛び込んできた自分の姿のリナに絶叫されるまで、時間はわずかしか残されていなかった……。

 

 

                       












       えんど♪