「君が手を、僕が瞳を。」

 
 柔らかな春の微風が、萌えぎたつ木々の緑をそよがせる。
 そして街道を行く、少女の髪をも揺らす。その色は漆黒。けれど決して闇の色ではない。気紛れなつむじ風が白いマントをはためかせ、力強く歩む足先にまとわりつくが、その行く手をはばむほどのものではなかった。
 
 彼女のやや後方を歩くのは、全く対照的な青年だった。微風ごときでは揺るぎもしない、硬くとがった髪。その色は銀。けれどまがいものの指輪のように鮮やかに陽の光を受けて輝きはしない。同じマントを纏っていても、こちらは目深くフードを被り、顔の下半分をも覆って他をよせつけない雰囲気だ。
 
 二人の他に連れはなく、道はセイルーンへと向かっていた。
 
 傍から見れば、奇妙な取り合わせだった。
 
 一見、さらわれて人買いに売られていく、世間知らずのお嬢さんと人さらいに見間違われそうだが、背後の人物がナイフを構えているわけでもなく、一番の違いは先頭を行く少女の楽し気な表情だった。
 
 「いい天気ですね、ゼルガディスさん。」
 楽し気な表情そのままに、声に出して言うアメリア。
 返事は期待しない。天気が良かろうが悪かろうが、彼は気にしないだろうし、ただ自分が声をかけたかったから。
 「ああ。」
 ぼそっと返事が返ってきた。あんなに布にくるまっていてはゼルガディスがどんな表情でいるかは知ることもかなわないが、まあ、微笑んではいないだろう。
 「はい。本当にいい天気です!」
 重ねてアメリアは声をかける。彼が、たぶん返事をしてくれたのは声をかけた時の自分の気持ちを汲み取ってくれたからではと思うからだ。
 
 セイルーンまでは一緒に行く約束をした。
 
 でも、それはアメリアが一方的に指きりをしただけで、ゼルガディスが本当に一緒に行ってくれるかどうかは全く自信がなかったのだ。彼にはすべきことがあり、わたしには差し迫ってすることもない。だから、彼がどうしても行かなければならない時は自分には止める権利はないのだ。
 それなのに、自分の背後ばかりを歩くゼルガディスが気付かないうちに去ってしまうのではないかと心配になって、ついついつまらないことで声をかけてしまうアメリアだった。返事がなくとも、反応で彼の存在を確認できるように。
 いささかうっとうしいことには違いない。
 だがゼルガディスは、何回かに一回は返事を返してくれた。短く、うなづくだけの返事のようだったが、いらいらしている様子はなかった。
 こんな時、リナさんがいてくれたら。

 考えまいとしても、そこに考えが行ってしまうのは、この旅が始まってから何度目だろう。ガウリイさんが光の剣を失い、その代わりを求めて彼らの旅は別に始まった。何故だか寂しさは感じなかった。きっとまた会えると分かっていたから。ただこんな時、リナさんの笑い声が聞きたかった。たぶんリナさんなら、こだわることなくゼルガディスさんに話し掛けたりともっと気のきいた会話ができることだろう。ゼルガディスさんはきっと、髪を振り乱しながらもリナさんのツッコミにいちいち反応しただろう。
 わたしはと言えば、二人になってから会話という会話をした覚えがない。一方的にわたしがしゃべりまくり、たまにゼルガディスさんが返事をくれる。それだけだ。
 でも、落ち込んでいても始まらない。
 アメリアは真直ぐに前を向いて歩き続けた。
 

 やがて、セイルーンに着いた。

 門の前でアメリアは立ち止まった。すぐに後ろは振り向かない。
 別れの言葉を告げられると思った。
 セイルーンまでは一緒に行くという約束は、この門の前までで果たされてしまった。何を言われても、泣いたりは絶対しないようにしよう。それはただゼルガディスさんの重荷になるだけだから。
 覚悟を決めてくるりと振り向く。そしてにっこりと笑う。
 「着きましたね、セイルーンに。」
 「ああ。」

 ゼルガディスは横を向いていた。
 このまま、わたしの顔も見ないで行くつもりなのだろうか。わたしは。せめてゼルガディスさんの瞳が見たい。そこに何が映っているのか、これから何が映るのか、どうしても知りたかった。
 「2,3日、逗留するつもりだ。」
 横を向いたままでゼルガディスが言った。
 アメリアは耳を疑った。
 「え?」
 「少し調べものがあるからな。図書館や寺院を回るつもりだ。お前はどうする、城へ帰らなきゃならんのだろ。」
 嘘みたい。ゼルガディスさんが自ら、自分の予定まで話してくれている。その上、わたしの予定まで聞いてくれている。
 「・・・いいです。ここまで来たら、城なんかいつでも帰れます。それより、セイルーンを案内します。生きた地図があれば、きっと調べものも早いですよ!
 「・・・それじゃあフィルさんに悪い。お前は城に帰れ。たっぷりお小言貰ってこい。」
 はっ。忘れていた。
 セイルーン率いる船団を滅茶苦茶にし、あまつさえ港町を壊滅状態に陥れたいきさつを。実際にわたしがやったことじゃないけど、責任を問われるのはわたしなんだわ〜。頭の中に怒ってヒゲを震わせるとうさんの顔が浮かんだ。
 「そんなこと言わないで、お願い、ゼルガディスさん、もう少しだけお手伝いさせて下さいいいいいい。」しゅんとするアメリア。
 ゼルガディスは軽くため息をつき、「しょうがないな。」と言った。



 セイルーンで宿に泊まるのはアメリアにとって初体験だった。うっかりそのまま宿屋へ入ろうとしてゼルに止められた。フロントの壁に、フィルさんと並んでアメリアの肖像がかかっていたからだ。
 「お前は王女なんだろ。忘れたのか。」ゼルが戒める。
 「すみませえん。」
 結局、ゼルが二部屋取り、後からこそこそとアメリアがフードを被って階段を登った。
 同じ理由で階下に行けないアメリアは、食事も部屋で取ることにした。ゼルガディスが、湯気のたつ暖かい夕飯を二人分部屋まで持ってきた。黙々と食事を取る。
 「・・・迷惑、でしたか?」
 「何が。」
 「ですから、わたしが付いて来たばっかりに、お食事もこんなところで食べなくちゃいけないし・・・・」
 「お前が言ったんだろう、一緒に来ると。今さらなんだ。」
 「はい・・・」
 俯くアメリアに、ゼルのため息が聞こえる。
 「・・・気にするな。俺は街中で一人で泊まる時はいつもこうだ。嫌でも人目につくからな。」

 優しさで言ってくれたのはわかる。でも、とアメリアは思う。こんなことまでゼルガディスさんに言わせてしまったのはわたしだ、と。
 いつもそうだ。わたしは余計なことを言ってゼルガディスさんを煩わせる。彼はため息をつく。つかせるのはわたし。

 彼を微笑ませることは、わたしには無理なんだろうか。
 それとも・・・・。


 まんじりとしない夜が過ぎ、朝が来た。

 約束通り、アメリアはゼルガディスが行きたい場所へと案内した。
 一時、アメリアは全てを忘れて楽しんだ。道すがらセイル−ン名物のソフトクリームを食べろとゼルガディスを無理矢理アイスクリ−ム屋へ引きずっていき、二人でアイスをなめながら歩いた。ゼルガディスが違う路地へ入ろうとすると、そっちじゃないです、と笑いながら、彼の腕に自分の腕をからませて引っ張った。
 たじろぐ彼の反応が楽しかった。

 「姫さまっ!?」

 そんな道中、突然アメリアは女の人から声をかけられた。振り向くと、見た顔だった。
 「お忘れですか。お城でお身の回りを世話していたものです。一体、いつお帰りになったんですか。何故お城に帰られないんです?王子殿下はそれはもう、ご心配で・・・」慌ててアメリアはその女性の口をふさいだ。辺りを見回すが、他に人気はなく、胸を撫で下ろす。
 「お願い、たった2,3日だけ、わたしの自由にさせて。そうしたら、城に戻るから。」
 「何故今帰れないんです?」そう言って、不審そうにゼルガディスを見る
 「・・・あの人は?」
 「旅の仲間なの。少しだけここに逗留するから、案内をしてあげたいのよ。」
 懇願するアメリアと、我関せずのゼルガディスを見比べていた女性は、仕方がないという風に首を振った。
 「わかりました。これは私の胸に収めておきます。ただし、条件があります。」
 「条件?」
 「はい。お城に戻られるまで、私にお身の回りのお世話をさせて下さい。」
 「そ、それは・・・」
 「それとも、何か不都合でもおありですか。」何だか、立場が逆転している。「仮にも一国の姫君がお使えする者もお連れにならないなんて、姫のお側付きの耳にでも入ったらコトですよ。」

 かくして、コブが一つくっつくこととなった。アメリアは、ゼルガディスに謝る。
 「すみません、ゼルガディスさん。」
 「何故謝る。」
 「いえ、何だか大袈裟になっちゃって・・・」
 「お前は、」突き放した答えが返ってきた。「一国の王女なんだろ、大袈裟は当たり前じゃないのか。」
 そう言って向けられたゼルガディスの背中を、アメリアは直視できなかった。

 「・・・・・」

 3人の間に、しばらく沈黙が続いた。

 夜になって、宿屋へ戻ると小間使いの女性がアメリアの食事を運んできた。
 「・・・ゼルガディスさんは?」答えは聞くまでもなかった。
 「姫様のお世話は私がします。あの方なら食事も取らずに出かけられました。」
 「え・・・」ふと不安がよぎる。まさか。
 「姫様?」

 止める女性の声を後ろに、アメリアはゼルガディスの部屋へ急いだ。
 ドアを開く。
 ほっと脱力する。ゼルガディスの荷物はまだベッドの上にあった。
 「姫様・・・・」その様子を見ていた女性が声をかける。「お食事が冷めますよ。」
 うながされて部屋へ戻り、食事を取る。その間、女性はアメリアの背後で立っていた。ふと顔を上げて、アメリアは女性を振り返った。
 「あなたは、食べないの?」
 女性はにっこりと職業笑を返す。
 「とんでもない。姫様のお給仕をするのが私の務めです。どうぞ、ごゆっくりご賞味下さい。」
 食事は十分温かかったが、アメリアにはこの上なく冷たく感じられた。


 翌朝、またコブ付きで外出する。女性がとんでもない事を言い出した。
 「ゼルガディスさんとおっしゃいましたっけ。ご案内なら私でもできますわ。私ではいけませんか?」
 「な、何を言い出すの。わ、わたしがご案内すると約束したのです。だって、あと少ししか・・・」しまった、と口を押さえる。
 「あと少し?」
 「な、何でもありません。とにかく、ゼルガディスさんを案内するのはわたしです!身の回りの世話なんていいですから、あなたも城へ帰りなさい!」慌て半分、八つ当たり少々。
 「・・・いいんですか。お城に報告しますよ。」
 「構わないわ。どうせ、もうすぐ城には戻るから。」
 「・・・・・」
 「おい、」黙っていたゼルガディスが口を開いた。
 「俺は別に案内なんかいらないぜ。構わないからお前も城に帰ったらどうだ。」
 ぐっ、と口籠るアメリア。両手は固く握られている。
 「・・・・や、」
 「ん?」
 「約束、ですから。」
 「・・・約束、か。」
 「はい。約束は、破れません。破りたくないんです。」
 「正義じゃないからか。」
 思い掛けないゼルのツッコミに余計、言葉がノドに詰まる。
 「・・・・・そうです。」


 その夜、アメリアは泣き寝入りをしていた。そおっとドアを閉めた小間使いの女性は外出から戻ってきたゼルガディスとはち合わせた。
 「寝たのか。」誰のことかは言うまでもない。
 「はい。・・・実は少々、お話があるのですが。」
 「ああ、そろそろ来ると思ってたよ。俺の部屋へ行こう。」


 「短刃直入に申し上げます。このままセイルーンをお発ち下さい。
 「・・・・・」
 「あなたがどういう方かは存じません。ただ、姫様のためにはならないことはわかります。あなた自身を卑下するわけではないのですが、姫様はいずれ、セイルーン王位を敬承されるかも知れないやんごとなきお方、釣り合いが取れないのはあなたもおわかりでしょう。」
 「・・・なんのことを言っているのかわからないな。」
 「しらばっくれないで。姫の目を見ればわかります。あなたを見る目を。」
 「だから、何だと言うんだ。」
 「姫はあなたを慕っていらっしゃいます。」
 「・・・・・。」
 「姫はあなたに惹かれているんです。それがおわかりにならないあなたとは思いませんが。」
 「・・・関係ないね。」
 「え?」
 「言っておくが、今回のことはアメリア自身が言い出したことだ。俺が案内しろ、と命令したわけじゃない。だからいつでも出て行くさ。どうせ、少しの間しかいないつもりだし。」
 「姫の気持ちはどうなるんです?」
 「知ったことか。第一、他人のあんたにとやかく言われることじゃない。」
 ゼルガディスの声はどこまでも冷たく、取り付くしまもなかった。

 「・・・そういうふうに冷めてるのが、あのお姫様の心を惹きつけてはなさないの?」それまでとはうってかわった口調で女性が尋ねた。
 
 テーブルの上で手を組み、じっとゼルガディスを見つめる。
 

次ぎのページに進む。