「眠り姫」

「ウソ、だろう・・・・」



セイルーンの王宮内。
荘厳な建物は別の何かを思い出させる。
ただ一通の手紙を持って、ゼルガディスは再びセイルーンに来ることとなった。その手紙の内容は。


この目で見るまで信じられなかった。
まさかそんなことはあるまいと、頭から可能性を否定した。
悪い冗談だと思っていた。
自分が志しなかばでのたれ死ぬことは考えたことはあったが、何故か、あの人物に死神の刃が振り降ろされるとは全く思ってもみなかったのだ。
何故だろう。
人は生きている限り、必ず最後には死を迎える。
ましてや、ただの人間にはあっけなく、時には馬鹿馬鹿しい理由で死が訪れることも多いのだ。

ただ自分が勝手に相手を、絶対的なものと思い込んでいただけなのだ。
自分が来れば、必ずあの笑顔が迎えてくれると。


だが飛翔の呪文を繰り返し唱え、夜に昼をつないでセイルーンにやってきた男を、出迎えてくれる暖かい笑顔はなかった。




「半旗だ・・・・」
この光景はいつかどこかで見た気がする。
町中は店を閉めるところも多く、人はまばらで、鎧戸を閉めた家の中からときおり啜り泣く声が聞こえた。
国中で悪い冗談につきあってるのか。

王宮の入り口には目を赤くした衛兵。
付き合いのいいヤツらだ。
手紙を見せるとすんなり通される。
当然だ。国王の印章付きだったから。
それとも俺が来るのを知らされていたのか。
衛兵の一人が先に立って先導していく。

長い廊下。
踏みならされた深紅の絨毯。
長い年月、何と多くの人間がそれを踏んでいったことだろう。
歴史と重圧。
沈黙がさらにそれを押し付けてくる。
馬鹿馬鹿しい。



そして通された部屋でゼルガディスは見たのだ。
祭壇に飾られた純白の薔薇の山と、大きな肖像画を。
そしてその絵に描かれた人物が横たわる、ガラス張りの寝台を。


「ウソ、だろう。」

手を伸ばし、ガラスのふたを開ける。

柔らかなビロードに包まれ一人の少女が胸の上で手を組んで目を閉じていた。
枕に広がる漆黒の髪。
その額には王女の徴たる銀の冠。
レースがふんだんに施された、真っ白なドレス。
耳と襟元を悲しみの真珠が飾る。
組まれた手には同じくレースの手袋。
そしてその顔は。
変わっていなかった。
きりっとした眉。
柔らかな曲線を描いた優美な顎。
小さな唇。
何度か触れた、頬。

だがその目が開かれることもなく、彼を迎える笑顔も浮かばなかった。


ゼルガディスはフィリオネル国王から受け取った手紙を、ぎゅっと握りつぶす。その様子に、そばで控えていた衛兵が顔色を変えた。
「・・・悪いが、一人にしてくれるか。」
衛兵の方に顔も向けずに掠れた声が響く。
衛兵は何か言いたそうだったが、察したのか一つうなづくと密やかに出て行った。


震える指で、少女の頬に触れる。
柔らかかった。
やっぱりウソか?
だが、その温度は・・・・・・。

一瞬ためらうが、その指を首筋に当てる。

反応はなく、ゼルガディスは目を閉じる。


名前を呼びたい。
だが呼んでしまって、応えがないことで彼女の死を認めるのが怖かった。

アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン崩御。

手紙の内容通りだった。





部屋に通され、ゼルガディスはとびかかるようにして国王に詰め寄る。
「!」
部屋中の衛兵が緊張する。
たちまち槍の林に囲まれてしまったが、国王は手を振ってそれらを除去した。
お側付きに何か指示すると、衛兵たちを含め部屋にいた他の者はぞろぞろと出て行き、国王とゼルガディスの二人きりとなった。
「すまんな。なにせこの身になってからは自由がきかん。」
国王になったことを言っているのだ。
「そんなことはいい。・・・・・説明してくれ。」
「無論だ。」


落ち着け、とは言わなかった。
だがこの男の激情を目のあたりにし、フィリオネルは全く別のことを考えた。
この男が、娘の死に動揺していることを嬉しいと感じるのは、わしがおかしくなっとる証拠かもな。

「数日前のことだ。
全身に黒衣を纏い、妖しげな雰囲気の魔導師らしき男が王宮にやってきた。
招かれざる客だ。突然大広間に姿を現わしたからな。
その男はまるで地獄の底から響くような不気味な声でこう言った。
『アメリア姫を妻に迎えたい。』、と。」
「なんだと!」
がたん、と勧められた席を立つゼル。
フィルがそれを手で制す。まだ話は始まったばかりだ。
「わしはそれを一笑に付した。アメリアも一緒に笑っておった。
広間中の人間が笑った。
白昼堂々、白魔法の守護厚いこの神聖なる国の王宮で、何をふざけたことをぬかすと。禍々しき姿の男は、それに対して皮肉な笑みで応えた。
『妻にならねば死を与えるのみ。』
骨ばった皺くちゃの手が上げられ、その人さし指が壇上のアメリアを指差した。
途端に、アメリアは咽を押さえた。
わしは衛兵にその男を取り囲ませた。
だが娘に目をやった次の瞬間、男は消え失せていた。
慌ててアメリアを振り返ると、娘はゆっくりと崩おれるところだった。
咽に手を当てたまま。
白い式典のドレスを来たまま。
苦しげに一言呻くと、アメリアは・・・・・・・・」

言葉を詰まらせたフィルから、ゼルガディスは顔を背けた。

「すぐさまあらゆる医者や魔導師の類い、祈祷師、見識者どもを集めアメリアを見せたが、誰一人娘を助けられる者はいなかった。二度と再びあれが息を吹き返すことはなかったのじゃ・・・・・。」
「・・・・・」
「男の行方も追った。だが手掛かりらしきものは残されておらんかった。」
「・・・・・」
「わしは・・・・わしは・・・・・」

大男がむせび泣く。
大勢の従身に囲まれて我慢していた涙だろう。
だが最愛の娘を失った父親の悲しみも、ゼルガディスの心には今は響かなかった。
「そいつの手掛かりは本当にないのか。」
「・・・・呼び名しかわからん。」
「何だ?」
「そいつは自分を十三人目の魔導師と呼んでいた。」
「・・・十三人目?」
「意味はわからん。
黒衣。しわがれた声。骨の浮き出るような痩せた体。
老人のような外観。そしてその呼び名。それしかわかっておらんのだ。」
「・・・・・」

ゼルガディスは黙り込む。

「正直なところ、ちとお前さんを恨んでおる。」
「?」
「もしお前さんが式典に出席していてくれたらと思うと・・・・」


実際、式典の噂は耳にしていた。
セイルーン国王の就任式と、その第二王女アメリア姫の成人式だったのだ。
皮肉な話だ。
国王になって最初の仕事が、娘を殺した犯人探しとは。


「ところで、何故俺の居所がわかった。」
「ああ。偶然じゃ。たまたまお主を見かけた者がいた。セイルーンに来てうわさ話を残して行きおった。その方向へ200人ほど差し向けて、そのうちの一人が運良くお前さんに行き会ったわけじゃ。」
「200人・・・」
「なにかがわしらを引き合わせてくれたのかもな。」
「・・・・・」


沈黙が流れる。
「・・・・明日正午に、国葬を執り行う。」

ゼルガディスはさっと顔をあげた。
「犯人も見つかっていないのに!」
「・・・・綺麗なままで、送りだしてやりたいのじゃ。」
「・・・・!」
やり場のない憤りを感じ、ゼルガディスは机に拳を打ちつけると足音荒く部屋を出た。その背中を見送るフィル。





「なにかあるはずだ。なにか・・・・・」
すでにフィリオネルの手が回っていたのか、ゼルガディスはアメリアの部屋に入ることができた。
執務室、私室。
何か手掛かりがあるはずだ。
部屋中をかき回す。
羊皮紙が散乱し、部屋の床が見えないほど埋め尽くされる。
半分枯れた花瓶の花。
茶色く変色した葉がかさかさと音を立てて落ちる。
引き出しを開け、戸棚を裏返し。

やがて彼は私室で見つける。
出されなかった手紙の束を。


「これは・・・・」
それは引き出しを引き抜いた奥にあった、隠しにひっそりとしまい込まれていた。
丁寧に揃えられ、ピンクのリボンで縛ってある。
一番下のものはすでに少し黄ばんでいた。
長い間に書き溜めたものだろう。

リボンを解く。
封筒の表には宛名が書かれていなかった。
裏返してみるとただ、アメリアとだけ書かれている。
ゼルガディスは振り返り、テーブルの上からペーパーナイフを取り上げ、すらりとフラップを切り離す。
中には一枚の紙。取り出そうとすると乾燥した花びらがはらはらと落ちた。

『お元気ですか。
わたしは元気です。
今日、部屋の前の木に花が咲きました。
とても綺麗です。
木の下に行って、手を広げて目を閉じていると、
まるで花びらの雨が降りそそぐようです。
わたしは元気です。
花も美しく見えます。
あなたは、花が美しく見えますか。
もし近くに花がなかったら困るので、この花びらを送ります。
願わくば、この花びらがあなたの瞳に美しく映りますように。
わたしは元気です。
あなたは、元気ですか。』


次の手紙を開ける。
今度は花びらは入っていなかった。

『お元気ですか。
わたしは元気です。
今日は暑いです。夏がいつのまにか来ていました。
夏はやっぱり海に行きたいです。
あなたは嫌がるかも知れませんね。
でもやっぱり行きたいです。
海に入らなくてもいいから、行きたいです。
そちらは暑いですか?
わたしは元気です。』


こんな調子の手紙ばかりだった。
誰にあてたものか名前は一つも出てこない。
どの手紙にも、たわいない身の回りのことや季節の話だけ。
そして必ず、何度も繰り返すように『わたしは元気です』と書かれている。
まるでその一言を伝えるためだけに、他の言葉を無理矢理継ぎ足しているかのように。

『わたしは元気です。』
『わたしは元気です。』
『わたしは・・・・・』


「・・・・・バカが。
着くはずのない手紙を書き続けて何になるって言うんだ。」
吐き捨てるように毒づくゼルガディス。

だが目は手紙を見ていた。
アメリアが彼と別れてからの2年間、書き溜めていた届くはずのない手紙の束を。

「ちっとも元気じゃないじゃないか・・・・」
呟きは、散らかった部屋の天井へと吸い込まれていった。



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