夢が見たい。
一目だけでいいから、逢いたい。
あの人の姿、声、忘れてないけど、忘れないうちに。
夢は見たくない。
目が覚めるのが辛いから。
弱い自分を、見たくないから。
「ふぅ……」
ひとつ息を吐いて、アメリアは寝台から起きあがった。
窓の外は痛いほどの満月。
それだけ、何も変わったことなど無い。
いつものように執務をこなし、城下をちょっと見て回って正義を為して、繰り返される平和な毎日。
なのに……。
不意に、声が耳元で囁く。
痛くて、痛くて、眠れないほどに。
心を直接傷つける、寂しい愛おしい声。
それはファントム・ペイン。
どんな治癒魔法でも治せない、解っている。
眠ることを諦め、アメリアは素足で床に降り立った。テラスへ続く硝子戸を開き、夜の空気に直接触れる。
その冷ややかさが、今は心地よかった。
「今晩は、アメリアさん」
闇から不意に、慣れた声がした。
闇から抜け出した黒衣の神官、宙に浮いたその男にアメリアは笑顔を向ける。
「……ゼロスさん」
彼がアメリアの元に訪れることは、初めてではない。
どれほどの距離も障害とはなり得ない、魔族の彼は時々アメリアに仲間の消息を聞かせてくれた。それが彼の気まぐれなのか、何か裏があるのか、アメリアには解らなかったが。
「どうしたんですか、元気がないですね?」
「……そんなこと無いですよ、いつもと同じです」
「そうですか?」
ゼロスは首を傾げると、ふわりとアメリアの前髪を掻き上げ額に触れた。
「熱は無いみたいですね」
「元気ですってば、なんならゼロスさんに生命の賛歌でも歌ってあげましょうか?」
クスクス笑いながらそう言うと、ゼロスは露骨に怯えた顔をして見せた。
「脅かさないで下さいよぉ〜」
情けない表情でアメリアを見上げ、それからゼロスはちょこんと手摺りに腰掛けた。彼が其処に座ったときは、なにか話があるときだと知っていたアメリアは、ゼロスの顔を見上げるように手摺りにもたれた。
「この間は、どなたの話をしたんでしたっけ?」
「フィリアさんと、ヴァルくんのお話ですよ。ヴァルくんがフィリアさんの大事にしていたティーカップを割っちゃったってお話」
思い出させるようにそう言ってやると、ゼロスはポンと手を打った。
「ああ、そうでしたね。その前は……?」
「リナさんとガウリイさんが、伝説の剣を見つけたけど、外れだったって言うお話です」
少しだけ、自分の胸の鼓動を意識しながらアメリアはそう告げた。
ゼロスはそうそう、と呟きながらアメリアの顔を見下ろした。
「それじゃ、今夜は……どなたの話を聞きたいですか?」
アメリアは目を大きく見開いた、ゼロスがこんな風に誰の話を聞きたいか問いかけてきたのは、今夜が初めてだった。
「…………」
瞬間的に口を開きかけ、アメリアはキュッと唇を咬んだ。
どうしても、知りたいことが、何をしているのか知りたい人が、いる。
だが、アメリアはその名前を口にすることができなかった。
「アメリアさん?」
ゼロスが優しく問いかける。
その優しさにいっそ甘えてしまおうかと思ったけれど。
アメリアは軽く頭を振ると、ゼロスの目を真っ直ぐ見上げた。
「では、今日はゼロスさんのお話をして下さい」
「僕の……?」
「はい、ゼロスさんのこと話して下さい」
にっこり笑って繰り返すと、ゼロスは拍子抜けしたように肩をすくめた。
「……いいんですか、僕のことより訊きたいことがあるんでは?」
ゼロスが、その名を口にした。
「ゼルガディスさんのこと、訊きたいのではないんですか?」
アメリアは久しぶりに耳にしたその名前に、一瞬だけ痛みを感じたが、ふぅっと息を吐くと微笑んだ。
「いいんです。だって、約束しましたから」
「約束……?」
「セイルーンに来て下さいって……一方的な約束かもしれませんけど……ゼルガディスさん、きっと守ってくれますから!」
彼が何をしているのか知ってしまったら、きっと待つことは今以上に苦痛になってしまう。約束を疑ってしまうかもしれない。だから、アメリアはゼルガディスについて何も訊かないことにした。
「……貴女って人は、本当に」
ゼロスが、苦笑する。
戯れのつもりではじめた少女との会話で、いつの間にか彼女の強さを見せつけられていた。弱くて、幼くて、そして強い人間という生き物に、興味を抱くのはこんな瞬間。だが、アメリアはさらにゼロスの想像を超える発言をしてのけた。
「だから、ゼロスさんのことお話しして下さい」
「え?」
てっきりゼルガディスのことから話題を逸らすための方便と思っていただけに、ゼロスは再び自分のことを話題にされて首を傾げた。
「ゼロスさん、何かあったんじゃないですか?」
アメリアの双眸が、真っ直ぐに彼を射抜く。
「……どうして、そんな風に思うんですか?」
動揺している自分にどこかで気が付きながら、ゼロスは問い返した。
アメリアはゼロスを見上げたまま、ピンクの唇を開く。
「だって、ゼロスさん……なんだか寂しそうですから」
時として、巫女の直感というのは魔族の思いすら当てるのだろうか。そんな風に考えて、ゼロスは頭を振った。寂しいなんて、魔族の自分が抱く感情ではない。ただ、そうただ……退屈していただけの話なのだ。
ゼロスはいつもの微笑を浮かべて、アメリアの唇に人差し指を押し当てると、その指をスッと自分の唇に添えて、にっこり微笑む。
「それは、秘密です」
アメリアが、かぁぁっと赤くなった。
「ゼ、ゼ、ゼロスさんっ!!」
「はい?」
「な、な、なんて真似をするんですか!?」
「こんな事で驚くなんて、アメリアさんは可愛いですね」
ますます赤くなったアメリアにパチンと片目を閉じて、ゼロスはふわりと宙に浮かぶ。
「それでは、お休みなさい、お姫様」
優雅に一礼をして、ゼロスは闇にかき消えた。
「ゼロスさんッ! まったく……」
頬をぷぅっと膨らませて、それからアメリアは息を吐いた。
「お休みなさい、ゼロスさん。お休みなさい……ゼルガディスさん」
一番逢いたい人に挨拶をして、アメリアは微笑んだ。
なんだか今晩は、良い夢が見れそうな気のするアメリアだった。
夢じゃなくてね。
本当のあなたに会いたい。
唯一人の、あなたに、逢いたい。
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