「石山詣」

 

 「…ぜるがでぃす。オレは何としてでももう一度、あの姫に会うぞ。」

 中納言の家から戻ると、がうりいは唐突に言い出した。ぜるがでぃすはしめたと思ったが、素知らぬ振りをした。
 「……おや。断わるんじゃなかったのか。」

 「いや。気にいった。もう一度会いたい。何とか手筈をつけてくれ。」

 「…俺は別に構わんが、あめりあがなんと言うかな。」

 「だって最初は、あっちから話が来たんだろ?」

 「まあな。…だがあめりあは、あんたを少し疑ってるみたいだぞ。中途半端な気持ちで大事な姫に触れてほしくないらしい。」

 じらしてみるのも悪くないと思ったぜるがでぃすだったが、珍しくがうりいの瞳に、怒りのようなものが沸き上がったのを見て驚いた。

 「中途半端な気持ちなんかじゃない。」

 「じゃあ、なんだ。」

 ぜるがでぃすに追求され、がうりいは一瞬言葉に詰まる。

 「オレにもよくわからん。……ただ、あの姫は今までに会ったどんな姫君たちとも違う。興味がある。」

 「興味だけでは女を幸せにできんぞ。」
 ずばっと言い切るぜる。さすがに女房持ちの貫禄だ。

 「…わかってる。……だが、とにかくもう一度会いたいんだ。」

 そう言ってがうりいはぷいと部屋へ戻って行った。
 ぜるがでぃすは一人、にやにや笑いを隠すのに苦労した。

 

 

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 「落窪や。中の君の婿が急ぎ宮廷に出仕するのだよ。枹(ほう・正装の上着)を縫っておくれ。」

 北の方は、いつものように来たと同時に言いたいことだけを言い、絹を放ってずかずかと去った。あめりあはりなのそばでため息をつく。

 「……あのお方がこの部屋にいらっしゃる時は、縫い物を持ってくる時だけね。」

 くすりとりなは笑い、何も答えずに黙々と縫い物を始める。

 あめりあは先日、ぜるがでぃすががうりいを連れて隙見(すきみ・のぞき・笑)に来たことを聞かされていた。がうりいはりなに興味を持ったという話だったが、あめりあはふと不安になった。

 この姫に、男の情というものが理解できるだろうか。ただ恐ろしくて、萎縮するだけではないのか。……でも今のままでは……。

 するとりなが、縫い物をしながら、ほう、とため息をつくのを耳にした。

 「どうかなさいましたか?」

 「あ………ううん、別に。ちょっと思い出しただけ。」

 「何をですか?」

 「うん……あの目………」

 「目…?」りなは照れ笑いをしながら答えた。「…鬼の目よ。」

 「ああ。」あめりあは理解した。
 鬼の正体には心当りがあったが、まだりなに言うわけにはいかなかった。がうりいに対して下手な先入観を持たせるわけにも行かない。

 「綺麗だったなあ、と思って。以前見たどんな玉(=宝石)より透明で、それでいて深みがあって、空のように濁りがなかった。…何だかこちらの心まで覗かれたような気になったわ。そんなことを考えるなんて、変かもしれないけど。」

 「そんな、変なんて…。」
 うっとりと呟くりなを初めて見るような顔であめりあは見つめていた。
 鬼の正体を知ったらこの姫君はどうするのだろう。

 「もう一度………見てみたい」

 「…え、今なんておっしゃいました?」

 「あ、いや、別に何でも。」

 慌てたりなは、縫い物に専念する振りをした。
 その様子を見ていたあめりあは、しばらく考え込んでいた。

 

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 それからまもなく、中納言の屋敷では石山詣(いしやまもうで)に行くこととなった。外出としては清水寺と並ぶポピュラーなもので、都からちょっと遠出をして石山寺まで願掛けに行くのだ。
 当時はなかなか外出できなかったため、ほとんどの者が参加することになっていた。

 あめりあは三の君のお供として綺麗な衣装まで整えられていたが、急に月の障り(・・・わかるね?)が来て、身が穢れるのでお供できないと言い出した。北の方は疑っているようだったが、何とか押し切った。中納言と北の方の会話を偶然立ち聞きしてしまったのである。

 『落窪は屋敷にいた方がいいんです。下手に外出させたら癖になります。』

 その時あめりあは一つの計画を思い付いたのである。

 屋敷の者たちが牛車で出掛けたあと、あめりあは自分の夫に文を遣わせた。
 今宵、屋敷はもぬけのからです。お越しになるなら今です、と。

 文を受け取ったぜるがでぃすは、急いでがうりいに支度させた。何度文を送ってもなしのつぶてで、イライラしていたがうりいは一変、うきうきした様子で出立する。

 …冒険と間違えてやしないか。
 一抹の不安を無視して、ぜるがでぃすはがうりいと共に屋敷へ向かった。

 

 

 その晩。あめりあはりなの部屋にいた。

 「姫、申し訳ないのですが……」

 あめりあが言いにくそうにしていると、りなは察して笑いかけた。
 「ダンナが来てるのね。ぜるがでぃす、と言ったかしら。」

 「ええ。まあ。」

 「ねえ。……ぜるがでぃすって人は、あなたを大切にしてくれる?」

 思ってもみなかった質問をされて、あめりあは頬を染めた。
 「ええ。それに、なかなか働きもいいので頼りになります。」

 「そう」

 「姫は……そういうお方が欲しくはありませんか。」

 あめりあが切り出すと、またこの話かとりなは顔を顰める。

 「前にも言ったでしょ、あたしは、男より世界が見てみたいの。」

 「でもこのままでは世界を見ることなんて叶いませんよ。一生このお部屋から出られません。今日だって置いてきぼりではありませんか。北の方はこのままずっと姫を飼い殺しになさるおつもりです。……わたしはそんなの、絶対に許せません!」

 思わず語調を強めたあめりあに、りなは顰め面を止めた。
 「あなたには心配ばかりかけてるみたい。……そうね、あめりあに心配をかけないようにするには、誰かにここから連れ出してもらうしか、道はないかも知れないわね。」

 「姫には何かが足りないんです。もっとご自分を大事になさって下さい。いずれ、あなたを大事に思って下さる方が現れます。あなたを慈しみ、守って下さる方が。」

 「別に守って欲しくなんかないわ。ここから出たいだけ。」

 「……いずれわかります。」

 謎の笑みを浮かべて、あめりあは部屋を退去する。
 りなはあめりあの言葉をまに受けず、笑って箏(そう・琴の一種)をつまびく。

 

なべて世のうくなる時は身をかくさん
    いはほの中のすみかを求めて

 

 『この世が辛い時は、どっかに隠れちゃえばいいわ。誰にも邪魔されない洞窟でも探して。』そういう意味の歌だったが、りなには暗い歌に思えた。


 「そんな洞窟があるなら、オレが探してやろうか。」
 突然、男の声がした。

 「誰!?」

 りなが振り向くと、格子が開けられ、鬼が立っていた。

 

 



 

 「ひゃー、降ってきちまった。ちょっと雨宿りさせてくれないか。」

 そう言うと、りなの許しも請わずに、その鬼は部屋に入ってきた。

 りなは驚いた。「…あんた……この間の……鬼?」

 「……鬼?」

 男がきょとんとした。
 その黄金の髪に雫がついて、灯に反射してきらきらと輝いていた。思わずりなは見とれる。

 「ご挨拶だな。こないだ庭で会ったろ?」

 がうりいはそう言うと、りなの向かいにどっかりと座った。

 「ちょっと用があって来たんだが、雨が降ってきちまってな。悪いが、止むまですこし休ませてくれないか。」

 「…用って?……屋敷の者は皆出掛けてるのに?」

 「ああ。来てから知ったよ。」
 鬼はにかっと笑う。怖い感じはしなかった。

 これが父親や姉の婿たち以外に、初めて見る男性だということにりなは初めて気がついた。
 だが何という違いだろう。男の人でも綺麗な人っているもんだな、と感心する。
 書で読んだ。人を魅了する鬼もいるそうだが、これもそうかな、と。

 すっかり男の様子に心を奪われ、黙り込むりな。

 「…へえ。怖がらないんだな。」
 がうりいが感心したように言う。

 「何で。普通のお姫様だったらこういう時どうするの?」

 「そりゃあ、男が急に入ってきたら、きゃあ〜〜〜〜とか悲鳴を上げたり、逃げたりするんじゃないか?」がうりいは両手をあげてふらふらと振ってみせた。

 「そういうものなの?」
 目をしばたたかせるりな。がうりいもぱっと手を下ろし、首を振った。

 「さあ。オレもよく知らん。」

 「……変なの。」

 「そうだな。」

 二人は顔を見合わせた。しばらくしてどちらからともなく、ふっと笑いが浮かんだ。

 「お前って変わってるな。」
 金色の髪の鬼が言った。何故だか警戒心は全く湧かなかった。初めて会った感じもしない。いや、すでに二度目の出会いではあったが。

 「あんたこそ。鬼とは思えないわ。」

 「鬼か。……まあいいや。」
 がうりいはまた笑顔を見せる。

 「それより立ち聞きしてたのね、あたしが歌ってる時。」
 警戒心が湧かないせいか。ぷん、とりなが膨れた。
 その様子が何とも可愛らしく、がうりいは何故、ぜるがでぃすの妻があれほどりなの身の上を心配するのか、わかる気がした。

 「悪いな。…上手な箏だと思って。」

 「……あたしのとりえは、縫い物と箏だけなのよ。」

 「あと、書も読めるだろ?」

 「え。何で知ってるの?」りなは鬼の顔を見つめた。

 「庭で会った時。急いで隠しただろ。……好きなんだな、書とか読むの。」

 途端にりなの顔が輝いた。
 まるで別人のようで、がうりいははっとする。

 「…うん。好き。……だって、狭い部屋にいても世界のことがわかるでしょ。」
 格子の向こうを透かして見ようとするりなが、がうりいにはいじらしく思えた。

 「……世界か。」

 「そう。…いつか、世界を見るのがあたしの夢なの。」

 「…面白いな。」

 がうりいがそう言うと、りなは驚いた。
 「……やっぱあんたも変わってるわ。女のくせに、とか言わないのね。」

 「言わないさ。夢があるのはいいことだ。」

 「…ふうん。」
 何だか全然怖くない。鬼なのに。りなは自分でも不思議だった。

 






 そのうちに、雨が止んだ。
 「あ。止んだな。」

 「そうね。帰るの?」

 「帰りたいのは山々だが、友人と来たから一人で帰る訳にも行かないのさ。しょうがないから、どっかで夜を明かすよ。」苦笑してがうりいは立ち上がる。

 「どっかって?」

 「う〜〜ん、どこでもいいや。横になれれば簀の子でも。」

 そう言って格子に手をかけるが、簀の子はすでに雨でびしょ濡れだった。それを見てとったりなは、つい口を出してしまった。

 「………ここは?」

 聞き逃してしまいそうな小さな声だった。
 耳にして、がうりいはばっと振り返る。まさか、この姫が言ったのか?

 「…その、何にもしないなら、泊めてあげてもいーわよ。」

 自分で言ったセリフに照れているのか、りなは顔を赤くしてあらぬ方向を見ていた。
「そりゃ助かるけど、…いいのか?」

 「いいわよ。…ただし、ろくな夜具(お布団)はないわよ。」

 
 言われて部屋を見回すと、がうりいは今さらながらに驚いた。
 何と質素な部屋か。これが本当に、中納言の実の娘の部屋なのだろうか?几帳(きちょう・T字型の横木にとばりをかけた室内の仕切り家具)もないのは知っていたが、屏風もなく、姫は薄い袷を着ているだけ。

 聞いてはいたがあまりな扱いに、次第にがうりいは腹が立ってきた。

 だがそんな素振りはりなに見せられない。
 ごほん、と咳き払いをし、気持ちを切り替える。
 「じゃあお言葉に甘えて、オレはその辺でごろ寝するから、お前さんはもう休め。…何でも聞いたところによると、寝不足は美容の大敵だって言うぜ?」

 茶目っけたっぷりな鬼の口調に、くすくすとりなが笑った。

 その様子が何とも可愛いと、鬼は、いや、がうりいは思った。

 

 ここに来るまではただ、会いたいとばかり思っていた。

 もう一度会って自分の目を確かめたい。言葉を交わしてみたいと。
 ……だが今は。がうりいの胸中で、りなの存在がみるまに膨らんでいた。出会ってまだ間もないと言うのに。

 何故この姫にこれほどまでに固執するのか、自分でもわからない。今まで、こんなに物や人に執着したことはない。絶対に欲しいと思ったものはなかった。だがこの瞬間は、絶対に逃したくないという気持ちで一杯だった。

 ………しかし、すぐにどうこうしようという気にはなれなかった。
 姫と会話を交わすうちに自分がいつになくリラックスするのを感じていたからだ。姫も同じだろう。今ここで手を出したら、姫の警戒心を煽るだけだ。

 なんと言っても姫はまだ幼く見える。しっかりしてそうだが、まだ保護者がいりそうだ。小さい時に母親を亡くし、父親の他に守ってくれる者もいない。ぜるの妻だけが味方の、寂しい生活。

 横になりながらがうりいは考える。

 オレはこの子を守ってやりたい。
 …………それにはまず、オレのことをわかってもらわなくては。








 

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