「父と娘」


その男が釣りざおを携えて現れてから、随分と長い時間が経っていた。

陽はだんだんと高い場所に昇り。
川岸に座り込んだ男の影を短くし、じりじりとその麦藁帽子を照り付けた。
時折、蜂が戯れるようにその帽子の周りをぶんぶんと飛んだが、男は意に介した様子がなかった。
釣りざおを川面に垂れ、時折それがぴくりと動く時だけ目を開けたが、それ以外は目を閉じてほとんど動かない。
もしかすると、眠っていたのかも知れなかった。




やがて、男の影が背後にかなり伸びてきた頃。

遠くの方から誰かを探しているような声が聞こえてきた。
それは次第に近付いてきて、次に本人の姿がぴょこりと土手の上に出た。
「あ。こんなとこにいた。」
腰に手を当て、少女はひとつ大袈裟にため息をつくと、がさがさと丈の高い雑草をかきわけて男の方に近付いてきた。
男は振り向きも、目を開けもしなかった。
「探してたんだからね。もう。」
「・・・何か用か?」
目を閉じたまま、男がのんびりと答える。
その長い黒髪の後で、辿り着いた少女が答えた。
「ひっとっにっ、あんっっっっだけ仕事言い付けといてっ!『何か用か?』じゃないでしょがっ、と〜ちゃんっ!」
顔を顰めて、父親とは全く色の違う髪をばさりと後に払ったのは。
自称天才美少女魔道士、生きとし生けるものの天敵、泣く子も黙る盗賊殺し、リナ=インバースだった。



「あいか〜らず釣れない釣りやってんのねえ。」
脇に置かれた空の魚篭(びく)を覗いて、娘がちゃかした。
男はようやく目を開け、娘を振り返る。
「うるせぇ。お前に釣りを教えたのは、誰だと思ってるんだ?」
「と〜ちゃんだって言いたいんでしょ。でも、悪いけど、釣りの腕前はあたしの方が上ね♪」
「そりゃ、お前の開発した、訳のわかんねぇ呪文のお陰だろ。」
「ひどっ。入れ食いの呪文は確かにあたしのオリジナルだけど、訳のわかんないってことはないでしょ。立派に役に立ってるもの。」
「ああ。お前の使う、唯一建設的な呪文だよな。」
父親がにやりと笑うと、リナはぷんと膨れた。
魚篭の隣にしゃがみ込む。
「で、何か用か?」
「・・・・・。」

リナは静かな川面を眺め、ぴくりともしない釣りざおを眺め、やがて言った。
「用がなきゃ、いちゃいけない?」
「・・・・・・。」
一瞬。
男は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたが、あいにく娘は別方向を向いており、それを見る機会を失った。
いつもの顔を取り戻すと、父親もまた川面を見つめ。
ぴくりともしない釣りざおを眺め。
やがて鼻の頭をぽりっとかくと、言った。
「いちゃいけないとは、言ってねーが・・・・。」
「んぢゃ、いいじゃん。別に。」
「あ、ああ。そうだ、な。」
「・・・・・・・。」


さらさらと水の流れる川音は、聞いているだけで涼しげな気分になれる。
水と一緒に、身体の中のごちゃごちゃしたしがらみが流れて行くようで。
海の、波が立てる音とはまた違うな、と父親は考えていた。

「と〜ちゃんに言われた通り、昨日の帳簿の確かめ算はしておいてわ。」
互いに川面を見つめながら、久しぶりの親子の会話が始まった。
「・・・・そうか。」
「ついでに一ヶ月前まで遡ってやってみたけど、三日前の合算が間違ってたわよ。」
「そ、そうか。」
「あの字、と〜ちゃんの字ね。」
「・・・・・・。」
「か〜ちゃんに見つかる前に、あたしに見つかってよかったわね。」
「・・・・・・。」
「安心して。黙っておいてあげる。」
「・・・・・・。」
「それから、未加工の水晶に魔方陣組み込むのもやっておいたわ。」
「おう。助かるぞ。」
「棚の上の埃も払ったし、床に磨き粉もかけたし、外の草むしりもやったし、と〜ちゃんが造った水道管のヒビも直したわ。」
「おう。」
「ガウリイがね。」
「・・・・・・・・おう。そーか。」
「・・・・・・。」

さらさら。

人は年を取るごとに、どうして一番聞きたいことを最後に回してしまうのだろう。
子供のように、浮かんだ疑問を次から次へと口に出すことが、どうしてこんなに難しく、恥ずかしいことのように思えるのだろう?
当たり障りのない会話から、糸口を見つけようとさりげなく。
それをコミュニケーションと言うのだろうが。

「と〜ちゃんさ。」
「・・・・ん?」
「なんか・・・さ。」
「・・・・なんだ?」
「その・・・・ガウリイのことなんだけど・・・・さ。」
「・・・・・・。」
「避けてない?なんとなく。」
「・・・・・・え?」

父親が娘の顔をまじまじと見ようとした時、ぴくりと釣りざおが動いた。

「と〜ちゃんっ、引いてる引いてるっ。」
「わ、わかっとるわ!」
「そ〜じゃないってばっ、ほらっ!」
「脇でごちゃごちゃうるせーぞっ!」
「あ〜〜〜〜、逃げちゃった。」
「ち。まあいい、今のは小物だったからな。」
「あ。負け惜しみ。」
「それ言うな。」
ぽんぽんと行き交うテンポのいい会話のあと、切り出しづらそうに娘が蒸し返す。
「・・・・・で、さっきの話なんだけど・・・・。」
父親は引き上げた竿を軽く振って、新しいポイントに投げ込む。
「あ?なに?なんの話だって?」
「・・・・・・。」

リナはこめかみをぴくぴくさせながら言った。
「と〜ちゃん・・・言っとくけどあたし・・・・物忘れが激しいのはガウリイだけでたくさんだから。」
男も額にひとすじの汗はかくせない。
「あいつ・・・天然ボケの上に、物忘れも激しいのか・・・・・。」
「人の名前は覚えない、今朝食べたものまで忘れてる、あげくの果てには、言った端から自分のセリフ忘れるよ〜なヤツなのよっ。」
ぶちぶち言うリナ。
「いつまでも細かいことを覚えておいて、後でねちねち苛めてくるお前さんとはまた、エラい違いだな・・・・。」
ぼそっと呟く男。

ぴぎっ!

「と〜ちゃん・・・・実は娘が可愛くないのね・・・・?」
「何を言う。娘は可愛いに決ってる。・・・・世間一般での話だが。」
と〜ちゃんっ!
「んな青スジたてて怒るなよ。せっかく可愛い顔に産んでやったのに。」
誰が産んだか、誰がっっ!あたしを産んだのはと〜ちゃんじゃなくって、か〜ちゃんでしょがっっ!」
「バカ、当たりめ〜だ。」
「だって、と〜ちゃんがっ。」
「それで、どうして俺がヤツを避けてるなんて思うんだ?」
リナの目がジト目になる。
「・・・・・やっぱり、会話の内容覚えてたんじゃない。」
「・・・別に、避けてるつもりはないけどな。」
うそぶく父親。


リナは小さな石を拾うと、ぽちんと川面に投げ込んだ。
「別に・・・なんとなくなんだけど。
だってと〜ちゃんてば、朝早くからガウリイ叩き起こしといて、用事を山のよ〜に言い付けて、自分はふいっと昼間どこかに消えてるでしょ。夕飯になると戻ってくるけど。」
「いやあ。」
火のついていない煙草をくわえなおすと、父親はにかっと笑う。
「いい男手ができたから、この際ちょっと楽しようかと。」
「そ〜ゆ〜計算高いとこは、と〜ちゃんそっくりねって言われるのよ。あたし。」
「・・・・娘が父親に似て、何が悪い。」
「・・・・・。
ガウリイもガウリイで、文句ひとつ言わないでさ。
んで、黙々と作業してるのよ。そこがまた不思議なんだけど・・・・。」
「・・・・・・。」
「それにあたし、知らなかったわ。」
「・・・・・?」
「あたしに会う前に、ガウリイがと〜ちゃんに会ってたってこと。」
「・・・・・。」

目を輝かせて旅に出て行った娘が、久しぶりに家に帰ってくると。
その脇に、ぬぼっと立っていたのがまさか、あの時の青年とは。
男は夢にも思っていなかった。

「ねえ、どこでどんな風にして会ったの?」
「・・・・聞きたい、か?」
「う〜〜〜ん。・・・・ちょっと聞いてみたい。」
「教えてやんない。」
「なによ、それぇっ!聞きたいかってきいたじゃないっ!」
「きいてみただけだ。話してやるとは言ってねーぜ。」
「・・・・・・。」

リナはあきれ顔でため息をついた。
「と〜ちゃん。ぜんっぜん変わってないのね。」
父親はへ〜ぜんと答える。
「たかが三年で、何が変わるって言うんだ?」
「そりゃあ・・・・性格とか癖とか、簡単には変わらないものもあるけど・・・・。」
「お前は?」
器用に煙草をくわえたまま、父親が尋ねる。
「あたし?」
「お前は、何か変わったか?三年で。」
「・・・・・・・。」
今度は娘が黙った。

「・・・別に、大したことじゃね〜よ。」
黙ってしまった娘に、父親は何もなかったように話を続けた。
「辺鄙な漁村で、たまたま俺が声をかけたヤツが、あいつだっただけだ。」
「ふ〜〜ん。・・・それで?」
「それでも何も。それだけさ。」
「・・・・・へっ?声かけただけ?」
「まあ、そんなよ〜なもんだ。」
「ウソ。他になんかあったでしょ。」
リナの目がきらりと光った。
父親は動じない。
「どうしてそう思う。」
「だって。」自信満々に言い放つ娘。
「たったそれだけなら、ガウリイがと〜ちゃんのことを覚えてる訳がないもん。」
「・・・・そういやあいつ、俺の顔覚えてたな・・・。」
「何かあったの?」
「・・・・・・。」

問いかける娘の顔に、あの日出会った青年の、思いつめた表情が父親の脳裏に浮かんだ。
手にした剣を海に投げ込もうとしたのを見て、思わず声をかけたあの日のことが。

「ちょっとドンパチあってな。二人して巻き込まれちまったのさ。」
「へええ。そんなことがあったんだ。」
素直に感心してみせる娘。
「お前に無理矢理教えこまれた呪文も、その時に役に立ったぞ。」
「・・・・無理矢理って・・・。
あたしは覚えておいた方がいいと思って、教えて行っただけなのに。
でも、と〜ちゃんがあれ使ったってことは、結構大ごとだったんじゃない?」
父親の力量は、まだ15だった娘の目にも明らかだった。
普段、商家を営んでいるとは思えないほど。
「さあ。でも、あいつが光の剣を持ってたからな。」
「えっ、ガウリイも使ったの?・・・・まさか、相手は魔族?」
「まあな。」
「へえ・・・・。全然知らなかった。
でも、だからなんだ。
ガウリイがね、ぽつっと言ってたのよ。『お前の父ちゃんは強いな。』って。」
「・・・・・へえ。」
「野生のカンってゆ〜か、そ〜ゆうとこはケダモノなみに鋭いのよ。ガウリイって。」
「お前・・・・それ、褒めてんのか、けなしてんのか・・・?」
「両方。」
「・・・・・・・。」

そういえば、と、男は思いだした。
「けど、今は光の剣を持ってないみたいだな。」
「・・・・・・ああ・・・・うん。」
「・・・お前こそ、何かあったんだな?」
「ああ、まあ・・・ね。」
途端に歯切れが悪くなる娘。
父親は無理に問いたださず、釣果(ちょうか)を待つごとくにじっと黙る。
「まあ、いろいろあって、さ。
あれは結局、異界の魔王の分身みたいなもんで、手放すことになったのよ。」
「異界・・・・?またとんでもなくスケールのでかい話だな。」
「まあね。んで、それにはちびっとあたしにも責任があってさ。
だから、代わりになる剣探して、今は斬妖剣持ってるわよ。」
「なにっ!あの、伝説のかっ?」
「そ。偶然手に入れたんだけど、なんだか伝説の剣だの何だのって、その辺にゴロゴロしてるよ〜な気になったわ。」
「・・・・・・・・。」


小さい頃から、貪るように本を読みあさって育った下の娘。
上の娘とは全然性格の違う少女を、本の山から引っ張り出したのはこの父親だった。
釣りを教え、剣術を教え、時にはわずかな荷物だけを持って、一週間や二週間という短いがそれなりに実のある旅によく連れ出した。

それでも気がつけば、まるで呼吸するのと同じように膨大な知識を吸収して行った娘。
次第に顕著になる魔力の片鱗。
頭でっかちな人間にだけはなるなと。
旅立ちの朝まで諭した父親。

だが、きらきらとした目の持ち主が去ってしまうと、願わずにはいられなかった。
たとえその進む道が、平坦でなくても。
転んだり、すりむいたりするようなことはあっても。
魂までは、奪われてくれるな、と。

「・・・で、どうなんだ?」
振り返る父。
「世界を旅してきて。・・・やっぱり自分が、天才だと思うか?」
「・・・・・。」
その視線を逸らすか、それとも。
茫洋とした雰囲気は消え、一瞬、はりつめた何かが二人の間に流れる。

父は逸らさず。
娘も逸らさなかった。
「・・・・・。」
何も言わず、口の端をにっとあげる娘。
「・・・・・ったく、てめーは。」
それを目にして、同じようににやりと笑う父。
「まさか、誰もあたしには叶わない、な〜んてフザけた事を考えてるんじゃあるめーな?」
これには、父も驚く答えが返ってきた。
「あたしを誰だと思うのよ?」
どきりとする男。
勢いよくウィンクした娘は、こう言ったに過ぎなかった。
「とーちゃんの娘でしょーが。」
「・・・・・!」


・・・・おそらく。
想像するより遥かに、悩み、苦しみ、迷うことが多かったであろう、その旅を。
確かにくぐりぬけて、娘は帰ってきた。
それでも、輝きを失うことなく。
傷ついた分、それだけ強く、優しくなっていったのは。
ただ娘一人の、成果だろうか?

「・・・・あたしには誰も叶わない、とまでは思わないけど。」
何故か娘が、それまで逸らさなかった視線を、ふいと空に向けた。
「あたしが、叶わないなあと思ったヤツは。案外、近くにいたりしたもんでね。」
「・・・・・・。」
父もまた、水面に視線を戻す。
「・・・・・そうか。」
「・・・・・うん。」


男は立ち上がった。
片手をポケットにつっこんで、銀貨を幾枚か取り出すと、娘に放ってよこした。
器用に全て受け止めるリナ。
「それで、酒買ってきてくれるか。」
手のひらの上の銀貨を見つめ、リナは軽いため息をついた。
「また?かーちゃんに怒られるわよ。飲み過ぎだって。」
「いーからごちゃごちゃ言わずに行ってこい。
それと、今夜は夕飯いらないって言っておいてくれ。」
「・・・・?お酒買うのに、ご飯時に戻らないの?」
不思議そうな顔の娘に背を向けて、男は再び腰を降ろした。
「酒の肴が釣れてからな。」
「・・・・・あっそ。朝にならなきゃいいけど。」
リナは揶揄するように笑い、踵を返してその場から去った。



一人になって。
答えが返ってこない川面に向かい、男は低く呟いた。
「そろそろ解放してやるかな。今夜は、飲み明かすか。
・・・今まで守ってくれた礼と。
少なくとも、あいつ自身が一人前になった祝いに。」

煙草に火がついていれば、ふかしたいところではあった。
だが、愛妻家を矜持とする彼の煙草には、ここ数年、火がつけられたことはなく。
すっかりそれに慣れてしまった今。

「最初っから客扱いする気はなかったが・・・。
文句ひとつ言わないか・・・・。あの野郎・・・・。」
男は口の端をもちあげ、にやりと笑った。
ちょっぴり寂しそうな、どこか嬉しそうな笑みだった。
「あれが俺の息子になるのかねえ・・・・・?」


傍らの魚篭に、次々と肴が投げ入れられたのは。
それから、まもなくしてのことだった。

































==================================end.

「ことしの葡萄。」のおやぢバージョンです(笑)でも完全に諦めてないところが父親の悪あがき(笑)おやぢ、やっぱり好きだなあ(笑)リナのツッコミは絶対おやぢ譲りですよね(笑)<そっくり
魚は、何となくサシミにして食べてそう(笑)リナの魚好きは、おやぢの影響ぢゃないかなあなんて思ったりして。
リナも照れ屋だし、おやぢはああだし(笑)ストレートな会話ではなく、遠回しになんとなく親子を確かめるような、そんな話を想像して書いてみました。ままバージョンも考えてはいるのですが、一度書いてから気にいらず、最初っから書き直しになりそうです(笑)
では、なんてことはない、らぶらぶのない話ですが(笑)ここまで読んで下さったお客様に、愛をこめて♪
最近、お父さんとどんな話をしましたか?(笑)

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