「あなたの子供に生まれて」



「お待たせしやした。」
声をかけるのをためらったように、おずおずと主人が次の皿を運んできた。
空の皿を、運んで来たお盆に乗せ替える。
「・・・・・・うわ〜〜〜。おいっしそ〜〜〜っ。」

幾重にも重なったパイ皮は、こんがりとキツネ色によく焼けていた。
中央に切り込みが入り、そこからこの地方特産の果物のジャムがのぞいている。
濃色の赤い果実は、つやつやと光を放っており。
熱く熱せられたソースは、パイの周りを一周して彩りを添えていた。
甘酸っぱい匂いが鼻孔をくすぐる。
リナが、これが食べたいがためにこの街にまでやって来た、その目的がここに完成していた。
「どうぞ、熱いうちに召し上がって下さいよ。せっかくのパイですから。」
それだけ言うと、主人は重いお盆を抱えて戻って行った。

「・・・・いい匂い・・・♪」
リナはさくりと、パイにフォークをつきさす。
「ったく。これを食べないで何を食べろってね。
人に予約までさせといて、何やってんだか、あのクラゲは。
いいわよ、あたし一人でぜんぶ食べちゃうからね〜っ。」
あんぐりと口を開け、パイにかぶりつこうとしたリナの耳に、どかどかと走ってくる足音が聞こえた。
慌てて食堂に入ってきたガウリイだった。






「すまん!遅くなった!」
顔の前で、ぱん、と手を打ちつけて謝るガウリイを、リナはじっと見つめた。
「別にい〜わよ。たぶん、遅くなると思ったし。」
「・・・・ホントか?」
ガウリイが顔をあげる。
「積る話があれば、大抵、夕飯でも食べながら、ってことになるでしょ?
最初っから期待してないわよ、あたしは。」
「・・・・・すまん・・・。どうしてもって言われて、さ・・・。」
「ふ〜ん。それで?」
「・・・・・・・・・・・・。」


厨房の中から、皿を洗う音が聞こえてきた。
陽気に歌を歌う、ちょっと音痴なだみ声。
最後まで食堂に残っていたのは、リナとガウリイだけだったのだ。

「・・・・そのことなんだけどな・・・・・・。」
言いづらそうに、頭をぽりぽりとかくガウリイ。
「実は・・・・・。
話せば長くなるんだけど、さ・・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」





音痴な歌声をバックに、ガウリイの話は静かに始まった。

「・・・あんたの・・・子供じゃないの・・・・?」
リナが気が抜け切った炭酸水のような声を出す。
「それって・・・どゆこと・・・・?」
「ちょっと・・・事情があってな。」
ガウリイは、宿の主人が運び損ねた水をあおった。
「あの子の父親、つまりエレンの恋人は、オレの昔の傭兵仲間でさ。
エレンは、傭兵達がいりびたってた食堂の、おやっさんの娘だったんだ。
そんで、そいつとつき合うようになって、子供ができた。
だけどそいつ、エレンに子供ができたって知る前に、死んじまったんだ。」
「・・・・。」
「エレンがオレの名前を使ったのは、その事情のせい。
そいつ、ホントの傭兵じゃなくて。
国を出ちまった、とある国の王子様ってヤツだったんだ・・・。」
「・・・・・。」
リナが大きく目を見開く。
「父親の名前は絶対に出すな、って条件で。
エレンは、子供を取られないで済んだんだよ。
ずっと、誰にも言わずに、子供を育ててたんだろうな。
でも子供に聞かれて、思わずオレの名前を使ったって、何度も謝られたよ。
旅の傭兵くずれじゃ、たぶん二度と会わないだろうって思ったんだろう。」
「・・・・・・・。」
「そいつの名前、ホントの名前はエレンしか知らないけど。
皆には、ガートって呼ばれててさ。
エレンは、ガートと自分の名前を合わせて、ガレンってつけたんだそうだ。
そんで、オレの名前が思い浮かんだんだろうよ。」
「・・・・・なるほど、ね・・・・・・・。」


初めてリナが理解の色を示したことに、何故かガウリイは驚いたようだった。
「お前・・・・。
オレの話を信じてくれるのか・・・?
こんなの、オレの作り話かもしんないんだぜ・・・?」
言われて、リナはきょとんとし、次に目をぱちぱちとまばたかせた。
「何言ってるかな。
・・・だって、ガウリイは嘘をついてないでしょ?」
まっすぐな視線に、少したじろぐガウリイ。
「いや・・・それはそうだけどさ・・・。」
「・・・・あのね。」

リナは小さくため息をつき、やにわに手を伸ばすと、ガウリイの肩の防具をぽん、と叩いた。

「・・・・・あんたは。
自分に子供がいたら、絶対にほっぽったりしないヤツよ。
それは、あたしが保証する。」
「・・・・・・・。」
突然の言葉にあっけにとられたガウリイに、リナはふと優しい目になる。
「あんたと旅してきて。
少しばかり、あんたの事は他の人よりわかってるつもりよ。
あんたはそんな人間じゃない。
でなかったら、今まで一緒にいなかったわ。」
「・・・・・・・・。」


黙るガウリイ。
音痴な歌声に耳を澄ませて、くすりと笑うリナ。

「それに、あたしは自分の人を見る目も信用してるの。
でなきゃ、誰も彼も疑ってかかる、さみし〜人生送るよ〜になっちゃうでしょ?
・・・あの子が本当に、あんたの子供だったとしたら。
あんたは、このテーブルに座ることもなく、
『ごめんリナ、ここでお別れだ』
って、さっさとあの子の家に戻るわよ、きっと。」
「・・・・・リナ・・・・・。」
「そ〜でなきゃ、あたしの知ってるガウリイじゃないもの。
あんたはちょっとヌケてるけど。
責任逃れのために、堂々と嘘をつける人じゃないわ。」
「・・・・・・・・・・・・。」

手放しの褒め言葉は、リナの口から滅多に出ることはなく。
ガウリイは何故か、咽に熱いものを感じた。

「・・・・で。
結局、誤解は解けたわけ?」
「・・・・・・・・・。」
するとガウリイは、考え込んでいる顔になった。
リナは彼が口を開くのを辛抱して待った。
「そのこと、なんだけどさ・・・・・・・・・・。」
「?」
「実はリナに、頼みがあって来たんだ・・・・。」
「頼み・・・・・?」
「オレに、頼む権利があるかどうかわからないけど・・・・・。」
やっと口を開いたガウリイが言った。
「・・・・・・?」
「オレに、時間をくれないか・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・。」


音痴な宿の主人は歌う。
恋歌のようだった。
『泣く程辛い真実なら』
『嘘をつく方が優しいわ』
そんな文句が、風に乗って聞こえてきた。


「どゆ、意味・・・・?」
リナが組んでいた腕を解く。
「時間をくれって・・・。何かあるの・・・・?」
「・・・・・・・・・・・。
実は・・・・・・・・・・・。
エレンには、ほとんど時間が残されてないんだ・・・・・・。」





ガウリイは唇を噛んでいた。
「あとどれくらい、生きられるかはわからない。
正直、今生きてるのが不思議なくらいだって、医者は言うんだ。
エレンもそのことを知ってるし、ガレンもなんとなくわかってるみたいだ。
オレは・・・・あの親子を放って行けない・・・・・。」
「・・・・・・。」
リナはテーブルの上で腕を組む。
「母親が病気で、あの子は今まで結構我慢してきたんだと思う。
でも、父親だと思ってるオレが帰ってきたことで、きっと安心したんだろうな。
夕食の途中で、寝ちまったんだよ、あの子。
オレの膝の上でな・・・・・・・。」

その時の様子を思いだしたのか、自分の膝に目を落とすガウリイ。
リナはこくりと頷く。
「そだね。
放って行けないって、あんたの気持ちはわかるよ。」
「・・・・だから・・・。
しばらく、あの親子と一緒にいてやりたいんだ・・・。」
「・・・・・うん・・・・。」






二人は揃って食堂を出た。
宿は別棟になっていて、いったん外に出ないと、部屋へは戻れなかった。
一時、二人の歩みは一緒になる。
だが、別れる先でそれは止まった。

暗闇に浮かぶは街明り。
一つ一つの灯火に、暖かな家族の顔を見る思い。
疎外された気分ではなく。
そこにほんのささやかだけれど。
幸福な世界があるということが。
何となく嬉しい。
たとえ自分が、帰る灯火を持たなくても。


ガウリイが口を開く。
「どのくらいになるか、わからないけど・・・。
必ず後から追い掛けるから・・・・。
だから、街を移る時に、伝言を残してくれないか。」
「・・・・・・・。」

ガウリイは、ふと、視線を感じて顔を上げた。
そこには、何も言わず、じっとこちらを見つめるリナの瞳があった。
それはたじろぐほど。
強くて、真直ぐで。
二人はお互いの瞳を反射する。
しばしの、間。


ふいっと。
リナが肩をすくめた。
しょうがないわね、という顔で。
「わかった。」
「・・・・・・え・・・・・・?」
「わかった。」
「・・・・・待ってて・・・くれるってことか・・・?」

ダメだと。
あっさり片付けられてしまいそうで、ガウリイは覚悟していた。
だが、リナの口からあっさりと、そんな返事がもらえるとは。
「言ったでしょ。あんたと旅して、多少は他の人より、あんたのことがわかるって。」
そう言ったリナには、呆れたという表情も、どうでもいいという表情もなかった。
「魔道士協会に、次はどこに行くって伝言を残してあげる。
・・・・だから、あんたもがんばんのよ。」
「あ・・・・・ああ。」
「んじゃ。」


素っ気ないほどに、くるりと見せる背中。
すたすたと歩き出す、背中。

「・・・・・リナ!」


掴もうとした腕はすり抜けて。
行き場を失った手は、空しくて。
この時になって初めてガウリイは、自分が何を決めたか思い知った。

宿屋に向うリナの背中を、ガウリイは見つめる。


やがて入口のドアが開き。
ばたんと閉まった。
リナは振り返りもしなかった。


ガウリイは呟いた。


「それでこそ、リナだ。
・・・・・・・・・だからオレは。
お前とずっと、旅をしてきたんだもんな・・・・・。」



誰も拾ってやらない彼の呟きは、地面と。
皿を洗う水音に吸い込まれて行くだけだった。












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