「Close to Close」
〜汝の願いを言え〜


 ゼルガディスが一人、城の中に割り当てられた部屋で激しい雨音に耳
 を傾けていた。コツコツという人の足音に気付くとゼルガディスは扉を
 開いてその人物を呼び止めた。
 「…すまんがアメリアに会いたいんだが」
 この時間に部屋を訪ねるのは非常識だろうか、というゼルガディスに
 その侍女は快く案内を申し出てくれた。その侍女とともにホッと胸をな
 で下ろしてゼルガディスはアメリアの部屋へ向かった。
 「アメリア様、ゼルガディス様がお話をしたいそうです。お通しして宜
 しいでしょうか?」
 ノックに続けて侍女が呼びかけた。返事がない。もう一度同じように
 呼びかけたがやはり無反応であった。
 「―――アメリア」
 ゼルガディスがそのノブをまわし扉を押すと抵抗なくそれは向こう
 側へ開いた。ごおおと呻るような風の音とともに水飛沫が吹き込んでき
 た。ベッドのわきの窓が全開になっていてそこから雨が吹き込んでいる
 のだ。
 「これは?」
 そばの円卓の上に無造作においてあるそれをつまんで尋ねた。
 「薬です、眠り薬の包み紙です」
 アメリアの姿は見当たらない。
 「城の中を捜すように言ってくれ。俺は外を見てくる」
 青い顔をした侍女が肯くと走り去った。ゼルガディスはその窓から外
 へ飛び降りると唇を噛みしめた。
 雨が降りしきりほんの少し前の視界もきかない。容赦なく打ちつける
 雨がゼルガディスの体と心を冷やした。昼間みたアメリアの泣き顔がゼ
 ルガディスの浅慮を責めた。
 そして。
 そこ―――昼に2人で歩いた場所―――にその姿をみとめてゼルガ
 ディスはゆっくりと息を吐いた。
 「アメリアっ」
 ゼルガディスの声に振り返ってこちらを見た。
 「なにをしてるんだ、こんなところで」
 薬のせいなのだろうか、アメリアの視線は定まっていなかった。いつ
 からそこにいたのかアメリアはすでに濡れネズミだ。マントを外してア
 メリアの頭からかぶせた。その間も雨は叩き付けるように2人をうつ。
 ‘心ここにあらず’といった態のアメリアにゼルガディスはそれを呼
 び戻そうと言葉をさがした。
 「…おまえを傷つけようと思って言ったわけじゃないんだ。悪かった、
 もうあんなこと言わない。だから」
 ―――アメリアが口を開いた。
 「…夜の空に虹のかかった……星空に満ちた月が天空に…かくも美し
 く輝いたなら、どんな願いもかなえてあげよう。良くお考え、たった3
 つの願いごと、だけど早くお言い、ナイチンゲールの鳴く前に…」
 それは今朝よんだ童話の一節だった。
 顔を空に向けたまま熱に浮かされたように口ずさむアメリアの頬を
 ゼルガディスが軽く叩いた。アメリアが微笑んだ。顔はゼルガディスへ
 向いているものの視線はずっと遠くを見ている。
 「部屋に戻るんだ、こんな夜にいくら待ったところで月は見えない」
 雨音に声を消されまいと怒鳴るようにゼルガディスが言った。そし
 て夜に虹がかかることなどありはしない。抱き上げて連れ戻そうとする
 ゼルガディスにそれまでほとんど無反応だったアメリアが死にもの狂い
 の抵抗をした。ゼルガディスの手をのがれ這うようにしてそこから逃げ
 る。その肩をゼルガディスがつかむ。2人とも雨にぬかるんだ地面の上
 をころがり泥にまみれた。吐く息の音だけがお互いの耳にとどく。
 「アメリア、いいかげんにしろ」
 肩で息をしながらゼルガディスがぐいとアメリアの首根っこをつかん
 で自分の方を向かせて怒鳴った。アメリアの顔にも泥がかぶっていたが
 すぐに雨がそれを叩き落としてゆく。
 「……ゼルガディスさんなんて嫌い。嫌い…嫌い。…はなしてくださ
 い。はなし…ゼルガディスさんなんか…い」
 ゼルガディスがしゃっくりあげるアメリアに唇を重ねた。
 「―――好きだ」
 まるでゼルガディスのその言葉にそうなるべき力があったかのよう
 に、神懸かり的な性急さで突如として雨が、ぴたりと止んだ。しんとし
 た、しびれるような静寂のなかでゼルガディスが繰り返した。
 「好きだ」
 「ウソツキ」
 それはアメリアの口から出た言葉とは思えないほど辛辣に冷ややか
 に響いた。ゼルガディスはもう一度その唇を塞ぐ。2人の姿を月が照ら
 した。しばらくそうしてゆっくりとその背中に腕をまわすとアメリアを
 抱き起こした。冷たい…泥水の上に組み伏せたのだからそれはあたり
 まえのことなのだが。しかし、もちろん濡れているのも汚れているのも
 背中だけではなくすでに元の色をした部分を探す方が難しいという有様
 だ。前髪の乾いた泥をはらってやる。
 耳が痛いぐらいに静かだ。アメリアも雨とともに付き物が落ちたか
 のように抵抗もみせずゼルガディスの好きなようにさせていた。生ぬる
 い風が吹いてアメリアが震えた。それに気付いたゼルガディスがその体
 を抱き寄せた。温もりに身をまかせるというふうにアメリアはぴたりと
 ゼルガディスの胸に耳をあてた。
 「見て下さい、ゼルガディスさん」
 アメリアが囁いた。その普段通りの優しいアメリアの声にゼルガディス
 がほっと息をついてそれを見た。天空には星が瞬き、月が輝いてい
 た。そしてその月に隣接するようにして夜の虹の頂点がかかっている。
 ゼルガディスがその光景に眩暈を覚えた。アメリアが満足げな微笑を口
 元へ浮かべた。
 「あのお話のままですね。…ちょっと試してみましょうか」
 茶目っ気を含んだ口調。
 「―――1つ目のお願い。あの虹まで…ゼルガディスさんと一緒に」
 アメリアが震えるような小声で言うと、間をあけず体が浮いた。浮遊
 の呪文や翔封界の呪文が発動されたどちらの感覚とも違う。少なくとも
 ゼルガディスはそのどちらの魔法も使っていなかったし、記憶を失った
 アメリアは一切カオスワーズを使えないはずである。ゼルガディスの胸
 の中でアメリアの笑い声が響いた。はしゃいだようにアメリアが叫ぶ。
 「2つ目の願い事。花を、辺り一面にいっぱいの花を」
 抱き合うようにして空にあるアメリアたちを包み込むように花びらが
 舞い上がった。ゼルガディス達の眼下に花が咲き乱れその芳香をたちこ
 めさせた。
 どこかおかしな国に迷い込んでしまった…。耳元で響くアメリアの
 声がゼルガディスをより一層の混乱を引き起こさせた。
 「3つ目の願いはゼルガディスさんにあげます」
 まるきり、ファンタシィだ。
 それと同時に胸の中の自分が叫ぶ。今ならどんな願いも叶うはず。疑
 うな。
 「言ってください、望みを」
 アメリアがゼルガディスへ言った。促されたゼルガディスはかすれる
 ような声で言った。
 「アメリア、俺をためすな」
  ゼルガディスのアメリアをだく腕に力がこもりアメリアもそれにしば
 らく身を任せた。アメリアが背伸びするようにしてゼルガディスにキス
 をして言った。
 「ゼルガディスさん…もういいです、もういいんです。…でも忘れな
 いでくださいね、私のこと。時々でいいから思い出してください」
  ゼルガディスがアメリアをみつめた。
 「ゼルガディスさんが言えないなら私が言います。―――3つ目の願
 い、ゼルガディスさんのもっとも強く望む願いをかなえて下…」
 ゼルガディスがあっとうめいてその口を手でふさいだ。じっと目を
 見開きアメリアがゼルガディスをみつめる。
 その瞳に今までとは違う強い光が宿りはじめた。ゼルガディスがゆ
 っくりと手をはなす。
 「…ゼ…ルガディ…スさん」
 アメリアの瞳の端から涙がこぼれ落ちて微笑んだ。その表情をみたゼ
 ルガディスは悟った、願いの聞き届けられてしまったことを。そして、
 そのままゼルガディスの腕の中でアメリアは気を失った。

 アメリアを部屋へ連れ戻し侍女に後をまかせた後、ゼルガディスはそ
 のあしでフィルの元を訪れた。アメリアの記憶が戻ったことを伝える。
 すぐにも旅立つというゼルガディスにフィルはそれを思いとどまらせ
 ようと、まだ、本当に元のアメリアに戻ったか確かめてもいなうちに、
 と責めるような口調で言った。首を縦に振ろうとしないゼルガディスに
 フィルは‘こんな夜更けに追い出すような人聞きの悪いことはできな
 い’と半ば強引に客室に放り込んだ。もちろんゼルガディスはそこか
 らいくらでも逃げることはできた、たとえフィルが娘かわいさにせめて
 一目会わせるまではと何人もの近衛兵を部屋の前に配置させていたとし
 ても。しかしすでにゼルガディスにその気力はなかった。憔悴しきり、
 夢を見ないことだけを願い眠りについた。

 翌日。昼過ぎになりようやく目を覚ましたゼルガディスのベッドのそ
 ばにはアメリアがたっていた。
 「ゼルガディスさんっ!!」
 瞳がきらきらと光って満面の笑みを浮かべた。あまりにも正直に表情
に出てしまうため年齢よりも子供っぽく見えてしまうのだが、その笑顔
がいまのゼルガディスには哀しかった、もうあのアメリアはどこにもい
ないのだとおもいしらされる。そんなゼルガディスの思惑など気づける
はずもなくアメリアはお茶の準備を整えながら記憶を失っていた間の自
分がどんなであったかを父や侍女などから聞いたらしくおかしそうに話
した。自分ではその間のことを覚えていないらしくとても信じられない
というふうに話す。枕元に綺麗に洗濯されて置いてあるそれをアメリア
が後ろを向いているうちに袖を通すとゼルガディスはベッドから起き
た。
「どうしたんですか、ゼルガディスさん?」
 訝しがるような声色で尋ねるアメリアのほうを見ようともせずにゼル
ガディスはそのまま部屋を出ていこうとした。慌てて追いかけてきたア
メリアにゼルガディスが言った。
「…元気でいろよ」
「待ってください…どこ行くんですかっ。お茶ぐらい飲んで行ってく
 ださい、ゼルガディスさん」
 アメリアが泣きそうな声になったので慌ててゼルガディスは立ったま
 まそのカップを受け取った。一気に飲み干しそうなふいんきを察してそ
 うはさせまいとアメリアがゼルガディスの腕を引っ張ってコップを傾け
 られないように頑張る。アメリアがゼルガディスの気を引こうと、
 「いま、セイルーンの街で「これはびっくり、世界の魔法剣大集
 合!!」ってイベントやってるらしいんです。
 あとで一緒に見に行きませんか?」
  早口で言って、ゼルガディスが香茶をぶっと吹き出した。ほ、ほんと
 にやったのかあのおっさん。
 「悪いが、先を急いでるんだ」
 空になったカップをアメリアへ返した。
 「……ゼルガディスさん、どうして私を見ないんですか?」
 「気のせいだろ」
 やはり振り返らないゼルガディスにアメリアが言った。
 「また来てくれますよね」
 「そうだな…」
 アメリアが真剣な光をふくんだゼルガディスの瞳に胸がつまった。
 まさか、2度と会いたくない、なんて言われるんじゃ。
 ついつい悪い方へ想像をしてしまう。
 「おまえが俺を忘れてしまわないうちに」
 アメリアがぷっと頬をふくらませて言った。
 「じゃ、すぐに来てください。でないと忘れちゃいますよ、ゼルガディ
 スさんのことなんか」
 ゼルガディスが足を止めた。自分の言った冗談にシリアスな表情で自
 分をみつめてくるゼルガディスにアメリアはどぎまぎとした。
 「忘れるな」
 アメリアがその瞳をみつめかえした。
 「―――昨日、夢で会いましたね」
 その瞳と低い声に誘われて我知らずアメリアがそう言葉を発した。
 「そうかもな」
 「辺り一面の花びらの中を」
 ゼルガディスが哀しげに笑った。
 「飛んだな、一緒に」
 アメリアが瞳を開いた。
 「3つ目の願いに…」
 鼓動が激しく胸を打った。
 「ゼルガディスさんは、私を…私の記憶を取り戻すことを……」
 ゼルガディスがかっとアメリアをにらんだ。
 「…忘れろ、それだけは」
 そう言ってしまってからゼルガディスは自分がアメリアの問いかけを
 肯定してしまったことに気づいた。
 「じゃあ…あの時が夢じゃないなら、ゼルガディスさんは、望めば元
 の体に戻る事もできたのに」
 アメリアがうでを伸ばしてゼルガディスの背中を抱きしめた。
 「望めば……それを望まなかったのは…あれは俺のエゴだ。俺が…俺
 はアメリアを、3つ目の願いを譲ってくれたアメリアを裏切って」
 嘘をついたつもりも騙しているという自覚もなかった。アメリアは知
 っていたに違いない、俺の本心を。そして、その結果がこれだ…。傷
 つけて、偽りの言葉で苦しめそして彼女の存在を否定した。最悪だ…
 せめてアメリアにだけは知られたくなかったのにそれも思い出してしま
 った。
 「ゼルガディスさんは誰も裏切ってなんかいません。そうだ、わたしも
 ゼルガディスさんと一緒に旅にでようかな、そしたらあっという間にそ
 んな変なこと考えなくなりますよっ。ね、連れてって下さい」
 アメリアの唐突な申し出にゼルガディスがようやく苦笑を浮かべて
 首をよこに振った。
 「忘れないでくれって…そのぐらいは守ってやらないと可哀相だ」
 「いやです。そんな悲しそうな瞳で私を見ないで下さい。一緒にいます、 そばにいます」
 「つらいんだ…同じ顔で…同じ顔なのにあまりにもお前とは違いすぎ
 るのが……」
 「そんな…それじゃゼルガディスさん、もう2度と私を見ないつもり
 なんですか」
 アメリアが泣き出した。…昨日もこうやってアメリアを泣かせたな。
 ゼルガディスが苦笑する。いや、今日のこれはもっと質が悪い。泣くだ
 ろうことをわかってて言ったのだから。目の前に立つアメリアを傷つけ
 て、昨日裏切ったアメリアへの購いにしようとしている。結局自分のし
 たことといえば、2人のアメリアを傷つけるようなことばかりだ。あの
 アメリアを裏切り、このアメリアを傷つける。
 「私が……そんなにもゼルガディスさんを傷つけてしまったんですね」
 「なにを…」
  思いもよらないアメリアの言葉にゼルガディスが絶句した。いつのま
 にかアメリアは泣き止んでいた。涙の跡がその顔にくっきりと残っては
 いたものの晴れやかな表情で言った。
 「私が苦しめてるんですね。…でも、ゼルガディスさんが2度と会い
 に来てくれないっていうなら、私がゼルガディスさんを追いかけるしか
 ないじゃないですか。絶対に一緒にいきます!」
  きっぱりと宣言した。―――確かに彼女を想うと胸が痛むのに…贖
 罪の気持ちがなくなった訳じゃないのに…気持ちが揺らぎそうになる
 自分を叱咤する。そっと自分の腰にまわされたままのアメリアの指先を
 ひきはなした。
 「時間をくれ。……忘れることはできないけど……」
 言いながらゼルガディスは自分に舌打ちしたくなる。この先に続け
 ようとしている言葉は俺の本心なのか。それともただアメリアを落ち着
 かせるためだけのその場限りの言葉なのか。昨日、彼女に向けて言った
 言葉の本心はどうだったのだろう、抱きしめた腕はどういうつもりで彼
 女に触れた?……もう遅い、もう彼女はいない。そして自分の胸に手
 をあてる。懺悔を聞く相手は、ここにしかいない。
 「…きっと会いにくる」
 それでも今はそう言うしかない。でなければ本当にこいつはついてくる
 だろう、どこまでも。それを想像してゼルガディスが小さく笑った。

++++++++++++++++++++


 あれからどれだけの時間が流れたのだろう…短くもあり長すぎる時
 間を過ぎたようでもある。星が瞬くとき、強い花の香りに酔うとき…
 様々なときに彼女を想い出す。ときに胸が裂けるような哀しみととも
 に、ときにそれは優しい光となって胸の中に満ちる。
 ―――……元気でいるだろうか。
 むしょうに会いたくなる。俺に会ったら笑ってくれるだろうか、あ
 の大きな瞳をきらきらさせて。それともまた泣き出すだろうか、優しい
 微笑を浮かべながら。ゼルガディスが相変わらずの自分の人間離れした
 姿に視線をうつした。そして苦笑をうかべる。どっちにしろアメリアは
 言うに違いない。
 「約束を守って会いにきてくれたんですね」
  そして、
 「たとえどんな姿をしていてもゼルガディスさんはゼルガディスさんで
 す」
  と。










END