「あなたの子供に生まれて」



低く、低く。
たれ込めた雲は重苦しく。
まるでのしかかる重圧のように、その街の上空を取り巻いていた・・・・。






「お父さん!お父さんでしょう!?」

突然かけられた言葉は、あまりに唐突で。
最初、ガウリイは自分に対する呼び掛けとは気づかなかった。
「ガウリイっ・・・・。」
隣を歩くリナの、驚いた顔と。
自分の背後を指差す、その姿でやっと振り返ったのだ。
子供が、じっとこちらを見上げていたことに。

5才、6才くらいだろうか。
くしゃくしゃの髪は黄金色。
大きく見開かれた、きらきらとこちらを見つめる瞳は、空のような青。
だがこの街の空はくすんでいて、少年の瞳とは似ても似つかなかった。
ぺこりと一礼した彼を見て、リナはどこかでこの少年を知っているような気がした。
「あの、あなたのお名前はガウリイ=ガブリエフ、というのではありませんか?」
期待に満ちた眼差し。
そう言ってほしいと、全身が言っている。
勿論、その名前は本当に合っていた。
「・・・・そうだけど・・・。どっかで会ったか、坊主・・・・?」
ぽりぽりと頭をかきながら、ガウリイは腰をかがめる。

長身、金髪碧眼の青年。
同じ色の髪、同じ色の瞳の少年。
そして。
リナは黙って成りゆきを見守る。

「ああ、やっぱり!」
安堵とも、歓喜ともとれるため息を漏らし、少年はさらに目を輝かせてこう言った。
「やっぱり!ぼくのお父さんだ!」
「・・・・・・・えっ・・・・!?」
とまどうガウリイの腰に、少年は飛びついてきた。








「お母さん!お母さん、来て!」
「お、おい、ちょっと・・・・」
話という話もせず、懸命に手を引っ張る少年になかば引き摺られる形で、ガウリイとリナは町外れの一軒の家に辿り着いた。
こぢんまりとした赤い屋根を持つ家で、手彫りのドアプレートがかかった扉が中から開かれた。
出て来たのは、エプロンを身につけた女性だった。
「ガレン、一体今までどこへ行っていたの、あなたは・・・」
厳しさが潜んだその声が、途中で途切れた。
「あなたは・・・・・まさか・・・・・?」
唇が震えていた。
ほっそりとした手があてられる。
「まさか・・・・・・・・ガウリイ・・・・・・?」
「・・・・・・・・エレン・・・・・君か・・・・・?」

一瞬の間、見つめ合う二人。

少年はせきこんで、二人の間に得意げに割って入る。
「お母さん!この人だよね?ぼくのお父さんって、ガウリイ=ガブリエフっていうんだって、言ったよね?
だから、この人がぼくのお父さんなんだよね?」
「ガレン・・・・・」
エレン、と呼ばれた女性は、息子と、そして旧知の顔とを見比べた。
「ガレン、あなた・・・」
「ぼく、街でこの人を見つけたんだ!この人、女の人にガウリイって呼ばれてて!
それでぼく、きいてみたんだ。
ぼくのお父さんですか?って!
そしたら、ホントにぼくのお父さんだったんだよ!」
「・・・・・・・・。」

そこで初めて、エレンはガウリイの後を歩いてきたリナに気がついた。
目と目が合ったリナは、何ともつかない顔をしていた。
「え、えっと、あの。
な、なんかお取り込みみたいだから、あたし、いない方がいいみたいね。」
ぱたぱたと手を振る。
「そ、そんじゃ、ごゆっくり〜〜〜〜♪」
何故か頭に手を置いて、ぺこぺこと下げながらリナがその場を離れようとした。
エレンが慌てて声をかける。
「あ、あの!ここじゃ何ですから、中へ・・・・」
「い、いえ、他に用事もありますから〜〜〜っ!」
そそくさと去るリナ。

「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
お互いの顔を見て、沈黙するガウリイと、エレン。
少年は怪訝そうに二人を見比べる。
ガウリイが口を開いた。









すたすたと、リナは歩いていた。
元来た道を、ほとんど何も考えず。
自分がいつのまにか、どんどん早足になっていることにも気づかなかった。
ざくざくと砂利道を踏む足音だけが、妙に耳の中で谺していた。

ざくざくざくっ。

背後から、別の足音が聞こえた。
走って近付いてくる。
それが何なのか、リナは考えなかった。
「待てよ、リナっ・・・!」
かけられた声は、とんでもなく遠くから聞こえてきたかのようだった。
リナは振り向かない。
「待てって・・・!」
腕をぐいと引かれ、ようやくリナは、ガウリイがすぐ後に追い付いて来たことを知った。
「・・・・・・・。」
ふ、とリナがため息をつく。

くるりと振り向いた顔は、いつもの顔で。
軽く揶揄するような調子で、リナは肩をひょいっとすくませる。
「何やってんのよ、あんた。せっかく席を外してあげたのに。」
「・・・・あのな・・・・。」
「別に気を使わなくていいわよ。先に宿に帰ってるから。
あんたは、戻ってちゃんと話を聞いてきなさい。」
「・・・・・リナ・・・・・。」
ガウリイが何かを言おうとすると、リナが先を制して言葉を紡いでしまう。
「言っとくけどっ!
あんたの過去に何があったとか、あたしは詮索する気はも〜と〜ないからっ。
・・・だけどね。」
腰に片手をあて、もう片方の手は人さし指を立て、リナはいつものポーズをする。
「一つだけ言わせてもらえば。
ああいう大事なことを、うやむやにするよ〜な男は、最低だからね!」
「・・・・・・・。」
ガウリイは何も言えず。
何も言わず。
ほんの束の間の沈黙が流れる。

「じゃ、あたし行くから。
あんたは、ちゃんとすることすんのよ。」
くるりと背中を向け、片手をぴらぴらと背後に振るリナ。
片足が、ざくりと砂利道を踏み出す。
「・・・・!待てっ・・・・!」
ガウリイも片足を踏み出し、その腕を再び捕らえる。
「何よっ・・・」
怒ったような声が、背中から聞こえた。

「宿で・・・待っててくれないか。」
「・・・・・・。」
ガウリイの申し出を、リナはまるで断わる理由を探しているように考えこんでいた。
「先に戻って、待っててくれ。夕食までには、帰るから。」
「・・・・・・。」
また、返事がない。
ガウリイは内心の焦りを押さえ付けようと必死で、言葉を探す。
「夕食まで。夕飯までには帰るから。
・・・・だから、待っててくれ。リナ。」
「・・・・・・。」

この手を離せば、リナがどこかへ飛んで行ってしまう。
ガウリイの胸には、そんな強迫感にも似た思いが漂っていた。
一言も言わず。
別れの挨拶も交わさず。
宿にも帰らず。
このまま。
どこかへ。
そんなガウリイの心を知ってか知らずしてか、リナは空を見上げていた。
思わずガウリイの指に力が入る。

「・・・・放して。」
「・・・・。嫌だ。」
「・・・・放して。」
「・・・・嫌だ。」
「放してってばっ!」
「嫌だ!」

「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
ほんの少しでもいい、こちらを振り向いてほしい。
ガウリイはそう願った。
だが、願いは叶えられなかった。
「放してよ。でないと、呪文で吹っ飛ばすわよ。」
「嫌だ。そん時はお前さんも一緒に吹っ飛ぶんだぞ。オレはこの手を放さないからな。」
「・・・・・・・。」
強くは言いたくない、その迷いが、声の調子に現れていた。
「・・・頼む。夕飯までには必ず戻るから。
・・・だから、待っててくれ。リナ。」
「・・・・・・・・・。」
リナが空を見上げるのをやめた。
「・・・わかったわ。今晩は、あの宿に泊まる。
・・・どこにも、行かないから。」
「・・・・・リナ・・・・」
「だから、その手を放して。」

放したくはない腕を放し、ガウリイは意に反して後ずさる。
「・・・・必ず、戻るから。」
「・・・はいはい。わかったわよ。」
早く行け、と言わんばかりに。
リナはまたぴらぴらと、背中越しに手を振ってよこした。









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