「あなたの子供に生まれて」




「どうします、次の皿持ってきていいですかね。」
宿の主人が、そのてかてかと光る寂しい額をこすりつつ、困ったように言いに来た。
大皿のサラダをつついていたリナは、ぼんやりとした視線をあげる。
「え・・・・?あ、ああ。お皿ね、お皿。うん、いいわよ。持ってきて。」
「・・・しかし・・・あんたさん一人で、全部食べきれるんですかい?」

テーブルの上には、まだ手のつけられていないメインディッシュと、なみなみと注がれたまま全然減っていないワイングラス、薄くスライスしたバゲットが並ぶ籐製の籠が、それぞれ二つずつ脇に並んでいた。

「予約されてたのは二名様ですし、こっちも時間がありやすから、コースを始めさせていただきやしたが・・・あの・・・本当に良かったんで?」
主人はちらりと、テーブルの反対側の空席を見やる。
リナはワイングラスに手を伸ばし、片手をぱたぱたと振った。
「いーのいーの、遅れて来るヤツが悪いんだし。
前金で払っちゃってるんだから、食べなきゃソンってもんでしょっ?
いいからどんどん持ってきちゃって!」
「・・・はあ・・・・。」
もう一度、空席に視線をやると、主人はそれ以上何も言わず、次の皿を運ぶべく厨房へと戻って行った。


空になったグラスをたん、とテーブルの端に置き。
リナは腕を頭の上で組み、椅子に寄り掛かる。
「ガウリイ・・・・・・。」
空席の主の名前ではある。
だが、名前を呼ぶために呟いたのではない。
「エレン・・・・。」
街外れに住む、見知らぬ女性の名前。
見知らぬ、のはリナだけで。
ガウリイとエレンは、旧知の仲のようだった。
「ガレン・・・・・・。」
ガウリイを街で呼び止めた、少年の名前。
髪と目がガウリイにそっくりな、ガウリイを父親と呼んだ少年。
そう、あの少年とはどこかで会った訳ではない。
いつも傍にいて。
それと気づかなかった、自分の旅の連れに。
似ていたからなのだ。

リナは何の表情も浮かべないまま、呟いた。
「ガウリイ、エレン、ガレン。・・・・こりゃあ、決定的かもね・・・・。」



「お待たせしやした。」
声をかけるのをためらったように、おずおずと主人が次の皿を運んできた。
リナが無理矢理詰め込んだ料理の乗っていた、空の皿を、運んで来たお盆に乗せ替える。
「・・・・・・。」
幾重にも重なったパイ皮は、こんがりとキツネ色によく焼けていた。
中央に切り込みが入り、そこからこの地方特産の果物のジャムがのぞいている。
濃色の赤い果実は、つやつやと光を放っており。
熱く熱せられたソースは、パイの周りを一周して彩りを添えていた。
甘酸っぱい匂いが鼻孔をくすぐる。
リナが、これが食べたいがためにこの街にまでやって来た、その目的がここに完成していた。
「どうぞ、熱いうちに召し上がって下さいよ。せっかくのパイですから。」
それだけ言うと、主人は重いお盆を抱えて戻って行った。

「・・・・いい匂い・・・。」
これが食べたいのだと、懇切丁寧に説明し、その熱意をふんだんに盛り込んで説得した時。
ガウリイはぽん、と手をついて言ったのだ。
『そういや、お前さん。
そろそろ誕生日だって言ってなかったっけ。』
リナは記憶の中の自分の声を蘇らせる。
『よく覚えてたわね〜〜〜〜〜〜あんたが!
こりゃ、早いとこ街に行かないと、雪が降るに違いないわっ!』
『〜〜〜〜あのなああ。
ちぇ、せっかく奢ってやろうと思ったのに、これはやめた方がいいっかな〜。』
『なぬ!?奢る!?・・・・あんたが!?』
『〜〜〜〜〜わかった。も〜言わん。』
『や、ちょっと、待ってよっ。すまんごめんゆるせっ、ガウリイっ。
ちょ〜〜〜っと本音がぽろっと、このお口からね・・・』
『許さんっ。』
『神様ガウリイ様〜〜〜〜〜〜。冗談だってば〜〜〜〜〜っっ。』

フォークが、さくりとパイに刺さった。
「ったく。やっぱりどっかヌケてるんじゃない。あんたは。」





食事を終え、リナが食堂を出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
食堂と宿は別棟になっているので、一旦外へ出て、宿の入口に回らなければならなかった。
美味しくないワインが、頬を熱くしたのがうざかった。
夜風にあたろうと、リナはのんびりと、その短い距離を歩いた。

ざっざっざっ!

急いで走ってくる足音が聞こえ、リナは顔をあげる。
街明りの中、通りを走ってくるのは、他の誰でもなかった。
「リナ!」
リナを見つけ、彼は足を止めた。

「すまん!遅くなった!」
顔の前で、ぱん、と手を打ちつけて謝るガウリイを、リナはじっと見つめた。
怒鳴る気にもならなかった。
「別にい〜わよ。たぶん、遅くなると思ったし。」
「・・・・ホントか?」
ガウリイが顔をあげる。
「積る話があれば、大抵、夕飯でも食べながら、ってことになるでしょ?
最初っから期待してないわよ、あたしは。」
「・・・・・すまん・・・。どうしてもって言われて、さ・・・。」
「・・・で?」
「・・・・・・・・・・・・。」


食堂の中から、皿を洗う音が聞こえてきた。
陽気に歌を歌う、ちょっと音痴なだみ声。

「・・・・そのことなんだけどな・・・・・・。」
言いづらそうに、頭をぽりぽりとかくガウリイ。
・・・・声の調子でわかるわよ。
と、リナは思わず言いそうになった。
「知らない仲じゃなさそうだし。ホントの話だったんでしょ?」
腕組みをして、リナは話を続ける。
本来ならば。
込み入った話は部屋の中で、と、いつもなら言ったかも知れない。
だが、宿の部屋の中で。
二人っきりで話を聞くのは、何となく嫌だった。
たとえ音痴な歌声でもいい、他の人間の気配がするところがいいと、リナは考えていた。
「なら、あんたの取る道は一つよね。
子供の父親はあんた。
子供がいて、その母親も見つかった。
しかも母親は、あんたに頼らず、一人であの子を5年だか6年だか育ててきた。
このことをじゅ〜〜〜ぶん、謝った上で!
親子三人、これから仲良く幸せに暮らすってのが、スジってもんよね!」

そう。
スジなのだ。
筋道だてて話を進められるなら、こんなに楽なことはない。

「・・・・リナ・・・・オレは・・・」
何かを言おうとするガウリイを、またもリナは制する。
「他に道がある?
あんたはこれから、二人に苦労かけた分まで、きっちし返してくのよ?
・・まあ、あたしが見たところ、ちょ〜〜〜っとヌケてるとこはあるけど、その剣の腕を生かして、道場の師範になるとか、近所の子供相手に剣を教えるとか、いろいろ生活する手はあるんじゃない?
だいじょ〜ぶよ、ちゃんとやってけるってば。」
「・・・・・あのな、オレは・・・・」
「だいじょ〜ぶ。あんたは、このあたしが保証するわ。」
ぽん、と、ガウリイの肩の防具に手をかけるリナ。
夜気に、そこは冷えきっていた。

「あんたは。
自分に子供がいたら、絶対にほっぽったりしないヤツよ。
それは、あたしが保証する。」
「・・・・・・・。」
言葉を飲み込んだガウリイに、リナはふと優しい目になる。
「あんたと旅してきて。
少しばかり、あんたの事は他の人よりわかってるつもりよ。
あんたはそんな人間じゃない。
でなかったら、今まで一緒にいなかったわ。」
「・・・・・・・・。」


黙るガウリイ。
相変わらず音痴な歌声に耳を澄ませるリナ。

「リナ・・・・・・・・。
オレに、頼む権利があるかどうかわからないけど・・・・・。」
やっと口を開いたガウリイが言った。
「・・・・・・?」
「オレに、時間をくれないか・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・。」

音痴な宿の主人は歌う。
恋歌のようだった。
『いつまでも離れない』
『いつまでも信じてる』
そんな文句が、風に乗って聞こえてきた。

「どゆ、意味・・・・?」
リナが組んでいた腕を解く。
「・・・・・・・・。」
言葉を探すガウリイ。
「詳しくは・・・・・・・後で話す、ってのはダメか・・・・。」
「・・・・・・・。」
リナがふたたび腕を組む。
「・・・・・話は今はきくな。でも、頼みがある・・・・・ってわけ?」
「・・・・・・・。」

言い籠められて口をつぐむガウリイ。


暗闇に浮かぶは街明り。
一つ一つの灯火に、暖かな家族の顔を見る思い。
疎外された気分ではなく。
そこにほんのささやかだけれど。
幸福な世界があるということが。
何となく嬉しい。
たとえ自分が、帰る灯火を持たなくても。


微笑みすら浮かべたリナに、ガウリイは唇を噛む。
自分が腑甲斐無くて。
情けなくて。
でも。
離しちゃいけない手は、間違えたくなかった。

「待てって言われても。どのくらい待てばいいのよ。」
静かに問う声に、何を言えばいいのか。
何が言いたいのか。
口ベタな自分がこれほどいまいましいことはなかった。
「わからない・・・・。
だけど、必ず追いかけていくから。
ただ、今は・・・・・・・・・。」



いつのまにか、歌は止んでいた。
皿を洗う水音だけが響いてくる。


言い倦ねて俯いたガウリイは、ふと、視線を感じて顔を上げた。
そこには、何も言わず、じっとこちらを見つめるリナの瞳があった。
それはたじろぐほど。
強くて、真直ぐで。
二人はお互いの瞳を反射する。
しばしの、間。


ふいっと。
リナが肩をすくめた。
しょうがないわね、という顔で。
「わかった。」
「・・・・・・え・・・・・・?」
思わず拍子抜けして、気の抜けた声が出てしまうガウリイ。
「わかったって・・・・・リナ・・・?」
「うん。だから、わかった。」
「・・・・・待ってて・・・くれるってことか・・・?」

ダメだと。
あっさり片付けられてしまいそうで、ガウリイは覚悟していた。
そんなムシのいい話があるか、さっさと行ってしまえ、と。
だが、リナの口からあっさりと。
そんな返事がもらえるとは。

「言ったでしょ。あんたと旅して、多少は他の人より、あんたのことがわかるって。」
そう言ったリナには、呆れたという表情も、どうでもいいという表情もなかった。
「今は話せないってことは、何か事情があるんでしょ。
どっちにしろ、あんたが子供をおっぽってくとは、どうしてもあたしには思えないのよ。
なのにあんたは後から追いかけてくるって言うんだから。
・・・次の街にいるわ、あたし。」
「リナ・・・・・」
「どうせ、仕事を見つけないと、そろそろ路銀も寂しいしね。
・・・・でも言っておくけど、そんなに長くはいないわよ。」
「・・・・ああ・・・・・ああ。」
「んじゃ、これ以上きかない。」

素っ気ないほどに、くるりと見せる背中。
すたすたと歩き出す、背中。

「・・・・・リナ!」


掴もうとした腕はすり抜けて。
行き場を失った手は、空しくて。
それでも。
ガウリイは諦めたくはなかった。


宿屋の入口に向うリナの背中を、ガウリイの声が追い掛ける。
「必ず戻るから!
リナ、それまで怪我とかするんじゃ・・・・」


入口のドアが開き。
ばたんと閉まった。
リナは振り返りもしなかった。

ガウリイは呟く。


「それでこそ、リナだ。
・・・・・・・・・だからオレは。
これからも、お前と旅を続けたかったんだ・・・・・・・・・。」



誰も拾ってやらない彼の呟きは、地面と。
皿を洗う水音に吸い込まれて行くだけだった。












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