『ぼくに関わる物語』





 
 
 
「うわぁああああああっ!!」
 
男の人の悲鳴が森に響きわたった。
木の上で昼寝をしていたぼくは、驚いて落ちてしまった。

どささっ! 
「いた………」
別にどうでもいいけど、柔らかい土の上だったから怪我はしなかった。
がさりと草むらから這い出してみると。
「………なんだあ?」
いきなり、ぎょろりとした目玉に会った。
「!」

細い山道の上に、数人の男達が立っていた。
見るからにむさ苦しい、人相の悪い男達だ。
何日もお風呂に入っていないような、汚らしい格好に、ぎらりと光る凶悪そうな武器を持っていた。
「……………………」
何も言えずに固まってしまう。
 
「…………坊主…………。」
ぎょろりとした目玉の男が、唇をひきつらせてにやりと笑った。
「ここで見たことは、家に帰っても誰にも言うなよ。」
いつのまにか、長い刃がぼくの咽に当てられていた。
冷たい鋼の感触に、ごくりとつばを飲み込む。
「わかったな………?坊主…………。」
鋼の上を、男の声が滑り落ちてくる。
 
ぼくは刃に触れないよう、最小限の動きで首を縦に振った。
光る刃がすらりと去ると。
その向こうに、血まみれのズタ袋のようなものが見えた。

「わかったんなら、さっさと帰りな。坊主。
母ちゃんが心配してるぜ………?」
やっとの思いで立ち上がり、ぶるぶると震える足取りで踵を返すぼく。
その背中を、いつまでもいつまでも男の声が追いかけてくるようだった。

「さて、寝ぐらに帰るとするか。
いつまでもあんな陰気な穴ぐらにいるのも飽きたがなあ。
待ちぼうけくらってる四人を放っておくわけにもいかねえし。」
「おい、そんな事をここで言ってどうする。あのガキが喋りくさったらどうするよ。」
「は!何にしねえよ、あの坊主は。何にもできねえのよ、あのタイプはよ。」
長々と続く笑い声が、ぼくの足をどんどん早くさせた。
 

ぼくは一度も振り返らなかった。
あの血まみれのズタ袋が。
袋ではなく、人間だと知っていながら。
 
 
 
 
 
 
 
 
「いらっしゃいっ!はいお待ちっ!はいどうぞっ!」
店の奥で忙しく立ち働いている母さんが、ぼくに気がついて顔をしかめた。
「なんだいなんだい、今頃帰ってきて!
店の手伝いをしろってあれほど言ったじゃないかっ!どこで昼寝してきたんだいっ!」

厨房では、さかんにあがる炎の向こうに、黙々とフライパンをひっくり返す父さんがいた。
眼鏡が汗と油で汚れ、拭う暇もなくただ同じ作業を繰り返している。
「聞いてるのかい、全く。手と顔を洗って、ついでに根性を叩き直しておいで。
いつまでもぼんやり突っ立ってるんじゃないよ。仕事はたくさんあるんだからね!」
言いたいことだけを言うと、母さんはぱっと表情を変え、お客さんににこにこする。
「ありがとうございましたっ!またどうぞご贔屓にっ!」

食べ物の匂いと騒々しい会話、椅子や食器ががたごと言う、これがぼくの家兼食堂兼宿屋だ。
「ちょっと、お待ちっ!」
母さんの制止も聞かず、ぼくはさっさと二階にあがる。
ドアを閉め、小さな部屋にこもればそこは、ぼくだけの世界。
 

関係ない。
山賊が誰を襲おうが。
関係ない。
店が忙しくても。
関係ない。
父さんが何も言わなくても。
ぼくには関係ない。
 
そのまま全部忘れて眠ってしまっても、ちゃんと次の日も朝は来た。
ほら、何にも関係ない。
ぼくがいなくても世界は回るんだ。


 
 
次の日、母さんにこっぴどく叱られ、ぼくは朝から食堂を手伝っていた。
父さんはぼくの顔を見ても何も言わなかった。
もう何日も、一言も交わしていない気がする。
 
昨日見たことは、誰にも言わなかった。
だって聞かれなかったから。
ぼくが言っても、言わなくても。
何も変わらないから。
 
水を運んでいったテーブルで、顔色の悪い人達が何かこそこそ話し合っていた。
「あちらの街は出ているのに…………」
「このままでは不足して…………」
「何故この店にだけ…………」
低い声で呟きながら、しきりに厨房の方を伺っている。
うちに何かあるんだろうか?

でもぼくは何も尋ねず、水だけを置いてきた。
ぼくには関係ないから。



「おっちゃ〜〜ん!この唐揚げと煮込み、一皿ずつ追加ね〜〜!」
まん中のテーブルから、大きな声がかかった。
子供のような高い声だけど、子供じゃなさそうだった。
「あのなあ、リナ。どう見てもあれはおっさんじゃないだろうが。」
一緒のテーブルにいた男の人が、呆れた声を出した。
「それに、まだ食う気か?さっきお好み焼き三枚食べたばっかりだろ?」
「何言ってんのよ、ガウリイ。三枚って、あんたなんか五枚も食べたじゃない!
唐揚げと煮込みは、差し引き二枚分よ、二枚分。」
「何もオレと同じ量食わなくたっていいんだぞ。
その栄養がムネに行くんならともかく、血の気に回るとオレが苦労する。」
「な・ん・で・すっ・て、ガウリイ?
あんた、ちまちまと引っかかるよーな事、言わなかった?今?」
「へ?そうだったか?………本当の事を言っただけなんだが。」
「っっか〜〜〜〜〜〜っっっ!!!上等じゃないのよ!
ええい、そこへなおれっ!天下の美少女魔道士、このリナ=インバースが打ち取ってくれるわっ!
ていていっ、頭が高〜〜〜〜いっ!!」
「いててててっ!オレの頭は針山じゃねーぞっ!フォークで突くなっ!」
 
食堂中の注目を浴びて、男女二人の組み合わせが漫才のようなことをしていた。
「…………………」
思わず目が点になるぼく。
世の中、変わった人達もいるものだ。
ぼくには関係ないけど。
 
ぼくよりは年が上そうだけど、まだ大人には見えない女の子が、ぼくを見て、ちっちっちと指を振った。
「あんた、ここの家の子でしょっ?注文入ったんだから、きびきび動く!
唐揚げと煮込み、それとお好み焼きもう一枚追加、ヨロシクね!」
「……………………」
なんで関係ない人がぼくにお説教するんだろう。
返事をするのも馬鹿らしくて、ぼくは視線を合わせないようにした。
 

母さんが慌てて奥から出てきた。
「すいませんねえ、気がきかなくて!
あんた!唐揚げと煮込み、お好み焼き二枚追加ねっ!
あいすみません、一枚はサービスでつけさせていただきますんで!」

こんな変な人達に謝らなくてもいいのに。
どうせぼくには関係ないけど。

どうでもいいことだったので、ぼくは料理を受け取ろうと厨房に向かった。 
料理を受け取って振り返ると、さっきの女の子が、近づいてきた母さんに何か言っているようだった。
母さんの顔が、さっと青ざめたのが見えた。
すぐにいつもの仕事の顔になって、いつものにこにこ顔に戻ったけれど。

なんだったんだろう。
どうせぼくには関係ない。

……………関係ないけど。
ぼくはあの母さんの笑顔がいやだ。
いつもにこにこたくさん振りまいているから。
誰に何を言われても、お客さんには必ず向けているから。
あり余るほどの笑顔なのに。
ぼくは見ていて、時々吐き気がする。
 



その時、どかどかと乱暴な足音がして、制服を来た街の検察隊がやってきた。
青い服に黄色いスカーフをまき、一人は羊皮紙の束を抱えている。
「ちょっと聞いてもらいたい。」
勇ましい顔の一人が、おそらく検察隊の隊長だろう、光るバッジをつけた胸を反らせて大きな声を出した。
「最近、この街へ向かう山道で、商人が山賊に襲われている。
誰か、何か知っている者はいないか。」
 





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