『ぼくに関わる物語』




皆が食事の手を止め、黙り込んだ。
誰も顔をあげようとしない。

母さんがずいっと前に出た。
「すいませんが、お客さんは食事中なんですよ、そういうのは外でやってもらえませんか。」
「なに、非協力的な店だな。
我々検察隊が、この街を守ってやっているんだぞ。それを忘れたか。」
母さんよりずっと背の高い、たくましい体つきの隊長がさらに胸を反り返らせた。
エプロン姿の母さんが、いつもより小さく見えた。
「とんでもない。ただ、うちは客商売ですからね。
できる限り協力はいたしますが、時と場所をわきまえていただきたいんです。」
「なんだと………?」

太い眉毛の下から、じろりと隊長が母さんをにらみつける。
他の隊員までもが、隊長の後ろから胸を反らして見せつける。
厨房の父さんはまだ、フライパンを回している。
 
「ふん、今日のところは引いてやるが。
検察隊に協力しない人間は、マークされるから覚えておくんだな。」
偉そうな隊長は隊員から羊皮紙を受け取ると、母さんの前に掲げた。
「情報を求める貼り紙だ。店に貼っておくように。」
「わかりました。」

母さんが手を出すと、隊長はわざとタイミングを外してぼとりと床に羊皮紙を落とした。
「落ちたぞ。」
拾えと言わんばかりに、顎で示す。
母さんは何も言わず、ただ黙ってしゃがみ込み、紙を拾った。
頭を下げるような格好になった母さんを見て、隊長は鼻でふふんと笑った。
「また来るぞ。」
同じように乱暴な足音を立て、検察隊は店から出て行った。
 

 
静かになった食堂で、母さんがすっくと立ち上がった。
手には羊皮紙を握りしめていたが、その顔はあくまでも笑顔だった。
「さあさあ、お騒がせしましたね、何でもありませんから。
どうぞゆっくりお食事を続けて下さいな!」

その言葉に、食堂はまた賑やかになったけれど。
厨房に帰った母さんが、しばらくじっと床を見つめていたことと。
父さんがフライパンを回す手を止め、手のひらでぐいと汗を拭ったことは、ぼくしか見ていなかった。
顔色の悪い人達の、こそこそした会話や。
中央のテーブルで元気よすぎる会話が続いたことも。
ぼくは見て知っていた。
知っていたけれど。
それはぼくには関係のないことだった。

 
山賊の事もぼくには関係ない。
ぼくは見ただけだし。
ぼくが言わなくても、誰かが言うかも知れないし。
ぼくが言っても、山賊が掴まるわけじゃないし。
ぼくの言ったことを、誰かが本気で聞いてくれるわけはないし。
関係ない。
 
できあがった料理をどんとカウンタに置いた父さんは、ぼくの目を見ようともしなかった。
ぼくがいても、いなくても。
関係ないと思ってる。
だからぼくも何も言わない。
誰が作って、誰が食べる料理なのか、ぼくには関係ない。
ただ毎日は過ぎていき。
ぼくと関係ないところで、世界は回っている。

 
「しかし、よく我慢したなあ、お前さん。」
湯気のたった煮込みを運んでいったテーブルは、さっきの男の人と女の子が座っていた。
検察隊の隊長みたいに背が高い男の人は、前かがみになって女の子の頭を撫でていた。
親子や兄弟には見えないけれど、どういう二人連れなんだろう。
ぼくには関係ないけど。
「うぶっ!人が水飲んでる時に、頭撫でるのヤメてよねっ!
水が鼻に入っちゃうでしょっ!」
「お、すまんすまん。…………あ、鼻水。」
「だから水だってば!(ごしごし)それはそうと、何の話よ?」
「だから、さっき。ああいうエラそーな奴見ると、黙ってないだろ、お前。」
「そう?」
「そう?ってお前さん、随分冷たいんだな。」
「別に。」

ぼくが料理を置くと、合わせたように女の子が肩をすくめた。
「だってあたしには関係ないし。」
女の子の目が、ちらりとぼくを見たようだった。
 


そうだよ。
関係ない。
人は誰でも、自分に関係ない事は、無視してやり過ごすんだ。

天気が悪い?
関係ないね。
客が来ない?
関係ないね。
母さんが侮辱を受けた?
関係ないね。
それは母さんのせいだから。
ぼくには関係ない。
 
 

そうしてまた一日が過ぎていく。
ぼくが眠った後も、父さんと母さんは明日の下準備を続けていた。

突然、騒ぎが起きてぼくは目が覚めた。
店の裏口で、誰かが怒鳴っているようだった。

『なんでおたくだけ‥‥があるんだ!?おかしいじゃないか!
何か裏取り引きでもしてるんだろう!』

窓から下を見ると、裏通りで食堂をしているおじさんが真っ赤な顔をして怒っていた。
ランプの光の中で。
痩せた父さんの背中が、ぼそぼそと言い訳をするように揺れていた。
 


関係ない。
ぼくには関係ない。
大人の事は大人同士で。
子供のぼくには関係ない。
ぼくが何をしてもしなくても。
また朝は来るんだから。




そして朝が来た。
けれど、それはいつもの朝ではなくなっていた。

検察隊が大勢やってきて、父さんを引っ立てていった。
母さんは必死に抗議したけれど、誰も聞いてはくれなかった。
店の入り口には貼り紙が貼られた。
『営業停止』
父さんは、何かの疑いをかけられたらしい。
 

客が全部、店を出ていき。
宿の部屋も、食堂も、がらんとして。
母さんは長い間、テーブルの一つに腰をかけて頭を抱えていて。
ぼくはぼんやりと入り口に立っていた。

いつものように次の日が巡ってきたけれど。
ぼくの家だけは違った。

けれどそれもやっぱり、ぼくのいないところで世界が回っているせいだ。
ぼくには何もできない。
 

母さんが顔をあげて、ぼくを見た。
そして、何も見なかったように、ふいと視線を反らした。
それから、黙って掃除を始めた。
ごしごしと床をこすり、柱を磨き、壁の汚れを落としていた。
もう叱る声もかけてこなかった。

世界がぼくと関係ないところで回っているうちに。
ぼくも世界から関係がなくなり。
母さんとも、父さんとも。
関係がなくなり。
何にも関係がなくなり。
 

ぼくは、透明人間になったのだろうか。










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