『ゲストブック』



 
「久しぶりですね、リナさん!」

ピンクのドレスの裾を翻して、黒髪の小柄な少女が駆け寄った。
人払いをした部屋は、豪奢なシャンデリアがさがった天井が高い、王女専用の執務室だった。
「久しぶりね、アメリア。」
駆け寄った少女の勢いのある抱擁に、同じように小柄な栗色の髪の少女が答えた。
腰まで届く長く伸ばした艶やかな髪だった。

「元気そうで、何よりです!訪ねてくれて嬉しいです、私!」
かつての旅仲間の手を取り、セイルーン第一皇太子の息女はぴょんぴょん跳ねた。
普段なら禁じられている、子供っぽい仕種ではあったが、仲間からは懐かしい様子でもあった。
「あんたは立派に王女さましてるじゃない。感心したわ。」
「いえ、そんなことは………」
白い頬をぽっと染めて、アメリアはもう一人の仲間を見上げた。
「お久しぶりです、ガウリイさん。ガウリイさんも元気そうで良かった。」
「アメリアもな。」
そう言って微笑み返した長身の青年は、それが定位置かのように栗色の髪の少女のやや背後に立っていた。
少女のそれより長い、淡いブロンドの髪に、青い瞳が穏やかに見返す。
ここに揃った三人が最後に別れてから、2年ほど経過していた。
 



「私を訪ねてきたという人の名前を聞いて、驚きましたよ。
リナ=インバースと、ガウリイ=ガブリエフだって。
で、今回は何か目的があるんですか?」
アメリアは歩きながら、部屋の窓際に並べられたソファへ二人を誘った。
若干十八歳で一部では伝説と化した魔道士リナ=インバースは、臆した様子もなくすっと腰を下ろす。
その自称保護者である青年は、年はリナと五つばかりしか違わないが、身長差はそれを遥かに上回っていた。
体格だけ見ていれば、子供と大人に見える。
彼もまた超絶的な感覚と技量を持つ、一流の剣士ではあったが、普段はのんびりとした雰囲気をかもし出していた。
その青年は、何か言いたげに椅子の少女を見下ろしたが、少女が青年に一瞥も送らないのを見ると、軽く溜め息をついて、少し離れた場所に腰を下ろした。
向かい側に、王女であるアメリアがふわりとドレスを広げながら座る。

「うん、ちょっと調べものがあって。王立図書館に用がね。」
世界に類を見ない蔵書量を誇るのが、この神聖都市セイルーン・シティにはある。
「そうでしたか。しばらくはゆっくりできるんですか?
宿は?よかったら部屋を用意しますけど。」
「そ。悪いわね。……ってもちろん、アテにしてたけど。」
したり顔で笑うリナを見て、アメリアは吹き出した。
「ホントにリナさんですね。何だか安心しました。」
「どーいう意味よ?」
「いえ、こちらのことです。」
 
別れてからそれほど年数がたったわけではないが。
少女が大人へと変化するのに足りない時間ではない。
アメリア自身も背が少し伸び、ふっくらした頬がいくらか大人の顔つきへと変わっていた。
それでも自分の変化には気づきにくいもので。
かえって、久しぶりに会った人間の変化に聡いものである。
リナがどこか、以前とは違うことをアメリアは敏感に感じ取っていた。
背は変わっていない気がする。
髪は伸びた。
痩せた?
それ以外に、どこか、全体の雰囲気が…………
言葉を交わしながら、アメリアはその違和感を手探りした。
 
「じゃ、悪いけど。あたしと、ガウリイの分頼むわ。
それほど長居はしないから安心して。
で、早速だけど図書館に行ってくるわ。」
「え、もう?そんなに急ぎの用事なんですか、図書館に?」
マントをさらりと払って立ち上がったリナに、さすがにアメリアがあっけにとられた顔になる。
「まだ、ゆっくりお話もしてないのに。それに、そろそろお茶の時間ですよ。」
「それより、一筆書いてくれる?
あたしの名前出すと、何故か本の貸し出しするのを嫌がるのよね。」
「そ……それは………。わかりました、じゃあこれを。」
アメリアもせわしなく立ち上がり、執務机の上から羽根ペンをとりあげ、一枚の公用紙にさらさらと筆を走らせた。
最後に署名をすると、吸い取り紙を手早く押し付け、リナに手渡す。
セイルーンの紋章の透かしが入った紙だった。
「ありがと。恩に着るわ。」
素早くにこりと笑い、くるりと背を向けて、リナは部屋から出ていった。
後に残された二人には沈黙ばかりが漂い、さながらつむじ風が部屋を通り過ぎていった感があった。
 

「行っちゃいましたね………。」
「ああ、行っちまったな。」
「夕飯までには、戻ってきますよね。」
「どうだろうな。リナは一度夢中になると、周りが見えなくなるところがあるからな。」
肩を軽くそびやかした青年は、それでも少し心配げな顔で、リナの消えたドアを振り返っていた。
その視線が、必要以上に長く送られている気がして、アメリアは眉を寄せた。
「そうですね。ガウリイさんのこと、すっかり忘れてますよね。リナさん。」
「ん………まあ、図書館じゃオレは必要ないし。」
アメリアの表情に気がついたのか、ガウリイはいつもの事だと笑ってみせた。

「突然来てすまなかったな。迷惑じゃなかったか?」
「いえ。退屈してたところですし。
でも、こうしてると、何だかあの時に戻ったみたいな気がしますね。」
「……そうだな。」
「大変だったけど……今も別の意味で大変ですけど、自分が今よりもっと元気だった気がします。」
「今でも十分元気だぜ。それに、リナを喜んで迎えてくれる場所って、そうそうないだろ?」
ガウリイは悪戯っぽく笑い、足を組んだ。
「ここはリナにとって、貴重な場所なんだと思うぞ。きっと。」
「………ぷぷっ。相変わらずなんですね。」
「ああ、相変わらずだけどな。」
 
アメリアから見て、青年も少しも変わらないようでいて、何か違和感を生じていた。
喋り方も、笑い方も全く変わってない。
並の使い手の剣士じゃないとは、普段は全く感じさせない、どこか人を脱力させる所がある。
最初は、あの竜巻きのような破天荒の魔道士と、何故二人でコンビを組んでいるのか疑問に思ったりもしたが、一緒に旅を続けていくうちに納得したものだった。
明確で細かい理由などでは説明がつかないが、二人が一緒にいるのはごく自然な成りゆきなのだと。
当たり前のように傍にいて、当たり前のようにお互いを思いやっていた。
よりかかり、助け合うのとはまた違う。
互いに認めあった上で、足りない部分を補いあっている。
そんな風に見えたのだ。
 
「ガウリイさん、気を悪くしないで欲しいんですけど。」
「ん?何だ?」
「どこか………具合が悪くないですか?
ちょっとばかり……元気が足りない気がしますけど。」
「………そうか?」
「ええ。」
「そうか…………。」
お決まりの、ぽりっと頬をかく癖も変わっていないのだが。
そこでアメリアは、はたと気がついた。
お決まりといえばお決まりの、あれをまだ耳にしていなかったのである。
違和感はそこだっか?
「いつもならリナさん、無駄だとは思うけど図書館では寝るな、とか、部屋で寝てなさい、とか、ガウリイさんに言うじゃないですか。
それでガウリイさんがボケをかまして、電光石火でリナさんがツッコんで………」
「おいおい」
「まだ、リナさんとガウリイさんの夫婦漫才を聞いてませんよ。
それに何だか、部屋に入ってきてから、一度もリナさんは……」
青年の方を振り向くことも、会話に招き入れることもしなかった。
「何か……あったんですか?リナさんと。」
「……………」
青年がまた、ぽりっと頬をかいた。
 
 
 
ばたばたばたばたばたばたばたばた!
 
遠くの方から廊下を走ってくる音が聞こえ、アメリアは思わず扉を開けた者に注意をした。
いつも自分が注意されていることだった。
「廊下を走ってはいけませんよ!」
「も、申し訳ありません、皇女陛下!
つい……いえ、その、緊急事態が起こりまして!」
「落ち着きなさい。一体、何なのです?」
胸元を苦しげに押さえていた衛兵は、踵を打ちつけて遅ればせながら敬礼した。
「お客人が!図書館で倒れました!」
「っな…………リナさんが!?」
「!」
アメリアが驚きの声をあげるより早く、青年は部屋を飛び出していた。
 
 
 
 




次のページに進む