コンコンっ!
部屋のドアを軽く叩く音を耳にして、リナは窓際の椅子から立ち上がった。
開いた扉から顔を覗かせたのは、予想通りの人物だった。
「大した用じゃないんだが……。」
無言のリナを前にしてガウリイは頭をかいた。
軽くため息をつき、リナは扉を大きく開いて片側に立った。
「そんなとこ突っ立ってないで、入ったらどう?」
「あ………ああ。」
扉を閉めると、大きな体の横をすり抜けるようにして、すたすたと中に戻るリナ。
椅子を相手に譲り、ベッドの端に腰を下ろす。
足を組むと、片目を眇め、片目を大きく開いて大柄な相棒を見上げた。
「で、そんなに心配なわけ?あたしのこと。」
「あ……いや、その……な。」
いくつも年下の少女を前にして、青年の声は覚束ない。
得体の知れない人物に、それも数人に狙われているとわかったばかりのこの状況。
それを知らせてきたルークとミリーナは、義務は果たしたとばかりに消えていた。
残された二人はこれといって解決策を見い出したわけではなく。
食事を終えて、それぞれの部屋に引き取ったばかりだった。
普段から心配性の相棒が、気にして部屋を尋ねてくるだろう程度のことは、リナにもとっくに予想はついていたらしい。
「情けないわね。
何年あたしと一緒に旅してんのよ?
狙われるのだって、今回が初めてって訳じゃないんだから。」
つんと頭を振って顎を出すと、リナは腕を広げた。
「狙われてよーが狙われてまいが、油断だけはしなきゃいーでしょ?
あたしだって何も考えてない訳じゃないわよ?
こっちからトラブルを招くことは避けたいし。
ここら辺りにそーいう輩がうろついてるって話なら、早々に引き上げた方がいいかなって思ってたところだし。」
「そうか。」
少しほっとした顔をガウリイがしたので、リナはさらに眉を寄せた。
「何よ。そんなにあたしは頼りない?」
「いや……そういう訳でもないんだが。」
ガウリイは笑うと、リラックスした様子で向かいの椅子に腰を下ろした。
「心外ね。
あたしは魔族にだって狙われてたってこと。
どーせ忘れちゃってるんでしょーけど?」
冷ややかな目で自分を見つめるリナに、だがガウリイは真顔で返した。
「どうかな。
人間の方が怖いってことも、あるかも知れないぜ。」
「……どーゆー事……?」
「人間には、感情ってやつがあるからな。
説明のつかない事や、筋の通らない事だって、こっちが思ってもみない時にやらかしたりするだろ。」
「…………………。」
「ま、油断しなきゃいいってのは、オレも賛成だ。」
「…………………。」
リナはゆっくりと姿勢を起こした。
相手の言葉を反芻しているようだった。
「そ………ね。
あんたの言う通りかも。
どんなやつかわからないうちから相手を見くびっちゃうのは、愚か者の仕業よね。」
「そーいうことだ。」
ガウリイも頷いた。
頭の回転が人より早いリナに対し、一般常識すら頼りないガウリイ。
こと頭脳戦においてはリナに激しく分がある二人だが。
時にリナの方が驚かされるほど、意外に真実に近いところにガウリイが立っていることもままある。
だからリナは、彼の言葉に耳を傾けるのだった。
「……………」
お互いの視線がかちりと組み合う。
その瞬間、次のセリフを全く思いつかない沈黙が二人の間に横たわる。
こんなこともよくあることだった。
先に視線を逸らしたのはリナだった。
ぱっと両腕を頭の後ろに持っていき、天井を見上げる。
まるで言い訳のように。
「やー、それにしてもあたしってば罪なオンナよねっ。
人間・非人間を問わず、相手をトリコにしちゃうなんてっ。
美少女天才魔道士の、こりゃ宿命ってもんだわねっ。」
「………おいおい。」
打って変わった明るいその様子にガウリイは苦笑し、真顔を崩す。
「だってそーじゃないっ?
いかにも目つきの悪い、冷酷無慈悲の代名詞みたいな男とかっ。
剛腕剛堅のムキムキ野郎とかさっ。
ふつーの小娘なら相手にしないよーなやつらが、あたしのことを付け狙ってるってゆーのよ?
おまけに伝説の武器の元保有者で、伝説の勇者の子孫ともあろー人が。
わざわざ心配して部屋まで訪れてくるよーな。
これがあたしの魅力のせいでなくして、何だとゆーの。」
そこまで言うと、リナはちろりと横目でガウリイを見た。
「……………。」
ガウリイが言葉に詰まった。
さっきとは異なる、妙な沈黙が漂う。
それはある種の緊張感を伴っていた。
「……………ああ。」
急に、ガウリイがぷっと吹き出した。
精一杯、平然とした顔をしていたリナが、何故かむっとした様子になる。
「なっ、何よっ?何がおかしい訳っ?」
「や、そうじゃなくて。」
笑いながらベッドから立ち上がったガウリイは、片手を差出しながらリナに近づいた。
「そりゃ、心配しなかった訳じゃないが。
用があるってのは別の件だったんだ。」
「………へっ?」
面くらった様子のリナの眼前で立ち止まると、ガウリイは少し屈んだ。
それから、リナの方にすっと手を伸ばしてくる。
「……え?」
大きな手が顔の前に現れ、リナは目を見張った。
「なっ……」
手は顔の前をすり抜け、左脇に………耳をかすめ、それから髪に触れた。
ぎちぃっ!
リナが固まったのと、ガウリイが何かをひょいとつまんだのは同時だった。
「やっぱり気がついてなかったか。」
「…………へ………?」
気の抜けた声で答えるリナに、ガウリイは指につまんだものを左右に振って笑った。
「さっき崩れちまったケーキ。
お前さんの頭の方に何か飛んでったよーな気がしたから、もしかしたらと思ってな。
後から考えたら、上に乗っかってた砂糖菓子が消えてたんだ。」
そこには、ピンク色の羽根の形をした菓子が挟まっていた。
呆然としたリナの手に菓子を落として、ガウリイは肩をすくめた。
「だから大した用じゃないって、言っただろ?」
「…………!」
リナが息を飲む。
自分でも顔が赤くなっているのがわかったらしい。
気づいてもどうしようもなく、余計に赤くなるのを止められないようだった。
「あ〜あ。
見ちゃいらんねーな、まったく。
じれったいってのは、こーいうことを言うのかね?」
いつのまにか開いていたドアから、ルークが顔をのぞかせた。
リナがぴょこりと椅子から飛び上がる。
「なっ!いっ、いつからそこにっ!?」
「ついさっきだが。
何だ、気づかなかったのか?
ダンナはとっくに気づいてたってゆーのに。
やっぱり油断があるんじゃねーのか、ええ?」
「ぬあっ!?」
相手の慌てぶりがいかにも楽しいという顔で、ルークはにやにや笑いを崩さなかった。
「しかし、部屋に二人っきりだってーのに何だよ、それは?
寸止めか?
生殺しか?
『お前が心配だったんだっ!』
『あたしのためにっ!?』
とかなんとか言って固く抱きあって、ブチュっとくらいいかねーか、おい。
思わず背中を蹴飛ばしたくなったぜ。」
「ブ………!」
からかわれたせいか、それとも別の理由でか、リナの顔が沸騰する。
「なななななななんっなのよ、それぇっっ!!
勝手に人の部屋に入ってきて、何をまたド勝手にぶちかましてるかなっ!!」
「んーまー、仕方ねーか。
相手がどんぐりまなこの色気皆無のおチビさんじゃなあ。
ダンナもやる気でねーよなあ?
これが俺のミリーナみたいに、美しくも凛とした気品溢れる美しさをたたえた美人ともなりゃあ、さっきみたいなセリフだってボロボロと……」
「誰があなたのものですか。」
背後から冷ややかな視線と言葉を浴び、ルークはそこで口籠った。
「え、えーと、それはともかく。」
気を取り直して話を続けようとしたルークに、ミリーナが追い討ちをかける。
「その件に関しては、一度きっっちり話をつけた方が良さそうね。」
「え……いや……その……きっちりなんて……そんな……」
「下らない脱線はともかく。」
「く……下らない………?」
「あなたが狙われる理由、もしかしてわかったかも知れないと思って。
知らせに来たのよ。」
「え………?」
今にもルークに噛みつかんばかりだったリナが、動きを止めた。
「これよ。」
ミリーナは手に丸めて持っていた紙をリナに放ってよこした。
「何、これ?」
「これは………?」
背後からのぞきこんでいたガウリイが驚きの声をあげる。
「何だこりゃ………?」
『今月のピックアップピープル!!
天才美少女魔道士!!その名はリナ=インバース!!
以前より旅人を困らせていた山賊を、何とものの数分で蹴散らしてしまいました!
ついでにアジトから見事、お宝もゲットした模様です!
今日も悪人倒して懐リッチな物見遊山の旅に出ていることでしょうっ!
うらやましーぞ、リナ=インバース!
かっちょいーぞ、リナ=インバース!
彼女の今後の活躍に乞う御期待!!
次号新聞にて続くっ!!』
どがらしゃあっっっ!!!
自分で読んで、自分で転がるリナだった。
その手から落ちた紙切れを拾い、ガウリイが先を読む。
「え〜と。『今週の占い。
絶好の旅日和、ところにより盗賊出現!
夜にはアジトが火災に巻き込まれるでしょう!
ラッキーポイントは黒いバンダナ!
イチゴのショートケーキがデザートに出たら、ひっくり返されないように気をつけて!!』
ずこんっっ!!
転がった先で、さらにベッドの足に頭をぶつけるリナ。
にやにや笑いのルークが、すでに内容を暗記していたかさらに追い討ちをかける。
「こんなのもあったぜ。
『大人気!!リナの限定ストラップ発売!!
ついにあのリナの激カワストラップが出たぁっ!!
盗賊・魔族・山賊除けに効果アリ!!
数量限定、期間限定!!
当新聞上にて、通販開始っ!!
このチャンスを逃すなっ!!』
ズドドドゴどがらしゃあっっ!!
起き上がろうとつかんだ椅子ごと、もう一度派手に床に転がるリナ。
「な……な……な……」
瀕死の態で起き上がるが、二の句がなかなか告げない。
「なに、ソレ………。」
「いやー、俺達もさっき外で配ってるのをもらってきたんだがな。
この地方で流行ってる、無料情報誌なんだそーだ。」
ガウリイが広げている紙を指差し、かなり上機嫌に続けるルーク。
「毎月、話題になりそーな人物を取り上げるらしーんだが。
それがたまたま今月は、お前さんだったってわけだ。」
「この街に来る途中、山賊を倒したのを見られていたのよ。」
ミリーナの説明に、リナはげっそりとした顔で起き上がる。
「なんつー端めーわくなモンを……。」
「………なるほど。
こいつを見たやつらが、お前さんにライバル心を燃やしたってわけか。」
やっと事態が飲み込めたか、頷くガウリイ。
「ちょうどいい腕試しとか、お宝目当てってやつもいるでしょうね。
中には、リナに倒された元盗賊なんかがいたりして。」
するとガウリイが眉をしかめた。
「こいつは放っておけないな……。」
「え………。」
その深刻そうな声に、リナが不思議そうな顔を向けた。
「放っておけないって……?」
「やっぱり心配なんだな、このドングリまなこのマセガキんちょが。」
再びルークがにやにや笑いを浮かべて、肘でガウリイをつつきに来た。
「ほれほれ。
『お前はオレが必ず守ってやるっ!!』とか熱く語って!
ちょっと抱き心地は悪そーだが、抱きしめてやんなよ、ダンナ!
まあ、命がいくつあっても足り無さそーだがな!」
「なっっ!!
ああああんたねっっ!!ルークっっ!!
さっきから何でそーからむのよ、あたし達にっ!!」
顔を赤くしたリナがつっかかってくると、ルークのにやけ笑いは大きくなった。
「照れるな、照れるな。」
「誰が照れてるか、誰がっっ!!」
「お前さんもまんざらじゃねーんだろ?
ダンナにここまで心配されるのも、なあ?
放っておけないってことは、オレがどうにかするって決意の現れだろが?」
「………な!」
「………ああ。」
ガウリイはこくりと頷き、リナをまっすぐ見つめた。
「こいつはいくら何でも、放っておくわけにはいかないだろう。」
「ガ……ガウリ……?」
リナの顔が、じわじわと赤くなる。
ルークの言葉を否定しつつも、頭の中に消しきれない想像が広がっているようだ。
まさか。
もしかして。
いや、いくらなんでもそんな。
そんな言葉が顔にかいてある。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか。
紙きれをヒラヒラさせて、ガウリイが言った。
「こいつはいくら何でも、実像と違い過ぎる。」
「………へ………?」
ガウリイがリナの顔の横でぴらりと広げたのは、無料情報誌の一面だった。
鮮やかな色彩で、栗色の髪をなびかせた女性の絵が描かれている。
「誰が描いたか知らないが、こりゃ過大広告だ。
リナはこんな絶世の美女じゃないぞ?
見てみろ、これ。
背は高いし、睫だって顔からはみだしてるぞ。
化粧だってしてるし、口なんか真っ赤だ。
それにほら。特にここ。
この胸……………」
ばきぃっ!!
ずだだだんっっ!!
ビリビリビリッッッ!!!
「うわ…………。」
効果音の間の出来事に、思わず呻いたのは当の被害者ではなく。
ルークの方だった。
「ふっ………。
来るなら来てみなさいよ、あたしを狙うやつらっ!!
ウォーミングアップなら、たった今済ませたところだわっ!!」
飛び蹴りをくらわせ、床に這わせた保護者の背中に座り込み。
腕組みをしてふんぞり返る天才美少女魔道士。
その上に。
誇大広告の無料情報誌の残骸が、静かにちらちらと舞うのだった。
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