「からくりスレイヤーズ!」


「何か困り事かい?お嬢ちゃん。」
 
輪の外から、声をかけた者がいた。
かなり遠くからかけたのか、妙にくぐもって聞こえたが、確かに人の声だった。
それも若い男性のようだ。

『何だ。お前は。あっちへ行け。』
輪の一方が崩れ、スーツ男が向き直った。
わずかな間に、少しずつ夜は明けていたようだ。
灰色の光の中、それは姿を現した。

ジョギングをしていたのか、首にタオルを巻いた…………

大柄の…………

つぶらな瞳の…
………



 
巨大な直立レッサーパンダだった。

 
「んなぁっ!?」
よくある映画の一場面を、あたしは想像していたのだが。
可憐な少女を救いに現れる、やたらめったらなハンサムかと。
そんなささやかな希望は、粉々に打ち砕かれてしまった。
………じゃなくて。

早朝の新宿に、あろうことか直立レッサーパンダっ!?
千葉の動物園から出張巡業か何かなのかっ!?
………じゃなくて!

ブキミなスーツ男だけでも怪しさ大爆発なのに、そこへ現れたのが着ぐるみ男とは。
これはヤラセか!?
とツッコミたかったが、そんな場面ではなかった。
何の警告もなしに、スーツ男が体を半回転させた。
レッサーパンダに見事な中段回し飛び蹴りをくらわせたのだ。

「危ないっ!○太っ!!」
思わず某有名レッサーパンダの名を呼んでしまったが、それは必要なかった。
そいつは巨体に見合わない身軽さを発揮し、ひょいと屈んでやり過ごしたのだ。
「!」
間髪を入れず、もう一人のスーツ男が足払いを繰り出す。
連係した二段構えの攻撃だったが、○太もといレッサーパンダにはお見通しだったらしい。
パンッッ!
毛むくじゃらの大きな前足が地面を叩き、ふわふわの尻尾と体が宙に舞った。
そこへ、後ろへ周りこんだ別のスーツ男が駆け込んできた。
さらにもう一発回し蹴りを食らわすつもりらしい。

二段でなく、三段!
ジェ○トストリームアタック!?

などと一人盛り上がるあたしをヨソに、レッサーパンダは野生の本領を見せた。
不安定な状態ながら、後方に両足を蹴り出したのだ。
リーチは巨体なだけあって、パンダの方が有利だった。

やるな、○太っ!
さすが双児の父になっただけのことはある!
 
ガコオオッッ!!
 
男は吹っ飛ばされ、レッサーパンダはうつぶせのまま激しく地面へ落下。
そこへ他のスーツ男が殺到する。
「これはっ………」
やっぱり野生でも勝てない相手がいるか。
あたしはスーツケースの鍵を鍵穴に差し込み………

そして、ケースでなく、口をぱかりと開けた。
「え………ええ?
 
ぶわああああっっ!!
 
レッサーパンダをフクロウ、もといフクロ叩きにしているかと思ったスーツ男達が、まとめて吹っ飛ばされた。
そりゃもう綺麗に。

会心の一撃必殺コンボを決めたゲームの主人公のように、パンダはすっくと立ち上がる。
分厚い手で、ぱふぱふと体を叩いて埃を落とす姿はファンシーだが。
立っているスーツ男は一人もいない。
あっけない幕切れだった。
諦めが肝心とばかり、プレジデントはバックファイアを響かせながら走り去っていく。

「お嬢ちゃん。怪我はないかい?」

爽やかな笑顔にきらりと光る前歯、でなくて。
いたいけな顔にきらりと光るつぶらな瞳で、レッサーパンダは手を差し伸べた。
あっけに取られたあたしに向かって。
「……………。」
 

それがあたしの、最初で最後の、そして最大の分岐点。
----------だったのかも知れない。

高速バスを降りて、コンビニに向かわなかったら。
出会えなかった。
このレッサーパンダには。

そしてこの時、想像もしていなかった。
これから辿る恐ろしくも不思議な長い道のりを。
このレッサーパンダと共に、歩くことになろうとは。
 


「何なんだ?こいつら。誘拐されそうになったのかい?」
てんでに倒れているスーツ男を見回して、レッサーパンダが言った。
「しまったな。110番しようにもオレ、携帯持ってないし………」
ってあんた。
そのデカい手でどーやってボタンを押すと………?
「この辺は公衆もないしな。
そこのコンビニで電話を借りよう。
中に入ってた方が危なくないし、あったかいだろ。」
巨体がのしのしと歩いてきて、あたしの目の前に立った。
そうしてみるとやはりデカい。

「あ……」
ひょいとスーツケースに手を伸ばすと、パンダは軽々と持ち上げた。
「ち、ちょっと、返してよ。」
「重いだろ。持ってやるよ。
……大丈夫、オレは怪しいもんじゃないから。」
「ど………どこがっ!?!?
助けてもらったお礼も忘れ、思わずツッコんでしまう。
ツッコむべき時にツッコまずにはいられない、あたしの憎い性分であるから仕方ない。
「へ………?」
パンダはあたしの言葉に、きょとんとしたようだった。
しばし空を仰ぎ、それからたった今思い出したような意外な声でこう言った。
「そうか………オレ。おっさんパンダのままだった。」
おっさん違う!!!レッサーパンダ!!!」
「……おお。」
毛深い手でぽむっと手を叩くレッサーパンダ。
 
がくううっ!!

思いきり脱力感を覚えるあたし。
な………何なのこの会話。
この展開。

こんな風に始まったあたしの一日は、一体どーなってしまうんだろう?
山奥から出てきて都会に辿り着けば、いきなり襲ってくる能面のスーツ男。
かと思えば。
助けに入ったのが、自分の名前もわからないレッサーパンダとわ。
 
「そーじゃなくて。」
片手をぱたぱたと振り、レッサーパンダはしきりに自分を指差した。
「オレが言いたいのは、オレは今、レッカーパンダに見えるけど、これは……」
「アンタは駐車違反取り締まりキャンペーン中かっ!」
あああ。
話が一向に進まないではないか。
「あ〜〜だから。
これは着ぐるみだって言いたいんでしょ。それくらいわかるわよ。」
「何だ。わかってたなら、そう言ってくれればいいのに。
だからオレは別に怪しいもんじゃないし、安心してついてきて………」
ど・こ・の・世界にっ!
着ぐるみを着た人はみな善人って法律があんのよっ!?
それだけでどーやって信用しろってのよっ!!」

あたしはスーツケースをひったくると、深呼吸した。
どうもこのパンダと会話していると疲れる。
「……その。助けてくれた事にはお礼を言うわ。
ありがとう。」
ぺこりっと頭を下げる。
どんな時も、人への礼儀は欠かしちゃならんと、子供の頃から叩き込まれているせいだ。
「でも、下手に警察呼ばれちゃあたしが困るのよ。
どうしても手を貸したいって言うなら、あたしが立ち去ってから、あなたが連絡してくれない?
ここに不審者がゴロゴロ転がってますよ、って。
あたしの事は、できれば内緒にしてくれると助かるんだけど。
……でも、まあ、別に話しても構わないわ。
あなたの知ってる程度なら、大したことないでしょうし。」
「……………」
パンダが怪訝な顔をした。
いや、そういう風に見えた。
「何で…………」
「こっちにはこっちの事情ってものがあるのよ。
通りすがりの人に説明してるヒマはないの。
ということで、あたしは行くから。
後はヨロシク。」

そう言うと、相手がどうこう言い出す前に歩き出そうとした。
パンダは小首を傾げて、あたしを、いや、あたしの背後を指差した。
「いや……オレが言ってるのは。
何であいつら、立ち上がってるんだ?ってことなんだが………。」
「………え………!?」
 

ガシャガシャ………
 
キキキキキ…………
  
ギュルルルルルッ……………
 

壊れて止まっていた機械が、何かの拍子にいきなり再起動したような音だった。
歪んだシャフトをカムが噛み損ねて空回りするような。
ねじれた歯車同士が擦れ合うような。
嫌な音だった。

「な………………!」
パンダとあたしは、一斉に言葉を失った。

片腕が取れているやつがいる。
首が変な方向に折れ曲がっているやつがいる。
スーツが破れ、腹の辺りから。
肌が見えているやつがいる。
肌のような色合いの、人間の骨格を模しただけの、皮膚も脂肪もないただの肋骨が。
筋肉と血管の代わりに、絡み合うコード類がむきだしになっているやつが。

「き…………機械………!?」
「まさか………」
 
ギュララララッ………
 ガシャッ………
   
カタカタカタカタ!!!
 
もげた上半身を後ろに引きずりながら、下半身だけが茶運び人形のように早足で近づいてくる。
寓話や幻想というより、これではまるで怪談だ。
アンデルセンの出番ではなく、ラフカディオ・ハーンの世界が幕を開く。

「何がなんだかわからんが………ともかく一旦逃げるぞっ!!」
「へっ…!?」
がしっっ!!
パンダは小脇にあたしを抱え、もう片方の脇にスーツケースを抱えると、ダッシュで走りだした。
「ぎょわわわっ!!おおお下ろしてよっ!!」
「んな場合じゃないだろっ!?」
パンダが後ろ向きにあたしを抱えたおかげで、後方に迫ってくる悪夢がしっかり見えてしまった。
機械の男達が執拗に追いかけてくる。
血液の代わりに、細かい部品をまき散らしながら。

「くそ、何なんだ、あいつら……!?人間じゃないのかよ………!」
思ったより早い速度で走りながら、パンダが呟く。
追ってくる男達は、無表情のままだ。
そのうちの一人が、取れかかった自分の腕を肩からもぎ取った。
反動をつけて、前へ投げる。
「あっ!」
手袋をした指が、あたしの頭の脇へ落ちてきた。
「どうした!?」
「手が………」
わしっ!
本体と線など繋がっていないのに、それがあたしの髪をぐっとつかみ、ぐいぐい引っ張り出す。

「……痛っ……」
「………こいつっ!」
パンダは足を止め、あたしを下ろすと腕をつかみ、後方へ投げ返した。
その間に男達、いや、機械達はすぐそこまで迫ってきた。
「………!」
あたしを後方へ庇い、身構えるパンダ。

「ばかっ、逃げなさいよっ!」
あたしはその腕を押しのけ、前へ出ようとした。
「これ以上、あたしに関わらない方が身の為よっ!
世の中にはね、あんた達パンダ……
いや、一般市民が知らない事が、まだまだたくさんあるんだからっ!
こっから先は、命がいくつあっても足りないわよっ!」
言いながら、周囲の状況を頭に入れようとする。
 
右手は高層ビル。
左手は、ビルとビルの谷間にぽかりと開いた、コインパーキング。
数台の車しか停まっていない。
おあつらえむきの広さだ。

パンダからスーツケースを取りかえし、あたしは手にした鍵を回す。
素早く鍵を外すと、ケースを足でどかんと蹴り倒した。
衝撃でばくんと開く。
その間に、両手から手袋をむしり取る。
むきだしになった手を、ケースの中へとつっこむために。
 
「どういうことだ……!?お前さん、やつらが何なのか知ってるのか!?」
まだ逃げないパンダの背中を、蹴りつけてやりたい気持ちをぐっとこらえ、あたしは腕を引き上げる。
「そうよ!………これがあたしの事情ってやつ!
わかったら逃げて!
時間を稼ぐから!
何も見なかったことにして!
恨んだりしないから、とっととどこかへ消えちゃってよね!!」

そう。
できればこれから先の、あたしの姿を目にする前に。
そう祈りつつ、時間はすでになく。
戦闘体勢にあたしは入る。
 
キュアッ…………!!
 

十の指に、十の指貫。

十の指貫に、三十の鋼線。

三十の鋼線に、無数の仕掛。

操る人の形は。

からくり。
 

パキパキ………
    パキンッ…………
 

折れ曲がった四肢を伸ばし、眠りから覚める黒い影が。

狭い隠れ家から身を起こす音がする。


 






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